CubとSRと

ただの日記

まず、何をする

2020年05月09日 | 心の持ち様
2013.08/08 (Thu)

 何もできない時。
 解決のための具体策、乃至特効薬的な対応策がない時。
 一体どうしたら逆境を撥ね退けることができるのか。

 また、先日は「失言」と喧伝される、意図的な誤報道(偽詐報道と言うべきでしょうか)がありました。説明も、弁解も聞く耳持たず、で世界中に広まりました。
 「政治家なんだから、もっと言葉には気を付けてほしい」
 とか
 「中韓だけでなく欧米の心まで逆撫でしてしまった」
 とか
 「取り返しがつかない。総理共々辞任すべき」
 とか。

 バッカじゃなかろうか、なんて思ってしまいます。だってそうでしょう?
 「じゃあ、どうしたらいい?」ってことを一言も言ってないんですから。
 あるのは「困った困った」だけです。
 その次は相も変わらず「責任とって辞めろ」のオンパレード。
 辞めたら情況は良くなるのか?半年かけてつくってきた「シナ包囲網」、誰が受け継げる?

 何も解決策を示さずに、とにかく当人に「責任とれぇ~~」、ばかり。辞めたって何も好転なんかしない。なのに殆んど作り話みたいなことを殊更に採り上げて「彼があんなことをするからこんなことになった」。
 そして続けて「困った困った。どうしようもない」。
 恥ずかしいというか情けないというか。
 言うやつも言う奴だが乗せられる方も乗せられる方だ。マスメディアもだが、国民もだ。

 「脱亜論」を読んだって、「そうだその通りだ!」と言う人はいますよ。
 で、どうするんです?絶交する?それも良いでしょう。
 その分、投資したものは返ってきませんよ?大変な損失ですよ。日韓併合(植民地ではない)時の投資を思い出してください。返ってきました?それどころか最近だって、盗んで行った物だって「返さなくていい」なんて裁判所が判決出してる。全く「さっぱりわからない」。
 日本の製品がなければ、技術がなければ、成り立たないけど、彼らは「成り立たないから降参!」って言いますか?
 それどころか粗悪品つくって、売り捌き、文句が出たって知らん顔してるでしょう?新幹線のこと、忘れた人はないでしょう?彼の国は今でも「国産だ」、って言い張ってますよね。
 つまり「そうだ、その通り。絶交しよう」、じゃどうにもならない。詰将棋のように、詰めていくしか手がない。

 「脱亜」とは具体的にどうすることなのか。
 それは国民すべてが中韓を相手にしない、という事です。
 「中には良い人もいるから、決めつけるのは~」なんて言ってたら、「脱亜」にならない。「良い人は別枠」、と国民が同じ価値観を持てばいいだけのことです。

 以下は三年前の正月に書いた日記(2010年1月10日)です。

 隣国の虚仮威しはいずれ見破られ、冷笑されるだけになる。
 しかしこちらだって、勇ましいこと言ってるだけじゃ何も変わらない。
 何かを変えるには、たとえ笑われても、貶されても、これと決めた考えを、一途に突き進むしか方法はないんじゃないでしょうか。
 示威行動より、共感を持たれる行動を日々淡々と行うこと。それで、共感する人を一人でも二人でも増やすこと。これなら私のような臆病者にもできます。
 
 「脱亜論」「痩せ我慢の説」。今こそ必要な時です。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   「まずは生兵法(なまびょうほう)」  2010年1月10日

 昔、福沢諭吉が、知人の軍学者を訪ねた時のことです。
 まあ、幕末当時の軍学者、といえば、今の軍事評論家、とはちょっと違って、国の在り方から、外交、政治、軍事等、色々なことに詳しくて、よく言えば啓蒙家、悪く言えば煽動家。その分、熱心な信者もいれば、論敵もいて、命を狙われるおそれもあったのだそうです。

 さて、諭吉が部屋に入ると、床の間に、刃渡り三尺を優に超えるであろう大刀があった。
 普通の刀は刃渡り二尺二寸から二尺四寸(66センチから72センチ)です。三尺(90センチ)を超える大刀、というのは、腰にした状態から抜く、ということになると、相当な修練が必要です。

