CubとSRと

ただの日記

再び.「こうやって並べられてみると、実に分かりやすい」。(「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から) 

2020年05月22日 | 重箱の隅
2016.08/16 (Tue)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」から関連の投稿コメントを部分転載します。
 例によって読者の投稿欄からです。
 先日来、数度、「日本共産党の現状(或いは真実)」に関して読者同士で意見のやり取りがありました。

 何かを「見詰めよう」とする時、情報はジグソーパズルのように「全ピース揃っていなければ駄目」、というものでもないし、また、「どうしてもここにしか当てはまらない」というものでもない。
 でも、情報は多いにこしたことはありません。共産党のことを、時系列ではあまり見ることがないせいか、重要なことを教えていただけた気分です。
 
 いきなり脱線しましたが、読者同士の意見のやり取りというのは「日本共産党は本当に筋が通っているか否か」についてが主になっていたようです。その全部を転載しようとすると4990号から、ですから少々長くなります。
 それで直近の数回だけ、転載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (読者の声1)貴誌前号投書欄ですが、最近、日本共産党は「暴力革命を放棄していない」「その本質は変わらない」式の標題の批判を散見する。小生はそれらを読んでいないのだが(いずれ読むつもりではある)、日本共産党に暴力革命をやる意志も力もない、つまり、かなり的外れの批判なのではないか、と予想している。
そもそも彼らには、暴力的にせよ平和的にせよ革命的精神や気力はとっくに失せている。たんなる臆病者・反日主義もしくはそれへの追随者とみるべきなのだ。
貴誌第4990号(読者の声2)多田彰矢氏の論考は、小生の考え方を裏付けてくれるものであり、一服の清涼剤であった。多田様、ありがとう。
(等々力孝一)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐  通算第4996号から~
・・・・・
 (読者の声1)読者の声欄の貴コメントを拝読しました。日本共産党に対する私見にご賛同いただき恐縮です。等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに「敵の出方論」は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います。
平和、憲法擁護などを叫んでいればそれなりの票数と議席が確保できますから、激減した小さな「左翼市場」で行き場のない少数者を取り込むこと自体が自己目的となっています。もちろん真面目に社会主義革命を夢見る左翼原理主義者もいるので、科学的社会主義(=マルクス・レーニン主義)の旗はおろさないでしょう。
 野党統一戦線も、今や滅亡寸前の社民党や民進党内部の旧左翼の連中を取り組むための戦術であり、これにまんまと乗った他の野党はいまや滅亡に向かってひた走っているのです。そういう意味では「反帝国主義反スターリン主義」を唱えてきた極左集団も同じ道を辿っているのは皮肉なことです。
 結局旧ソ連圏が崩壊したときに、マルクス・レーニン主義についての何の総括も出来なかったことが原因です。共産党も極左勢力も労働者大衆とは無縁の存在なのです。
   (多田彰矢)
 ~平成28年(2016) 8月14日(日曜日)通算第4993号から~
・・・・・・・
  (読者の声1)貴誌4993号「読者の声」欄で多田彰矢氏が「等々力様がいわれるように、共産党はもはや革命政党ではありません。確かに『敵の出方論』は堅持していますが、むしろユーロ・コミュニズムに近い立場と思います」とかかれています。
 日本共産党は大正11年(西暦1922年)に共産主義インターナショナル日本支部として創設されました。私は日本共産党が共産主義インターナショナル日本支部から日本共産党に自身を変革したと発表したことを聞いたことも読んだこともありません。
 ということは日本共産党はいまだに共産主義インターナショナル日本支部なのかそれともある時に変革したが発表しなかったのか、なんとなくいつともなく変革したのかのいずれかです。
 もし、ある時をもって変革したのなら、どう変革したのか、なぜ変革したのかと変革前の共産主義インターナショナル日本支部にたいする批判があってしかるべきです。この質問に答えるのが、日本共産党の一番の義務と考えます。
 もし、答えをご存知ならご教示願います。万一、こんなことにも答えられないなら、日本共産党は公党として存在する価値はありません。もっとも、日本には綱領のない政党すら存在しているので、日本共産党は「なんとなく公党」なのかもしれません。
    (ST生、千葉)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐通算第4995号から~

