2010.11/25 (Thu)
徹底的にやられた、
「あなた方は悪くない。あなた方は騙されたのです」のメディア攻勢。
もし、貴方がそう言われたら・・・うれしい?納得する?
私が言われたとしたら、きっと、なんとも言えない、嫌な気分になるでしょう。
「悪くない」けど「騙された」のだ、と言われてるんです。お前はバカだ、と言われてるんです。
命懸けで、恐怖と闘いながら、人を殺傷するという罪悪感に苛まれながら、時には飢餓の苦しみも味わいながら、地獄のような世界を見て来た。
それが、帰って来たら、「あなたは騙されていたんです」。
ふざけるな!と怒鳴りたい。でも、周囲はみんな、自分をそういった目で見ている。時には「人殺し!」と罵声を浴びる。(小野田寛郎氏が帰ってこられた時もそうでした)
ここまでやられても、大人の心は強いものです。そう簡単には負けない。そう簡単には変わらない。いつの時代も、そうです。
今の街頭インタビューを見れば分かるでしょう。
「初めてで、いきなり何でも上手くいくわけないんだから。もうちょっとやらせてあげたら、と思いますよ。第一、あんまりしょっちゅう内閣変わってたら、他所の国から信用されないでしょ?」
一年以上、これだけ酷い目にあわされていても、まだ、こんなこという人、結構いるでしょう?(さすがに、尖閣問題で様子は急変して来ましたが。でも、支持率は30%近くある!)
戻って。
だから、これまで教えられて来た「正しい日本人の在り方」で生き続ける。
けれど、同時に、そんな生き方を「騙されたのだ」と、四方八方から言われ続ける。
「身を成り立たせている生き方のまま生きている自分」と、そんな自身に「不信感」を持つ自分がいる。
「国」を、「自分」を、信じられない親が、どんな家庭教育をするでしょうか。(家庭教育もまた、背中でするものです。)
それでも、戦前の教育を受けています。だから、「先生の言うことは聞け!」は健在です。
ちょっと付け足します。地域教育のことも忘れてはなりません。
GHQは、あらゆるものを解体しました。神道指令と農地改革は、地域教育を激変させます。神社を中心に形成されていた地域が、国家神道を廃することにより、バラバラになります。地域での教育ができなくなるのです。
世の中に不信感を持ちつつ、学校を信頼する親。これまでの国の在り方を全否定する学校。そんな中で子供はどう育つか。
やっぱり、「良い子」は学生運動にはしります。新しい国づくりのために。現状を打破するために。
60年安保の時には、「正しい生き方を疑うことなく生きる親」と、「新しい国づくりを目指す教師」によって、「前向きに一所懸命、新しい国づくり(社会主義国家)のために活動する学生」が生み出されました。
けれど、70年安保の時には、「正しい生き方で生きることしかできないにも拘らず、そんな生き方に不信を持つ親」と、「親でも間違ったことをしていれば、糾さねばならない」と言い始めた教師が学生を育てていくのです。
結果、「親を頼ることはできない(親は二重人格に見える)」、「社会は我々の望む社会主義体制ではない(学校の先生だって体制側の人間である)」、「現体制の打破が正しい在り方につながる」
そして・・・・「全てを否定せよ」となります。そうです。やっぱり、体制の打破。「革命」、です。ただし、「では、理想の世界とは」となると、はたと行き詰ってしまう。
徹底的にやられた、
「あなた方は悪くない。あなた方は騙されたのです」のメディア攻勢。
もし、貴方がそう言われたら・・・うれしい?納得する?
私が言われたとしたら、きっと、なんとも言えない、嫌な気分になるでしょう。
「悪くない」けど「騙された」のだ、と言われてるんです。お前はバカだ、と言われてるんです。
命懸けで、恐怖と闘いながら、人を殺傷するという罪悪感に苛まれながら、時には飢餓の苦しみも味わいながら、地獄のような世界を見て来た。
それが、帰って来たら、「あなたは騙されていたんです」。
ふざけるな!と怒鳴りたい。でも、周囲はみんな、自分をそういった目で見ている。時には「人殺し!」と罵声を浴びる。(小野田寛郎氏が帰ってこられた時もそうでした)
ここまでやられても、大人の心は強いものです。そう簡単には負けない。そう簡単には変わらない。いつの時代も、そうです。
今の街頭インタビューを見れば分かるでしょう。
「初めてで、いきなり何でも上手くいくわけないんだから。もうちょっとやらせてあげたら、と思いますよ。第一、あんまりしょっちゅう内閣変わってたら、他所の国から信用されないでしょ?」
一年以上、これだけ酷い目にあわされていても、まだ、こんなこという人、結構いるでしょう?(さすがに、尖閣問題で様子は急変して来ましたが。でも、支持率は30%近くある!)