 驚いた諭吉が、「これを遣えるのか」と聞くと、軍学者は「何、用心のためだ。これを置いておけば、そう簡単には誰も手を出すまい」と笑って答えた。
 それを聞いた諭吉は「そうか」と頷いて、その刀を手にし、続けざまに二、三度、抜刀、納刀をやって見せた。
 その刀捌きに、軍学者が驚いて何も言えずにいると、「この程度(自分の腕前)では、とても、実際の時には遣えない。却って、危険だから、貴殿は片付けられた方が良かろう」と、忠告した。

 実は、福沢諭吉は立身(たつみ)流という居合い(抜刀術)を、豊前中津藩藩士時代から修練しており、記録から見る限り、かなりの腕前だったようです。
 立身流自体は定寸の刀(二尺四寸前後)を使いますから、三尺の刀を抜き差しするということは、おそらく初めてのことだったでしょう。その刀を少なくとも雑作なく(自然に)扱って見せた。相当な技量です。

 当然、諭吉はこう言いたかったのです。
 「普通の刀でさえ、満足に、遣えない者が、これ見よがしのことをすれば大怪我をする。」
 身の丈に合わぬ大法螺を吹くのはやめろ、と言いたかったのかもしれません。

 「まずは、確実に、こつこつと正しい取り組みをしよう。そうすれば、分からないことも少しずつ分かるようになり、できなかったことも、少しずつ、できるようになる。」
 「できないことがあっても、焦っていることを外に見せず、こつこつと、ひたすら努力し続ける。」
 「痩せ我慢の説」で勝海舟、榎本武揚を批判した諭吉の考えがここに見えます。
 
 この軍学者は、確かに、この幕末を余りにも大拍子(大雑把)に生きている。自分の命はもっと大事に考えなければ。
 いや、現代も同じだ。この軍学者と同じく啓蒙の姿勢は必要だ。同時に、そこには煽動家の側面もある。
 そして、諭吉が武術修業で身に着けた「焦っていても外には見せず、ひたすら精進を続ける」姿勢。

 初めは「生兵法」でしかありません。格好だけです。でも、それは仕方がないことです。格好だけで中身がないのを、気にして焦る。焦りながら、外には見せず、こつこつと努力をする。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 国政に於いては、パチンコ屋じゃあるまいし「一発逆転」を狙うなんて危険過ぎます。外交に於いては特にそうです。
 長い時間かけて、じりじりと詰めていく。
 そして、すっかり脚本が出来てから、「私は神輿」と、思い切り芝居がかった演技をする。

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長文読解テスト(嘘つきは誰だ)

2020年05月09日 | 重箱の隅
2013.08/06 (Tue)

 もう前回ので終わりにしようと思ってたんですけどね。
 今朝の「あさズバッ!」、相も変わらず「撤回しても海外からの批判が収まらない」、なんて、やってるんです。

 「海外ってどこかなぁ~」、と思って聞いてみたら、ドイツ!ユダヤ系の人権団体。なるほど。次は?アメリカ。
 そして?イギリス、BBC。ふむふむ。
 シンガポール・・・。の一新聞社の社説。
 最後にシナ。
 でも実は、BBCのもシンガポールのも、シナの報道内で紹介されたものです。
 つまり、ですね、ユダヤ人の権力の強いドイツ、アメリカ、の話で、後は「小日本」とバカにしたくて仕方がないシナ、セットの韓の四カ国なんです、「海外」ってのは。

 でも、さらっと聞くと、何だか「世界中を敵に回しているぞ!日本、ダイジョブか!?麻生やめろ、安倍ヤメロ。このままじゃ日本は世界から孤立してしまうぞ!」と、つい思わされてしまいます。お人好し(?)の私なんかは。
 
 やっぱりこういう事って、「しつこく、がらが悪く、声の大きい方が勝つ」のだ。
 隣の大国がこれに当てはまるのは言うまでもないけれど、実は、これ、マスメディア、のことですよね?
 「しつこく(印象操作)」
 「がらが悪い(話の筋道は無視して、言葉だけを論う)」
 「声が大きい(餅は餅屋、報道は新聞屋)」

 というわけで、絶対、彼らに勝たせちゃいけない。
 どうしたら一発で「マスメディア、って変!!」って、思ってもらえるんだろうと思っていたら、例の「狼魔人」氏が昨日これについて書かれていました。

 それで、今回はそれを以下に部分転載。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「恥さらしの沖縄2大紙、麻生氏発言を「ナチス礼賛」だって」
                      ~狼魔人日記~より

            (略)

  ■ヒトラーの手口

 突然ですが、現代文の大意把握の問題です。(中学生レベル)