・・・・・
 
 (読者の声1))貴誌前号「読者の声」の「千葉ST生」様へ。
まず日本共産党は公党ではありません。あくまで私党です。おそらく今の党員諸君は上層幹部を除いて共産党の歴史は何も知らないでしょう。
コミンテルン日本支部として創設されたこと、党の目的が労働者の祖国ソ連を守ることであったこと、天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと、戦後においては占領軍を解放軍と規定したこと、日本国憲法の制定に際してこれに反対したこと、昭和28年にスターリンが死去したときに盛大な追悼行事を行ったこと、昭和31年のハンガリー動乱についてソ連の軍事制圧を支持したこと、昭和39年の部分的各実験停止条約に国会で唯一反対したこと、昭和30年代後半から40年代初めまで機関紙「赤旗」は毛沢東と金日成の賛美記事で埋め尽くされていたことなど、今の日共党史には一切出てきません。
だから共産党員諸君は軍国主義と戦争に反対し、戦後は平和と民主主義のために奮闘したという公式党史しか教えられていません。
日本国憲法に反対した野坂参三は百歳になってソ連のスパイであったことを理由に除名されましたし、中国に逃亡した徳田球一は家父長的権威主義指導者として批判されました。
火炎瓶闘争など軍事革命路線を指導した志田重男は左翼冒険主義者として弾劾され、その他袴田里見も党規律違反で除名されました。獄中18年の志賀義雄や作家の中野重治はソ連派として除名。戦前から命脈を保ったのは宮本顕治だけです。宮本の愛弟子である不破哲三や志位和夫は正にスターリニスト官僚。自主独立の党という、うそで固められた党史を掲げる共産党には公党としての資格はありません。
   (武蔵国住人)
 ~平成28年(2016) 8月15日(月曜日)弐通算第4996号から~ 

           (転載了)
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「共産党は結党以来ぶれない」「常に筋を通してきた」「共産党しか庶民の味方はいない」等々。
 党も庶民も、つまり自他ともにそう言い切ってきたように思います。
 それなのに、何だか知らん、もう一つ胡散臭いというか、何だか怪しい、というか、そんな気持ちを持ち続けて来たのは私だけではないでしょう。
 それでも何となく切り捨てられないでいる理由は、学校は言うまでもなくテレビだって新聞だって、決して「胡散臭い」とか「怪しい」とか言わないから。
  それで
 「何も知らないから、そんな気がしているだけかな?何かそれを口にするとバカだ、って言われそうだから、黙っていよう」
 、となる。
 素直に思った通りを言えばいきなり「空気を読め」、みたいな目で見られるか、蔑みの目で見られるか。

 でも、こうやって並べてあるのを見れば、共産党に対する「素朴な疑問」は間違ってなかった、となります。
 酷いもんです。これでは民進党どころではない。将に「亡国の政党」」。
 「売国の政党」も嫌ですけどね、「亡国の政党」に比べれば桁違いのもの。
 何しろ「亡国の政党」は武力革命をせずとも、現社会の全否定はするんですから。

 枝葉の部分になりますが、
 「天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと」、
 「戦後においては占領軍を解放軍と規定したこと」、(今は、「そんなこと、言った?」みたいな顔、してます)
 「日本国憲法の制定に際してこれに反対したこと」、(今は、憲法護れ、ですよね?)
 の三つ。
 
 ちょっと驚いたのは一つ目の「天皇制打倒を掲げたことによって多くの労働者大衆が離脱したこと」。
 日本人の面目躍如、といった気がします。同時に、今の日本人ははどうだろうか、という気もしますが。



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「保守する」って大変だ

2020年05月22日 | 日々の暮らし
2016.08/18 (Thu)

 傍目からだと「ほんの少しの工夫を淡々と積み重ねている」ように見える。
 実は当事者は「新たな発見と思うくらいの大工夫を毎回必死になって案出し、それを気の遠くなるほど積み重ね続けている」と思っている。
 当事者と第三者の意識の違いって、信じられないほどの段差があります。
 それでいて、見た目の結果は同じだから。「守る」「保守する」ってことは大変です。

 不眠不休で警備活動にあたる。「九条守れ」とデモをする。結果として戦争が起こらなければ、不眠不休の警備活動なんて話題にも上らない。それどころか「九条守れと運動したからだ」と。
 言い張る声が大きければ、それが世論として大手を振って歩き出す。
 しかし・・・・。

