鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

歳末2021・黒豆を煮る

2021-12-31 20:08:18 | Weblog

昨日よりは、少し気温が高い?ような・・・それでも氷点下の朝。

昼過ぎには、曇って来て、北の空は、鉛色の雪雲。

時折、冷たい風吹く2021年大晦日。

 

服喪中であるから、年始のお客様もないだろうけれど、早朝から、掃除など開始。

 

昨夜、仕込んでおいた黒豆など煮炊き。

圧力鍋の無かった頃は、出来合いの黒豆を買ってきたけれど、今年は、煮てみました。

小豆などと違って、黒豆は、前日に、煮汁を作っておいて、沸騰した煮汁に、洗った黒豆を浸し、一晩漬け置き、それから、圧力鍋で、20分加圧。

昔は、ストーブの上などで、8時間以上、ゆるゆると煮る・・・感じでしたが、私の母は、黒豆を悠長に煮る・・・ということの出来ない人だったので、拙宅で、黒豆は煮ることはありませんでした。

店舗で販売している黒豆は、黒々と光沢があり・・・なのですが、今日、煮あがった黒豆は、黒というよりは、濃い紫色でした。

古釘なんか入れると黒くなるようですが・・・。

シワも寄らず、プリプリに煮あがって、お砂糖控えめで、上品な味に仕上がったように思います。

なので、大晦日の夕餉に、一足お先に食べてみました。

ご飯に合うんだよね(年越し蕎麦にするつもりでしたが、なんだかご飯が食べたくなったので、冷凍保存しておいた栗ご飯を解凍しました)。

 

紅白膾や、味玉なども作り置き。

 

浴室の掃除をサボっていたので、天井に、カビ。

やはり、まめに掃除しないとダメですね・・・猛暑の日に、やったきりだったかも・・・などと思いながら。

 

母の逝った令和3年・・・2021年も過去になって行くのです。

私は取り残されたままだけれど・・・。

 

とても、とても疲れた今年。

ただ、ただ・・・眠っていたい・・・けれど・・・眠ってばかりもいられない・・・。

もうすぐ、新しい年が来ます。

 

今年も、この拙すぎるブログにお越しいただき、ありがとうございました。

来る年が、皆様にとって、限りなく喜びに溢れた素晴らしい年になりますことを・・・。

世界が平安で、穏やかでありますことを・・・。

 

 


いつまでも、好きでいるのは、難しい・・・。

2021-12-30 21:43:52 | Weblog

最高気温10度を超えて、すこし暖かいかな?と思っていたら、午後になって、鉛色の雲が立ち込め、やや強い風。

 

古書の整理をして、たぶんもう読むことはないであろう本などを処分。

あんなに好きで、毎日、毎日、読んでいたのに。

 

大好きだった作家のプライベートな一面を知って、作品の出来には、関係ないのに、なんだか、嫌いになってしまったり。

 

或る意味、洗脳されつづけた常識感とか、義務感が、意味のないことだとわかってきたのに、未だに、それらに支配され続けていて、長年の思い込みって、なかなか解除されないんだな・・・と苦笑したりする。

 

本も・・・。

絶対と信じていた活字が、嘘だったり、間違いだったり。

 

それは、健康常識などが、数十年前とは、真逆になっていたりする事実を目のあたりにして、全てが利権だったりするカラクリが、暴かれるにつれ、人を騙して、巨万の富を得た政治家、事業家、そして、その頂点に立つ、得体のしれない支配者の意思どおり、世界が動くことも。

あの例の新型肺炎とされるモノもたぶん、その類だろうと思っている。

 

特に、健康に関する間違った知識を有したために、治療しなくてもいいハズの生体反応に、保険をかけ、高額治療をし、そして治ることもなく、だらだらとそれらの利権にお金を落とす患者となり、絞りとられるだけ絞りとられ、本来の人生を歩めなくされされた人たちが、あまたいるようで。

血圧神話、透析神話、糖尿病神話、癌神話・・・医療に保険会社、製薬会社が、絡んで、複合的に、儲けようとするシステム。

 

誰もしあわせにならないシステム。

搾取した側は、いづれ搾取される側にまわるのだろうか・・・。

 

医療関係の本は、腐る程あった。

母の蔵書類の8割は、その医療関係の本だった。

〇○で、〇○が治る!

