2016.07/09 (Sat)
「月刊Hnada」8月号。連載の「蒟蒻問答」からの転載、その3
~~保守主義は漸進主義~~
堤
安倍は第一次政権の失敗を振り返って、「ひとえに若気の至りで突っ走りすぎた」と言った。いまはどうか。自分では「漸進主義者」だと言っているそうだけど。
政治とは、より多くの同意を調達する作業でもある。一人で突っ走っても結果は出ない。安倍の漸進主義に苛立つ人もいるだろうけど、じりじりと前へ前へと進むしかない。
俺の大好きな言葉で、ヘーゲルの「理性的なるものは常に現実的であり、現実的であるものは常に理性的である」という言葉がある。
いま存在しているものには、それなりの理由があるから存在する。仮にそれを変えるなら、よほどベターなものを持ってこなければいけない。そこをよく考えろという意味だね。これは保守主義の精髄を最もよく表している言葉だ。現実を踏まえて進むからこそ、漸進にしかならないんだよ。
(略)
いま、野党が「安倍政治の暴走を止める」とキャッチフレーズで使っているけれど、三年半前、安倍の再登場がなければ、いまごろ日本はいったいどうなっていたか。この三年半、内政外交ともにしゃかりきになって進めている安倍を見れば、あれは暴走じゃない、疾走と言うべきだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「政治とは、より多くの同意を調達する作業でもある。一人で突っ走っても結果は出ない。」
多数決が民主主義の根本。なのに、我々はともすれば強いリーダーシップの発揮、カリスマ性に目を奪われます。
それは独裁と見分けがつかないものです。好意を以て見ればリーダーシップに見え、嫌悪感を以て見れば独裁に見える。(「アベガー」とか「アベ政治を許さない!」とか、ですね)
民主主義は「一人一人が主人公」ということだから多数決を原理とするしかない。それで、決定するまでに時間がかかる。
だから漸進するしか実行の形はない。一気呵成にした、と見えることがあっても、それはそこまでの(決定までの)時間が表立っていないだけのこと。
更に、「より多くの同意を調達する作業」というのは、一般に言う「擦り合わせ」のことだから、全員が十分に納得、なんてこともないわけだし、その代わり、先での変更の余地も必ずある、ということです。言い換えれば「決まったらそれで終わり」、ということではない。常に完璧を目指すために、良く言えば擦り合わせ、悪く言えば軋轢が常に生じる。
ならば例のヘイトスピーチ法だって、与党議員の考えるそれと、野党議員のそれとが、表向き同じようであっても、拠って立つ考え方が全く違うのだから、時間が経つにつれて与党の思い通りに変質させられたり、換骨奪胎されたりする、ということも十分にあり得る。
「保守の本質」を守ろうとするのが保守主義であって、その本質とは「かくあるべし」という思いだから、外見はどんどん変わっても別に不思議ではないし、それは本質まで打ち捨ててしまう「革命」「革新」とは対極にあるものです。
焦る気持ちを抑えて、今、何ができるかを考えることが大事なんだと思います。
「月刊Hnada」8月号。連載の「蒟蒻問答」からの転載、その3
~~保守主義は漸進主義~~
堤
安倍は第一次政権の失敗を振り返って、「ひとえに若気の至りで突っ走りすぎた」と言った。いまはどうか。自分では「漸進主義者」だと言っているそうだけど。
政治とは、より多くの同意を調達する作業でもある。一人で突っ走っても結果は出ない。安倍の漸進主義に苛立つ人もいるだろうけど、じりじりと前へ前へと進むしかない。
俺の大好きな言葉で、ヘーゲルの「理性的なるものは常に現実的であり、現実的であるものは常に理性的である」という言葉がある。
いま存在しているものには、それなりの理由があるから存在する。仮にそれを変えるなら、よほどベターなものを持ってこなければいけない。そこをよく考えろという意味だね。これは保守主義の精髄を最もよく表している言葉だ。現実を踏まえて進むからこそ、漸進にしかならないんだよ。
(略)
いま、野党が「安倍政治の暴走を止める」とキャッチフレーズで使っているけれど、三年半前、安倍の再登場がなければ、いまごろ日本はいったいどうなっていたか。この三年半、内政外交ともにしゃかりきになって進めている安倍を見れば、あれは暴走じゃない、疾走と言うべきだ。
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「政治とは、より多くの同意を調達する作業でもある。一人で突っ走っても結果は出ない。」
多数決が民主主義の根本。なのに、我々はともすれば強いリーダーシップの発揮、カリスマ性に目を奪われます。
それは独裁と見分けがつかないものです。好意を以て見ればリーダーシップに見え、嫌悪感を以て見れば独裁に見える。(「アベガー」とか「アベ政治を許さない!」とか、ですね)
民主主義は「一人一人が主人公」ということだから多数決を原理とするしかない。それで、決定するまでに時間がかかる。
だから漸進するしか実行の形はない。一気呵成にした、と見えることがあっても、それはそこまでの(決定までの)時間が表立っていないだけのこと。
更に、「より多くの同意を調達する作業」というのは、一般に言う「擦り合わせ」のことだから、全員が十分に納得、なんてこともないわけだし、その代わり、先での変更の余地も必ずある、ということです。言い換えれば「決まったらそれで終わり」、ということではない。常に完璧を目指すために、良く言えば擦り合わせ、悪く言えば軋轢が常に生じる。
ならば例のヘイトスピーチ法だって、与党議員の考えるそれと、野党議員のそれとが、表向き同じようであっても、拠って立つ考え方が全く違うのだから、時間が経つにつれて与党の思い通りに変質させられたり、換骨奪胎されたりする、ということも十分にあり得る。
「保守の本質」を守ろうとするのが保守主義であって、その本質とは「かくあるべし」という思いだから、外見はどんどん変わっても別に不思議ではないし、それは本質まで打ち捨ててしまう「革命」「革新」とは対極にあるものです。
焦る気持ちを抑えて、今、何ができるかを考えることが大事なんだと思います。