2012.09/07 (Fri)
毎年のように中高生が柔道の練習中に亡くなっています。受け身が取れなかったというのが主な理由のようです。
そして、当然のこと、それ以上の人数が部活動を続けられなくなって退部します。受け身を取り損ねて、腰を痛めるためです。部活動でやっていても、です。
体育の授業で、部活動以上に、受け身の練習をやれるでしょうか。
十数時間で何ができるか。
「受け身を習い、技の掛け方を習い、掛けられ方(?)を習い、眠くなりそうな、もっさりした、取手、受け手をあらかじめ決めて置いての約束捕りを数時間習って、技を限定して、『掛け合う』のではなく攻守を決めて、隙を見つけて技を掛ける。
こういったやり方なら、十数時間でできるでしょう。ただ、どう見ても、これじゃ「柔道」とは言ってもらえないでしょうけどね。
柔道は、嘉納治五郎の
「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」
という教えを、見事に聞かず、作文(乱取り・用法)の方だけに突っ走って来ました。その結果が現今の柔道です。
「JUDO」とされた時、柔道はどんな反論をしたのでしょう。体重別にすることについて、ポイント制にすることについて、カラー柔道着を採用するについて、一体どんな反論をしたのでしょう。
確かに「柔道」は柔「道」なんだから、と、その精神性を主張は、してきました。
でも、その「道」であることを、日本人はどのように捉えていたのでしょうか。
「道」は、具体的な方法があってこそ歩むことができるのに、日本の柔道はその具体的な方法である「技」をつくってきたのでしょうか。使い方ばかりになっていたんじゃないでしょうか。
技を知り、習い、己が身につくり上げて、その上で、用いる工夫をしつつ技を磨き続け、いつでも覚悟を以て稽古に臨み、四六時中そのようにあろうとする。
それが「道」であって、その技がたまたま「命のやり取り」をする「武術」であるから「武道」と言います。柔術を以てそれに取り組むから、「柔道」です。
日本文化だって、日本人であることだって同じです。
「日本文化は素晴らしい」「日本人であることに誇りを持っている」
そういう人が段々に増えてきていることは、この戦後教育を受けた中で、それこそ嫌日教育を受けてきた中で、そうであるのは、本当にうれしいことです。
でも「『日本文化が素晴らしい』って、どこが?」、と自問自答しようとしたことはあるのでしょうか。
「日本人であることに誇りを持っている」ったって、生まれながらにして日本人なんですから。「とにかく誇っている」、なんてんじゃ、誰も肯かない。
「技を知り、習(倣)い、己が身につくり上げて用いる工夫をしつつ、技を磨き続け、いつでも~。」
かくあろうとしてこそ、日本文化、日本人。
そういったことは一切しないで、闇雲に「我々は選ばれた民族だ」、みたいなことを言ってるのはただの能天気です。
間違ったって「それは前政権がやったことで、我々に責任はない」「あなた方に言われたくはない」、揚句にジミンガー、タニガキガーなんてのは・・・・・。
到底、日本文化、日本人とは言えません。
・技をつくろうとしてきた日本。
・最高の技を、先祖を敬するが故に、最低でも「伝え続けよう」としてきた日本。
・それが当たり前のことと思っていたら、世界から絶賛され、「そうか、そんなにすごいことなのか」と初めてびっくりした日本。
・請われるままに広めたら、世界は日本を全く理解していなかった。
・「その技、違ってるよ」と言ったら、「じゃ、やって見せて」と言われ、やってみたら全くできなくなっていた日本。当然です。考えてみたら、できるもできないも、技を身に着ける稽古をしていなかったんでした。
(少なくとも、生粋の日本人の一人である私は、そうでした。)
この日記は「地獄への道は善意という名の敷石で敷き詰められている」、がキーワードでした。
「いくら立派な技を作り上げていても、遣えないんじゃ意味がない。だから、乱取りの時間をもっと多くして技を『使え』るようにしよう」
「柔術のため、日本武術のために良かれ、と思ってしたこと。」
それが柔道の初め、でした。
ところが、「立派な技を作り上げていて」こそ、の乱取りだったのに、勝負の面白さにはまって、勝負心ばかりが磨かれ、肝腎の「技」の方は、柔術全盛の頃以上になった、とは、とてもじゃないけど言えません。
