CubとSRと

ただの日記

「良い子の70年安保」その⑤(いきなり最終回)

2020年05月01日 | 重箱の隅
2010.11/25 (Thu)

 徹底的にやられた、
 「あなた方は悪くない。あなた方は騙されたのです」のメディア攻勢。
 もし、貴方がそう言われたら・・・うれしい?納得する?
 私が言われたとしたら、きっと、なんとも言えない、嫌な気分になるでしょう。
 「悪くない」けど「騙された」のだ、と言われてるんです。お前はバカだ、と言われてるんです。
 命懸けで、恐怖と闘いながら、人を殺傷するという罪悪感に苛まれながら、時には飢餓の苦しみも味わいながら、地獄のような世界を見て来た。
 それが、帰って来たら、「あなたは騙されていたんです」。
 ふざけるな!と怒鳴りたい。でも、周囲はみんな、自分をそういった目で見ている。時には「人殺し!」と罵声を浴びる。(小野田寛郎氏が帰ってこられた時もそうでした)

 ここまでやられても、大人の心は強いものです。そう簡単には負けない。そう簡単には変わらない。いつの時代も、そうです。
 今の街頭インタビューを見れば分かるでしょう。
 「初めてで、いきなり何でも上手くいくわけないんだから。もうちょっとやらせてあげたら、と思いますよ。第一、あんまりしょっちゅう内閣変わってたら、他所の国から信用されないでしょ?」
 一年以上、これだけ酷い目にあわされていても、まだ、こんなこという人、結構いるでしょう?(さすがに、尖閣問題で様子は急変して来ましたが。でも、支持率は30%近くある!)

 戻って。
 だから、これまで教えられて来た「正しい日本人の在り方」で生き続ける。
 けれど、同時に、そんな生き方を「騙されたのだ」と、四方八方から言われ続ける。
 「身を成り立たせている生き方のまま生きている自分」と、そんな自身に「不信感」を持つ自分がいる。
 「国」を、「自分」を、信じられない親が、どんな家庭教育をするでしょうか。(家庭教育もまた、背中でするものです。)
 それでも、戦前の教育を受けています。だから、「先生の言うことは聞け!」は健在です。

 ちょっと付け足します。地域教育のことも忘れてはなりません。
 GHQは、あらゆるものを解体しました。神道指令と農地改革は、地域教育を激変させます。神社を中心に形成されていた地域が、国家神道を廃することにより、バラバラになります。地域での教育ができなくなるのです。

 世の中に不信感を持ちつつ、学校を信頼する親。これまでの国の在り方を全否定する学校。そんな中で子供はどう育つか。
 やっぱり、「良い子」は学生運動にはしります。新しい国づくりのために。現状を打破するために。
 60年安保の時には、「正しい生き方を疑うことなく生きる親」と、「新しい国づくりを目指す教師」によって、「前向きに一所懸命、新しい国づくり(社会主義国家)のために活動する学生」が生み出されました。

 けれど、70年安保の時には、「正しい生き方で生きることしかできないにも拘らず、そんな生き方に不信を持つ親」と、「親でも間違ったことをしていれば、糾さねばならない」と言い始めた教師が学生を育てていくのです。

 結果、「親を頼ることはできない(親は二重人格に見える)」、「社会は我々の望む社会主義体制ではない(学校の先生だって体制側の人間である)」、「現体制の打破が正しい在り方につながる」

 そして・・・・「全てを否定せよ」となります。そうです。やっぱり、体制の打破。「革命」、です。ただし、「では、理想の世界とは」となると、はたと行き詰ってしまう。
   理想の世界の「絵」は、ない。 
 何故なら、既に「武力革命」はコミンテルン会議により、旧路線となって久しい。
 革命を達成したと思われるソ連でさえ、問題が次々と出てくるため、シナから、「修正主義」と批判される現実がありました。
 対して、ソ連から社会主義を習い、実行したシナは、貧困の底で喘いでいる。これじゃ、革命をした意味がない。そのくせ、後生大事にレーニンの教えを守っているから、ソ連に「教条主義」と笑われている。
 何よりも困るのは、曲がりなりにも社会主義革命を達成した筈の、この二国が、同じ思想の筈ながら犬猿の中になっていることです。
 これの一体どこが「理想の世界」、なんでしょう。

