鼎子堂(Teishi-Do)

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『厭な小説:京極夏彦・著』②

2009-05-18 21:05:54 | Weblog
もう・・・夏!って感じの一日。

昨日の続き。

不吉な予感、嫌悪感、悪寒、閉塞感、狂気、不気味な気持ち悪さ・・・。
ホラーとは、また一線を画す恐怖感の『厭な子供』からはじまって、『厭な老人』、『厭な扉』、『厭な先祖』、
『厭な彼女』、『厭な家』、『厭な小説』と続きます。

この7編に共通して登場するのが『深谷』さん。
最初は、この『厭な・・・』現象に巻き込まれた人たちのお話の聞き役として登場しますが、最終章の『厭な小説』では、ついに『厭な・・・』現象の犠牲者になっていくようです。

どうも京極堂さんは、男女の絡みに嫌悪感を抱いているのか、7編中『厭な子供』、『厭な老人』、『厭な先祖』、『厭な彼女』と男女関係の湿度のある『厭さ』を描写されております。
性的な不潔感が、嫌悪感に変り、毀れて行く人々。

4作品とも甲乙つけがたい気持ち悪さ。
その中でも、生身の人間なのに、まるで、理解できない『厭な彼女』・・・こんな女は、もう殺すしかない・・・と、読者にさえ思わせるいやらしさ・・・。


この7編の中で、秀逸なのが、『厭な扉』。
民俗学の『大歳』をベースに、年に一度、ヴァレンタインデーの日に、或る高級ホテルのスィートルームで繰り広げられる終わりのない『幸福』を得るための儀式・・・。
不幸のどん底に落ちた男が手にした、とてもとても『厭な幸福』。
この作品だけは、他の6編と色合いが違うような気がします。


早くこの状況から脱出したいのに、時間は、過ぎては、またもとに戻り、延々と繰り返される『厭な小説』、
家が、家主の『厭な出来事』を、記憶して、毎日毎日飽きもせず、再現してしまう『厭な家』。
この2編は、昔、手塚治虫さんの『火の鳥』という漫画の中にあったお話を思い出させます。
何十年か、経つと、時間は、またモトの場所に戻り、若い自分が出現し、年老いた自分が殺されて、若い自分は、また同じように何十年か、同じ時間を過ごし、そして、再び現れる若い自分に殺されてしまう・・・終わりのない悲劇。
シジフォスの神話的な完結のないループに巻き込まれた人々、そんな恐怖も満載です。

怖い!不気味!とにかく・・・『厭だ!』
厭厭厭厭厭厭厭・・・・・の世界・・・飲みこまれた登場人物達の救いようのない現在・・・。
ああ・・・もう、ほんとッ・・・厭!

でも、面白かったです・・・。

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