CubとSRと

ただの日記

柔術を見直す

2020年05月03日 | 重箱の隅
2012.09/07 (Fri)

 毎年のように中高生が柔道の練習中に亡くなっています。受け身が取れなかったというのが主な理由のようです。
 そして、当然のこと、それ以上の人数が部活動を続けられなくなって退部します。受け身を取り損ねて、腰を痛めるためです。部活動でやっていても、です。
 体育の授業で、部活動以上に、受け身の練習をやれるでしょうか。

 十数時間で何ができるか。
 「受け身を習い、技の掛け方を習い、掛けられ方(?)を習い、眠くなりそうな、もっさりした、取手、受け手をあらかじめ決めて置いての約束捕りを数時間習って、技を限定して、『掛け合う』のではなく攻守を決めて、隙を見つけて技を掛ける。
 こういったやり方なら、十数時間でできるでしょう。ただ、どう見ても、これじゃ「柔道」とは言ってもらえないでしょうけどね。

 柔道は、嘉納治五郎の
 「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」
 という教えを、見事に聞かず、作文(乱取り・用法)の方だけに突っ走って来ました。その結果が現今の柔道です。

 「JUDO」とされた時、柔道はどんな反論をしたのでしょう。体重別にすることについて、ポイント制にすることについて、カラー柔道着を採用するについて、一体どんな反論をしたのでしょう。
 確かに「柔道」は柔「道」なんだから、と、その精神性を主張は、してきました。
 でも、その「道」であることを、日本人はどのように捉えていたのでしょうか。
 「道」は、具体的な方法があってこそ歩むことができるのに、日本の柔道はその具体的な方法である「技」をつくってきたのでしょうか。使い方ばかりになっていたんじゃないでしょうか。

 技を知り、習い、己が身につくり上げて、その上で、用いる工夫をしつつ技を磨き続け、いつでも覚悟を以て稽古に臨み、四六時中そのようにあろうとする。
 それが「道」であって、その技がたまたま「命のやり取り」をする「武術」であるから「武道」と言います。柔術を以てそれに取り組むから、「柔道」です。

 日本文化だって、日本人であることだって同じです。
 「日本文化は素晴らしい」「日本人であることに誇りを持っている」
 そういう人が段々に増えてきていることは、この戦後教育を受けた中で、それこそ嫌日教育を受けてきた中で、そうであるのは、本当にうれしいことです。

 でも「『日本文化が素晴らしい』って、どこが?」、と自問自答しようとしたことはあるのでしょうか。
 「日本人であることに誇りを持っている」ったって、生まれながらにして日本人なんですから。「とにかく誇っている」、なんてんじゃ、誰も肯かない。

 「技を知り、習(倣)い、己が身につくり上げて用いる工夫をしつつ、技を磨き続け、いつでも~。」
 かくあろうとしてこそ、日本文化、日本人。

 そういったことは一切しないで、闇雲に「我々は選ばれた民族だ」、みたいなことを言ってるのはただの能天気です。
 間違ったって「それは前政権がやったことで、我々に責任はない」「あなた方に言われたくはない」、揚句にジミンガー、タニガキガーなんてのは・・・・・。
 到底、日本文化、日本人とは言えません。

 ・技をつくろうとしてきた日本。
 ・最高の技を、先祖を敬するが故に、最低でも「伝え続けよう」としてきた日本。
 ・それが当たり前のことと思っていたら、世界から絶賛され、「そうか、そんなにすごいことなのか」と初めてびっくりした日本。
 ・請われるままに広めたら、世界は日本を全く理解していなかった。
 ・「その技、違ってるよ」と言ったら、「じゃ、やって見せて」と言われ、やってみたら全くできなくなっていた日本。当然です。考えてみたら、できるもできないも、技を身に着ける稽古をしていなかったんでした。
 (少なくとも、生粋の日本人の一人である私は、そうでした。)


 この日記は「地獄への道は善意という名の敷石で敷き詰められている」、がキーワードでした。
 「いくら立派な技を作り上げていても、遣えないんじゃ意味がない。だから、乱取りの時間をもっと多くして技を『使え』るようにしよう」
 「柔術のため、日本武術のために良かれ、と思ってしたこと。」
 それが柔道の初め、でした。
 ところが、「立派な技を作り上げていて」こそ、の乱取りだったのに、勝負の面白さにはまって、勝負心ばかりが磨かれ、肝腎の「技」の方は、柔術全盛の頃以上になった、とは、とてもじゃないけど言えません。