 「このままではいけない。社会主義革命しか途はない。体制を打破するのだ。でも、どっちが正しいのだ?ソ連か?中共か?」
 当時の一部学生の気持ちを端的に表わした小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」で、作者の庄司薫は、主人公の高校生薫くんに
 「僕はML主義ではない。強いて言えばMM主義です。」
 と、言わせています。
 マルクス・レーニン主義ではない。マルクス・毛沢東主義だ、というわけです。

 親も、自身の生き方を貫きながら、その生き方に自分で不信を持っている。だから、親に全幅の信頼を置く筈の子供も、依って立つところ(親、家庭)が信じられなくなる。
 「良い子」だから、「絶対正しい」筈の教師の言を受けいれたいのだが、その教師の言葉と、彼等教師の現実の生活振りに乖離がある。
 誰も信じられない、何も信じられない。だから、とにかく現体制を打破するのだ!ゲヴァルトしかないのだ!
 
 そんな中で、かろうじて「国軍」の形を残しながらも形骸化が進んでいた自衛隊と刺し違えることで、「国軍」を復活させようとした男がいました。三島由紀夫です。
 でも、反応はなかった。市ヶ谷の駐屯地では若い自衛官らは三島の檄に全く賛同せず、氏を罵倒した。既に安保条約の自動更改は終わっていました。
 
 「良い子の70年安保」と言いながら、「良い子」自体にはほとんど言及せず、GHQの施策、それにより現出した戦後日本、70年当時の親の心境など、ばかり、脱線しながら書いて来ました。

 肝腎の彼等のことはいつ書くのか。
 書く必要は、ないと思っています。彼等は、これらのことがもたらした必然的な結果でしかないからです。

 占領統治。二度と立ち上がれないように、と言いながら、その実は、社会主義思想による革命を目指した、GHQ内の社会主義思想の持ち主による壮大な実験がなされたのです。
 彼等に首根っこを押さえつけられながら、戦後日本の全ての面で主流となった社会主義思想者の八面六臂の活躍。
 若狭和朋氏言うところの「GHQの追撃戦」は、彼等によって「大成功」をおさめました。

 60年安保時には、まだ「生き方の指針」を守って来た親が、70年安保時には、国までも疑うようになっている。親の「感情」までもが、分断されてしまった。
 その分断された親が、新しく作って来た社会は、同じく戦前の日本と訣別した社会です。70年安保時の学生は、その「分断」の不安の中で、社会主義革命を信じた。

 今、世界コミンテルン会議はありません。ソヴィエトは、崩壊しました。シナは革命の国の伝統は守っていても、既に社会主義国家ではありません。共産党、という名前だけの、独裁国家でしかない。

 それでも、最後のコミンテルン会議で採択された「人民戦線」戦術は、日本において実行され続けています。
 武力革命、「革命は銃口から」、でなく、組織の中に入って組織を奪い取り、革命を実現させる。これが、人民戦線戦術です。
 70年安保の活動そのものは消えてしまったように見えるものの、三無主義、バブル経済の影に隠れて、着実に進行してきました。
 その一つの結果が民主党政権の成立なのです。


 長々と書いて来ましたが、ひとまず、これで終わります。
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「良い子の70年安保」その④

2020年05月01日 | 重箱の隅
2010.11/23 (Tue)

 随分と時間がかかってしまいました。
 60年安保時の学生は、敗戦時、五歳前後の子供、それも「良い子」が中心である、と以前に書きました。戦前の教育を受けた親、の子です。

 「生き方の指針」を示され、それに倣うという形の教育を受けて、「先生は、間違ったことは言わぬもの」という、学校に全幅の信頼を置く親。
 その親による家庭教育。
 彼等はその中で、三~五歳までしっかりとした、「本来の日本の教育」を十分に受け、育ちます。そして、GHQの後ろ楯により、今や主流派となった、社会主義思想の持ち主が待ち受ける学校に入学します。
 見る見るうちに戦前からの教師を追い立て、教育界でも主流派となり、日教組を結成(勿論、GHQの後押しあり)、教育界を席捲している。そんな「場」です。
 その学校で、「良い子」は新しい「民主主義教育」を受けるのです。
 「(国を、)先生を信じよ」という親と、「国は間違っていた。新しい国は君たちがつくるのだ」という教師の、合作の成果が、60年安保の学生、となるのは、当然です。