 給油をしようとしたら、給油口の蓋(フューエルリッド、と言うんだそうだ。知らなかった)が開かない。何度もやって、やっと開く。
 先日来、こんなことが何度かあった。これじゃ車が餓死してしまう。
 というわけでダイハツヘ行って、診てもらった。
 給油口は普通、金属なのだが、この車は樹脂製の部分が多く、調整はしたものの完全ではないので、給油口ごと交換させてもらいます、初期クレーム(無料交換)ということで、と言われた。
 何でも蓋のところのストッパーが引っ掛かってしまうらしい。
 そんなの、あまり聞いたことがないけどと言うと、実は樹脂でつくられているため、やっぱりバラつきがあって時々クレームがある、ということだった。
 乗り始めて一年半になるが、今頃になってこういうことが起きるものなのか、とちょっと驚く。
 というより不思議な気がした。一年以上、全く何ともなかったのだから。

 こんな部品一つだって、素人には手が出せない。先端技術の粋を結集した航空機などは、ブラックボックスの部分は当然のことながら、他のほとんどの部分も、旧来のものと同じように見えて全く改変のできない高度な技術でつくられているものと思われる。
 「傍目には些細な問題にしか見えないものを、何年も何百時間もかけて直していくのは当たり前のこと。人命がかかっているのだから」
 と言うのは当然のことだし、分かっているつもりではいたけど、思っていただけで実感したことはなかったんじゃないか。
 それを今回、「実は大変なことなんだな」という「感じ」の繋がりに触れた思いがした。大体「人命が懸かっているから」というのを結論に持ってくること自体「分かって」なかったんだと思う。人命云々は言わずもがなのこと。ここではただ、「問題を解決しなければ完成したとは言えない」だけが正解。

 以前、或る人の日記に「安い韓国鋼材を使わない理由についての問答」が書かれてあった。
 「検査に合格している安い韓国製鋼材を使わないのは何故か」
 「高くつくからです」
 「???」
 「(韓国鋼材は)板厚が不均等で、硬さもばらつきが有る。多段曲げをすれば偏差が大きくなる」「ボンデ被膜が厚めで不均等。そのため溶接の際に溶着が安定しない」「結果、作業の度に確認、補正が必要となり、不安を抱えての作業になるから効率、品質が低下する」
 ということは、「明確に高くつく。だから私は使わない」。
 見事な説明だ。

 けれど、これだけ事を分けて説かれても、その時、質問者はとても実感などできなかっただろう。おそらく「はあ・・・」と分かったような分からぬような表情になり、煙に巻かれたような感じだけを抱いた、と思われる。
 いずれ数日、数ヶ月、いや数年後に「その時(分かる時)」は来るかもしれないけれど、多くの「取材」の一場面だったならば、ついに「その時」は来ないのかもしれない。
 子供の頃「見て分からん者は聞いても分からん」と子供同士からかい合っていたけれど、事を分けて話されたって当人にそれを把握する能力がないのだから、至極当然のことなんだ。

 口では「ほんの少しの工夫を積み重ねることで次の段階にいける~」と言うけれど、それは飽く迄も傍から「見た目」の話。
 当人からすれば寝食を忘れ、必死になって取り組み、「大発見!」と自身では思うような「大工夫」を次から次へと気が遠くなるほど重ね続けて、それでも次の段階へ行けるかどうか、というのが本当のところだろう。

 こうやってみると「ほんの少しの工夫を淡々と積み重ねて得た(と見える)もの」というのは、そのままコピーすれば同じようなものはできるかもしれないけど、実は全く似て非なるものしか作れない、と言えるだろう。
 それ以上に問題なのは、コピーする者は「ほんの少しの工夫」を「淡々と積み重ねた」としか見てないから、「本質」もそこに至る「試行錯誤」も自ら体験し、苦悩してきていないということだ。そのため、自身で次へ進める実力を養成していない、ということになる。

 つまりコピーはできても追い抜くことは永遠にできない、ということが見えてくる。

 全く話は変わるようだけど、海上保安庁の船とシナ海警・海監の艦船の「見た目」の違いはどうだろう。
 海保の船は、今、休みなしのフル活動を余儀なくされている。対する彼の国の艦船は数倍の隻数。
 だのに、写真で遠目に見ても彼の国の艦船の何とも汚らしいこと。潮風に薄汚れ、排水による錆で赤く変色している。
 日清戦争前夜の鎮遠・定遠の洗濯物の話を思い出した。

 その先にあるものは・・・・・?
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「繰り返し」でも、見詰める

2020年05月22日 | 日々の暮らし
2016.08/14 (Sun)

 八月十五日が近付くと毎年同じことが繰り返される。
 ここ三年、明らかに諸事情が変わってきているのに。

 稲田防衛大臣が参拝しない。
 「行くべきではない」、「波風を立てるな」
 反対に
 「逃げた」、「ビビった」、「大臣になったら弱気になる」、「あんな者、偽保守だ」etc・・・・。

 いい加減うんざりする。そんな程度の事しか言えんのか。
 十年一日のごとく、右も左も自国の大臣を貶して代わりに何かできるのか。
 挙句の果てに、「総理が行けば良いだけのことだ」・・・。
 イミョンバクの竹島訪問と同レベルの問題なのか?
 「あれで大統領支持率が上がったじゃないか。それでいいのだ」?
 