戻って。
だから、これまで教えられて来た「正しい日本人の在り方」で生き続ける。
けれど、同時に、そんな生き方を「騙されたのだ」と、四方八方から言われ続ける。
「身を成り立たせている生き方のまま生きている自分」と、そんな自身に「不信感」を持つ自分がいる。
「国」を、「自分」を、信じられない親が、どんな家庭教育をするでしょうか。(家庭教育もまた、背中でするものです。)
それでも、戦前の教育を受けています。だから、「先生の言うことは聞け!」は健在です。
ちょっと付け足します。地域教育のことも忘れてはなりません。
GHQは、あらゆるものを解体しました。神道指令と農地改革は、地域教育を激変させます。神社を中心に形成されていた地域が、国家神道を廃することにより、バラバラになります。地域での教育ができなくなるのです。
世の中に不信感を持ちつつ、学校を信頼する親。これまでの国の在り方を全否定する学校。そんな中で子供はどう育つか。
やっぱり、「良い子」は学生運動にはしります。新しい国づくりのために。現状を打破するために。
60年安保の時には、「正しい生き方を疑うことなく生きる親」と、「新しい国づくりを目指す教師」によって、「前向きに一所懸命、新しい国づくり(社会主義国家)のために活動する学生」が生み出されました。
けれど、70年安保の時には、「正しい生き方で生きることしかできないにも拘らず、そんな生き方に不信を持つ親」と、「親でも間違ったことをしていれば、糾さねばならない」と言い始めた教師が学生を育てていくのです。
結果、「親を頼ることはできない(親は二重人格に見える)」、「社会は我々の望む社会主義体制ではない(学校の先生だって体制側の人間である)」、「現体制の打破が正しい在り方につながる」
そして・・・・「全てを否定せよ」となります。そうです。やっぱり、体制の打破。「革命」、です。ただし、「では、理想の世界とは」となると、はたと行き詰ってしまう。
理想の世界の「絵」は、ない。
何故なら、既に「武力革命」はコミンテルン会議により、旧路線となって久しい。
革命を達成したと思われるソ連でさえ、問題が次々と出てくるため、シナから、「修正主義」と批判される現実がありました。
対して、ソ連から社会主義を習い、実行したシナは、貧困の底で喘いでいる。これじゃ、革命をした意味がない。そのくせ、後生大事にレーニンの教えを守っているから、ソ連に「教条主義」と笑われている。
何よりも困るのは、曲がりなりにも社会主義革命を達成した筈の、この二国が、同じ思想の筈ながら犬猿の中になっていることです。
これの一体どこが「理想の世界」、なんでしょう。
「このままではいけない。社会主義革命しか途はない。体制を打破するのだ。でも、どっちが正しいのだ?ソ連か?中共か?」
当時の一部学生の気持ちを端的に表わした小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」で、作者の庄司薫は、主人公の高校生薫くんに
「僕はML主義ではない。強いて言えばMM主義です。」
と、言わせています。
マルクス・レーニン主義ではない。マルクス・毛沢東主義だ、というわけです。
親も、自身の生き方を貫きながら、その生き方に自分で不信を持っている。だから、親に全幅の信頼を置く筈の子供も、依って立つところ(親、家庭)が信じられなくなる。
「良い子」だから、「絶対正しい」筈の教師の言を受けいれたいのだが、その教師の言葉と、彼等教師の現実の生活振りに乖離がある。
誰も信じられない、何も信じられない。だから、とにかく現体制を打破するのだ!ゲヴァルトしかないのだ!
