鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

死蔵品の復活②

2021-09-30 21:05:06 | Weblog

9月最終日。夏日

朝から晴れていたけれど、正午頃から、くもってきて、夜になって、空気が重たくなってきたような・・・雨はまだ降りだしてはいないけれども。

太平洋岸を北東に進む台風16号の影響なのかな・・・。

 

 

買った当時は、欲しくて、買ったものであろうけれど、袖も通さず、箪笥に仕舞われていて、いつか・・・着よう・・・などと思っていても、どうも着用する機会もなく・・・なんて服が、溜まっております。

ビニールの外装袋に入っていても・・・。

ウールなどの虫の好む素材には、去年買って、今年の冬に使おうと思ってた衣類に、既に、虫がついてしまっていました。

 

断捨離・・・特に、服を処分する目安となるのが、3年着用しなければ、捨てる(・・・とか、売るとか)というのが、鉄則らしいけれど、3年は、短いのではないか・・・と思う次第で。

今年のお盆に、十数年前に買って、着用したのは、1回きり・・・の黒のサックドレスっぽい丈長ワンピースなどは、レースメッシュの長袖トップス(コレは、1500円の特売品であった)と合わせて着て、寒いお盆だったから、充分役立ったことは、少し前に書きましたが・・・。

そんなこんなで。

死蔵品の復活。

 

私は、外出する機会が、とんと減っていて、週1、2回程度で、どなたかに会う訳でもないので、まあいいか・・・と思うけれど、やはり他人様に会うときは、こんな普段着では、不味かろうかいな・・・と、あたりを見回しても・・・。

『今日、着ていく服がない!!!』

服は、山のようにあれど・・・。

本日着ていく服が・・・ない!!!

 

コーディネイトが上手なひとならば、コレとコレとアレを併せて・・・と楽しみなコトかもしれないけれど。

気まぐれで、何も考えず、気に入って買った服も、箪笥の中で、老朽化している状態なので。

死蔵品が、役に立つのは、十年に一度か、二度か・・・。

などと思ったりしました。

 

クローゼットの中で、忘れられて、時を経ている衣類たち。

十年前に捨てていたら、その存在さえ記憶に残らなかっただろうなぁ・・・。

 

こうなってくると、衣類たちに申し訳が立たぬ・・・ああ、せめて、私以外のひとに、買われていたら、ちゃんと着て貰えたであろうに・・・。

 

 


胃のくすり

2021-09-29 21:10:11 | 健康・病気

朝からよく晴れた夏日。

午後から、まだ遠い?台風を予感させるように、風が立ってきて。

日暮れも、もう随分早くなってきて、これからは、ますます加速度がついて、冬至に向かう・・・その前の夏の気弱な抵抗?それでも、まだ蝉の声。

 

先週より、胃痛。

母の遺した胃腸薬。

私に一番効くのが、エスマーゲン。漢方系の結構、高額。

ビオフォエルミンは、既に、使い切ってしまったので、新しいのを購入。

センブリ錠剤。

真武湯は、漢方系で、やはり(普通の市販薬より)高額。

寝る前に、人参湯を、飲んでおこう。

 

若かりし頃は、胃に不調は、感じなかったけれど、やはり寄る年波なのか・・・。

時々、胃が重い感じ。

去年の11月頃も、胃がヘンだったから、年に1、2回は、痛くなるみたい?