 それでも常に言われます。
 「だって、立派な技を時間かけて作ったって、遣えなきゃ意味ないじゃないか。遣えない技より、すぐ使える技を手に入れた方が良いだろう?」
 すぐ使えるのが良い刃物。手入れの大変な「刀」なんか要らない、というわけです。替え刃(折り刃)式のカッターナイフがあれば刀はいらない、いずれ替え刃式の刀が当たり前になる、って?まさか、ね。
 本末転倒とはこのことです。
 嘉納は「立派な技が現実には遣えない」のを惜しむが故に乱取りを重視し、「型と乱取りは、文法と作文の関係。どちらをおろそかにしても、それは柔道ではない」と言ったのです。 

 素晴らしいものを(つくり上げて)、持っていた。本人はそれを当然のことと思っていた。
 ところがそれに大きな価値を見出した西欧人が「使えなきゃ宝の持ち腐れだ」と日本人に教えた。日本人も「そんなものかな」と謙虚に思い、普及に尽力した。
 けれど「価値を見出した者」共は、彼らの能力の範囲内で把握していただけで、「素晴らしいもの」が、「作り上げられたもの」で、「維持のための努力が日々なされている」ことには全く気が付かなかった。

 「理解できたことは複製できる」と信ずる彼らは、彼らの理解の範囲で、その「素晴らしいもの」を、彼ら自身が完璧に複製できると考えた。そして、レスリングのような「JUDO」ができた。「もろ手刈り、イッポン!」
 レスリングのタックルの方がよっぽど美しい。


 日本人にも欧米人にも、悪意も陰謀も全くなかったのです。けれど、こうなってしまった。
 この柔道の今日までの流れを見れば、それがそのまま、日本人の持つ問題と、解くべき課題につながっていることが分かります。
 先人の思いを尊ぶが故に、まずは先人の形を倣う。それから、先人に思いを致しながら自身の思いを表現しようとする。
 革命的な斬新さではなく、伝統的でありながら何か光るものがある。そして、革命的な斬新さには決してまねのできない、その「光るもの」は、「日々の努力」から生まれる。

 柔術からの学び、日本文化からの学び、日本人としての学び。

 最後にもう一度。
 「地獄への道は、善意という名の敷石で敷き詰められている」



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学校体育での武道の必修化

2020年05月03日 | 重箱の隅
2012.09/05 (Wed)

 断続的ながら、長々と柔道・柔術の違いについて「武術」として眺めてきました。今回の標題で、一応終えるつもりです(・・・・?)。

 先年、中学校での、「武道の必修」が決まりました。
 関係の話題として「武道は人格形成に大きく係わる」ということから
 「礼儀を身に着けることができるので良い」
 という意見と、同じ立脚点から
 「学校で強弱を争う技術を教えるのは適当ではない」
 との意見が新聞の投書欄等を賑わせました。
 賛否双方、「人格形成に大きく係わる」ということを過小評価した「攻めてくるなら来てみろ!話し合うぞ!」みたいな、甘い考えです。

 確かに「武道は人格形成に大きく係わる」。これは正論です。
 「生き死にを明らめる際に用いる技術」なのですから、眉一つ動かさず蚊を叩き潰すように武術を用いられたら、たまったものではありません。
 その命を奪う(実際には、しないのは当然、ですよ)際に、相手の一生を消し去ってしまうわけです。逆に自身の一生が消されてしまうかもしれない。
 その覚悟たるや、まさに「命がけ」なわけですから、羽虫を捻りつぶすように術を使うか、相手も同じく命をかけて技を磨いてきたのだから、と敬心以て向かうか。その差は天と地ほどの開きがある。
 勿論、社会の一員として生まれ育つわけですから、相手に敬心を持つように育ててこそ、「武術」です。

 文部科学省は、最終的には「基本動作、基本的な技をできるようにする」と書いています。
 「できるようにする」という言葉は軽く見えますが、換言すれば「基本動作、基本的な技を身につける」ということです。
 いきなり話がトンだように見えるでしょうが、「武道は人格形成に大きく係わるもの」なのですから、「仕種を真似る」程度を意味している、と思うべきではない。
 実際、別なところでは、この武道の動作(技も含む)は大事な日本文化であると捉えています。