 勿論、毅然とした行動の積み重ねが世界に響く。政治家は国民の代弁者なのだから。
 つまり、全国民がそれを熱望している、と分かれば、普通、参拝しないはずがない。
 つまり、「しない」のではなく「できない」のだ。国民が熱望しないから。
 しかしそれ以前に、何故八月十五日にこだわるのだ。
 
 五年前の日記です
    ↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 産経新聞、こんな記事を載せて居たんだそうですね。
 この感じからするに、「産経抄」でしょうか。
 おそらくは、昨年、一昨年も似たようなことが書かれていたのでしょう。
 しかし、これはひどい。

 どこが酷いのか。
 「冗談にも言っていいことと悪いことがある」
 なんていいますが、靖国神社は冗談の対象にすべきところではありません。
 勿論、国のために命を捧げた人々が祀られているからです。
 同じく、だから、政治問題、政争の具、外交問題にしてはならないことです。
 最後の砦、みたいに思っていた産経の、これが良心だろうか、とショックを受けました。

 でも、やっぱり、「潰してしまえ!」ではない。立て直す方向に軌道修正を、と
言い続けることが必要だと思います。
 2011年7月28日の日記、「夕刻の備忘録」から大半を転載しました。


   *************
  6月25日
▼「菅さんの権力に対する執着心が、自身の再生エネルギーになっている」と渡辺喜美・みんなの党代表はうまいことを言うが、それほどまでに延命したいのなら抄子が知恵をお貸ししよう。霊験あらたかで効果抜群の妙案を。
▼最近の歴代首相は、さきの大戦で亡くなった人々を悼むため6月23日の沖縄を皮切りに広島、長崎を巡り、8月15日の全国戦没者追悼式に参列するのが常である。これに靖国神社参拝を加えればいいだけの話である。
▼国のために命を捧げた兵士の霊に首相が頭を垂れるのは、どの国でも当たり前の話である。毎年参拝した小泉純一郎首相が5年の長期政権を全うし、参拝しなかった首相が、いずれも短命に終わっているのは偶然ではない。ひとたび首相が参拝すれば、支持率はアップし、政権延命は間違いない。(2011.6.25 02:35)
  (ここまで産経の記事)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110625/plc11062502...
(ここから「夕刻の備忘録」本文)
産経は靖國問題をオモチャにしているのだ。この記事を書いた人間の品性の下劣さは譬えようもない。靖國参拝が「霊験あらたかで効果抜群」の延命策だとハッキリ書いている。本気なら許せない、冗談ならなお許せない。この程度の認識で、自民党歴代総理の靖國参拝問題を論じ、様々な批判を書き連ねて自民党支持率の低下に貢献してきたのが、彼等の正体だということになる。よくもまあ、「靖國に行けば支持率アップで延命間違いない」などと書けたものである

(中略)

靖國問題における対応においても、麻生太郎は一つの模範を示した。参拝云々を無力化させることに尽力した。これは安倍晋三の「曖昧戦法」と同様の効果があった。麻生の靖國に対する思いは、その著作に存分に書かれている。そして、その任期中にマスコミに対して最も激しい怒りを示したのは、靖國参拝を云々したぶら下がり取材であったことも忘れてはならない。その時に吐き捨てるように言った言葉が、全てを表している。「靖國は静かに祈る場所であり、政治から最も遠くにあるべき場所である」と。

                        (転載了)
  
               ~「靖国参拝」 2011年7月28日の日記より~

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 もう一つ。これは二年前の日記の部分転載です。     
    ↓
 靖國神社のみたままつりは七月の十三日から十六日まで。
 早い話が、盆の供養と同じです。敗戦後、始められたそうです。

 明治時代に国が設けた神社ですから、本来なら旧暦で行うところを、新たに採用した太陽暦でとなったため、八月ではなく七月に行われます。

 盆は仏教の行事ですから、それを神社である靖國社で、というのは?と思われる方もあるかもしれません。
 これは神社ではあっても、戦没者の家族は仏教だけ、というのが大半であるので、参拝者からお盆に先祖の供養のために参りたいという要望が多く寄せられたからのようです。
 だから盆踊りも行われるようになったし、供養という言葉も見掛けられます。