 「これまでは間違っていた。日本は軍国主義に操られていた。悪いのは軍・天皇であって、日本は我々が(君たちが)新しく造り直すのだ」
 これが60年安保時の学生。学生でなくとも親、教師の言を素直に聞いて育った二十歳前後の若者の在り方です。

 では、10年後は、どうなるか。70年安保の時、学生は何を考え、行動していたのか。
 60年安保は昭和35年。戦争に敗れ、15年後。
 70年安保は昭和45年。戦争に敗れてから25年後。
 70年安保時の学生は、御存知ベビーブーム世代。「団塊の世代」です。
 戦後の数年間に爆発的に人口の増えた世代。学校は全国どこでも、生徒が入り切らず、どんどん増築するしかなかった時期。
 親は大正末から、昭和初期の生まれ。
 戦争の中心となり、兵士となって、一番多く死に、後は貧困の中で喘ぎながら、日本を復興させていった立て役者です。

 60年安保時の親と、70年安保時の親の大きな違いは、同じく戦前の教育を受けながらも、戦地で地獄を見たか否かにあります。
 「僅か10年」の違いなのに、その心境は、全くと言っていいほど違います。
 二十代後半で復員して来た若者が結婚して家庭を持つ。
 戦前の教育を受けながらも、戦場を経験したことで、「とにかく戦争は嫌だ」という者、「これから一体、どう生きたらいいんだ」と悩む者等が、結婚し、貧困の中で過ごすことになった「戦後の世界」。
 それは、「日本は間違っていた」というGHQの宣伝放送を、NHKが先頭になってやっていた世界です。
 国威高揚のための記事を大々的に載せていた朝日新聞が、今度は「帝國陸海軍の無謀な戦争」を糾弾する記事で、紙面を埋め尽くす世界でもありました。

 日本を信じてきた、「生き方の指針」を示され、それに倣って生きてきた。
 それが敗戦と同時にやっと復員する。眼前にひろがった世界は。
 人が殺し合う姿を見て来た。自分も、国のために、それをやってきた。殺すのも殺されるのも嫌だった。でも、国のため、みんなのために頑張ってきた。
 それが、敗戦となって帰って来たら、どうだ。
 命懸けでやって来たのに、「あれは間違いだった。悪いのは日本帝國であり、天皇であり、軍隊である。あなた方は騙されていたのだ。気の毒な人たちなのだ。」
 そう言われる。新聞にはそう書いてある。
 連日、日本軍がいかに非道なことをしてきたか、大本営がどれだけ嘘八百並べ立てて来たかという記事が載っている。
 ラジオをつければ、「真相はかうだ」のような、GHQの言うがままの放送、「日曜娯楽版」のような、反戦コント(?)番組が流れている。
 「悪いのはあなた方ではない。あなた方は騙されていたのです。全ては、国、軍隊が悪いのです。」

 ベトナム戦争に出征する時は、大歓声で送られ、撤退して帰って来たら世間の風は一変、「人殺し!」と罵られ、気が変になった米兵が数多く居たことを思い浮かべてみて下さい。あの映画「ランボー」、酷く心を病んでしまっていた主人公の姿を。


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「良い子の70年安保」その③

2020年05月01日 | 重箱の隅
2010.11/22 (Mon)

 60年安保時の学生は、「戦後教育の申し子」として、赤ん坊の生まれるところから、学習、成長の過程を大雑把に書いて置けば、と思い、そのように書きました。
 70年はプラス10年。そこまで大きな変化があるわけでは・・・・と、いい加減に思っていた、わけではないんですが。

 戦後教育、として話をするには、「日本の教育の在り方」についても書かねばならず、そうなれば、戦前と戦後を分けて見なければ、話にならない。
 また、今回(70年安保)は、学生運動の中身も、と思ったんですが、そうすると、社会主義思想の素、コミンテルンの世界会議を外すわけにはいかない。
 そして、これを書くと、今度はそれを下敷きにして、戦後の各種改革、表向きにはGHQによって行なわれた、それらを、見て置かなければならない。
 本当に収拾がつかなくなりそうです。
 まあ、これ以上に広がることはない、と思いますが・・・・・。

 さて、GHQの施策について、前回書きました。
 全部、一度は学校で、耳にされたことがあろうかと思います。
 神道指令、教育制度改革、公職追放に農地改革。
 別なところで耳にされたであろう、長子相続から均分相続へ。
 それから、ここにはあげませんでしたが、「財閥解体」。