 ネットで調べてみると、「新学習指導要領・生きる力」というところに
 「第2章 各教科 第7節 保健体育 第2 各教科の目標及び内容」
 とあって、以下のことが書かれています。
 2.内容
 (A~E省略)
 F 武道
 (1)次の運動について技ができる楽しさや喜びを味わい、基本的動作や基本となる技ができるようにする。
 ア・「柔道」では相手の動きに応じた基本動作から、基本的な技を用いて、投げたり抑えたりするなどの攻防を展開すること。
 (イ、ウはそれぞれ「  」に「剣道」「相撲」が入る。)学校の事情により、薙刀も可。

 あまりの簡単さに「えっ?」と思ってしまいました。

 通常、中学校の体育の授業というのは、週に3~4時間でしょう?
 A~Fまで項目があるとすれば、週に一回、武道、なんてことは考えられない。
 となると、隔週に一回?それもない。だったら、一~三学期のいずれかに集中してやることになる。大方は冬、でしょう。
 何しろ剣道着も柔道着も、ましてや剣道の防具ともなれば、洗えないから汗の臭いがすごい。「後から遣う者のために香をたき込める」なんて絶対ない筈だし。
 あんな厚い布地の物を着込んでやるのだから、学校で、たかだか十数時間ならば、一・二学期の暑い時期よりも、寒い三学期に、となりませんか。
 現実問題、十時間も取れたら御の字でしょう。

 そこで、(1)の「次の運動について技ができる楽しさや喜びを味わい、基本的動作や基本となる技ができるようにする。」
 《ア・「柔道」では相手の動きに応じた基本動作から、基本的な技を用いて、投げたり抑えたりするなどの攻防を展開すること。》

 普通に考えてみてどうでしょう。
 ① 基本動作を覚える
 ② 基本的な技を覚える
 ③ 基本動作に慣れる 
 ④ 基本的な技の身捌きに慣れる
 ⑤ 対手に向かい、投げられないように用心しながら対手を投げ、抑えられないようにしながら抑える。
 あ、忘れてました。受け身も覚えなけりゃ。前受け身に横受け身、前方回転受け身。

 十時間、いや、二十時間もあれば、これらのことができるようになるでしょうか。
 オリンピックの選手や選手権保持者ではなくとも、長年柔道の稽古をしてきた人は一言、こう言うのではないでしょうか。
 「ふざけるな!」、と。

 「三時間ほどで受け身をマスターする。担ぎ業技と払い業で二時間、手業も入れて三時間。捨て身業は教えなくても良いだろうから、あと、寝業一時間。残った時間は乱取りに使う。」これで十数時間で完了。
 どうでしょう。可能でしょうか。

 「そうじゃない。初めの数時間は覚えるためだけに遣うが、乱取りの稽古を始めたって受け身や各技の打ち込み稽古はやるんだ。だから、十数時間あれば、何とかなる」と言う指導者もあるかもしれない。
 でも、中学校の体育の先生ってそんな器用なことができる人、一体どのくらいいるんでしょう。
 ここに前に書いた「技をつくる」時間はあるのでしょうか。「打ち込み稽古でつくる」のですか?
 剣道の「素振り」に相当するものが柔道には設定されていません。それどころか「組み太刀」に相当するものもありません。いきなり「打ち込み」、つまり剣道の「掛かり稽古」があって、次は「乱取り」です。

 長年柔道の稽古をしている人は、毎回の稽古の中で、僅かずつの「打ち込みの合間」、に地道に工夫を重ね、技を我流でつくっていきます。
 指導者の微に入り細にわたった教えは基本的になく、剣道では往々にして見られる師範の秀技の提示を、「見取り稽古」という形で習うことも滅多にない。
 無我夢中で、一心に取り組んできたから、地道な工夫で以て技をつくってきたことを、感覚的にはともかく、冷静には覚えていない。
 習い、受け継ぎ、磨き上げる、という「伝統」の形を、中学校では通れない、ということです。

 だから、
 「武道が必修?良いんじゃない?ふ~ん、十数時間かぁ~。・・・・・ええっ!?十数時間~~!??そりゃ無理だぁ!!」
 となるのが普通の反応でしょう。

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柔道衣

2020年05月03日 | 重箱の隅
2012.09/03 (Mon)