 

それにつけても、母もいろいろ不調だったし、特に消化器系は、いつも調子が悪かったのかも。

若い頃は、胃下垂とかで、40kgあるかないか・・・というくらい痩せていたけれど、定年前になって、グングン太り、一時期55kgなんて時代もあったりしました。

写真などみると、(顔は同じだけれど体形的には)別人か・・・と思いましたね。

衣類なども、最高に太っていたときは、13号を着ていたし(クローゼットの中に、13号の喪服もあった)

年齢によって、かなり服のサイズが変動したひとでもありました。

 

夫(私の父)が、亡くなって、心の解放も手伝って、太ったのかもしれぬな・・・と勝手に思っています。

母にとって、父は、たぶん・・・大嫌いな人間のひとりだったと思うのでね。

 

 


身体に対する投資

2021-09-28 21:45:15 | 健康・病気

くもりがち。

台風16号接近予報。

 

先週の平日。

あと30分前後で、正午・・・という時間帯に、ちょっとした渋滞。

Mドナルド・ハンバーガーのドライヴ・スルーを利用する車列。

20台くらいだっただろうか・・・それらの車が、一般道迄、はみ出していたのでした。

店員さんが、誘導していたみたいだけれど。

 

Mドナルド・・・って、並んで迄、食べる価値あるんかいな???と思ったりして。

米国の某州の店舗では、ハンバーガーのパテに、ヒトの歯が混入していたり???真偽の程は、さだかではないが・・・いろいろと暗い闇の噂を聞くし、冷たくなったポテトなど、普通は、食べられないくらいに劣化してしまうので、そうならないための酸化防止剤やら、雑多な化学物質、添加物が多いと聞いているし・・・。

都市伝説的な噂だと、ロスチャイルド???系の会社???だとか、違うとか・・・そんなことを聞くと、ますます食べたくなりません(私は・・・ですが)。

 

あのお値段だったら・・・原材料は、お隣の大陸産だろうなぁ・・・などと考えながら、ドライヴ・スルー店を通過しました。

お子さんは大好きな味なんだろうし、たぶん、その親御さんの世代から、もうその味に慣れてしまっていて、食べたくなるのかも???しれません。

或いは、無性に食べたくなる・・・脳に依存させる物質が添加されていたりして。

子供の頃から慣れ親しんだ味になっているのかも???

 

子供に食べさせてよいものかどうか・・・ちょっと調べれば、すぐわかりそうなものだけれど。

今や、その手の情報は、すぐに入手できるのになぁ・・・と思ってみたり。

ただし・・・どの情報が、(現在時点で)一番正確なのか・・・を判断するのは、難しいのかもしれないし。

あとは、自分の感性に頼るしかないようです。

自分で一番正しいと思うものを選択できる頭がある・・・というのが理想で、とにかく自分で、考える・・・ということをしないと、ナニを食べさせられているのか、わかったもんじゃありません。

正しいと思われる食品(食物)を選んで、食べることは、身体に対する投資でもあり、高額な医療費や保険料を支払うことを考えたら、少し高額でも、安全な食品を選んで食べることが、一番安上がりな方法なのかもしれません。

 

 

 


錠剤

2021-09-27 21:02:01 | Weblog

どんよりくもりがち。

気温も下がって、随分と秋めいて来てはいるものの、昼間は、まだ蝉(ツクツクボウシ)の声。

 

幼き頃より、小学校の半ばくらい迄、私は、所謂、薬の錠剤が飲めない子供でありました。

どうしても飲み込めないので、糖衣錠の薬などは、母が、カナヅチで、叩いて、粉状?にして飲ませておりました。その当時は、どうだったかわかりませんが、胃酸で、融けてはマズイ成分なども含まれていたのではないか・・・と、思ったりします。

何事も、人並みに出来なくて、(今考えれば、人生において、それほど重要でもない些細な)それが所謂コンプレックスとして、心の中に、堆積し、自己否定感マックスの現在の状態になったのでありましょう。

人並み外れた臆病者で、ヒトが怖くて、いつもナニかに脅えて居る・・・情けない有様でございます。

 

錠剤をのみ込むことが出来ぬコト。

一人前の給食が食えぬコト(放課後迄、教壇に座らされて、食べる迄、無理強いされたトラウマ)。

ファンタ(炭酸飲料)が飲めぬコト。

 