 問題

 次の文を(読んで問いに答えよ。

 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取りまく環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

 ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。
全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。

 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。

 憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

               ★

 問い1

 この文の大意は次のうちのどれが正しいか。

 (1)ナチの手法はすばらしいので学ぶべきだ。

 (2)ナチの手口を反面教師として学ぶべきだ。


 正解⇒(2)


 信じられないことだが、ほとんどの新聞記者は(1)を正解にした。 まさか本当に誤読するほど記者の読解力がないとは思わない。 
 どうせ読者は記者のミスリードでどうにでもできるという傲慢な気持ちが確信犯的に誤読したのだ。

 中学生レベルの読解力があれば、麻生氏はナチスを礼賛しているわけではなく否定しており、喧騒の中で議論しても無意味で、国民にとって重要な憲法改正は冷静に熟慮を重ねて行わなければ、例え良い憲法であっても一歩間違えればヒトラーの台頭でナチス誕生した危険性を警告している・・・と理解できるはず。

 「手口を学んだら」という言葉を取り上げ鬼の首を取ったように「ヒトラー礼賛」と攻撃するが、そもそも「手口」とは犯罪など悪い行動を説明する場合の否定的表現であり「手口」を礼賛と理解するのであれば、記者の国語力は中学生以下ということになる。

 問いの文で「反面教師として」の文言を挿入したが、麻生氏は講演の全体の流れから「反面教師として」は聴衆全体の共通の理解として省略したのだろう。 当日の講演会の様子を産経抄がこう伝えている。


 ▼討論者の一人として参加した麻生氏は「(憲法改正は)喧噪(けんそう)の中で決めないでほしい」と改正積極派が多い聴衆に向かって何度も繰り返している。「ナチス発言」も彼特有の皮肉な口調で語られ、場内に笑いも起きたという。ある傍聴者は、「ナチスをたたえているようにはとても聞こえなかった」と話す。

 ▼朝日新聞などが、シンポジウム翌日に一行も報じていないのが何よりの証拠である。(8月3日)>


 歪曲した読解力で全国にその名を馳せる琉球新報と沖縄タイムスの沖縄2大紙が、揃って社説で「歪曲読解力」を披瀝し、ここぞとばかりに麻生バッシングの社説で大発狂しているは爆笑ものである。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 沖縄タイムス
 社説[麻生氏発言]国際常識がなさ過ぎる
   2013年8月2日 09時10分

 <こんな非常識な発言をする政治家が、政権中枢を担っているのか。そんな思いでニュースに接した人も少なくないのではないか。

 麻生太郎副総理兼財務相が7月29日の都内での講演で、日本の憲法改正をめぐり、こう言及したという。「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」。戦前ドイツのナチス政権時代のやり方を見習え、との趣旨の発言としか捉えられない。>

  ・・・・・・・・・・・・・・・

 琉球新報社説
 麻生氏「ナチス」発言 看過できない重大問題だ
   2013年8月1日

 <麻生太郎副総理兼財務相が講演で、憲法改正をめぐり戦前ドイツのナチス政権時代に言及する中で「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と述べた。
 当時、世界で最も民主的で先進的といわれたワイマール憲法を現在の日本国憲法になぞらえて、改憲の必要性を説く中で出た言葉である。
 麻生発言の向こう側に、ワイマール憲法破壊後に戦争に突き進んだナチス政権と、憲法を改正して国防軍創設などを目指す自民党、安倍政権の姿勢が重なって見えると言ったら言い過ぎだろうか。>

 誤読で火付け役になった共同通信も恥ずかしいが、ろくに検証もせず付和雷同した琉球新報、沖縄タイムスはもっと恥ずかしい。

 沖縄の言論界を牛耳る2大紙がこの体たらくでは、県民として恥ずかしい限りだが、弁護士を自称するこのお方もこの程度の読解力である。

 あぁ、恥ずかしい。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 照屋寛徳ブログ⇒麻生副総理の「ナチス」発言を糾す

 麻生副総理の「ナチス発言」については、即座に中国、韓国、ドイツから強い批判が上がった。国内でも同様である。
 麻生副総理は、昨日になって発言を撤回したが、形式的である。撤回して許される発言ではない。

 麻生副総理には、大臣として、いや政治家として資格はない。即刻辞任すべきだ。>

  ・・・・・・・・・・・・・・・
 (同じ弁護士でも「布令弁護士」と本物の弁護士では読解力の差は歴然)

 橋下氏⇒麻生氏発言を擁護「ちょっと行き過ぎたブラックジョーク」

 読解力のない布令弁護士の照屋氏は「ナチスの手口」を「ナチス礼賛」と理解したが、読解力のある橋下氏は麻生氏の「ナチスの手口」発言を、【反面教師】と捉えている

 念のため反面教師の意味をネット辞書で調べてみるとこう説明されている。

<悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。それを見ることで、反省の材料となるような人や事例。その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つのでいう。>

                   (以下略)
  
http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/809d3e7940f7e50e5ee...