 柔道の稽古に用いる稽古衣(稽古着)だから、柔道衣、又は柔道着。
 これを略して業界、じゃない専門用語で、「道衣」或いは「道着」とも言います。
 意味合いから見ると、相当に強引な省略の仕方ですが、別にイチャモンつけるつもりはありません。
 ただ、「胴衣」とか「胴着」というのは変、です。これは門外漢ながら同じ日本人です、止めてほしい。胴衣なんて言ったんじゃ、下穿き(稽古衣のズボンの方)の立場がなくなる。

 いきなり要らんことを書きましたが、柔道衣はいつごろから今の形になったんでしょうか。
 それを見ていくと「JUDO」で、上衣が短くてすぐはだけてしまうことや、帯をわざと緩く結ぶことで、服装を整えることを名目に時間稼ぎをする、という姑息な戦術・悪弊の因も見えてくるかもしれません。

 元々、「柔術の稽古」は、「柔術」だけ独立してやったものではありません。
 とどめの時に短刀を使うからその使い方は当然のことなんですが、短刀以外にも様々な武器の遣い方も習ったものでした。
 勿論そこには剣術も含まれますし、大方の柔術は「捕り手」ですから、捕り手術として、十手(実手)術や、捕縄術も習う。流派によっては刺又、袖絡み等の遣い方も習ったと思われます。

 それは「柔術の仮想敵は柔術者」、ではないからです。
 「柔術の相手は剣(またはそれなりの武器)を持った敵」、です。
 だから、稽古の上でも剣術の稽古衣と同じ物である方が便利だったので、襟を取られ、強く引かれた時に着物(稽古衣)が破れなければ良い、ということで丈夫な木綿に刺し子を施した剣術の稽古用の物が一般的に使われていました。
 刺し子を御存じでない方は、少年用の白い剣道着に格子や菱形に太い糸で縫った模様のあるのを思い出していただければ良いかと思います。あれが刺し子です。
 布地が厚い上に刺し子を施せば、格段に強度が上がり、まず破れることはない。柔道着や剣道着の裾も刺し子が施してあるかと思います。

 あ、「柔術は短刀以外にも~」と書きましたが、同じことは剣術にも言えます。
 「剣術」として名が知られている流儀だって、相手を取り押さえるということもあるわけですから、柔術の手をいくらかは習うようになっているのが普通です。

 とは言え、「乱取り(乱捕り)」を多くするようになった明治期から、稽古衣は普通に刺し子を施しただけのものでは間に合わなくなりました。
 それでますます布地は厚くなり、かと言って刺し子を施しただけの物に比べて頑丈なだけでは擦れて手の指の皮が剥けたりする。(必死になって乱取りをしていたら相手の柔道衣が血だらけになっていた、という経験、ありませんか?)

 それで工夫の結果、現在の、使い込めば柔らかくなる、ほどほどに厚く丈夫な稽古着が一般的になりました。その柔らかさと吸汗性の良さは、当然剣道着としても重宝されます。(だからと言って、同じものではありませんけどね)

 現在の剣道は襟を取って引っ張りまわすことはないので、本来の着物丈よりはるかに短いものになっています。柔道のものはそれよりやや長めです。

 剣道着の場合は袴を着けるので帯は要りませんが、柔道着は帯が必要です。それも、袴の帯より数倍は強い布地でなければなりません。でなければ上衣がすぐにはだけてしまいます。
 ということは「帯を緩く結ぶ」というのは初めから「言語道断」なわけです。帯の意味を為さない。

 「丈は剣道着より長い」と書きましたが、本来はどのくらいだったか。
 昔々、柔道が大流行した時(柔道の草創期)、柔術諸流派も改革を考え、色々な工夫をしました。私の見た本には、等身大の柔術人形を作って、それを相手に独り稽古をする、なんてのもありました。
 それはそれで理に適っているのですが、あんまり勇ましくないからでしょうか、流行はしなかったようです。あ、脱線しました。稽古衣の丈、でした。

 その本には写真も載っていました。上衣の裾は膝が隠れるくらいありました。
 現在の柔道着の裾は、太腿半ばより短めですから、何だか子供が大人の着物を着ているみたいでした。
 それでも後に、海外へ「柔道」を広めた前田光世の写真を見ると、似たような丈です。でも前田の柔道着姿はそんなに変だとは思わなかった。

