2013.08/08 (Thu)
何もできない時。
解決のための具体策、乃至特効薬的な対応策がない時。
一体どうしたら逆境を撥ね退けることができるのか。
また、先日は「失言」と喧伝される、意図的な誤報道(偽詐報道と言うべきでしょうか)がありました。説明も、弁解も聞く耳持たず、で世界中に広まりました。
「政治家なんだから、もっと言葉には気を付けてほしい」
とか
「中韓だけでなく欧米の心まで逆撫でしてしまった」
とか
「取り返しがつかない。総理共々辞任すべき」
とか。
バッカじゃなかろうか、なんて思ってしまいます。だってそうでしょう?
「じゃあ、どうしたらいい?」ってことを一言も言ってないんですから。
あるのは「困った困った」だけです。
その次は相も変わらず「責任とって辞めろ」のオンパレード。
辞めたら情況は良くなるのか?半年かけてつくってきた「シナ包囲網」、誰が受け継げる?
何も解決策を示さずに、とにかく当人に「責任とれぇ~~」、ばかり。辞めたって何も好転なんかしない。なのに殆んど作り話みたいなことを殊更に採り上げて「彼があんなことをするからこんなことになった」。
そして続けて「困った困った。どうしようもない」。
恥ずかしいというか情けないというか。
言うやつも言う奴だが乗せられる方も乗せられる方だ。マスメディアもだが、国民もだ。
「脱亜論」を読んだって、「そうだその通りだ!」と言う人はいますよ。
で、どうするんです?絶交する?それも良いでしょう。
その分、投資したものは返ってきませんよ?大変な損失ですよ。日韓併合(植民地ではない)時の投資を思い出してください。返ってきました?それどころか最近だって、盗んで行った物だって「返さなくていい」なんて裁判所が判決出してる。全く「さっぱりわからない」。
日本の製品がなければ、技術がなければ、成り立たないけど、彼らは「成り立たないから降参!」って言いますか?
それどころか粗悪品つくって、売り捌き、文句が出たって知らん顔してるでしょう?新幹線のこと、忘れた人はないでしょう?彼の国は今でも「国産だ」、って言い張ってますよね。
つまり「そうだ、その通り。絶交しよう」、じゃどうにもならない。詰将棋のように、詰めていくしか手がない。
「脱亜」とは具体的にどうすることなのか。
それは国民すべてが中韓を相手にしない、という事です。
「中には良い人もいるから、決めつけるのは~」なんて言ってたら、「脱亜」にならない。「良い人は別枠」、と国民が同じ価値観を持てばいいだけのことです。
以下は三年前の正月に書いた日記(2010年1月10日)です。
隣国の虚仮威しはいずれ見破られ、冷笑されるだけになる。
しかしこちらだって、勇ましいこと言ってるだけじゃ何も変わらない。
何かを変えるには、たとえ笑われても、貶されても、これと決めた考えを、一途に突き進むしか方法はないんじゃないでしょうか。
示威行動より、共感を持たれる行動を日々淡々と行うこと。それで、共感する人を一人でも二人でも増やすこと。これなら私のような臆病者にもできます。
「脱亜論」「痩せ我慢の説」。今こそ必要な時です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「まずは生兵法(なまびょうほう)」 2010年1月10日
昔、福沢諭吉が、知人の軍学者を訪ねた時のことです。
まあ、幕末当時の軍学者、といえば、今の軍事評論家、とはちょっと違って、国の在り方から、外交、政治、軍事等、色々なことに詳しくて、よく言えば啓蒙家、悪く言えば煽動家。その分、熱心な信者もいれば、論敵もいて、命を狙われるおそれもあったのだそうです。
さて、諭吉が部屋に入ると、床の間に、刃渡り三尺を優に超えるであろう大刀があった。
普通の刀は刃渡り二尺二寸から二尺四寸(66センチから72センチ)です。三尺(90センチ)を超える大刀、というのは、腰にした状態から抜く、ということになると、相当な修練が必要です。
驚いた諭吉が、「これを遣えるのか」と聞くと、軍学者は「何、用心のためだ。これを置いておけば、そう簡単には誰も手を出すまい」と笑って答えた。