 大概は中学校で習い、少なくとも高校では、ここに書き連ねた全てを教えられた筈です。
 そこで思い出していただきたいのですが、読んでいて違和感はありませんでしたか?これを、二十歳過ぎて、きちんと覚えて居られる方は、真面目に授業を受けて来られたから、と思います。「良い子」だった筈です。

 その時の印象と、前回の日記で読まれたのとでは、印象が随分違っていませんか。
 「民主主義国家として『生まれ変わるために』、一旦全て解体する必要があった、ということか?」
 こう思われた人は、正真正銘習われた時は「良い子」です。きっとその時は素直に、先生の話を聞いて、丸暗記して、『生まれ変わるために』などという目的にまで踏み込んで考えようとはしなかった、ということです。
 これは、皮肉めいて聞こえたかもしれませんが、事実であり、この「良い子」「優等生」が国をつくり、国を動かす。
 「良い子」「優等生」が国をつくり、国を動かす。」
 それはいつの世も同じです。(また、同じでなければなりません)

 「民主主義国家として『生まれ変わるために』、一旦全て解体する必要があったのか。なるほど」
 これは、「民主主義」を肯定したところからの発想、感想です。
 知らず知らずのうちに、「日本国憲法は、出自はどうあれ、良い憲法だ」と肯定している。日本が、自分の意志で民主主義国家になった、と捉えている(捉えさせられている)。

 でも、もしかして、こんな感想を持たれませんでしたか?
 「民主主義国家として、『生まれ変わらせる』ために、一旦全てを解体する必要があった、ということか」
 「え!?どこが違うんだ?」

 『生まれ変る』か、『生まれ変わらせる』、か。
 「そんなこと!」、じゃないんです。ここが境い目です。
 歴史は、事実と事実のつながりから筋道を見出すために学ぶ。
 その筋道は、論理として、他の事実に適用され、物事の構造、仕組みを明らかにするための光となる。
 GHQの施策を、「良い子」、「優等生」は、一つ一つ意味を知り、記憶していった。そして、その施策の目的を丸暗記した。
 けれど、意味を理解し、目的を理解し、自らの考えを持つことはしなかった。なぜなら、それは「教えられない」から、です。
 教師は、「理解すること」を望んではいなかった。「教えたことを記憶することだけ」を望んでいた。

 冷静に見ましょう。
 占領統治下にあって、占領軍の方針で、教育内容が決定された。
 その根幹は「民主主義教育」、です。
 「教育」は、学び問う「学問」ではない。教育は「教え育むもの」。
 つまり、まずは、教師のラインまで到達すること。
 それが「教育」の目的です。
 戦後教育とは、「民主主義を理解する」ことではなく、「民主主義を知り、覚えること」が目的だったのです。
 
 ごっちゃになる前に書いておきますが、民主主義をいけない、と言っているのではありません。自らが望んで「生まれ変わった」のでなく、「生まれ変わらせられた」ことに気づいていないことが、問題なんです。
 民主主義を「知ることがいけない」のではなく、「理解しようとしないことがいけない」のです。
 GHQの施策を、「自主自立の精神を持つ独立国家」ならば、見直し、理解し、日本の歴史に鑑みて、是は是、非は非として、昭和28年からは、進むべきだったのです。

 同じ事実を教えられながらも、そのことの意味を考え、理解することは望まれなかった。その事実に気付くことが出発点であり、70年安保を見直す鍵になります。

 やっと70年安保を見直す舞台装置が整ったようです。
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「良い子の70年安保」その②

2020年05月01日 | 重箱の隅
2010.11/21 (Sun)

 一回で終わるつもりが、コミンテルンの世界大会から言わなければならなくなり、GHQがどんな統治政策を採ったのか、どんな命令(強制)をしてきたのかまで、書かなければならなくなりました。
 これじゃどうなることやら・・・・。時間のある方だけ、お付き合い下さい。

 さて、日本が二度と立ち上がれないように(世界の脅威とならないように)、その、「脅威となる根を、全て断ち切ること」。
 これが、占領軍の日本統治目的です。
 池上彰氏が言っているように「最終的には、日本一国で、世界全体を敵に回して戦った」、くらい、日本は危険な国なわけです。北朝鮮どころじゃない。
 