 写真で見た稽古衣が変だと思ったのは、下穿きが異常に短かったからでした。
 膝がやっと隠れるくらいの、早い話が半ズボン。ステテコよりもはるかに短い。
 想像してみて下さい。上衣の裾が膝まであって、下穿きはその下に僅かに見えるだけです。あとは鍛え上げたふっとい脚。

 でも、これ、引っ張り合っても大丈夫な上衣と、一番動き易い丈の下穿きなわけで、本当なら下穿きは「猿股(申又)」だって良かった。柔術は、関節技、絞め技はともかく、寝技はほとんどなかったのですから。(抑え込むだけじゃ、とどめはさせません)

 それが、上衣が短かく、下穿きが長くなったのは何故か。
 そんなこと、分かり切ってますよね。「カッコ悪い!」からです。
 私も昔、少し柔道を習った時、思いました。
 「空手着はあんなにかっこいいのに、柔道着って何でこんなに野暮ったいんだろう」
 って。
 空手着は引っ張り合うことも投げ飛ばすこともないわけですから、刺し子をすることもない。上衣の丈も必要最小限で良い。それよりも突き蹴りの決まった時、布が打ち合う「パシッ」という音のかっこいい方が先に立つ。

 また脱線しますが、空手着って、柔道着のマネですからね、元々。
 空手の稽古は、唐手の頃から示現流と同じく、着のみ着のままです。必要に応じて、もろ肌脱いでやったって良い。
 それが講道館で空手の紹介のために演武をすることになった時、普段着じゃあまずいだろう、ということで、柔道着を借りて演武をした。それが始まりです。
 だから布地は段々薄く、段々堅くなっていった。


 ということで、柔道着の成り立ちから書いてみると、現在の「JUDO」の柔道着についての諸問題が見えてきます。
 結論から言えば色なんてどうだっていい。二色の柔道着を用意しなければならないというのは当事者にとっては大変でしょうが。

 そんなことより、帯を緩く締める(というより結ぶだけ)、なんてのは相撲の「ゆるふん(緩く締めた褌)」ほどの潔さ(?)もない。
 相撲なんか褌が落ちたら、負け、なんでしょう?なのに柔道の方は帯が緩んだら「直しなさい」と言われ、直す時間を取ってもらえる。甘やかし過ぎです!

 「帯を意図的に緩く結んでいたら、その時点で反則!」
 それこそポイント制の長所である減点を適用すればよい。
 そして、上衣の丈が短すぎます。あれでは帯をする意味がない。
 最後に下穿きの丈です。長過ぎる。迅速な足捌きをしてこそ、柔道です。あの長い裾のせいで間違いなく数パーセントは動きが鈍くなっています。
 他の「競技」は空気抵抗や水の抵抗などを考えて日々高機能の用品を開発しているではないですか。柔道だけが何故退行するのでしょう。

 カラー柔道着採用如何の時、「柔道着の白は~」、等と意見が出たのでしょうが、そんなことよりも稽古着の丈と帯の締め様。
 講道館「柔道」が成立した時、めざしたことは「身に着けた技」を自在に使えるように「乱取り」を主にした稽古体系を立てることでした。稽古衣もそれに沿うべきでしょう。
 その上で、きちんとした服装で以て向かい合う。
 それでこそ「礼儀を重んじるのだ!」と言えるのではないでしょうか。
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柔術と柔道(残心の続き)

2020年05月03日 | 重箱の隅
2012.08/31 (Fri)

 気が付いたら、既に寄り道をしながら七回にもなっています。
 というわけで、あと2、3回で終えるつもりです。
 
 剣術で発見された「残身」という身法から「残心」の理念が創出されました。
 両手刀法では、勢い込んで切り込もうとすると、手元から飛び込んだり上体に力がこもって体勢が崩れることが往々にしてあります。そこを敵に衝かれる。
 そういうことにならないよう、(それでも切込んだ時に、剣尖に体重を掛けられるように)身持ちを正しくして体勢が崩れないようにする(残身)。そこに意識を集中すれば、結果としての切込む力も強くなる。
 何よりそうやって、前のめりにならず「身体を残す」ことで、次の異変に対応するための心持ちである「残心(心を残す)」に気付く。