それを聞いた諭吉は「そうか」と頷いて、その刀を手にし、続けざまに二、三度、抜刀、納刀をやって見せた。
その刀捌きに、軍学者が驚いて何も言えずにいると、「この程度(自分の腕前)では、とても、実際の時には遣えない。却って、危険だから、貴殿は片付けられた方が良かろう」と、忠告した。
実は、福沢諭吉は立身(たつみ)流という居合い(抜刀術)を、豊前中津藩藩士時代から修練しており、記録から見る限り、かなりの腕前だったようです。
立身流自体は定寸の刀(二尺四寸前後)を使いますから、三尺の刀を抜き差しするということは、おそらく初めてのことだったでしょう。その刀を少なくとも雑作なく(自然に)扱って見せた。相当な技量です。
当然、諭吉はこう言いたかったのです。
「普通の刀でさえ、満足に、遣えない者が、これ見よがしのことをすれば大怪我をする。」
身の丈に合わぬ大法螺を吹くのはやめろ、と言いたかったのかもしれません。
「まずは、確実に、こつこつと正しい取り組みをしよう。そうすれば、分からないことも少しずつ分かるようになり、できなかったことも、少しずつ、できるようになる。」
「できないことがあっても、焦っていることを外に見せず、こつこつと、ひたすら努力し続ける。」
「痩せ我慢の説」で勝海舟、榎本武揚を批判した諭吉の考えがここに見えます。
この軍学者は、確かに、この幕末を余りにも大拍子(大雑把)に生きている。自分の命はもっと大事に考えなければ。
いや、現代も同じだ。この軍学者と同じく啓蒙の姿勢は必要だ。同時に、そこには煽動家の側面もある。
そして、諭吉が武術修業で身に着けた「焦っていても外には見せず、ひたすら精進を続ける」姿勢。
初めは「生兵法」でしかありません。格好だけです。でも、それは仕方がないことです。格好だけで中身がないのを、気にして焦る。焦りながら、外には見せず、こつこつと努力をする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国政に於いては、パチンコ屋じゃあるまいし「一発逆転」を狙うなんて危険過ぎます。外交に於いては特にそうです。
長い時間かけて、じりじりと詰めていく。
そして、すっかり脚本が出来てから、「私は神輿」と、思い切り芝居がかった演技をする。
何もできない時。
解決のための具体策、乃至特効薬的な対応策がない時。
一体どうしたら逆境を撥ね退けることができるのか。
また、先日は「失言」と喧伝される、意図的な誤報道(偽詐報道と言うべきでしょうか)がありました。説明も、弁解も聞く耳持たず、で世界中に広まりました。
「政治家なんだから、もっと言葉には気を付けてほしい」
とか
「中韓だけでなく欧米の心まで逆撫でしてしまった」
とか
「取り返しがつかない。総理共々辞任すべき」
とか。
バッカじゃなかろうか、なんて思ってしまいます。だってそうでしょう?
「じゃあ、どうしたらいい?」ってことを一言も言ってないんですから。
あるのは「困った困った」だけです。
その次は相も変わらず「責任とって辞めろ」のオンパレード。
辞めたら情況は良くなるのか?半年かけてつくってきた「シナ包囲網」、誰が受け継げる?
何も解決策を示さずに、とにかく当人に「責任とれぇ~~」、ばかり。辞めたって何も好転なんかしない。なのに殆んど作り話みたいなことを殊更に採り上げて「彼があんなことをするからこんなことになった」。
そして続けて「困った困った。どうしようもない」。
恥ずかしいというか情けないというか。
言うやつも言う奴だが乗せられる方も乗せられる方だ。マスメディアもだが、国民もだ。
「脱亜論」を読んだって、「そうだその通りだ!」と言う人はいますよ。
で、どうするんです?絶交する?それも良いでしょう。
その分、投資したものは返ってきませんよ?大変な損失ですよ。日韓併合(植民地ではない)時の投資を思い出してください。返ってきました?それどころか最近だって、盗んで行った物だって「返さなくていい」なんて裁判所が判決出してる。全く「さっぱりわからない」。
日本の製品がなければ、技術がなければ、成り立たないけど、彼らは「成り立たないから降参!」って言いますか?