こんなことできなくたって、別に死ぬ訳でも何でもないのに、こんなコト(コレ以外にも私の世界の殆どは、ワタシには出来ないというもであった)のために、つまらぬ劣等感に押しつぶされそうな毎日でもありました。

そして不思議なコトに、同じコトをしても、断然、ワタシの方が、罪が重く、罰も重い・・・と、思わざるを得ないことばかりでありました。

 

ソレゆえ、完璧を求め、ヒトが見逃してもいいようなコト迄、気を配り、後ろ指を指されぬよう最大に努力もし・・・そして、草臥れ果てたのが、現在・・・というのでしょうか。

 

私は、薬の錠剤が飲み込めない子供でした。

そして、今でも、錠剤をのみ込もうとすると、気管に入ってしまうようで、怖いので、慎重に飲み込んでいるのです。

ビタミン剤とか、胃薬とか、サプリメントとか・・・。

 

でも、時々、こんなものが気管に入って、肺に達して、死んでしまったら、どんなにラクだろうか・・・と思ったりすることもあります。

気管に、水や食物が入って誤嚥すると肺炎になるらしいですが、そもそも気管にちょっとでも入ると七転八倒するくらい咳込んで、苦しいので、やはり、誤嚥で死ぬというもの、ごめん被りたいと思いなおしたりします。

 

錠剤を人前で、飲まねばならぬシチュエーションが、訪れて、某医院で、薬を出されて、そのときは、母がおらず(たぶん、姉の付き添いだったような記憶があって)、母が居れば、

『この子は、錠剤が飲めないので、別のお薬を・・・。』

ということになったのだと思いますが、姉は、(たぶん)そんなことは、どうでもよくて、アホウな妹にさっさと薬を飲ませて、帰りたい・・・くらいの感覚だったと思います。

 

錠剤が飲み込めなくてハズかしい・・・どうしよう・・・どうしよう・・・どうしよう・・・やっぱり、私は、バカなんだ!バカだから錠剤が飲めないんだ・・・でも、もしかしたら、病院の先生の前だから、飲めるかもしれない・・・。

そんな葛藤があって、私は、人生で、初めて、錠剤をのむことに成功したのでした。

ソレ以来、あまり苦悩?せず、錠剤の飲める人生になったのですが、それでも、その先、フツーのひとには、どうでもよいような些細なコトで、私は、疲れ果て、そして、錠剤を咽喉に詰まらせて、死ぬことまで、考えるようになったという・・・バカを通り越して、救いようのないハナシです。

そして、コレは、同じように、どうでもいいこと、フツーのひとは、何とも思わないコトを、何時までも、気に病む母と同じ思考回路をそっくりそのまま受け継いだ結果だと思っています。

・・・つくづく・・・あのひとは、私にとって、何だったのだろうか・・・と、やはり考えても、仕方のないことばかり考えてしまう少し寒い九月下旬の月曜日。

 

 


メメント・モリ③/お彼岸明け

2021-09-26 21:04:09 | Weblog

どんよりした曇り空、パラパラと雨も・・・。

 

お彼岸最終日。

春のお彼岸は、寒い季節が終わって、暖かい季節に向かい、秋のお彼岸は、厳しい暑さも納まって、豊穣の秋へと向かう・・・そんな時期。

亡くなりしひとを思い、苦悩、煩悩から解放された彼岸を思う。

 

母が亡くなっての初彼岸。

母は、無事、彼岸にて、会いたかったひとにあえて、身体の痛み、不調から解放されているだろうか・・・。

 

