CubとSRと

ただの日記

「分かってから」(10・17の日記)

2020年05月29日 | 心の持ち様
2010.10/27 (Wed)

 今回、二回に分けての入院の筈が、予期せぬことで、一回にまとまってしまい、計二週間の予定の、既に十一日目。
 最初に「読書三昧」を予定して本を持って来てもらったのが三日目。
 九日かかって、やっと持って来てもらった本、4冊を読み終わりました。

 随筆を一冊と、あとは、今回も何度か書いている若狭和朋氏の「日本人が知ってはならない歴史」シリーズ三部作です。(あっ、内緒にしてたんだった。)
 以前より、拾い読みをしては、止め(休憩?)、を繰り返し、今になってしまっていました。
 手には入れたものの、積み上げたままになっている本は、もう数十冊。一度も開いてない、というのはないけれど、このままでは、と思っていました。今回は、その意味で、良い機会。

 三冊を読んでいる途中から思っていたこと。

 「日本人であること」、「日本が誇れる国であること」、について、私は、「ただ気がついただけじゃ、駄目だ」と思っています。
 確かに、歪曲を通り越して、捏造された事実(と言われるもの)を、歴史として教えられて来た。それに気付いただけでも、少なくとも愛国心は芽生える。
 でも、それじゃ、また、次の瞬間に騙されます。催眠術にかかります。
 日本人は「日本に生まれたから日本人」、なのではない。
 「日本の文化を体現できてこそ日本人」であって、そのためには、「日々のそれなりの研鑽、努力が必要だ」と書いて来ました。だからこそ、の日本であり、日本人なのだ、と。

 そこで、気がついたからには、習い始めなければならない。具体的な芸事、嗜みとしての、茶道、活け花、着付け、等々、何でもあり、です。
 何しろ日本文化は奥が深い。
 そして、「一芸に達すれば諸芸に通ず」、で、それらの日本文化の一つを究めようとし続けていると、急に「日本が見える」時が来る。

 最後に、「気がついた」、「勉強した」、「見えて来た」なら、必ず書くこと、です。
 文章化することにより、頭が本格的に日本人としての活動を始めます。
 「講義」を受けて、蒙を啓かれ、「講読」によって、考え方を身につけ、「演習」によって、自分の考え方を自分で、自分の力だけで、つくっていく。
 この、「講義、講読、演習」という形は、日本が素晴らしい国であればあるほど、おろそかにはできない。
 掲げてみれば、当たり前過ぎるくらいのことかもしれません。
 けれど、振り返って見て、どうでしょう。
 「講義」を受けただけ、或いは気付いただけで、こと足れり、としていなかったでしょうか。
 そうでなくとも、「講読(説明を聞きつつ、資料を読む)」、それは、まだ、自らに知識なり、考える力なり、が足りないから先導者の手助けを得て、ということです。
 それで理解はできたとしても、「分かった」まで、至っているかどうか。
 知識、考える力が足りないからこそ、先導者を必要とした筈でした。
 ならば、それが本当に「分かった」のかどうか、実地にやってみる必要があります。
 だからこそ、の「演習」です。
 これで、力不足を痛感すると同時に、今の自分に何が足りないか、も分かる。

 「日本の文化は奥が深い」、と書きました。
 だから、全てを、というのはとても無理。第一、一人で日本人なのではない。それぞれが、それぞれの形で日本文化の研究に取り組むからこそ、奥の深い日本文化は受け継がれる。我々は「一芸に達すれば」に徹すれば良い。

         (「あちこち」に続きます。)
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「勤労感謝の日とコミンテルン」(10・16の日記)

2020年05月29日 | 日々の暮らし
2010.10/26 (Tue)

 早いですね。先週の木曜日に具合が悪くなって、既に十日目です。
 施術は一昨日終り、胆石は胆嚢ごと、摘出。
 あとは傷口がふさがるのを待つばかり、なんですが、とにかく脇腹が痛くて、深呼吸ができない。
 木刀で打たれたような首筋からの痛みも治まらない。
 でも、原因がないのだから、手の施しようがない。
 まあ、予定は来週の火曜日。あと、三日で随分な変化がある、でしょう。

 さて、今日は10月16日。神宮の神嘗祭(かんなめさい)が始まるのは、今日だったか、明日だったか。
 「嘗(なめ)る」というのは、「召し上がる」。神様が今年の新穀(本当の初穂、ですね)を召し上がる祭りです。

 これから一ヶ月。11月23日が「新嘗祭(にいなめさい)」。天皇陛下が同じく「今年の稔(みの)りを感謝され、神とともに召し上がる」という祭りです。
 これには「新嘗」という形で「神様への感謝の気持ちを、国民の代表(祭主)として表わす」意味があります。
 正に、祭祀国家の面目躍如、といった祭りです。