母は、中耳炎が原因で、聴力と内耳の痛みに悩まされ、胃下垂と胃腸関係も弱く、目まい、不眠、強い冷え、晩年は、脊柱管狭窄による脚の痛みに苦しんでいた。

そんな母は、治療本と健康食品と健康器具、補聴器、義歯に、莫大なお金をかけた。

たぶん・・・少しは、状況を緩和させることもあったかのかもしれないが、あちらが治れば、こんどは、こちら・・・というイタチゴッコを繰り返した。

それでも、その症状に費やせる金銭が、あったから、湯水のように使いまくった。

 

その影響で、私も医療本など読むようになったけれど、百出する情報に、どれが正しくて、どれがガセなのか・・・結果は、十年、数十年先にならないとわからないものも多くて、即効性のあるものもあるにはあったけれど、殆どが、読んだだけで、おしまいで、実行することのなかった母でもあった。

 

古書を処分しながら・・・この本を読めば、症状が改善する、悩みが解決する・・・と期待して、本など購入したけれど、結局のところ、何の役にも立たず、処分する手間と時間だけが、私に残ったようでもあった。

文学系統の本も同様で、時間という砂に埋もれ、堆積した本は、侵食され、ページは、紙魚だらけになり、朽ち果てるのを待っているだけの存在だ。

 

あんなに、好きな作品だったのに。

あんなに、大好きな作家だったのに。

あんなに、読むのを楽しみにしていたのに。

 

いつまでも、好きでいるのは、難しいことなんだな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お鮨

2021-12-29 21:22:23 | 食・料理

くもりがちながら、日中は、ゆるい陽差しの暖かい歳末。

 

昨日は、映画のあと、映画館併設のショッピング・モールで、お鮨ランチ。

午前11時半で、既に、数人待ち状態でしたが、カウンター席ならすぐご案内出来ます・・・ということなので、カウンター席へ。

ネタのよい少し高めのランチセット(サラダ・お味噌汁・茶わん蒸し・天麩羅付き)をお願いしました。

鮪、甘海老、白海老、いくら、コハダ、ハマグリ、シメサバ、イクラ・・・やはり、お鮨は美味しいなぁ・・・。

 

拙宅で、出前の握り鮨が食卓に乗るようになったのは、私が、中学生の頃からくらいだったでしょうか。

年に、二回のボーナス・シーズンで、年末は、クリスマス・ケーキなど供するくらいが、せいぜいで、お鮨は、贅沢でした。

それ迄、お鮨というのは、所謂、御寿司というか、巻き寿司とか稲荷寿司といったお刺身ではなくて、加工した魚介類を海苔巻きにしたものが、御寿司という認識でした。

お刺身とか、お刺身を酢漬けや醤油につけたもの、いくらの軍艦巻きというものが此の世に有ると知ったのは、やはり中学生になってからだったと思います。

 

その握り鮨なる贅沢が、割と気軽にできるようになっても、街中のお鮨屋さんで、母と私の二人前を、折詰にしてもらって、時々、食べたりもしたけれど、母も高齢になって、お鮨は、ふたつかみっつで、充分・・・になってしまってからは、お鮨屋さんで、握り鮨を作ってもらうこともなくなりました。

スーパーやコンビニエンス・ストアにも握り鮨はあるけれど。あまり美味しくはないので。

やっぱり、ショッピング・モール内のお鮨屋さんとはいえ、価格も、ランチタイムとはいえ、ちょっとお高めだし、回転していないし、それでも、気軽に入店できるのは、有難いことです。

お鮨大好き。

 


映画:劇場版 呪術廻戦0

2021-12-28 20:20:20 | 演劇・映画

氷点下の朝。

前回は、車の『暖気』という真冬の朝の必須準備を、すっかり忘れ、フロントに霜が降りたまま、走行するという愚行。

なので、今回は、10分程、暖気して、フロントとリアの凍結を解消してから、でかけました。

(会社員の頃は、毎日の日課でしたのに・・・)

 

・・・そして、早朝から、隣隣市・シネマコンプレックスにて、『劇場版 呪術廻戦』を鑑賞。

昨年の大ヒット『鬼滅の刃』の次に来るアニメと専らの噂でしたので。

 

古典・歴史上の呪術を主軸に、新しい物語を構築していて、なかなかに興味深い作品でした。

序盤・・・この物語の主人公である乙骨憂太が、かの名作・新世紀エヴァンゲリオンの碇シンジを彷彿とさせる感じで、声優さんが同じ方でしたかね。

同級生から執拗な嫌がらせを受け、憂太に憑りついていた里香が、同級生達に瀕死の重傷を負わせたことから、東京都立呪術高等専門学校に入学させられることになって、里香の呪いを解くために呪術師になることを決意する・・・というストーリーです。

最近、多いですかね?

