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2020.02.05 外出禁止の日々開始。

<先日誂えた靴のサイズが合わず、膝が痛くなり恐ろしく脹れた件のその後>

 

(1/28日)

    この日、整形外科で140cc抜いてもらった。

    帰路は痛くなくて、晩は、ぐっすり眠れたのでもう治ったと思っていた。

(1/29)

    ところが、翌日は痛かった。しかし気にせず、梅田へ出掛けた。

    庇っていたのか、右ひざの方まで少し痛む。

(1/30)

    夜中、膝が痛んだ。水を抜いてもらっただけで、治ったものと思っていた

    のは、甘かったと思った。

    この日は、Mさん来訪の日、よく動いた。

(1/31)

            ウインドウズのマウスがおかしくなったので、大阪のヨドバシカメラへ

            買いに行く。その他も廻りたかったけど、脚が辛いので諦めて帰る。

 

(2/2)

    この日は、5人来客の日、昼食の日本料理屋さんまでの道が、膝が痛くて

    おかしな歩き方になった。

    その後、我が家でたのしく寛いで頂いた。

           

    その夜、膝が痛くて、夜中に何度も起きる。多分水は80ccは溜まっている

          と思う。私は、経験上溜まっている水の量が分かる。右何cc、左何ccなどと

   ピタリと当てていたので(昔膝が悪かった時)、いつも先生に驚かれていた。

    来週水を抜きに行こうと思う。

 

 

(2/3)(節分の日)この日は、生田神社でお炊き上げをすると聞いたので、午前中に行く。

   1月15日のどんと焼きの日に、熨斗飾りを焼いてもらいに行けなかったので、この日を

   待っていた。脚が痛むのでつらかったが、ようやく歩けた。

   電話で確認してから行ったのに、お炊き上げは無いとのこと、脚が痛むしどうしようと

   困っていると、熨斗飾りのお納めだけでよければ、預かって上げましょうとのことで、

   お願いしてホッとする。

   お昼はどうしても別館牡丹園の焼きそばを食べたくて、痛い脚をひきずって元町迄歩く。

   脚が痛くても、食い意地の方が勝つ。

   やきそばが、美味しくて嬉しかった。ワンタンも欲しかったが、どんぶり一杯は食べられ

   ないので、泣く泣く諦める。別の日に行こう。

   喫茶店でコーヒーを飲んで、又歩いて三宮へ戻る。

   途中で、古本屋で本3冊購入。買っていて読んでいない山積みの本の読破を進めないと

   いけないのに又、買うなんてアホか?と思う。

   更に、三宮地下街のジュンク堂で、立ち読みしてから、予約していた本一冊受け取る。

   そごうで牛乳や野菜購入。

   この日は、よく歩いた。見かねた女性が、大丈夫ですかと、手助けしようとしてくれた。

   脚をひきずり相当痛そうだったらしい。人迷惑な私だったと反省した。

(2/4)

         この晩は、膝の痛みで眠れなかった。

   以前膝が重篤だった10数年間でも,この痛みは全く経験がない痛さだった。

   膝の裏側からと内側から、何本もの錐の様なもので次から次に突かれる痛さ。悲鳴が出た。

   まったく、こんなことは始めてだった。

   水を抜きに行こうときめていたので、予定通り午前中にタクシーで行く。

   タクシーの乗り降りが痛くて辛かった。110CC抜かれた。

   顔なじみの看護婦さんが、「又、溜まり出しましたね。」と言った。何年も通い続けた

   あの頃に戻るのだろうと思っている感じだ。

   「いえ、まさか、戻りませんよ。一過性ですよ。」と心で思った。私は楽天的かしら?

   先生に、昨夜の錐で刺された様な痛みのことを言い、以前酷かったときでも、この痛みは

   無かった、これは始めてだが、どういうことかお聞きすると、いよいよ軟骨がすっかり無く

   なったのですと言われた。

   私は、「それは無いでしょう?」と思った。

   私は、自分で言うのもなんだが、とても素直な性格だが、納得出来ないことには素直ではない。

   たとえ、お医者さんの言葉でも! 

   だって、一週間前、新しい靴を履くまでは、百貨店を3つも4つも、はしごしていた私の脚が、

   一夜にして軟骨の全てを一挙に失うなんてある筈が無い。

   

   「とにかく、歩かない様にして下さい。」と先生に言われて、

   「分かりました。歩くのは悪いのですね。」

   「そうです。絶対に駄目です。」

   「良いかと思っていました。以前、歩いて脚を治したもんですから。」

   「それが、珍しい。」‥…、先生にこう言われて、私は、ハッとした。

そのおとりだ。私は、歩いて治したかの様に思っていたが、そうではなかったのではないか?

思い出せば、少し歩いて痛みが出たら、椅子に座って10分、そして又歩いて、痛くなったら

椅子で10分すわり、痛みが治まってから断続的に歩いていた。その為に、百貨店を選んでいた。

痛いのに歩き続けることはしなかったし、そうすることがいけないことも、当時は知っていた。

しかし、今では、すっかり治った私は、まるで、痛くても歩くことが良かったかの様な錯覚を

起こしていた。いつの間にか。

近所の奥さん方も、痛くても歩くことが良いのですね。いけないかと思っていました等と言って、

無理をされている。私の責任だ。早く取り消さなければ。

 

   今回は、帰りのバスも辛かった。終点の阪神西宮まで出て、フードコートで、

   大好きなピザのマルゲリータを食べて、喫茶店でゆっくり本を読んで帰る。

   明日からは、膝が治るまで外出は控えることにしたい。

   やはり、脚が痛いときは遠出は厳禁。昨日のことがはっきり証明している。

   生田神社に行った日は、三宮から元町へ、又三宮へと広範囲に歩き過ぎた。

   それで、その夜、錐が刺す様な痛みに襲われたのだ。

(2/5)

   昨日水を抜いてもらったので、夜は脚は全く痛まず、ぐっすりと眠れた。

   快眠とはこれのこと。そして、日中も痛まず、全く快適だった。

   やっぱり、あの痛みは、痛い脚をひきずって歩き過ぎた結果だった。

   脚が治るまで、外出は控えることに決めた。

 

当分外出禁止のため、食材を仕入れて来たので、大好物のかぼちゃの鶏そぼろ

あん掛けを作る。でも、お出汁が多すぎて、そぼろあん掛け汁になってしまった。

 

(2/6)

   外出禁止。私は家に居ることも好きなので、外出しない日も嬉しい。

   1日中、パソコンの前に張り付いている。これが好き。

   昔、脚を悪くしたきっかけは、仕事で明け方までパソコンと格闘し、外出しなかったので、

   脚の筋肉を全部落としてしまい膝に来た。それでも、仕事への没頭は止められず、脚は

   益々悪くなり、脚が重篤だった期間は、都合10数年間に及んだ。

   治ったことは、奇跡だと今でも言われている。

   その後、動かなかったことを反省して、今度は動き過ぎている。中庸が一番と肝に命じよう。

   今回、早く脚を治して,又、元気に動き廻ろうと思っている。

    

 

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