 ところが、皆さん御存知のように11月23日は「勤労感謝の日」とされています。
 何故、11月23日が「働く人々全てに感謝を」となったのか。
 若狭和朋氏の表現によれば、「GHQによる追撃戦」の一つの形であることに、間違いないようです。

 戦前の日本人は、何かにつけて、暦を頼りにしてきました。正月三が日、更衣から、年末の大掃除に至るまで、本当に全国民、申し合わせたかのように、何でも暦のとおりに行なって来ています。
 それが、最近は休日ならば何でも同じ、みたいなところがあって、現に、「祝祭日」と一口に言うのは良いけれど、祝日と祭日の区別がついていることを知らない人の方が多くなりました。

 祭日は皇室を中心にした、国家の祭りの日であり、祝日は記念日を含む、「祭り」ではない日。
 それに加えて、今回、政府はもっと極端なこと、言ってましたね。日本を地域に分け、各地域ごとに休日として、祝祭日をまとめてしまう、とか。
 これは、休みを取りにくいからとか何とか、まことしやかな説明をしていますが、間違いなく、結果として日本から「祝日、祭日」を取り上げよう、そして、「休日」という意識だけ残そう、という発想です。
 「祭日」をなくすことによって、皇室廃絶の準備をすることにつなげているのは、自明の理、です。
 つまり、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」とするのは、「追撃戦」の延長線上の計画だ、ということです。

 「GHQがなくなって、何年経ったと思ってるんだ?陰謀論も大概にしろよ」と思っている人、多いでしょうね。
 でも、「陰謀」はコミンテルンの専売特許みたいなものです。

 歴史的事実をつなぎ合わせて、筋道を見出し、それから筋の通った考え方を発見し、実生活での思考の役に立てる。当たり前のことです。
 そうやって手に入れた思考の形で、我々は日々の生活を成り立たせています。
 歴史とは教科書に載る載らないではない。GHQが始めたから、といって、GHQがなくなった今も、それがそれなりの筋道を持っていたとすれば、それは必ず後世に伝播します。
 正しいとか、間違っている、とかは全く関係がありません。「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を思い出せば、簡単にうなずけることです。
 その事実に捏造された部分が少しでもあれば、抽出される考え方は、全く違った結論を導き出すことも出来ます。
 更には、考え方の根は、「理」であるべきですが、孔子でさえ「心の欲するところに従いて矩をこえず」となったのは、七十を過ぎてからだったでしょう?

 つまり、一般的には考え方の根が、「理」、でなく「情」になっているのです。
 どんなに立派なことを、日頃言っていても、些細なことで怒ったり笑ったり、悲しんだりするのが普通の人間。哲学科で、熱心に勉強している大学生だからといって、殺人なんか絶対にしない、とは言い切れない。
 GHQが始めたことは、GHQがなくなっても、それを支える(手足となった)人々が継承、発展させて行きます。
 捏造した部分が明らかになれば、結論は百八十度違った方向に行きますが、それをさせないように、更に堅く口をとざす。或いは恥の上塗りならぬ「嘘の上塗り」をすることによって確固としたものにしていきます。
 (南京大虐殺は初め数万、次に十数万になり、二十万、三十万、ときて、今は四十万以上になっています)

 イメージからすれば木型の上に紙を貼り重ね、木型を外した、といったようなものでしょうか。
 本体はないのに、嘘の形が、さも本物のような顔をしている。「嘘も百回つけば真実に」です。
 
 GHQの中身(構成員)がマッカーサーの思いとは全く違った、コミンテルンそのものであったことを考えれば、容易に「理解は」、できることです。
 そして、それは、大学の、「社会主義思想学者による席捲」と、師範学校の廃止、普通大学卒の社会主義思想教師の激増により、悪名高き日教組教育へ、とつながっていきます。

 けれど、忘れてはならないこと。
 広がるのは教育界だけではない。法曹界もそうでしょう。裁判所、弁護士で、社会主義思想の持ち主はどれだけの比率なのか、想像できますか?そして、報道の世界では。だったら、経済界も?と思うのが普通でしょう?