 GHQにとって、「危険」と見えたもの。

 その1、「国家神道」
 天皇、皇室を「頂点」とする国家体制。これが一番危険だ。
 少なくともGHQはそう捉えた。「宗教と政治が手を組む」ことのおそろしさを、欧米諸国は身にしみて知っている。
 ただの利害関係でつながっていてこそ、「落としどころ」がある。
 ところが、日本は「手を組む」どころか、宗教と政治は天皇、皇室の存在により、一体となっている。こんなおそろしいものはない。
 だから、「神道指令」を出して、国家神道を廃し、「信教の自由」を盾に、一宗教、として他の宗教と並立させ、同列のもの、とした。天皇・皇室と、国民の分断、です。
 実は、日本は祭祀国家であって、宗教と政治が「手を結んだもの」、ではない。法王が国を「支配する」、という、「支配者と被支配者」の関係ではなかったのですが。

 その2、「教育」(教育改革、又は学制改革)
 表面上は、6・3・3制になっただけ、のようですが、教育勅語を否定、国定教科書も廃止、「修身」をなくすることで、生き方の「指針」教育を廃します。
 「修身」の教科書と、「道徳」の教科書を見比べられた方なら、すぐ気づかれるでしょうが、「修身」の教科書には、「手本」となる話が載せられています。
 つまり、かくあれかし、という「素晴らしい生き方」を提示する。それが「修身」です。
 対して、「道徳」の教科書には、「手本」というより、「見本(一例)」となる話が載せられています。これは「君ならどうする」、です。自分で考えさせる。
 「いいじゃないか。考える力をつけさせるんだろう?」と思うのが普通ですね。
 でも、たかが十年そこそこしか生きていない子供に、或る意味「人生の難題」みたいなものを考えさせ、自分で決定させるわけです。
 「大丈夫!シミュレーションだから」?
 
 子供の時に「見本」でなく、「手本」となるのは、大人です。その大人が、手本を示してやるからこそ、子供は大人を尊敬し、見習うのです。
 小学生だからこそ、「考えるための物差し」を持たせてやらねばならない。それは、大人の仕事です。そのために、「修身」という教科は、教育勅語と直結して存在するものでした。
 対して、「道徳」は、「君ならどうする」と、考えさせ、「みんな平等」と教える。
 「free」を「自由」と訳し、「自らに由る」責任も考慮した、明治の先人の思いを凝視せず、「自由」と「平等」を並立させたため、「権利」を強調せざるを得なくなり、「責任」を霞ませる。
 運動会で、手をつないでゴール、とか、ゴール寸前で足踏みして待つとかいった笑い話は、ここから始まります。これが「道徳」の延長です。

 その3、頭脳 (公職追放)
 神道指令を出すことにより、GHQが一番危険と考えた「政治と宗教の分断(支配者と被支配者の分断)」が成立しました。
 次に教育改革により、これまでの教育の中心となる考えを否定、禁止します。これで、次世代に「日本」を残すことが出来なくなります。「歴史の分断」、です。
 教育で、これをやる、ということはどういうことか、現在のシナ、南北朝鮮の国民の考え方を見れば分かるでしょう。国を造りかえるのは、家庭教育、学校教育をはじめとする教育の仕事です。
 GHQは家庭教育、学校教育、と、徹底的に教育を変えさせたことになります。
 たとえ占領統治下にあったとしても、ここまでされた国は近代には存在しないでしょう。言い換えれば、それだけ日本は脅威だったということになりますか。

 さて、現実に一番危険だということから、まず、取り組んだのが頭脳、思想的中枢の追放です。
 まず、国家を解体させ、教育を変えさせ、全てを新しく作り直すためには、同時に何をすればよいか。いや、何をしなければならないか。
 そりゃあ、もう、簡単なことです。これまで、各分野で中心となっていた人物を全て退かせ、新しく中心人物を据える。これしかない。
 占領統治をする側としては、自分等の言うことを100%聞く者を、それぞれのポストにつければ良い。簡単で確実です。
 勿論、それは敗戦前の日本に在っては反主流者なわけですから、追放される側から見れば、GHQに雇われた者は「裏切り者」と言える。
 言い方を変えれば、「戦後の日本は、裏切り者がつくった」とも言えます。
 「そりゃ、ひどい」?そうですね、そんな無茶な論法はない。
 主流と反主流の狭間で、苦しみながらも、日本を何とか復興させようとした人々が居たことを忘れてはならない。政治家には結構いたようです。正真正銘の「代議士」、ですね。でも、まずは、「公職追放」の中身を見て置かなければならない。