 神社という名ではあっても、春秋の例大祭は「春秋の彼岸」の太陽暦版。
 みたままつりは陽暦の「盆」。

 つまりは英霊達に向かい、時にはお礼を述べ、時には国防を誓い、時には御霊安かれと祈り、時には国を護って下さいとお祈りする。
 それは全ての国民が行うことであって、為政者が「代表」として参拝し、政争の具とされるべきところではない。為政者だって一国民として同じように参拝すべきところです。手水を遣い、「自ら」汚れを祓って参拝するところです。
 それが靖國神社です。

 一人の為政者より、一人でも多くの国民が参拝する事。それ以上に日本の姿勢を雄弁に物語るものはありません。
 以下は2013年10月17日の日記から転載です。
 と言っても、「夕刻の備忘録」からの転載がほとんどですけど。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
               ★ ★ ★ ★ ★

 さて今一度、「靖國批判」の一方の典型である産経の「主張」の一部を引く。

 『首相が国民を代表して慰霊することは国の指導者としての務めだと思われる』

 この種の文章は、「保守派」と称する人達がしばしば、ほとんど何の疑ひも無く、書かれてゐるやうであるが、本当にこれは正しい主張なのであらうか。こんなレベルに甘んじてゐて、我々国民はよいのであらうか。
 最も問題視すべき言葉は、「代表」である。

 「甲子園大会出場おめでとう、諸君は県民を代表して云々」。
 なるほど、誰でも甲子園に行けるわけではない。八百屋のおじさんも、魚屋のおばさんも、みんなで応援することは出来るが、その土を踏めるのは選ばれた者だけである。これは確かに「代表」である。「代議士」といふ言葉にも、この意味での「代表」が含まれてゐる。
 要するに「代表」とは、誰かの「代理」であり、時に「シンボル」の意である。

 しからば「靖國参拝に代表が必要か」。
 我々はある程度の交通費と二本の足があれば、誰でも何時でも志一つで「靖國神社」に詣でることが出来る。
 選ばれた者のみが土を踏める甲子園とは違ふのである。専門知識も無くそれを為す暇も無い、一般の有権者の代理として選ばれた代議士とは違ふのである。

   我々は望みさへすれば、何時でも靖國参拝が出来る。

 ならば何故、その参拝に「代表」が必要なのか。我々国民こそが、先陣を切つて参拝し、「政治家よ、後に続け!」と云ふべきではないのか。
 いや、英霊の前では、民間人も政治家も、政府高官も、首相も何の意味も持たない、唯の今を生きる一国民に過ぎないのではないか。何の意味があつて、首相が「国民を代表」出来ると考へるのか。極めて「場か馬可しい」話ではないか。
 先にも書いた通り、国民が率先して靖國参拝の環境作りをし、政治家がそれに続けばよいのである。二言目には「国民を代表して参拝する義務がある」などと云ふのは、全く自己の責任を他に転嫁する言動であり、それこそ「保守」の名に恥じるものである。

               ★ ★ ★ ★ ★
                   (略)

 政治家を批判すれば政治家が動き、そして国民が動くと考へるのは大間違ひである。国民が動くから、政治家は動かざるを得ないのである。
 先ず批判すべきは「国民の怠惰」である。原稿が売れないことを覚悟して、それが出来るか否か、この点こそが、「保守派」を自称する人間の矜持でなければならぬ。

 多くの参拝者の列の中を、如何にも颯爽と本殿に向かひ、やんやの喝采を浴びることで自己満足せず、もつともつと裏方に徹して、全国民が自らの足で参拝し、心を一つにする、そのための予備的活動に従事されれば如何か。

               ★ ★ ★ ★ ★

 これも先の記事にも書いたことであるが、麻生首相が参拝されても、されなくても、その支持には全く揺らぎがない。
 首相の地位を「シンボル」と見倣し、「代表」といふ言葉の濫用を止めない人は、それはそれで結構であるが、霊前においては全く無意味であること、そして何より我々国民は自らの意志で立てること、「代表」など仰がずとも立派にその志を受け継げることだけは理解して頂きたいと思ふ。

 従つて、「代表」といふ言葉に執着した意味での靖國参拝に関しては、『国の指導者としての務め』ではない、といふのが一つの結論であり、同時に、「靖國参拝国民運動を展開せよ」といふのが一つの提案である(最初のターゲットは10月17日から20日までの四日間、「秋季例大祭」である)。