 「新嘗祭」を「勤労感謝の日」としたことは、「天皇が、農民に感謝をする日、から、全ての労働者に感謝をする日に改めよう」ということになっています。
 一瞥しただけでは、成程、と見えます。でも、ここには、巧妙に仕組まれたトリックがあります。
 「天皇が国民に感謝する」という言葉です。
 これ、最初に私が書いた「神への感謝」が入ってないでしょう?
 「天皇とは支配者のこと」、と、まるでサブリミナル効果のように思い込まされる。それによって、「農民だけでなく~」という展開につながる。

 支配者と、被支配者の意識を持たせ、敗戦後は「国民の総意で天皇が存在する」と、国民を天皇の上位に置き、国民の意志を変えることで、天皇廃止、皇室の廃絶につなげていく。

 道理を辿ったら、「勤労感謝の日」という言葉だけで、ここまで来てしまいました。
 常に「そんな程度のことで」と、看過してしまいがちなことの中に、「ジパノフォビア(日本嫌い)は、確かに隠れています。

 「あと5年以内に、とんでもないことになる」
 若狭氏の言です。
 それをくい止められるか否か。それには、我々の一人ひとりが、ちゃんと勉強するしかないのです。
 どんなことでも、一割がその気になれば、確実に方向を変えることが出来ます。
 一割の武士が、日本人の見事さを世界に知らしめたことを思い出せば納得できます。

 それからすれば、革命はその半分。3~5%の指導者と90%以上の愚民が居れば成功します。
 日本。愚民の準備は既に出来ています。
 
 胆石で入院なんかしてる場合じゃないぞ!
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「施術後」(10・15の日記)

2020年05月29日 | 日々の暮らし
2010.10/25 (Mon)

 10月14日は8時半過ぎから説明。9時半から施術。
 初体験です。T字帯(ティーじたい)というから、何のことかと思えば、越中褌のことではないか。だったら「T字路」ではなく「丁字路」と言うのと同様に、「T字帯」と言わず、「丁字帯」(ていじたい)と言うべきである。

 9時半から二時間。軽ければ二時間かからない施術だ、ということでしたが、もう、ここからは何も覚えていません。

 次に気がついたのは2時半。身体が痛い。苦しい。喉が痛い。横に向けない。喉が渇いている。時間の経つのが遅い。明日まで何も食べられない。飲めない。
 痛い、と思いながら、朦朧とした意識の中、寝るしか、することがない。
 あの発作の時の、息のできない苦しさと違って、今度は施術後の傷口が開かないように、と、力を入れられない苦しさです。

 咳払いをしないと、喉が詰まるような感じがする。
 でも、咳払いをすると、体に力を入れるから傷口が心配だ。
 身体の向きを換えようとすると腹に力が入る。
 臍を切っているから、これまた力が入ると、傷口が開く。
 
 苛々。朦朧。痛い痛い。とやって、うとうとすると、まだ、3時前。
 時計、壊れてんじゃないか、と思っても、それは我が身の勝手。
 また目を閉じる。3時半。目を閉じる。4時。

 こんなでやっと12時。
 痛み止めに座薬を入れてもらい、3時間ほどで効かなくなり、今度は注射。これが痛い。筋肉が収縮するのがよく分かる。
 揉み解され30分くらいで、効いて来た。

 2時。3時。4時。そして、6時。やっと夜が明けた。

 胆石の実物をはじめて見た。
 人によっては、翡翠のようにきれいな物が出来ているらしいが、私のはカーキ色みたいなのが主で、決して美しい色合いではない。でも、まあ、私は阿古屋貝でも帆立貝でもないんだから、翡翠みたいな胆石は、いらん。
 今日、もらったので、家に持って帰り、洗って、よく乾かし、私を苦しめた証拠品として、保存する予定。

 痛み止めが効いていたせいか、起きてからも大して痛くはなく、パジャマを買いに、と、三階から一階の売店まで行った。

 エレベーターを降りたあたりから痛みはじめた。何でだろう、全く関係のないところが痛い。
 右首筋から、右腋にかけて、木刀で打たれたような痛みが出て来た。
 そんな器用な打ち方をする人はいないから、錯覚だ。
 右脇腹も痛い。これも錯覚らしい。痛いけど。

 パジャマを買ってほうほうの態で三階に戻り、痛み止めを頼む。現金なもので、30分ほどで痛みは消える。

 そんなこんなで夕方になる。昼からは痛み止め、なし。
 痛みは少しあるが、辛抱できる。
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「まさか」(10・13の日記)

2020年05月29日 | 日々の暮らし
 十年前の日記、まだ続きます。

2010.10/13 (Wed)

 10月12日は検査の全てが終わった日。
 最後が生まれて初めての胃カメラで、涙を流し、涎をたらし、鼻水まで出そうになる中、開けた口を閉じられないように管を咥えさせられ、と、何ともMな検査。
 それも、9時半から、と言われていたのに、「来い」との連絡がなく、「まだ、来ないんですか?」と逆に言われる。連絡ミスだったらしい。
 で、11時半から始まって、口の中が痺れている状態が1時まで続く。
 朝食抜きの、1時半近くになって、の昼食を、それでも美味しくいただき、後の手続きを経て、退院したのが3時半。