それでも常に言われます。
「だって、立派な技を時間かけて作ったって、遣えなきゃ意味ないじゃないか。遣えない技より、すぐ使える技を手に入れた方が良いだろう?」
すぐ使えるのが良い刃物。手入れの大変な「刀」なんか要らない、というわけです。替え刃(折り刃)式のカッターナイフがあれば刀はいらない、いずれ替え刃式の刀が当たり前になる、って?まさか、ね。
本末転倒とはこのことです。
嘉納は「立派な技が現実には遣えない」のを惜しむが故に乱取りを重視し、「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」と言ったのです。
素晴らしいものを(つくり上げて)、持っていた。本人はそれを当然のことと思っていた。
ところがそれに大きな価値を見出した西欧人が「使えなきゃ宝の持ち腐れだ」と日本人に教えた。日本人も「そんなものかな」と謙虚に思い、普及に尽力した。
けれど「価値を見出した者」共は、彼らの能力の範囲内で把握していただけで、「素晴らしいもの」が、「作り上げられたもの」で、「維持のための努力が日々なされている」ことには全く気が付かなかった。
「理解できたことは複製できる」と信ずる彼らは、彼らの理解の範囲で、その「素晴らしいもの」を、彼ら自身が完璧に複製できると考えた。そして、レスリングのような「JUDO」ができた。「もろ手刈り、イッポン!」
レスリングのタックルの方がよっぽど美しい。
日本人にも欧米人にも、悪意も陰謀も全くなかったのです。けれど、こうなってしまった。
この柔道の今日までの流れを見れば、それがそのまま、日本人の持つ問題と、解くべき課題につながっていることが分かります。
先人の思いを尊ぶが故に、まずは先人の形を倣う。それから、先人に思いを致しながら自身の思いを表現しようとする。
革命的な斬新さではなく、伝統的でありながら何か光るものがある。そして、革命的な斬新さには決してまねのできない、その「光るもの」は、「日々の努力」から生まれる。
柔術からの学び、日本文化からの学び、日本人としての学び。
最後にもう一度。
毎年のように中高生が柔道の練習中に亡くなっています。受け身が取れなかったというのが主な理由のようです。
そして、当然のこと、それ以上の人数が部活動を続けられなくなって退部します。受け身を取り損ねて、腰を痛めるためです。部活動でやっていても、です。
体育の授業で、部活動以上に、受け身の練習をやれるでしょうか。
十数時間で何ができるか。
「受け身を習い、技の掛け方を習い、掛けられ方(?)を習い、眠くなりそうな、もっさりした、取手、受け手をあらかじめ決めて置いての約束捕りを数時間習って、技を限定して、『掛け合う』のではなく攻守を決めて、隙を見つけて技を掛ける。
こういったやり方なら、十数時間でできるでしょう。ただ、どう見ても、これじゃ「柔道」とは言ってもらえないでしょうけどね。
柔道は、嘉納治五郎の
「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」
という教えを、見事に聞かず、作文(乱取り・用法)の方だけに突っ走って来ました。その結果が現今の柔道です。
「JUDO」とされた時、柔道はどんな反論をしたのでしょう。体重別にすることについて、ポイント制にすることについて、カラー柔道着を採用するについて、一体どんな反論をしたのでしょう。
確かに「柔道」は柔「道」なんだから、と、その精神性を主張は、してきました。
でも、その「道」であることを、日本人はどのように捉えていたのでしょうか。
「道」は、具体的な方法があってこそ歩むことができるのに、日本の柔道はその具体的な方法である「技」をつくってきたのでしょうか。使い方ばかりになっていたんじゃないでしょうか。
技を知り、習い、己が身につくり上げて、その上で、用いる工夫をしつつ技を磨き続け、いつでも覚悟を以て稽古に臨み、四六時中そのようにあろうとする。
それが「道」であって、その技がたまたま「命のやり取り」をする「武術」であるから「武道」と言います。柔術を以てそれに取り組むから、「柔道」です。
日本文化だって、日本人であることだって同じです。
「日本文化は素晴らしい」「日本人であることに誇りを持っている」