 選挙ともなれば「普段とは逆に」、如何にも政治家を見下ろして、有権者ここにあり、を強調される方が少なくないやうであるが、「ならば普段から」、政治家を従へて、その先陣を切るやうに、国民としての行動規範を変へやうではないか。

 自己責任を回避し、その責を全て他人や社会に求めるのが、左翼の現実である以上、参拝に「代表」を求めて止まぬ精神は左翼である、と断じることが出来やう。
 我々国民は「踏絵保守」ほど単細胞ではない。衣食住に忙しい「現実の世界」を生きてゐる人間は、自然と多面的である。「ワンビット」で政治が出来ぬことぐらいは承知してゐる。「何が保守」で、「何が保守ではないか」などといふ議論が、全く不毛であるとする所以である。

               ★ ★ ★ ★ ★

                (以下略)


 「靖國参拝考(後編):100万人の靖國参拝運動」
                                 2009.08.15

                           ~夕刻の備忘録より~

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

           (転載了)

 ~「日本の姿勢を世界に知らす (知らせる、ではなく)」 2014年7月18日の日記より~


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名目は「自国漁船を守るため」、でしょう?

2020年05月22日 | 重箱の隅
2016.08/09 (Tue)


 日本の海上保安庁に相当する海警局という組織。「海上警察」、「海上警邏」という意味合いからつけられた名前なのだろうか。
 そこに所属する「海警」と書かれた艦船は、そのほとんどは元軍艦船で、ただ、白く塗られて「海警」と書き込まれているだけの代物らしい。つまり、まずは居丈高に他国を威圧するのが本義、ということか。
 それがここ数年は毎日のように2、3隻、排他的経済水域をうろうろしていた。
 あまりにも頻繁なものだからすっかり当たり前になってしまって、それでも常に記事にし続けて来たのはいつの間にか産経のみ、となっていた。後のマスメディアはたまに数行載せればいい方で、大方は記事にすらしなくなっていた。

 それが先日、いきなり六隻になった。と思ったら、また一隻増えて七隻になった。
 「無害通航」を主張すべき軍艦船ではないから、排他的経済水域まで入ってきても、別に問題はない。
 何といってもここは尖閣諸島の水域であるから、突然「尖閣ハ、ワガリョウド」と言い張るようになった彼の国にしてみれば「通って当然、漁をして当然」、と言い張ることができる。
 要は
 「海警は領海近辺で漁業をする漁船の安全を守るために来ているのだ」
 、と。
 6隻は多い?7隻は大問題だ?
 230隻が漁に出てきているのだから、7隻だって足りない。そう言い張るんだろう。
 それが、翌日には、あろうことか13隻に増殖していた。なんて連中だ。
 政府の意に従って計画され、武装漁船に大動員をかけたことは百パーセント間違いない。今に始まったことではない。鄧小平の昔からやっている。
 そして、「そんなことはしてない」、と言い張る。

 そう思っていたら、なんでも、漁船も増殖していて、230隻が400隻になっていたらしい。
 日本を縛る「9条」のおかげで、
 「いくら挑発したって絶対安全、仮に挑発に乗ってくれたらしめたもの」
 、と確信している。こんな完璧な保険はない。
 だからレーザー照射はするは、戦闘機は攻撃動作を取るは、の全くやりたい放題。

 しかし、日本は撃墜、撃沈されてからでなければ正当防衛が成り立たない。
 九条で両手両足縛られている日本に何ができる?
 外務省は抗議をするだけだから、
 「せめて、もっと強面の人が迫力のある声で抗議しなければ」
 、なんて。冗談にもなりゃしない。
 「九条なんか無視しろ。海警の艦船や漁船など、数十隻撃沈して、二度とこないよう、追い払うのだ!」

 ? そうしたら何と言ってくるか。
 「平和的に漁業活動やってたら、いきなり日本軍が虐殺を始めたアル!」
 現状では彼の国が「暴発する」、或いは「尖閣諸島に上陸、武力支配する」等の世界を敵に回す行動を執るまで日本に執るべき方策はない。

 やっと日記を、と思ったら、この話だ。
 それが「天皇陛下のお言葉」や「オリンピックのニュース」に隠れて(隠されて?)ちっとも話題にならない。
 だから日記は後回しにして、「余命~」に投稿されていたコメントから、とにかくこれを転載。
  ↓