私は、れい(零・ゼロ)感なんで、そっちの世界のコトは、分からねども・・・。

母のように、『死』を意識することなく、亡くなった人は、死んだという自覚がなくて、亡くなった場所で、地縛されるひとが多いと聞いた。

特に、現世に強い様々な執着を残して、亡くなったひとに多いらしい・・・真偽は知らねども。

もしそうだとしたら、母は、もしかしたら、まだ茶の間に居てるかも・・・などと思い立ち、いつも座っていた炬燵に、お茶など置いておくこともある。

飲んでくれたらよいのにな・・・などと思って。

(母は、死を怖がってはいたけれど、充分、生きた感もあって、執着などあったのかどうか・・・???そのへんは、よくわからない・・・。病院や施設で死ぬのはイヤ、家で死にたいと常々申していたので、希望は、叶ったように思えるのだけれど・・・というよりは、居眠りしていて亡くなったようなので、自分の意志で、死を決めたのかも???生前はメンヘラで、ヘナチョコなれど、自分の希望は通したので、或る意味、コレも一種の執念だったのだろうかね・・・???)

実際、死んでみないことには、わからないのだけれど(もし、死後に、母に会えたら、問うてみたい気もしている。十数年前の手紙にて、アチラで、待っているということなので、是非、待っていて貰いたいものだ。でも、そんな手紙、書いたことも忘れているんだろうな)。

何か、それなりに、そのへんにある物理的な?空気とか、電気とか・・・そんなもので、霊というか、魂というか・・・そんなものを、はかり知ることはできないものだろうか・・・???

 

生前と死後では、体重が、約20g(・・・だったような気がするけれど、記憶違いかもしれないけど)程度、違うと聞いたことがあって、魂の重さは、約20g前後なのか・・・と思ったことがある。

いろいろと思い悩んだり、苦しんだりする魂・・・(意識とは、また別物???そのへんよくわからんけど)の重さが、物理的に約20gって、どうよ?

軽いのか、重いのか・・・???

 

此岸の物理では、測りえぬことなのかなぁ・・・と、彼岸明けでも、相変わらず、馬鹿気たことを考えてみる(ヘタな考え休むに似たりというけれど、たんなるエネルギーの無駄遣いなのかも。どうでもいいことばかり、ツラツラと考えていたりして、やはり、馬鹿は、一生馬鹿なのかもしれぬ)。

 

 


メメント・モリ②/『死』の概念

2021-09-25 21:15:25 | Weblog

くもりがち。

昨日は、真夏日だったけれど、一晩で、秋へ移行したような空気。

 

母と『死』の関係は、恐怖そのもので、常日頃から、

『死ぬのは怖い。』

の一言で、闇雲に死を恐れていて、それが私にも伝染して、やはり『死』を考えると、何のために、生きていたんだろう?と思い、他のひとに比べたら、何て、つまらない人生だったんだろう・・と思わざるを得ない。

・・・つまらない人生・・・やりたいコトが、わからず、やってみたいコトには、いろいろと壁(体力面とか、経済面とか・・・そんな障害があるなら、やらない方がマシかも?とか)があったりして、楽しいのだか、苦しいのだかで、目の前で、躊躇してしまう。

仕方なく、毎日をやり過ごしてきて、残り時間は、もういくらも・・・ない。

 

そんなことを思っているうちに、都留晃一さんという人を知った。

もう20年くらい前に、若くして亡くなられた方で、本なども何冊が、遺しておられるけれど、版元が、増刷しないので、古書市場では、高額な値段で取引されている。

YouTubeなどでも、いろいろな方が、紹介している。

その中で、私の『死』の概念が、変わったと(言えるのかどうか・・・微妙なところだけれど)思われる動画があった。

 

「その間にあるもの」津留晃一さんのメッセージ集より18/42-聴きものがたり

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『死』とは、魂の飛躍の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはや、この肉体に留まり続けることが不可能となって起きてくる現象であると知ったとき、あなたの中の価値体系が、全て崩壊してしまうかもしれません。

どんな死に方であれ、例外なしに、死とは、魂の急激な成長の時であるなら、葬式は、結婚式以上の晴れやかな儀式となるはずです。

もし葬式をするならば・・・の話ですが。

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少し、気?が、ラクになった気がする???