そういう人が段々に増えてきていることは、この戦後教育を受けた中で、それこそ嫌日教育を受けてきた中で、そうであるのは、本当にうれしいことです。
でも「『日本文化が素晴らしい』って、どこが?」、と自問自答しようとしたことはあるのでしょうか。
「日本人であることに誇りを持っている」ったって、生まれながらにして日本人なんですから。「とにかく誇っている」、なんてんじゃ、誰も肯かない。
「技を知り、習(倣)い、己が身につくり上げて用いる工夫をしつつ、技を磨き続け、いつでも~。」
かくあろうとしてこそ、日本文化、日本人。
そういったことは一切しないで、闇雲に「我々は選ばれた民族だ」、みたいなことを言ってるのはただの能天気です。
間違ったって「それは前政権がやったことで、我々に責任はない」「あなた方に言われたくはない」、揚句にジミンガー、タニガキガーなんてのは・・・・・。
到底、日本文化、日本人とは言えません。
・技をつくろうとしてきた日本。
・最高の技を、先祖を敬するが故に、最低でも「伝え続けよう」としてきた日本。
・それが当たり前のことと思っていたら、世界から絶賛され、「そうか、そんなにすごいことなのか」と初めてびっくりした日本。
・請われるままに広めたら、世界は日本を全く理解していなかった。
・「その技、違ってるよ」と言ったら、「じゃ、やって見せて」と言われ、やってみたら全くできなくなっていた日本。当然です。考えてみたら、できるもできないも、技を身に着ける稽古をしていなかったんでした。
(少なくとも、生粋の日本人の一人である私は、そうでした。)
この日記は「地獄への道は善意という名の敷石で敷き詰められている」、がキーワードでした。
「いくら立派な技を作り上げていても、遣えないんじゃ意味がない。だから、乱取りの時間をもっと多くして技を『使え』るようにしよう」
「柔術のため、日本武術のために良かれ、と思ってしたこと。」
それが柔道の初め、でした。
ところが、「立派な技を作り上げていて」こそ、の乱取りだったのに、勝負の面白さにはまって、勝負心ばかりが磨かれ、肝腎の「技」の方は、柔術全盛の頃以上になった、とは、とてもじゃないけど言えません。
それでも常に言われます。
「だって、立派な技を時間かけて作ったって、遣えなきゃ意味ないじゃないか。遣えない技より、すぐ使える技を手に入れた方が良いだろう?」
すぐ使えるのが良い刃物。手入れの大変な「刀」なんか要らない、というわけです。替え刃(折り刃)式のカッターナイフがあれば刀はいらない、いずれ替え刃式の刀が当たり前になる、って?まさか、ね。
本末転倒とはこのことです。
嘉納は「立派な技が現実には遣えない」のを惜しむが故に乱取りを重視し、「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」と言ったのです。
素晴らしいものを(つくり上げて)、持っていた。本人はそれを当然のことと思っていた。
ところがそれに大きな価値を見出した西欧人が「使えなきゃ宝の持ち腐れだ」と日本人に教えた。日本人も「そんなものかな」と謙虚に思い、普及に尽力した。
けれど「価値を見出した者」共は、彼らの能力の範囲内で把握していただけで、「素晴らしいもの」が、「作り上げられたもの」で、「維持のための努力が日々なされている」ことには全く気が付かなかった。
「理解できたことは複製できる」と信ずる彼らは、彼らの理解の範囲で、その「素晴らしいもの」を、彼ら自身が完璧に複製できると考えた。そして、レスリングのような「JUDO」ができた。「もろ手刈り、イッポン!」
レスリングのタックルの方がよっぽど美しい。
日本人にも欧米人にも、悪意も陰謀も全くなかったのです。けれど、こうなってしまった。
この柔道の今日までの流れを見れば、それがそのまま、日本人の持つ問題と、解くべき課題につながっていることが分かります。
先人の思いを尊ぶが故に、まずは先人の形を倣う。それから、先人に思いを致しながら自身の思いを表現しようとする。
革命的な斬新さではなく、伝統的でありながら何か光るものがある。そして、革命的な斬新さには決してまねのできない、その「光るもの」は、「日々の努力」から生まれる。
柔術からの学び、日本文化からの学び、日本人としての学び。
最後にもう一度。
「地獄への道は、善意という名の敷石で敷き詰められている」