 この「残身から残心へ」となることで、今度は「残心」という心持ちが、「突き」や、「射(の離れ)」の心持ち(心の持ちよう)までも明らかにします。
 「切り込み」時の「残身」は、「残心」を生み、「残心」は「突き」「射」の心の持ちよう、となる。
 剣術から弓術へそして、再び剣術(突き)へ、「残身→残心→突き・射」と発展していく身持ち、心持ちは、柔術でも生かされ、柔術の「投げ」「取り押さえ」等の、「残身」から「とどめ(極め・期)」にいくための「残心」へつながっていきます。
 合気柔術では対手を投げ(又は、取り押さえ)た時、取手が、十分な体勢をとりながらも脇差(又は短刀)を抜いて「とどめ」をさす形を簡略化して、手刀で、「いつでも討てる(とどめをさせる)」という形を、見得を切るようにやって見せます。
 何でもそれを「勝ち切り」と称するのだそうです。

 柔術では、投げたり取り押さえたりすると同時に、体勢を立て直し、対手(受けて)を身動きできないようにしておいて、短刀を抜く、或いは手刀を振り上げる。
 武術です。「命のやり取り」なんですから、ここまでやって、完結。完勝(まるがち)となります。
 普段の稽古で、これを省略することなく、丁寧に繰り返すことで、「仕合」「勝負」「命のやり取り」をする際の心掛けをつくる。それが武術の稽古です。
 「必ず命を奪う」際の心掛けである「不動心」をつくる。

 剣術の場合は、切り伏せ、とどめをさす。
 しかし、このとどめは、型の中で見える(型稽古の中で行う)のみで、言葉通り、「形だけ」であるのは当然のこと。
 柔術の場合も、前述のように短刀を抜いてとどめ、というのが形だけであるのは無論のこと。
 ついでながら、空手の組み型(約束組み手)というのは日本で生まれたもので、大陸の拳法の組み型とは成立が違います。だから、大陸の拳法にはない「とどめ」がある。これもまた、柔術・剣術と同じく、寸止めが当然です。

 いずれにしても、とにかく「とどめ」をさすために、その時の心持ちである「不動心」を、「形だけ」のとどめを刺す格好を繰り返すことで少しずつ身に着けていきます。
 「形だけ」「形通りに」繰り返すことは、非常時(有事)である「仕合」「勝負」「命のやり取り」の際の心掛けである「不動心」をつくるためには必要不可欠なことです。
 いざという時のために行う防災訓練を、その都度本気で一心に取り組む人と、仕方なしにあくびをしながら嫌々やる人と、では有事の際の対応が全く違ってしまうこと、今回の原発事故の総理の行動を思い出せば簡単に納得できるでしょう。

 さて、そうやって「とどめ」を意識し、その前の技の「極め」を「残身」という形で確実なものにし、「残心」の概念までも生み出した日本の武術というのは、どうも、やはり大変なもののようです。世界中に武術は数多在りますが、「残身」の発見から「残心」の創出に至り、その「残心」という境地が日本の文化全体に影響している。
 そんなの、世界の歴史をくまなく見たって見出せないでしょう。

 ところが、です。
 柔道にそれはあるか。投げっ放しの柔道に、投げた筈が自分が投げられたことになってしまって一本取られてしまう柔道に、その「残身」はあるでしょうか。
 まして、勝敗が決し、互いに礼を交わした後、必ず握手をすることがマナーのようになってしまっている「JUDO」に「残心」は?


 補記)
 武術の技を用いて戦って、勝敗を決めるわけです。大変な苦しい思いをして稽古をした結果、身に着けた技で相手を倒す。
 同じことを相手もしてきた。相手も苦しい思いをして技を身に着けてきた筈だ。その立派な相手を僅かに稽古量の勝った自分が破っただけだ。有り難いことだ。素晴らしい相手だった。だから頭を下げる。
 「よくやったな」と相手を讃えるのではない。相手を敬するが故の「礼」です。
 握手は「お互いよくやった」という意味で、「敬」礼の後に握手、というのは礼に適っていません。
 追補)
 「稽古衣(道衣)について」
 「学校での武道必修について」の二回で、終わります(・・・つもり)。
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JUDOと柔道(極めの有無と残身)

2020年05月03日 | 重箱の隅
2012.08/13 (Mon)