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 つけられていたコメントにも大変考えさせられるものがありますので、是非「狼魔人日記」ブログを御覧ください。
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「博士の独り言 II」から

2020年05月09日 | 重箱の隅
2013.08/05 (Mon)

 昨日、島津博士が記事を挙げられていたので、部分転載します。

 アサヒ新聞からの転載部分はここでは省略しますが、私の前回の日記に全文を転載していますので、面倒でしょうけど、そちらを御覧ください。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
  「麻生副総理の発言について」

  ▼ 平成25年8月4日の稿

    麻生副総理は冒頭で「否定」

 メディアが騒然としている“麻生発言”についてどう思うか? とのご質問を何人かの方からいただいています。下記に動画(発言)を参照させていただきますが、メディアが取り上げている「僕は今」の(問題)部分の前に、麻生副総理は次の言葉を配しています。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (動画(音声)から、以下引用)

 ちょっとみなさん落ち着いて、我々を取り巻く環境とは何なんだと。この状況をよく見てくださいという世論というものの上に、憲法改正とは成し遂げられるべきなんだと思う。そうしないと間違ったものになりかねないと。ということは僕はね最後に(みなさんに言いたい)。

 (以下にアサヒ新聞からの転載がありました。私の前回の日記を御覧下さい)


   「副総理発言は「ナチス憲法」化へのプロセスの否定」

 いわゆるメディアが「失言」と引用している部分には「ナチス憲法」が登場しますが、副総理発言は「ワイマール憲法」→「ナチス憲法」のプロセスを否定するものなのか、肯定するものなのか、との疑義は、すなわちこの前段の文言で明らかな「否定」と聴き取ることができます。

 つまり、メディアが問題にしている「手口学んだら」との文言は、ナチスの手口を学んだらとの意味ではなく、そこから「(ナチスの)手口(から、有ってはならない教訓を)学んだら」と言っているものと解釈できます。
 日本語を淡々とたどればそうなります。

 ただし、シンポジウムの中の話で「ナチス」を引用した唐突性を含めて、誤解を招いたとして副総理は陳謝しておられる。
 朝日新聞が引用する「話の部分」を殊更に取り上げて「失言」であるかに、メディアが大報道する。この支那伝統の切り貼り写真のごとくの、言葉の「トリミング」の手法はかねてからメディアが特技として来たことです。

 今も敬愛して止まない中川昭一氏も年中やられていました。口語ですから、当事者にとっては幾分かの舌足らずの場合は有ると思います。
 しかし、脈絡からすれば、どうということもない、そうした発言の中から「潰し」に“使えそうな”部分を取り出して報道し、鬼の首でもとったかのように世界中に垂れ流す。

 これほどの「日本の恥」はありません。これからも同様の事例は有るでしょう。 その都度、良識にとって重要なことは、「脈絡」を淡々とたどってみることです。 以上、簡単で恐縮ですが、一言メモさせていただきます。
 
  ----------

              (以下略)


    http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2092.html
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一度は、ちゃんと読みましょうよ

2020年05月09日 | 重箱の隅
2013.08/04 (Sun)

 今朝、「サタズバッ!」録画しておいたのを、夕方になって見たんだけど、やっぱり、原出、麻生副総理の講演の書き起こし、読んでないんですよね。
 動画でも探しゃ、テレビ局のこと、すぐ見つけられるだろうに、やらない。
 やらないで置いて、まとめられた新聞の記事を底本にしてコメントをする。

 いやいや、本当は分かってるんでしょ?知らないふりして新聞記事だけで構成した方がまとまりが良いし、インパクトもあるから、敢えて知らん顔をする。
 みの氏なんか「読解力がないから、ナチスに倣えと言ってるように見える」、なんて。
 「撤回したからそれで終わり、と言うわけにはいかない」、なんて言ってる議員もいるみたいだけど、とにかく、みんなおかしい。
 「そうとしか読めない」とか「誤解されるようなことを言うな」という人々が、議員だったり、コメンテーターだったりすることって、ホントにそっちの方が空恐ろしいことだと思う。