そんな中で、かろうじて「国軍」の形を残しながらも形骸化が進んでいた自衛隊と刺し違えることで、「国軍」を復活させようとした男がいました。三島由紀夫です。
でも、反応はなかった。市ヶ谷の駐屯地では若い自衛官らは三島の檄に全く賛同せず、氏を罵倒した。既に安保条約の自動更改は終わっていました。
「良い子の70年安保」と言いながら、「良い子」自体にはほとんど言及せず、GHQの施策、それにより現出した戦後日本、70年当時の親の心境など、ばかり、脱線しながら書いて来ました。
肝腎の彼等のことはいつ書くのか。
書く必要は、ないと思っています。彼等は、これらのことがもたらした必然的な結果でしかないからです。
占領統治。二度と立ち上がれないように、と言いながら、その実は、社会主義思想による革命を目指した、GHQ内の社会主義思想の持ち主による壮大な実験がなされたのです。
彼等に首根っこを押さえつけられながら、戦後日本の全ての面で主流となった社会主義思想者の八面六臂の活躍。
若狭和朋氏言うところの「GHQの追撃戦」は、彼等によって「大成功」をおさめました。
60年安保時には、まだ「生き方の指針」を守って来た親が、70年安保時には、国までも疑うようになっている。親の「感情」までもが、分断されてしまった。
その分断された親が、新しく作って来た社会は、同じく戦前の日本と訣別した社会です。70年安保時の学生は、その「分断」の不安の中で、社会主義革命を信じた。
今、世界コミンテルン会議はありません。ソヴィエトは、崩壊しました。シナは革命の国の伝統は守っていても、既に社会主義国家ではありません。共産党、という名前だけの、独裁国家でしかない。
それでも、最後のコミンテルン会議で採択された「人民戦線」戦術は、日本において実行され続けています。
武力革命、「革命は銃口から」、でなく、組織の中に入って組織を奪い取り、革命を実現させる。これが、人民戦線戦術です。
70年安保の活動そのものは消えてしまったように見えるものの、三無主義、バブル経済の影に隠れて、着実に進行してきました。
その一つの結果が民主党政権の成立なのです。
長々と書いて来ましたが、ひとまず、これで終わります。
何故なら、既に「武力革命」はコミンテルン会議により、旧路線となって久しい。
革命を達成したと思われるソ連でさえ、問題が次々と出てくるため、シナから、「修正主義」と批判される現実がありました。
対して、ソ連から社会主義を習い、実行したシナは、貧困の底で喘いでいる。これじゃ、革命をした意味がない。そのくせ、後生大事にレーニンの教えを守っているから、ソ連に「教条主義」と笑われている。
何よりも困るのは、曲がりなりにも社会主義革命を達成した筈の、この二国が、同じ思想の筈ながら犬猿の中になっていることです。
これの一体どこが「理想の世界」、なんでしょう。
「このままではいけない。社会主義革命しか途はない。体制を打破するのだ。でも、どっちが正しいのだ?ソ連か?中共か?」
当時の一部学生の気持ちを端的に表わした小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」で、作者の庄司薫は、主人公の高校生薫くんに
「僕はML主義ではない。強いて言えばMM主義です。」
と、言わせています。
マルクス・レーニン主義ではない。マルクス・毛沢東主義だ、というわけです。
親も、自身の生き方を貫きながら、その生き方に自分で不信を持っている。だから、親に全幅の信頼を置く筈の子供も、依って立つところ(親、家庭)が信じられなくなる。
「良い子」だから、「絶対正しい」筈の教師の言を受けいれたいのだが、その教師の言葉と、彼等教師の現実の生活振りに乖離がある。
誰も信じられない、何も信じられない。だから、とにかく現体制を打破するのだ!ゲヴァルトしかないのだ!
そんな中で、かろうじて「国軍」の形を残しながらも形骸化が進んでいた自衛隊と刺し違えることで、「国軍」を復活させようとした男がいました。三島由紀夫です。
でも、反応はなかった。市ヶ谷の駐屯地では若い自衛官らは三島の檄に全く賛同せず、氏を罵倒した。既に安保条約の自動更改は終わっていました。
「良い子の70年安保」と言いながら、「良い子」自体にはほとんど言及せず、GHQの施策、それにより現出した戦後日本、70年当時の親の心境など、ばかり、脱線しながら書いて来ました。
肝腎の彼等のことはいつ書くのか。
書く必要は、ないと思っています。彼等は、これらのことがもたらした必然的な結果でしかないからです。
占領統治。二度と立ち上がれないように、と言いながら、その実は、社会主義思想による革命を目指した、GHQ内の社会主義思想の持ち主による壮大な実験がなされたのです。
彼等に首根っこを押さえつけられながら、戦後日本の全ての面で主流となった社会主義思想者の八面六臂の活躍。
若狭和朋氏言うところの「GHQの追撃戦」は、彼等によって「大成功」をおさめました。
60年安保時には、まだ「生き方の指針」を守って来た親が、70年安保時には、国までも疑うようになっている。親の「感情」までもが、分断されてしまった。
その分断された親が、新しく作って来た社会は、同じく戦前の日本と訣別した社会です。70年安保時の学生は、その「分断」の不安の中で、社会主義革命を信じた。
今、世界コミンテルン会議はありません。ソヴィエトは、崩壊しました。シナは革命の国の伝統は守っていても、既に社会主義国家ではありません。共産党、という名前だけの、独裁国家でしかない。
それでも、最後のコミンテルン会議で採択された「人民戦線」戦術は、日本において実行され続けています。
武力革命、「革命は銃口から」、でなく、組織の中に入って組織を奪い取り、革命を実現させる。これが、人民戦線戦術です。
70年安保の活動そのものは消えてしまったように見えるものの、三無主義、バブル経済の影に隠れて、着実に進行してきました。
その一つの結果が民主党政権の成立なのです。
長々と書いて来ましたが、ひとまず、これで終わります。