霜月最終日。
よく晴れて、昨日の強風も納まる。
今月の17日。
雷都中心部より、北西の地に移住して、2週間。
旧居宅は、雑木林の中にある家だったから、近所も離れていて、人目を気にする・・・ということがなくて、居室のベランダに、何も考えず、下着を干したりしていたけれど、ここは、隣近所がかなり近くて、やはり、下着類は、見えないように干さねば・・・とか、田舎者は気を使う。
西隣は、更地になって、どん詰まりの奥の家も売りに出されていて、密集しているようで、案外、過疎地なのかも・・・市街地なのに・・・。
母と暮らした家も、弟一家と一緒でなければ、どんなに幸せだったことだろう。
そういうストレスは、無くなった。
・・・無性に母に会いたくなるときがあって、私の想像していた母の終焉は、まだ少し先で、病院に入院して、今後のこともキチンと話して・・・って思っていたので、準備を始める前に逝ってしまったから、母が亡くなった直後から今迄、かなりな地獄だった。
今は、もう弟達との縁も切れたと思うし、義妹の心とは裏腹な上っ面だけのリップ・サービスな言葉に、騙され???ることもなくて・・・。
母は、常々・・・。
『私(母)とあんた(私)だけなら、何の問題も心配も起こらなかったのに・・・。バカ息子のために、私は、毎夜、眠れない・・・。』
と嘆いていたから、そんな息子を産んだ母の業(劫?)を、何故に私が引き継がねばならぬのか・・・と常々思っている。
・・・・母は、これまた常々
『あのバカ息子は、自分が産んだ気がしない(・・・って、産んだんだろうが?)。あいつは、父親の血が100%だ。私の血は一滴も入っていないような気がする。』
と言っていた。本心なのか、悩む心が言わせたことか・・・。
そんなこともあってか・・・。今年春の母の三回忌には、喪主である弟一家は、欠席で、母とは直接血の繋がらない義理の娘と息子が、法事に来る・・・という奇妙な法事になったんだった。
そして、三回忌のときに、兄は、余命(1年弱)宣告を受けたのに、母の法事には来てくれた。そして余命宣告よりも早い九月に兄も逝った。
母の遺産を相続しても、母の法事すらしない・・・。
そんな弟との縁も切れて、これから、私は雷都で暮らす・・・。
それを実行した霜月。
環境も変わり、それでも・・・旧居宅に居たときの続きで、暮らしている。