こういう精神世界の具象化???がテーマの作品。

たぶん・・・そういう世界にシフトしてきているんでしょう。

そういう世界・・・目に見えない世界、一見、ファンタジーのようでありながら、たぶん、その世界を感じるようになって来た若い世代の人たちが、増えてきているのでしょう。

三次元の物質現象世界では、説明できないような・・・。

10年前には、理解できないひとの方が、大多数で、アタリもしなかった(であろう)世界観が、目に見えるものしか信じられない旧人類(私も含めて)とは、違った新しい人達が。

 

今から、十数年前には、京極夏彦、夢枕獏、今市子なんかが、描いた世界などが、ベースに来ているようで。

モチーフになっている『百鬼夜行』は、かの福永武彦なども執筆しているし、日本三大怨霊の菅原道真など伏線にあるようで、平将門、後醍醐天皇といった歴史上の人物のエピソードなどもあるのかも???しれません。

或る程度、これらの闇の日本史の知識があれば、楽しめる作品なのかもしれません。

(多分)日本で、一番?か二番かの哲学者(・・・そのへんは、変動があると思うのだけれど)であろうと思われる内田樹が、

『呪いは祝い』と言っていたし、同じくミステリー作家の京極夏彦も、同じことを書いていたから、『呪(しゅ)』と『祝(しゅく)』の根本は、同じも・・・という概念から、逸れずに、物語が展開していけばいいなぁ・・・と思っている(既に、16巻+0巻が既刊となっているそうで、詳しくは、わからなのですけれど。

 

私は、こういう伝奇作品って、かなり好きな部類なので、続編があれば見たいと思っています。

たぶん、あるでしょうねぇ・・・公開当日深夜0時に、最速上映するくらいだから・・・。

 

 


西洋骨董洋菓子店:よしながふみ・著

2021-12-27 20:45:46 | 本・読書

明け方は氷点下。

日中は良く晴れて、乾いた冬晴れ。最高気温5度どまりの底冷えの一日。

 

古書の整理をしていたら、『西洋骨董洋菓子店』4巻がでてきました。

現在、映画で、ヒット中の『きのう、何たべた?』の原作者よしながふみの初期の頃の作品です。

ついつい読んでしまいました。

この作家さんは、ボーイズ・ラブ路線の方ですが、同時に、『食』についても相当、詳しい方で、ゲイ(同性愛)& 食の融合した『きのう、何たべた?』が、その集大成ということになるのだと思います。

その前駆的作品となったのが、『西洋骨董洋菓子店』で、こちらは、ゲイ(同性愛)& お菓子が、テーマとなっています。

 

西洋骨董洋菓子店のオーナーは、少年期に誘拐されるという事件に巻き込まれたまま、その記憶を封印しています。

資産家の令息でありながら、誘拐というトラウマからか、何故か、恋愛関係で女性から、他愛もない理由で、ことごとく別れを告げられてしまいます。

そんな彼の同級生で、高校時代、オーナーからゲイであることで、拒絶された天才パティシエが、彼の店で洋菓子を作ることになり、そして網膜剥離で、リングを降りることを余儀なくされた天才ボクサーが、パティシエの作る洋菓子に魅せられ、従業員として採用されます。

この3人を主軸として、西洋骨董洋菓子店・アンティークを展開していきますが、そこに絡んでくる個性的な人々を巡って、物語は展開していきます。

 

よしながふみの作品のおもしろさは、その伏線と展開にあるようですが、やはり初期は、デッサンの狂いが顕著だし、背景をあまり細かく絵描かないのは、初期の頃からのスタイルのようで、コマ割りもわりと大きく、線の粗さも否めない・・・と思いながらも、登場するケーキ、パン、洋惣菜・・・全部食べてみたいです。

 

 


ボッチのクリスマス&誕生日

2021-12-26 11:52:52 | Weblog

昼前から強風。乾いた晴天。

 

午前中、郵便局へ。

 

母の居ない初めてのクリスマスそして、誕生日。

ひとりぼっちになって、9か月。

 

母の昔の写真。

しあわせそうに笑っている。

定年後の母。

父から自由になって、好きなことをして、好きに暮らして。

57歳から幸福になった母。

綺麗に綺麗に、笑っていて。

 

私は、ひとり取り残されて。

Merry Christmas!& Happy Birthday!