 柔道が妙な具合になってきたのは、実は柔道創立の時から要因があったからだ、と書きました。

 1964年。東京オリンピックで柔道が競技として採用されます。
 階級別という方法に「柔能く剛を制する、のじゃないのか。体重別にしたら柔道の長所が活かせないじゃないか」との批判も出ましたが、現実問題、軽量の選手と倍以上の体重の選手が試合をすると、技が極まるか否かより、まず危険過ぎます。
 無差別級をつくることで折り合いがついたのですが、そうなると世界の目は「柔能く剛を制す」なんて知らないのですから、「一番強い男は大きい筈」という先入観で柔道を見る。仕方のないことです。
 組み合ったら小さい方が不利に決まっている。それが一瞬のうちに一方を投げ飛ばしている。何が何だか分からない。それでも、負けた方はとにかく仰向けになっていて、負けたみたいだ。
 日本人でも剣道の試合を見たことがないと、「打つのが速過ぎてどっちが勝ったのか分からないよ」と言う。
 それと似たようなものです。柔道の「一本」、なんて分からないんです。
 昔、ビートたけしがやってた漫才のネタに、「面!と言いながら胴を打つと勝てる」みたいなのがありましたが、そんなまやかしが通じるようなものではない。

 さて、軽量級から順次試合が行われる。日本は次々に金メダルを取っていきます。外国勢は日本選手の前になすすべもなく敗れていく。
 そして最後が「無差別級」でした。日本の実力者神永選手に対するのはオランダの巨漢、アントン・ヘーシンク選手。今、googleで見たら神永選手、179センチ、90キロ。ヘーシンク選手、198センチ、120キロ。
 神永選手の技に掛からぬように、ヘーシンク選手は腰を反らして堪えます。20センチの身長差、30キロの体重差。
 神永選手が技を掛けようとして、例によって上手くかからず、態勢が崩れた時、頭一つ分近く大きいヘーシンク選手は、身体を預けて来て神永選手にのしかかり、そのまま体重を活かして袈裟固めに持ち込みました。

 柔道と言えば、まず立ち技があって、投げた後に押さえにいく、と思うのが一般的な日本人の見方。相手の技を崩しておいていきなり寝技、というのは柔道じゃない、というのが当時の感覚でした。「姿三四郎」の影響でしょうか。
 けれど、勿論そんな「ルール」はない。

 ヘーシンク選手は袈裟固めで神永選手を下し、金メダルを取りました。
 そして後、「日本の選手は、技はあるが、それを使う練習が十分でない」と見当はずれな論評をします。しかし、柔道界でそれに反論する人はいませんでした。それどころか、ヘーシンクの進言(?)を受けて、体格・筋力養成と共にますます乱取りの時間を増やしていきます。

 先日この「ルール」のことでいただいたコメントに、「ルールは同じだけれど、勝負に対するこだわりなんかが違うんだろうって思ってた」、というのがありました。
 日本人の常識である「ルール」と、他国の人々の思う「ルール」とでは全く違うようです。柔道に於ける「ルール」にもそれがあらわれているようです。

 日本人はルールを「決まり」「掟」として捉えています。「決まり」「掟」というのは、その集まりの人々が知恵を出し合って作り出したものですが、それには作り出したメンバーであっても従わなければならない。
 つまり、人々の作り出した「ルール」は人々を支配する。言ってみれば「神」と同じだ、と考えるのが日本人です。「長いものには巻かれろ」という言葉にも実はそんな考え方が大きく係わっている。「泣く子と地頭には~」などとは全く違った考え方です。
 だから「法」といえば、決して網の目のように「潜り抜ける」ものではなく「従う」ものであって、「法の中の法」ともなると、何人たりとも非難はおろか批判すらできない、といった価値観の中で我々日本人は生活してきました。「憲法を改める」ということに対して何となく罪悪感のようなものを感じる人がいるのはそのためです。
 大日本帝国憲法が発布された時には提灯行列までして、中身も分からないのに喜んだ日本人が、日本国憲法が制定された時、同じく内容も分からず「新しい日本をつくるのだから」と従ったことの不可思議さを思ってみることも必要でしょう。
 ついでながら、「9条の会」なども裏を返せば、いかにも日本人的な発想から「絶対平和・戦争の放棄」を主張しているのであって、本来は決して社会主義的な論理からではありません。昨今の反原発デモの参加者の考えも、「社会主義思想に目覚めた」というわけではないし、「新しい市民運動」でも何でもない。ただ、「平穏に、平等に(子供のために)、和やかに毎日を暮したい。政治よ、邪魔をするな!」と言っているだけです。
 勿論、それ(その浅慮)を社会主義思想、或いはプロ市民的発想で行動する一部の人々にいいように利用されているだけ、というところは十分に注意をして見ていかねばなりません。「地獄への道は~」、ですから。