母は、あれ程、恐怖にさいなまれた『死』を軽く超えてしまった。

本当に、居眠りしている間に。

・・・生きている間に、越えていたら、もっと楽な人生だったかもしれない。

 

あっけないくらいに、越えられないと思っていた『死』を越えてしまった。

(或る意味、尊敬に値するかも知れぬ)

 

彼岸にて。

もう身体の痛み、不調に悩まされることなく、私が行くのを(たぶん)待っているんだろう。

数十年前に、数十年後に送られるタイムカプセル的手紙のイベントで、母が私の宛てた手紙の最後に、

『先に行って待っているよ。』

と書いてあった・・・待たれても困るけれど。

 

彼岸とは、どんなところだろう・・・などと、相変わらず、馬鹿気たことを考えるお彼岸。

 

 


メメント・モリ

2021-09-24 21:02:16 | Weblog

良く晴れた真夏日。

 

メメント・モリ・・・いつか訪れる死を忘れるな。

 

母は、いつも死の恐怖の隣にいた。

幼くして実母を亡くし、長じては、いつも、何処かしか、身体の不調があって。

そして、その不調を、私に言い続けた。

『実母の享年(34歳)迄は、生きられないかもしれない。』

その予想を大幅に更新して、母は、88歳(実際は、89歳)迄、生きながらえた。

88年間の生涯で・・・たぶん、『死』を意識しない日は、なかったのではないか・・・。

私が知る限りだけれど、母を悩ませたものに、『中耳炎』が最初で、コレは、晩年に、聴覚を殆ど失う原因ともなった。

それに伴う、めまい、耳鳴りには、悩まされ続けた。

 

 

胃腸の不調。消化器系が弱かった・・・これも、手術とかで、治る類ではなく、いつもなんとなく、調子が悪い。

 

そのうち、職場や家庭内での神経戦による不眠。

これは、半世紀以上、母を悩ませる症状となった。

コレもたぶん、耳の不具合から来る随伴症状だったのかもしれない。

眠りたいのに、眠れない・・・コレは、かなり辛かったと思う。

 

ぎっくり腰からはじまった腰痛。

 

転んだり、打撲したり、切り傷、擦り傷・・・などは、日常茶飯事。

 

人生のオーラスには、脊柱管狭窄症による足の異常。しびれ、冷感。

脚に水をかけられたようにヒヤーとする・・・としきりに訴えた。

 

テレビに洗脳され、重大な病かと、日々、自分の症状と照らし合わせ、不安を煽り、その病状の書籍を買い求め、読むには、読むが、一旦、症状が、軽くなると、他の不調が気になる・・・といったループ。

 

毎日が、『メメント・モリ』であった。

気の毒と言えば、気の毒だけれど、それに付き合った私は、たぶん、もっと気の毒だっただろう。

よく頑張ったワタシ・・・とは、思うけれど、私も、身体が動かないときは、イライラしたり、怒鳴ったり、もっと母に良くしてあげればよかったとおもうけれど・・・。今更ながら・・・。

最後迄、一緒に居たのに、決して、相容れることのなかった私の母と、その母の存在と一緒だった『死』という友達。

いつも忘れずに一緒に居たのに、最後は、その『死』を意識せず、居眠りしながら、逝ってしまった母。

いまや彼岸の住人となった。

 

 

 


秋分・2021

2021-09-23 23:48:25 | Weblog

真夏日の秋分。

未だ、蝉の声。

 

母の初彼岸。

・・・なれど、都内の親戚は、この流行病で、お墓参りもままならず。

そして県内も、緊急事態解除には至らず、母の生まれた家のあった県北の親戚も。

 

静かな初彼岸となった。

初彼岸なれど、心は、ザワザワして、母の亡くなったときのことを思い出す。

そうなると、ここ半年間の記憶が蘇り、動悸がしてくる。

もう、母は居らぬのに。

 