それどころか粗悪品つくって、売り捌き、文句が出たって知らん顔してるでしょう?新幹線のこと、忘れた人はないでしょう?彼の国は今でも「国産だ」、って言い張ってますよね。
つまり「そうだ、その通り。絶交しよう」、じゃどうにもならない。詰将棋のように、詰めていくしか手がない。
「脱亜」とは具体的にどうすることなのか。
それは国民すべてが中韓を相手にしない、という事です。
「中には良い人もいるから、決めつけるのは~」なんて言ってたら、「脱亜」にならない。「良い人は別枠」、と国民が同じ価値観を持てばいいだけのことです。
以下は三年前の正月に書いた日記(2010年1月10日)です。
隣国の虚仮威しはいずれ見破られ、冷笑されるだけになる。
しかしこちらだって、勇ましいこと言ってるだけじゃ何も変わらない。
何かを変えるには、たとえ笑われても、貶されても、これと決めた考えを、一途に突き進むしか方法はないんじゃないでしょうか。
示威行動より、共感を持たれる行動を日々淡々と行うこと。それで、共感する人を一人でも二人でも増やすこと。これなら私のような臆病者にもできます。
「脱亜論」「痩せ我慢の説」。今こそ必要な時です。
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「まずは生兵法(なまびょうほう)」 2010年1月10日
昔、福沢諭吉が、知人の軍学者を訪ねた時のことです。
まあ、幕末当時の軍学者、といえば、今の軍事評論家、とはちょっと違って、国の在り方から、外交、政治、軍事等、色々なことに詳しくて、よく言えば啓蒙家、悪く言えば煽動家。その分、熱心な信者もいれば、論敵もいて、命を狙われるおそれもあったのだそうです。
さて、諭吉が部屋に入ると、床の間に、刃渡り三尺を優に超えるであろう大刀があった。
普通の刀は刃渡り二尺二寸から二尺四寸(66センチから72センチ)です。三尺(90センチ)を超える大刀、というのは、腰にした状態から抜く、ということになると、相当な修練が必要です。
驚いた諭吉が、「これを遣えるのか」と聞くと、軍学者は「何、用心のためだ。これを置いておけば、そう簡単には誰も手を出すまい」と笑って答えた。
それを聞いた諭吉は「そうか」と頷いて、その刀を手にし、続けざまに二、三度、抜刀、納刀をやって見せた。
その刀捌きに、軍学者が驚いて何も言えずにいると、「この程度(自分の腕前)では、とても、実際の時には遣えない。却って、危険だから、貴殿は片付けられた方が良かろう」と、忠告した。
実は、福沢諭吉は立身(たつみ)流という居合い(抜刀術)を、豊前中津藩藩士時代から修練しており、記録から見る限り、かなりの腕前だったようです。
立身流自体は定寸の刀(二尺四寸前後)を使いますから、三尺の刀を抜き差しするということは、おそらく初めてのことだったでしょう。その刀を少なくとも雑作なく(自然に)扱って見せた。相当な技量です。
当然、諭吉はこう言いたかったのです。
「普通の刀でさえ、満足に、遣えない者が、これ見よがしのことをすれば大怪我をする。」
身の丈に合わぬ大法螺を吹くのはやめろ、と言いたかったのかもしれません。
「まずは、確実に、こつこつと正しい取り組みをしよう。そうすれば、分からないことも少しずつ分かるようになり、できなかったことも、少しずつ、できるようになる。」
「できないことがあっても、焦っていることを外に見せず、こつこつと、ひたすら努力し続ける。」
「痩せ我慢の説」で勝海舟、榎本武揚を批判した諭吉の考えがここに見えます。
この軍学者は、確かに、この幕末を余りにも大拍子(大雑把)に生きている。自分の命はもっと大事に考えなければ。
いや、現代も同じだ。この軍学者と同じく啓蒙の姿勢は必要だ。同時に、そこには煽動家の側面もある。
そして、諭吉が武術修業で身に着けた「焦っていても外には見せず、ひたすら精進を続ける」姿勢。
初めは「生兵法」でしかありません。格好だけです。でも、それは仕方がないことです。格好だけで中身がないのを、気にして焦る。焦りながら、外には見せず、こつこつと努力をする。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
国政に於いては、パチンコ屋じゃあるまいし「一発逆転」を狙うなんて危険過ぎます。外交に於いては特にそうです。
長い時間かけて、じりじりと詰めていく。
そして、すっかり脚本が出来てから、「私は神輿」と、思い切り芝居がかった演技をする。