 アサヒは知らん顔して麻生副総理の関係部分の書き起こし全文をデジタル版に載せた。それをここに転載します。でも、これ、八月一日付ですからね。
 共同通信が報じた七月二十九日にはこの件に関しては何も書いてない。

 ・・・・、という事を念頭に置いて、そんなに長いものじゃありませんので、御覧下さい。
 「『ナチスに倣え』?、そりゃないだろう?!」という思いが新たになると思います。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」

 麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。
 
 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。
 ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。 ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。
 ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。
 なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。
 おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。
 きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。
 そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。
 『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。
 何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。
 いつから騒ぎにした。マスコミですよ。
 いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。
 だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。
 本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法(ワイマール憲法)変わっているからね。 ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
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「志士の御霊」「護国の御霊」を祀る宮

2020年05月09日 | 神社
2013.07/25 (Thu)

 あと一ヶ月もなくなったから、という事なのでしょうが。
 また、その時期がやってきました。
 選挙で圧勝したら、間違いなく行われるとの希望的観測が、いつの間にか決定事項の如くに言い募られる。
 そして、参拝は見送られるという情報が飛べば、それが飛ばしか否かの確認もなく、猛烈な批判が始まる。
 自民党は圧勝したけれど、全勝、有効投票数の全てを獲得したわけではない。

 「国民、みんなが総理の参拝を切望している!」?
 反天連も??
 当選した山本太郎氏の選挙運動を仕切った中核派も???
 党の方針を無視して勝手に応援活動をし、離党勧告されても、承服しない元総理も????(除名が正統の判断でしょう。鳩氏共々)
 「宗教的な理由から」、と強硬に反対する一部キリスト教会や、一部仏教宗派も?????

 「一人、二人、みんな」、は戦後の教育体制の申し子的な考え方です。理屈ではない。そこには感情しかない。社会観(感)はあっても、国家観は(歴史観がないから)、まるでない。
 その理屈とはいえないただの感情までも、(アメリカに押しつけられた戦後民主主義の)理屈として、我々は肯定するのが当たり前となって今に至る。
 
 たった4ヶ月前の日記ですが転載します。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  「靖國神社から世間を見る」
                  2013年3月29日

 以前に麻生総理が靖國神社に参拝するか否かと記者に聞かれ、
 「靖国参拝を政治問題にしてはならない。静謐な祈りの場であり、政治から最も遠くにあるべきところだ」
 と答えたところ、早速に左右両方から散々に叩かれたことがありました。

 シナ、朝鮮ファンなら分からないでもないけれど、何で愛国者を自称する人々にまで、「国を護るために命を捧げ、英霊となられた諸先輩に、哀悼の誠を捧げに八月十五日は参拝すべきだ。参らないというのは愛国の実(まこと)がないのだ」等と糾弾されねばならんのだ。墓地でもないのに。
 靖國神社は墓苑ではありません。お寺でもありません。神社です。
 本来は招魂社という名の英霊を「祀る」神社です。
 神社は亡くなった方を偲ぶところではなく、祈り、誓い、感謝を、赤心を以て「明かしに」行くところです。追悼、哀悼などの、「悼む」ところでも、「慰霊」、「慰める」場所でもありません。

 この点、(私は)麻生総理の考えておられることに全面的に賛成という気はありませんが、(総理、閣僚の参拝を切望される方は)何故、八月十五日に拘るのか、そのあたり、どうも赤心を以て「明かしに」行くという気持ちとは違うようです。却って靖國神社への参拝を手段にしているように感じる。
 それに、靖國神社は、本来戊辰戦争で戦死された先輩方を祀るところから始まったのでしょう?当時、賊軍とされた幕府側の武士も同じ境内に祀られています。

 八月十五日というのは、戊辰戦争以来の、数多ある記念すべき日のうちの一つではないのでしょうか?なぜ、八月十五日だけが特別視されるのか。何故、敗戦の日にわざわざ参拝するのか。
 英霊を祀る、というのなら、春季秋季の例大祭に参拝するのが当然なのではないでしょうか。春秋の皇霊祭のように。
                         
                
                 (以下は夕刻の備忘録からの転載です)

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「靖國参拝問題」で自称「保守派」から、政治家に向けて繰り返し発せられる言葉は、「国家を護るために命を捨てた英霊に対し、国民の代表として敬意を表し参拝するのは当然の義務である」というものである。