そんな初彼岸。

昼と夜が同じ長さで、これから、すこしづつ夜が長くなって、やがて冬に向かう。

母が居なくなって、初めての秋。

そして、母がいなくなって、初めて迎える寒い冬。

季節は、巡り、母が居なくなって、1年目の春が来る迄、私は、母の居ない季節を、これからずっとひとりで過ごす・・・。

 

 


仲秋・2021

2021-09-21 21:22:23 | 自然・気象

秋の晴天続く。

9月の晴天は、夏と秋が同居。

日差しは、夏なのに、風は、秋・・・。

 

先日、剥いて冷凍しておいた栗で、栗ご飯を炊きました。

久々に、お味噌汁も作って、秋の献立。

母の大好物・栗ご飯。お仏壇にお供え。

 

今年の仲秋は、満月と重なり、8年ぶりだとニュースは、伝えていました。

これから、3年間は、仲秋と満月が重なるそうです。

9月の満月が、仲秋というのだと思っておりましたが、違っていたようです。

ニュース映像で、奥日光・中禅寺湖畔から、眺める仲秋の名月が、オン・エアされていました。

湖面に月明かり。

群青の世界。

 

高原は、明け方などは、10℃を割る頃でしょうか。

 

コレから、あと少しで、紅葉シーズンですが、今年は、どうなんでしょうかね?

流行病の流行で、人出が少なければ、よい時期なのかも・・・。

如何せん、渋滞がスゴイんで・・・あのへんは・・・。

 

 

 

 

 


敬老の日・お彼岸

2021-09-20 23:56:23 | Weblog

良く晴れて、カラリとした連休最終日。

敬老の日。

祝日が固定ではなくなって、何やら、面倒な感じ・・・昔?は、15日だったのだけれども。

 

母とお付き合いのあったタイ人女性が、御亭主と連れ立って、お参りに来てくれた。

墓地に行きたいというので、そちらには、タイ人女性のお子さんと同級生である姪の母(つまり、私の義妹)が、案内した。この義妹を、母は、嫌っていても、表面上は、仲良く?付き合っていたから、そのへんの関係も、(今も非常に)面倒くさいのだった。

 

母の死を伝えるのが遅くなってしまったので、タイ人女性は、お怒りだったのだけれど、死亡通知が遅れた理由は、手紙に書いたし、日本人の御主人宛にも、手紙で、詳細は、伝えたのに・・・と今更ながら、そう思う。

形見の品(大したもんじゃないけれど)を送ったのだって、母と交流があった御礼なのだし。母だって、ちゃんと御礼が言いたかっただろう・・・って、思ったからだし、この件で、義妹も迷惑そうだったし。

母と付き合いがあったから、その後始末で、この始末だし。

 

他にも、ご近所のお香典のお返しについても、いろいろと面倒があったりで、なかなかに、難しいものだと思った。

返さなければ、なんだか、借りを作ったみたいだし、御辞退されて、はあ、そうですか・・・って訳にもいかないから、更に、更に、面倒だ。

 

母は・・・。

自分の面倒を、全て、置いて、勝手に、死んでしまった。

そのマイナスといってもいいと思うし、私には、面倒なことばかり、背負いこむことになってしまったんだ。

 

身内でもないのに、死亡を知らせなかったと異国のひとに、怒られ・・・こんな些細なコトで。

 

生きていた時から、ホント面倒なひとだったんだ。母は。

対人関係、健康面、メンヘラで、神経質で。

 

敬老の日で、お彼岸で。

 

お彼岸は、御先祖様を供養し、今、生きていることに感謝する一週間・・・と、誰かが言ってたけれど。

今日の私は、母に対して、恨み言しか言えなかったよ。

お仏壇に、お線香をあげて・・・。

 

やっぱり、今の私には、恨み言しか言えない。

重圧ばっかりだよ。

何とかしてよ。

原因は、全部、アンタにあるのに。