 家に帰って、「あんたは油っこい物や、肉ばっかり食べるから、こうなるんだ」と、姉に叱られながらの夕食。
 それでも、「酒を飲むより、ビールを飲む方がいいんだ」と、頭ごなしを続けながら、姉が缶ビール3本、私が1本。(気がつきました?この先の展開。)
 
 午前2時頃、また痛みに襲われました。勿論、痛み止めの薬を飲みましたよ。
 けど、治まるどころか、どんどん、痛みがひどくなる。
 これはいかん。退院した、その日にこれ、じゃ、洒落にならん。でも、痛い。

 持って帰った、入院セット一式、そのまま持って、着換えだけして救急車に来てもらう。これで3回目です。
 でも、何回乗っても、具合の悪い時に乗ってる(あたりまえ)わけだから、楽しくはない(あたりまえ)。
 気分が悪くて、胸も背中も痛いから(だから、あたりまえだって)楽しくない。

 病院で色々調べながら、医者も看護婦も、こっちは苦しくて息をするのも辛いのに、笑いながら話している。何だ、なんだ!

 「退院祝いに、何、美味しい物食べました?」
 「え~と、油物は駄目、と言われていたんで、イカの入った野菜炒めと沖いわし(似ギス)をフライパンで焼いた物、くらいですか。」
 「お酒は?」
 「缶ビールを一本」
 「あっはっはっは」
 笑われてしまった。
 「アルコールは胆汁を出すんですよ」

 それを知らず、ビール飲みながら上から目線で叱っていた姉と、恐縮していた弟。
 二人揃って、「アルコールは胆汁を~」なんて、まるで知らず、ビールを飲んでいたわけです。くやしい。一本しか飲んでないのに。

 その結果、ということが明らかになった。それは分かった。でも、痛いものは痛い。苦しい。息ができない。目眩を起こしそうだ。吐きそうだ。

 どちらにしても早く施術をしてもらえないか、ここで無理なら、浜田でも出雲でも良い、と頼む。
 まあ、患者の勝手な言い分ですが、何とか繰り合わせて、翌日、緊急に施術をしてもらえることになりました。

 無理を言って誠に申し訳ない、という気持ちと、一刻も早くこの辛さから解放されたい、という気持ちが混然一体。
 昨日「御世話になりました。また二週間後に」と挨拶したのに、翌朝、また、現れたものだから、看護婦さん達もびっくり。何で?ってなもんです。恥ずかしいったらありゃしない。
 或る看護婦さんは呆れ、或る人には「退院すぐにお酒なんて!」と軽く叱られ。

 というわけで、二週間後、再入院だったのが、とんぼ返りの引き続き入院PART2。
 明日は施術です。
 
 (10月13日の日記です)
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「また死にかけた」(10月7日)

2020年05月29日 | 心の持ち様
 十年前の「死にかけた日記」の続きです。

2010.10/13 (Wed)

 半分死にかけてから3ヶ月。
 また死にかけています。今度は本物です。狼少年じゃありません。勿論、狼親父でもなし。
 
 実は、3ヶ月前も本物だった、と今回分かりました。
 あの時も、食中りではなく胆石だったのです。今回もやっぱり胆石でした。
 胆嚢の出口のところの近くにあった径一センチ余りの結石が関係しているみたいです。
 入院せず、様子を見て、という話だったけれど、痛み止めが効かず、漢方薬、痛み止めの注射(弱、強)としてもらっても、やっぱり駄目で入院、手術となりました。

 診療所から病院へ連絡してくださるのを、例によってう~う~言いながら聞いていたのですが、親族の同意がないと手術できないと言っているらしい。
 でもね、父はボケていて、そんなこと言ったって分からない。
 「本人の意識ははっきりしているんだから・・・」という声は聞こえたんですが、良い返答はなかったようです。
 結局、色々調べてから、だから、今すぐ手術、というわけではない。その間に姉が帰って来てくれるから、と話がついたようです。

 それにしても・・・・ねえ。
 じゃ、私が父一人子一人だったら、どうなるんだろう。
 唸り続けて命を縮めることを、国は奨励する、のだろうか。

 とにかく色々な痛み止めを講じてもらって、どうにもならず、今回は診療所から救急車で病院に直行。
 病院に着いてからも、初めての経験だったMRIも含めて、色々な検査、痛み止めの薬、とやっているうちに、朝方から苦しんでいたのが、やっと夕方に収まりました。
 八時を過ぎて、最後の点滴が12時頃終わるそうです。

 情けないものです。
 己が身体のことにかまけて、今日は天下国家のことを語ることは遂になかった・・・なんてね。

 身体は何ともなくったって、NHKの七時のニュースはノーベル賞ばかりで、シナを持ち上げることも尖閣諸島のことも、なかったなあ。当たり前、か。
 NHKは天下国家のこと、なんて論じませんからね。反日だから。
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