 そこでこちらも繰り返しになるが、靖國参拝問題は政治問題ではなく、国民の心の問題であり、これに「国民の代表」などという代理人は無用である、と強く主張したい。
 敬意を表し参拝するのが当たり前なのは、我々国民であって、政治家はその後ろに続く存在にすぎない。国民主権を声高に言うなら、これは国民がまさに先頭に立つべき大問題であり、政治家は主役ではないのである。

            (略)
 ここには、現代の批評病の影は全く無い。色々と考えて、政府の対応を批判して、是々非々に論じて、あれはダメ、これはOKと区別して、それから漸く腰を上げたのではない。
 そんなことをしていては、政権が弱くなる。国家が弱体化する。内部分裂を毛ほどでも匂わせれば、他国はより露骨に入り込んでくる。それが分かっているから、(英霊となられた諸先輩は)全てを飲み込んで行動されたのである。

 今、我が国は危機にある。この危機に際して、政府の大方針に賛成だ反対だと騒いでいる暇は無い。
 無能政府は既に倒した。これも繰り返し論じてきたことであるが、批判がしたいなら小声ですればいい。
 間違っても「国論を二分する」などと形容されるような手法を採るべきではない。それはそのまま日本の危機をより深刻化させるからである。

 また平和な時が来れば、思う存分に議論を戦わせればいいだろう。今は国民の団結心を見せる時である。その団結心の強さ、深さを相手に見せることが出来れば、戦争は回避出来る。もし、安物の議論に溺れて、国内が分裂していると思われれば、敵はその瞬間に攻め込んで来るだろう。
 この辺りの機微を、どれだけの国民が理解することが出来るか。それが全てを決することになるだろう。

 「秘すれば花」は芸術論ではない。
 我々日本人の生き方の指針である。
 無言が雄弁に遙かに勝ることを教えた先人の遺訓である。
 その生き方に徹することが出来れば、日本は護られる。
 それを侮れば、直ちに日本は消え失せる。

           (以下略)

      ~夕刻の備忘録~
             靖國と「秘すれば花」より
                                      2013.03.26
      http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-904.html

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  この際ですからもう一つ。

  2011.07.28の「 保守議員は『靖国参拝』を口にするな!」
  というエントリーからも。
 
            (略)

 もう一度書く。保守議員は靖國問題から離れよ!

 これは常識の問題である。仮に実弾飛び交う戦闘状態だとしよう。
 敵は間近まで迫ってきている。その時、彼等は「靖國神社を護れ!」と叫びながら、靖國神社に立て籠もるつもりなのか。 
 靖國を弾避けにして、自らはそこから応戦するつもりなのか。
 そんなことをしたら神社は格好の標的になって、焼け落ちてしまうではないか。

 本気で靖國を護りたいのなら、出来る限りそこから離れて「俺はここに居るぞ!」と敵前で踊ってみせるべきである。陽動作戦を取り、自らを囮として敵を靖國から遠ざけるべきなのである。これは全く常識の問題ではないか。
 実弾飛ばぬ言論戦、ネットを使った空中戦においても状況は全く同じである。 靖國を護りたければ、沈黙すればよい。左翼の得意技である「話題逸らし」をやって、敵を別件に誘導すればよい。そうして静かに参拝出来る環境を護るのだ。

 我々も同様である。大声で参拝を論じる必要は無い。シュプレヒコールは必要無いのである。
 雄叫びを上げる代わりに、静かに友人知人を誘えばよい。手紙を認め、「久しぶりに会わないか、待ち合わせ場所は、そうだ靖國の前にしよう」と誘えばよいのである。
 言論空間にどれほどの言説が流れているかではない、九段の駅にどれほどの人が溢れているかが問題なのである。それこそが敵の心臓を射貫く最終兵器なのである。

 靖國問題における対応においても、麻生太郎は一つの模範を示した。参拝云々を無力化させることに尽力した。
 これは安倍晋三の「曖昧戦法」と同様の効果があった。
 麻生の靖國に対する思いは、その著作に存分に書かれている。そして、その任期中にマスコミに対して最も激しい怒りを示したのは、靖國参拝を云々したぶら下がり取材であったことも忘れてはならない。
 その時に吐き捨てるように言った言葉が、全てを表している。

 「靖國は静かに祈る場所であり、政治から最も遠くにあるべき場所である」と。



コメント
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