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ヘタレ経営者
 現在中国の海警が領海に侵入し、漁船団を送るなど中国の行動がエスカレートしているようです。もちろん稲田防衛大臣就任に対する圧力のつもりもあるでしょう。
 しかしながらあくまで「日本がそれに対応をしない」という前提のもとに過激な行動に出ているように見えます。ある程度「あわよくば…」という考えもあるでしょうが、断末魔のようにも見えます。
 この状態で日本側があくまで冷静かつ自衛隊の動静も激越な行動はないということ等、メディアなどから伝わってこないというのは2つ考えられると思います。
 1つは日本は中国側のエスカレートした挑発行動に対しあくまで冷静であること。これは米側との調整もある程度済んでいるため、逆に中国側の暴発を待ち構えているのではないかという予測。
 2つめは自衛隊も何らか隠密的な対応をすでに行っているためにあえて報道に対して情報を出さないのではないかという予測。
 かつて「戦争を行わないならば挑発的に、戦争を行う気ならばあくまで紳士的に」と語った外国の外交官がいたと記憶しておりますが、日本はすでに後者の方向で覚悟を決めたように見えます。
ある意味でついに日本が反撃にでる日が近づいているのかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・
 もう一つ。

 多摩丘陵地帯
 いや~楽しいですね。態々あちこち出向かなくても、尖閣諸島に集まってくれるので音紋データの収集捗るでしょうね。彼らはなぜ自衛隊や米軍が防衛に現れないのか、気づいていないんでしょうね。
 弱った振りは国内だけかと思ったら、国外に対してもやるとは恐るべし安倍総理。中国人は高飛車になってるときに弱った振りすると、前のめりになって足元おろそかになるから扱い易いですね。武装漁船全船来てくれないですかね。海峡封鎖の隙間がどんどん狭まっていく。
 いざ紛争になった時、いまある船は全部蝕雷して沈没。海峡封鎖突破するためには、新しく造船するしかない。漁船程度ならすぐに造船出来るけど、軍艦はおいそれと造船できない。軍艦を潜水艦が見逃してくれますかね。新造武装漁船で海峡を突破できても、軍艦の護衛はありません。そのときに待ち構えてるのは護衛艦。武装漁船と護衛艦、勝負になりません。
 というわけで戦う前から勝敗は決してる尖閣諸島沖海戦です。 素人考えの事態の推移ですが、こんなところだろうと思います。
 なぜ自衛隊や米軍が出てこないのか。もう少し深い思慮をすれば、わかりそうなものなんでしょうけどね。
 情報収集担当は大忙しと共に、ニヤニヤが止まらないでしょうね。現状は弱った振りして情報収集、衝突上陸なんて起こったら国内の売国奴の掃討が始まってしまいますしね。中国は尖閣カード出して詰みましたね。

  (余命のコメント).....余命の読者なら誰でもこのくらいはよんでるよな。米軍とも綿密に打合せて、狙いは沖縄の反日勢力だ。ここまでくるとほぼ後は一直線。中国事案も待望の外患罪の告発が可能となった。
 中韓の国防動員法も実際は発動されていると見ればもはや戦時下と言ってもいいだろう。 
 稲田を防衛相にもってきたのは芯が座っているからだ。中谷では自衛隊の中がもたない。
 竹島奪還運動と外患罪告発はこっちで火をつけてくれということだ。


 ~1132 軍事関連26より~
 http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/08/09/1132-%e8%bb%8d%e4%ba%8b%e9%96%a2%e9%80%a326/

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勉強になりました

2020年05月22日 | 重箱の隅
2016.08/02 (Tue)

 今回の都知事選の結果について、本日の「余命~」ブログにコメント投稿されていた文章を拝見しました。
 いや、どうも、標題のままですが、勉強になりました。

 事実を見つめる。
 前後関係を俯瞰する。
 (当人の立候補に至る経緯を、)簡単にでも確認し直す。

 都知事選に限らない。これは大方のことに言えることです。
 誰でも危機が目の前に現れると、その表面的な事象だけに目を奪われ(眼前を占領されて)、慌てふためいて身心共に硬直化してしまうものですが、危機でなくとも、「何か」が突然現れると表面だけを見て慌てふためきます。
 さらに日常を大拍子に過ごしていれば、収拾がつくまでの時間が長くなりすぎる。
 だから普段から「心積もり」という名の準備をする。防災ではなく、減災に焦点を絞る、などというのもそれです。

 あ、また脱線を。

 「前後関係を見たか」
 「立候補までの経緯を確認したか」
 或いは、上記の三点を関連付けて考察しようとしたか。

 一つ目の転載は、「じこく」という方のコメントから。
 「時系列に並べてみればこういったことが見えてくる」、という典例だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
              (略)

