
7月18日(月) 晴
杉本氏が、「逝かれました」と節子理事から連絡をいただいたのは昨日のことで、今日待ち合わせて大阪谷町六丁目のご長女宅に弔問に参上した。
すい臓がんが転移もしておられ、大阪国際がんセンターから緩和ケア病院への転院を進められたのは、この春であった。
6月18日には節子理事とさくら宛に相次いで連絡があり、「信じられないほど、元気な声が出てるでしょう? でも、腹水が溜り足はパンパンに腫れているんですよ」と今にして思えば「遺言」のような電話の声であった。
お元気なころそのままのお顔は、ひんやり冷たいほかはまるで生きておられるように穏やかにやすらかに、眠っておられ、【終り良ければすべて良し】と納得できたのであった。
ご遺体と少しお喋りさせていただき、枕経に般若心経を一巻上げさせていただいた。
「…謹んで読誦し奉る魔訶般若波羅蜜多心経は、」で、数分の1秒の沈黙の後、「親愛なる『宴』マスターの菩提追善供養の御為に・・・」と続け、謹んで合掌の誠を捧げたのであった。
金つなぎの会の例会終わりの夕ご飯に、主婦の病友がたに【非日常の居酒屋体験】と称して、時折、宴の美味・安価な割烹メニューを楽しみ、免疫力を上げた。
もともとは関西テレビの前で割烹を営み、テレビ局の移転に合わせて北新地に新規開店なされ、お馴染みさんの美味・満足に支えられ繁盛しておられた。
バブルの終焉と共に、ご自宅を改装して最後の宴を開店。
金つなぎの病友のほかにも、義妹の美代ちゃんやNTT幹部のトカジ氏にも喜ばれ、さくらはこのお店に北新地店の時から焼酎・兼八を置いて美味しいお酒を楽しませていただいた。
宴のマスター、この世のお務めを終えて、次の世でも、美味・満足の割烹居酒屋を開いておられるでしょうか?

谷六の、行きずりの海鮮居酒屋で、新鮮なはまち、海ぶどう、ユッケ、トウフサラダなどで一息ついて、マスターの思い出話で献杯。

急ぎ名張に帰り、長男宅のたこ焼きディナーに合流。
夏野菜の素揚げとウインナーのスープカリーを手土産に。
午後10時過ぎに、みるくをナップサックに入れて、帰宅・

午後10時半から、タカヨ嬢の招待でZOOMに参加。
節子理事の新たな参加を喜んで、来週に迫った3か月ぶりの「第二警和会 大阪第二警察病院 がん・なんでも相談」の内容などについて、翌日の午前0時まで相談を。
さすがに、疲れた。
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