チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2008.11.08 色絵や金襴手の器
(1)
若い頃、近所で読書会のサークルを開いて下さるお宅がありました。
有名な大学教授や研究者を招いて、まだその卵で様々な研究をして
いる大学の助手などの若い人達が集う勉強会でした。
そこで、交わされる会話は、まさに、私の知らない、しかし強く憧
れる学術の世界で、そのサロンの雰囲気は素晴らしいものでした。
若い無知な私に、分るような内容ではありませんでした。
にも関わらず、私は場違いのその会を、楽しみにして参加しており
ました。
もちろん、読書会での様々なお話は、楽しくてワクワクしました。
そして、私が強く感銘を受けたのは、サロンの主の女性(主婦)の
もてなしでした。
彼女は、夕方集まって来るお腹を空かせた若い学者達の為に、
素晴らしく美味しいお料理を用意して待っていてくれたのです。
お浸し、酢の物、和え物、煮物など様々な和食が、別室に所狭しと
用意されていたのです。
彼女のちらし寿司には、いつも、里芋が入っていました。
私が、今迄に食べたどのちらし寿司よりも、最高の味でした。
その他、どれもが、本当に美味しかったことを忘れません。
(到着した人から、それらを堪能させて頂いて、その後で読書会は、
始まるのでした。)
そして、もう一つ、強く感銘を受けたのは、その器でした。
彼女のお宅は、代々の貿易商の財産家で、沢山の素晴らしい器を
所有されていました。
今では、めったに見ることの出来ない、厚手の緻密な模様の色絵や、
金襴手の陶器類は、落ち着いた渋みがあり、一つ一つ見飽きない程
のものでした。
それらの大鉢を、惜し気も無く使って、料理は盛られておりました。
取り皿も同様で、美しい色絵の、重みのあるものでした。
私が、その料理の味に、そして、その器類に、どれだけ感動したか、
ご想像下さいませ。
そして、私も、この女性の様な大人になりたいと、切に思いました。
もともと、陶器に(子供の頃から)関心があり、学生時代も
アルバイト(その頃、アルバイトをする人は少なかったのです)の
報酬を、陶器と塗り物に使ってしまい、親に叱られた様な私です。
それからの私は、陶器を集めるクセに拍車がかかってしまいました。
金襴手の大鉢や大皿は、当然無理です。(あれは昔の物で、今では
あれ程の物は、一般に作られていません。)
金襴手は、最初から諦めていて、染め付けが主で、赤絵、交趾など、
自分に買えるものを買いました。勿論高価なものは買えません。
(気に入って、どうしても諦められないもののみ手に入れました。)
幸いにも、阪神大震災に、それらの大皿と大鉢類が、無傷で残ると
いう奇跡を体験しました。
(低い戸棚の一番下に、それらを、一つづつ新聞紙で包んで入れて
いました。その戸棚だけ倒れず、新聞紙に包まれた大鉢類は、絨毯
の上に転がり出ていましたが、全部助かりました。)
家具と言う家具が全部倒れ、食器棚が倒れて、集めていた陶器類の
瓦礫が大きな山になり、飛び散った割れ物だらけの惨澹たる状態の
足の踏み場もない中で、それを発見した時の感動を、昨年のお正月
に書きかけて、頓挫してしまいました。
又、書くことがあると思います。
これは、私にとって、最大の幸運な出来事で、震災復興への固い
決意を呼び起してくれたものだったからです。
(2)
あ、そんな私が、先日百貨店に出かけると、何だか大々的なセール
をしているのに出くわしました。
写真は、その時、1枚だけ安くなっていたので、思いきって買った
有田焼きの金襴手の器です。
阪神大震災後、神戸の人は皆さん言っていますが、陶磁器類を買おうと
しなかったと思いますが、私ももう、あの傷が癒えたのか、思い切って
これを買いました。値段は、6500円だったと思います。
もちろん、あのサロンの主の金襴手には比べるべくもありませんが、
(メーカーの方、ごめんなさい)、おでん等を盛る和風の深皿が以前から
欲しかったのです。
後で、あのセールは、既に統合している二つの百貨店が、いよいよ
名前の統合を果たした記念のセールだったと知りました。
私は、偶然、その日に行ったのです。
何でも良いので、このような大幅セールは有難いです。はい。^^
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次回は、この器を使った、おでんの夕食の写真をUPします。
(いえ、なに、そうは言っても内容は、ほんに粗食です…。;;)