・自民党、二代続けての不祥事に出馬断念も考慮
・民進党、蓮舫に出馬要請。本人も含みを持たせる
・自民党、都政の安定候補でかつ勝てる候補に櫻井パパ照準
・櫻井パパなら圧勝の調査。テレビで蓮舫期待のやらせ番組
・蓮舫、参院選への出馬に一本化
・小池百合子出馬表明、櫻井パパ固辞
・都連が増田決定。分裂決定
・民進共産が勝てる候補鳥越擁立。宇都宮蹴落とし
・自民党都連、空気読めない対応連発
・鳥越、文春新潮にボケっぷりも連発で終了
・内田の悪事が猪瀬と文春を中心に暴露。森元内田が悪の元凶と認定
・安倍総理、増田の応援に入らず
・小池百合子圧勝。桜井さん11万票獲得
・野党、内ゲバ状態
 今、こうして流れを見て行きますと、唯一危険であった蓮舫都知事の可能性を、官邸が櫻井パパカードで潰したことで勝負あったと実感いたします。
 かつ櫻井パパであれば従来通り都連の操り人形に過ぎなかった者が、結果として小池百合子圧勝。
 しかも癌である都連のダメージは極めて甚大なのに、官邸のダメージは軽微という驚くような曲芸を披露しています。ここまで来ると小池百合子は麻生さん辺りが糸引いているんじゃないかと勘ぐるほどの結果でした。
              (以下略 転載了)

 確かに初めは「自民党は候補者を立てるのを断念する」かも、というニュースがありました。
 しかし、蓮舫氏の出馬、となるとこれはまずい。そこから桜井パパの話があって、実は小指の問題で肯かなかったとかなんとかいう話も。虚実の駆け引きが水面下で行われたようですが、結局はどうなったか。
 
 ここでは桜井誠候補のことは出てきませんが、氏の本来の目的は都知事になることではないのですから、別系統で見るべきと思います。
 勿論、小池氏に流れた票の相当数は桜井誠候補からのものでしょう。

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 もう一つは「覚醒3年目」という方のコメントです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              (略)
 桜井さんの演説はNetで残りますし、直接演説を聴いた都民も、Netを介して演説を観た(聴いた)都民(国民)も、かなりの方が在日特権や日本の危機や日本人の理不尽な立ち位置や状況を知り、理解し、覚醒したと思います。
 「心情としては桜井さん だけどパヨクが勝つのはイヤ」 ということで小池候補に投票した方も多かったのではないでしょうか。
 その辺りは 桜井さんも織り込み済み(本人は当選するつもりで と言ってましたがw)だったと思います。
 桜井さんを全く取り上げないマスコミの異常性も クローズアップされましたし、鳥越候補のお陰で「パヨクの馬鹿さ加減」も周知され(笑) 桜井候補への選挙妨害や 殺人予告等で「朝鮮人の異常さ」も浮き彫リになり、さらにその様子がNetで配信され 全国のNetユーザーが目にするという事態(笑)
 これは邪心ですが・・・小池候補は実は安倍さんの命で立候補したのではないのかと。 都政の闇のドン、内田のいる自民都議連推薦の増田に勝ち、さらにパヨク候補にも勝つには、小池候補が適任だったのかと。
 小池候補も きっと馬鹿ではないと思うので、生き残るには、安倍さん傘下に入るのが一番 と考えたのかもw
 自民都議連の闇を公にし、パヨク、マスコミの馬鹿さ加減も白日の下に晒し、桜井候補の演説で 舛添の進めた在日優遇政策や、現在の市区町村役場、官庁の在日優遇措置も国民に周知させ、「シナリオ通り」という感じです(笑)
 安倍さん、菅さん、麻生さんは ニンマリしてるでしょう。

              (以下略 転載了)


余命三年時事日記
 ~2016年都知事選アラカルト②より~
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/08/02/1117-2016%e5%b9%b4%e9%83%bd%e7%9f%a5%e4%ba%8b%e9%81%b8%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%e2%91%a1/
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 桜井氏にするか。それとも最悪の結果を避けるために小池氏にするか。
 最悪の結果。言うまでもなく四党連合の傀儡知事の誕生です。
 次に具合の悪いのは、都議連の傀儡知事の誕生です。

 「小池さんで良いだろう」と安倍総理は言ったようですね。
 ということは党籍剥奪は、ない。
 台本はなかったかもしれないけれど、口伝えの狂言作者は、いたような・・・・。
 少なくとも官邸の立てた戦略が一番緻密だった、と言えるんじゃないでしょうか。


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