 

風が強くなって来て、母が来たのだろう。

母を送った日は、嵐のような強風。晴れていたのに、物凄い風。

 

母が、お祝いをしてくれているのだろう。

ひとりぼっちの誕生日。

おめでとう。

 

 

 


食べること・・・。

2021-12-25 21:24:25 | 食・料理

明け方頃迄は、雨が降っていたようですが、時間が進むにつれてお天気回復。

Merry Christmas!

 

クリスマス・シーズンになると、県央のフレンチ・ビストロなどは、ノエル・ランチなどの普段とは違う少し贅沢なランチ・メニューを供しているのですが、12月の初旬には、既に、満席!ということで、映画の後のランチのお店を決めるのに、数件のレストランに電話するということになりました。

12月のクリスマス・シーズンは、予約を取るのが難しかったのは、例の新型肺炎の流行前で、昨年などは、自粛していた方も多くて、有名店でも割とすんなり、予約できたのですが、今年は・・・。

今年の夏に訪れた街中の一角にある複合商業施設(・・・といっても、それ程大きくもなく、数軒のちょっとこだわりのある小規模なお店が、連なっている)の中のひとつ、まだ若いシェフが経営するレストランを訪れました。

先乗りのバースディ(兼クリスマス)・ランチです。

私は、クリスマス時期に隣接し、人々が、クリスマスの喧噪から逃れて、ほっとし、脱力している日に生まれたので、何かと損失が多いです。

クリスマスと誕生日(と何故かお正月のお年玉を兼ねて・・・と何かと一緒にされてしまう)プレゼントが合算で、学校は、冬休み直前の成績表を渡される日だったし。

 

ノエル・ランチ。

全てのプレートが美味しかった・・・その一言に尽きました。

丁寧に作り上げられる一皿一皿。

お料理の盛り付けもクリスマスを意識して、綺麗だったし、何より、味がよかったのでした。

 

食べる喜び・・・暫く忘れていたけれど、美味しいを通り越して、食べること=生きている喜び

そんなお料理の数々でした。

お値段は、通常のプリフィクス・ランチの1.5倍でしたが、その価値はありました。

 

普段の食事は、お腹が空いたし、エネルギー補給のため、普通に食べる・・・美味しいに越したことはないけれど、空腹と補給が叶えば・・・ということもありますが、心が折れそうになったとき、疲労しすぎだったり、もう死んでしまいたくなったときに、供されたお料理に、生きるチカラを貰った・・・そんなパワーのあるお料理があるのだな・・・と思いました。

コロナ禍の数か月前に開店し、いろいろと大変だったと思いますが、このお店は、長く続いて欲しいとおもっています。

 

また身体的にダメージを受けていて、食欲がない・・・なとどいうときに(具体的には、夏バテだったのですが)、某・高層ビルにある和食料理店で、最初に供された一椀の汁物・・・コレで、食欲がでて、食事ができた・・・という経験もあって(ですが、その和食店もどういう訳か、味が落ち、料理人が変わったわけでもないのに・・・その後、2,3度来店しましたが、悪くなる一方で、訪れることがなくなりました。

毎月替わりの感動のお料理が食べられなくなったのは、とても残念です。

 

 


紫色の憂い

2021-12-24 15:30:33 | Weblog

くもりがちながら、晴れ間も見える穏やかな冬の日。

 

昨日(23日)、映画が終わって、ランチタイム。

ちょっと時間もあったので、同じ敷地内に新しくオープンしたお花屋さんへ。

この辺では、見かけないような生花などもあって、相方が、お花を買ってくれました。

 

 

数日後に控えた私の先乗りのお誕生祝いだそうです。

 

 

ケニアの紫色の薔薇の色が、気に入った相方は、紫色のチューリップを加えて、紫色ベースの小さな花束を選んでくれました。

母の仏壇のお花が、萎れてきていたので、薔薇の花以外の花を、母の仏壇に供えました。

 

静謐の紫。

憂いの紫。

 

薔薇のようにトゲのある花や、毒のある花は、仏花には、タブーだそうで。

薔薇は、単独で活けました。

ちょっと、レトロな雰囲気で。

 

 

 