 日本人は「ルール」をそんな風に見るけれども、他国人にとって「ルール」とは、「決まり」「掟」ではなく、「(その場、その都度の具体的な)取り決め」でしかない。参加者個々の自由意思によって、取り決めを「守る」。
 「取り決め」だから参加者だけに通用するのであっていやなら離れればよい。そこまでは行かずとも「取り決め」だから参加者は平等で、あとから「この取り決め、まずいから変更しよう」ということもある。当然、憲法だって時々の世情でどんどん変える。少なくとも敗戦国で、敗戦時に占領統治法として立てられた「憲法」を後生大事に守り続けているのは日本だけなんだそうで、「占領統治法を今に至るまで?」と当事者のアメリカ人でさえ驚く、といいます。

 ・・・・・脱線し過ぎました。けれど、やっと「極めの有無と残身」について、に入れます。
 柔道は受け身と畳の採用により、ともすれば柔術の心を忘れてしまい、勝負心ばかりが育ってしまったのではないか、と書きました。乱取り中心になって、他の武術や柔術のように、「技をつくるための努力」を、本当にしてきただろうか、と。
 受け身も畳も「安心して技の掛け合いができるように」ということからの、採用でした。けれど、乱取りが中心になった稽古では勝負にばかり気が向いてしまう。(指導者も「頑張れ!」「しっかりやれ」という言葉が乱取りの場合に多く出てしまう)

 受け身を取れば怪我はしないけれど、一本取られる。「それなら、受け身をしなければよい」。そんな倒立した結論を導き出してしまう。
 でも、畳があるから、大きな怪我はしない。そこで、投げられた瞬間相手の引手を振り解き、背中からではなく、肘か腹で畳に当たるようにする。そうすれば当然一本にはならないし、畳があるから、ダメージも少ない。
 「背中が着いて、初めて受け手となる」という乱取りの「網」を潜り抜けるわけです。この発想、「武術」に取り組む日本人にはありません。

 先生はそんな乱取りの様子を叱ります。でも、その叱り方が問題です。何と言うでしょう。
 「こら!ちゃんと引手を利かさんから逃げられるのだ!」
 そうです。無様に四つん這いになって逃げた者ではなく、投げた方を叱る。
 「え?別にそれでいいんじゃないか?」
 でも、これ、「受け手が取手より高位」、という「技をつくる」流れを完全に無視している。投げられても良いように、ということで「受け身」「畳」を採用したわけですから、高位の者は、本来きれいに投げられてやることで、取手の技術向上の手助けをしてやらなきゃならない筈です。
 先生が叱るんじゃなくて、受け手が先生、或いは兄弟子という立場に立って技にかかってやって、自然な技の掛け方の感じを教えてやる(教導する・得心させる)わけです。
 乱取りの持つ問題がここに出ています。
 でも、先生としては、「こら!ちゃんと投げられんか!みっともない!」と叱るのが関の山、でしょう。
 「本来は投げられる方が強い」。これは難しいことですが、習い事なら当然のことです。

 「投げっ放し」は、「命のやり取り」の場では「命取り」、です。「投げ」たら、次は「抑え込み」「締め」「固め」「極め」のどれかに移らなければなりません。
 でも、「投げ」たら、「抑え込み」、であって、「投げ」と「抑え込み」が一連の動作になったら、実はその切り替えの瞬間が真空地帯になります。つまり、隙ができます。投げと抑え込みは別の技ですから、連続したら必ずあいまいな部分ができます。「命のやり取り」なら、「即・死」です。
 投げたら相手の動きを一瞬で見究め、次の瞬間に、「極め」等の技に入る。このつなぎ目に、自他共に「短刀を手にしている」という意識があるか否か、です。そこが「残身」です。
  

 補遺)
 残身とは技を掛け終わった時、自身の態勢が身心共に安定していていつでも異変に対応できる状態のことを言います。
 この残身が、技ができるようになったら、つい、心の方がいい加減になるため、「残心」と書き表されるのが普通になりました。しかし、「残身」がなければ、「残心」は次第に画餅になっていきます。
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