映画:モスラ(4Kデジタルリマスター版)1961

2021-12-23 21:31:53 | 演劇・映画

氷点下の朝。

冬の朝は、車のフロント・リアガラスが凍り付くので、暖気などせねばならない・・・ということをすっかり失念していて、いざでかけようと思ったら、フロントガラスが、すっかり凍り付いて前が見えなくなっていて、そういえば、ガラスが凍り付く時間に、車に乗ることは、ほぼ1年ぶり・・・だったということを思い出したりで、冬の早朝に移動するのは、本当に大変。

勤め人をしていた頃が、随分昔になってしまった訳で。

 

そして、向かった先は、隣隣市・シネマ・コンプレックス。

相方と『モスラ・1961』(4Kデジタルリマスター版)を鑑賞。

 

特撮映画『ゴジラ』に登場するモスラの一番最初の物語。

まず驚いたのが、映画開始のオープニングで、音楽担当が、あの古閑裕而。

そして脚本が、当時の純文学作家である福永武彦・中村真一郎・堀田善衛の三人を起用。

この『モスラ』が、特撮映画のゴジラと一線を画す或る意味異質で、抒情的な映画となっているのも、製作側の人選にあったということは、以前、このブログにも記載済ですが、私は、この初代?モスラを見るのが初めてでして。

そして、モスラ・・・と言えば、ザ・ピーナッツの歌う『モスラの歌』でしょうか。

 

♪モスラ~ヤ モスラ ドゥンガン カサクヤン インドゥム

ルスト ウィラードア ハンバ ハンバムヤン 

ランダバン ウンラダン トゥンシュカンラーカサクヤーンム

 

相方曰く。

この時代で、あの特撮は、凄い。東宝のチカラの入れようが、今になってわかるわ・・・今なら、CGで簡単に作ってしまうところ、全部模型で、作ってるし・・・。

 

↓ 画像は、相方のコレクション・ブリキのモスラ

 

 


冬至・2021/オロナインH軟膏

2021-12-22 20:33:43 | Weblog

穏やかな冬至。

午前中、少し強めの北風。

 

母の居ない冬至。

 

本をリサイクルセンターへ搬入。15Kg

スーパー2件、ドラッグストアで、整腸薬、ビタミン剤など購入。

ドラッグストアで、「オロナインH軟膏」を発見。

ややや!これは、私が、子供のときから、あった塗り薬で、すり傷、ヤケド、しもやけ・・・なんかに使っておりました。

まだ、製造していたのか!!!

小学生の頃は、今時分になると足にしもやけが、出来て、オロナイン軟膏を塗ったけれど、しもやけには、効果がなかったような気がします。

転んだりして、小傷、すり傷などができたりしたときは、即、オロナイン軟膏でした。

ニキビなどにも効能有りとのことだけれど、私は、ニキビができにくい体質のためか、効果の程は、分からないけれど・・・。

1本買ってみました。

 

以前は、アルミ(のような?金属っぽい)チューブだったけれど、今日、買ってみたら、ラミネート・チューブでした。

ハミガキ粉が、ラミネート・チューブになったときは、なかなかに新鮮だったけれど、オロナイン軟膏もとうとうラミネート・チューブ入りになったのか。

匂いとかは、あまり昔と変わっていないような気がします。

発売は、1953年だとか・・・まだ生まれていないし。母だって、まだ(私の父とは)結婚しとらんがな・・・(異父姉の父とは、結婚していたな。もう離婚した後か・・・)。

・・・てことは、発売後68年経ってるの???地味に凄い・・・大塚製薬のロング・セラー商品ってことですね。

その大塚製薬。

レトルト食品の初のボン・カレーを販売した企業(大塚食品)でもありましたかね。

レトルトパウチのカレーをお湯で、3分間温めて、ごはんに供すると調理することもなく、カレーライスが食べられる!

松山容子のパッケージで、赤い箱が甘口、黄色い箱が、辛口。

1個あたりの単価も割と高額だったような(・・・だから拙宅の食卓には、上らなかったような気がします。土地持ちの地主のA美ちゃんのお宅で、初めてご馳走になったのが、小学生低学年の頃だったような記憶があります)。

A美ちゃんのお家は、お金持ちだったので、当時の最先端の家電製品多数(もちろん、各部屋にエアコン、電話なんかもあって)ガス給湯器とかスゴかったな。

拙宅では、追いついたのが、10年後?くらい。

駅近に、土地をたくさん持っていたから、学校から帰ると、ボン・カレーなんか当たり前のように食べていたのでしょう・・・たぶん。