 学界、報道関係等々、国の思想的中枢、頭脳として機能していた組織には、全て戦争遂行を是とする人物がいて、当然それらのトップも戦争に協力していたことになります。だから、彼等を「辞めさせる」。
 と言っても、GHQには細かいところまでは分からない。そのため、まず、トップを辞めさせる前に、「民主主義国家をつくるために」と称して、協力者を募集します。自薦、他薦何れでも可。
 勿論、それが何を意味するのか、誰でも分かります。
 これまでの国家体制に反対する者が多く応募します。採用されていく者は、例外なくこれまでの反主流派です。
 GHQによって採用された数千人の「新しい国づくり」のリーダー達は、法外な額の給料を貰い、これまで主流派だった者をリストアップします。
 主流派でなくても、自身の学説の邪魔になる者も、ついでに、あげる。
 そのリストを遣って、GHQは主流派だった(?)人物を、「公職より追放」、とする。
 文化大革命時の紅衛兵の活動に比べれば、穏やかですが、理屈は同じです。「粛清」と言っても良いでしょう。
 この時、マッカーサーはGHQの組織員の大半が社会主義思想の持ち主だったことを知らず、採用した日本人の「新しい国づくりのリーダー」となる者の、ほぼ全てが同じく社会主義者であることを知らなかった。

 公職追放は危険を感じて追放される前に辞めてしまった者も多数あったので、絶大な成果を発揮します。これで、神道指令を出したことも、学制を変更したことも、現実に動き出すわけです。
 更に、民法では大問題、「農地改革」と「遺産相続」。
 「農地改革」は農村の解体です。別に問題はないことのようですが、これは、地主から土地を買い上げ、小作農を自作に向けさせる、平等、自由の考えで行なわれたものです。
 「結い」とか「もやい」、「惣」という互助組織が、自由、平等を手に入れることで、消滅していきます。
 結果、村を上げての大事業計画は立てられなくなるということになります。権利の主張が始まるわけですから。農村も、また、「分断」されるわけです。

 「家長制」を解体するために導入されたのが、「財産の均分相続」です。
 これにより、家長をリーダーとする、一家、一族のつながりを切ります。
 これにより、自由と平等が手に入ります。それは「協力」をできなくさせることでもあるのです。血縁の「分断」、です。

 「70年安保」時の、学生の心情を類推するために、全体の様子から、そのもととなった戦後社会のつくられ方に至る迄、で、随分時間がかかってしまいました。
 もうすぐ本題に入れる、と思うんですが・・・・。
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「良い子の70年安保」その①

2020年05月01日 | 重箱の隅
 また順番が前後しますが、以前に書いた「良い子の60年安保」の続きに「良い子の70年安保」というのを書いていました。
 前回の日記の註として、先にその一部を再掲しています。
 それで、今回は「良い子の70年安保」を掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2010.11/21 (Sun)

 60年安保に続けて書くべきところ、そのままになっていました。
 先日の「暴力装置」発言で、やっぱり書いといた方が良かったかな、と思ったり、いやいや、今がぴったり、その時じゃないかと思ったり。 
 あ、勝手を言いますが、読んでくださる方、まず、一旦、ここまで、として、先に
「良い子の60年安保」 を読んでいただければ、と思います。

 仙谷官房長官は前日にも書いた通り、70年安保時には、学生運動に加わっていた者の一人です。
 昨日は「闘士」と書きましたが、ネットでは「実は第4列、というより、弁当運びみたいなことをしていた奴だ」との情報もあり、良く言えば「仲間を救出するために弁護士になった」けど、悪意を持って言えば、「前線に立つこともしなかった卑怯者」となるらしい。
 実際、機動隊にせよ、学生運動の最前線闘士にせよ、あの時に大怪我をし、社会復帰が出来ないままに今に至っている人が相当数ある、と聞いたこともあります。

 ついでながら、大嫌いな氏を、弁護する気は毛頭ないけれど、氏の当時の在り方を否定するのは、ナンセンスと思います。
 以前に別件で書いたことがありますが、戦は兵士だけで出来るものではない。
 最前線で戦う兵士の背後には、必ず、予備軍がいます。更に、その背後には、絶大な力を持つ後方支援が必要です。

 単純に長丁場の戦いを考えてみて下さい。
 パリ・ダカールラリーのような、一ヶ月以上に及ぶ大規模なラリー。
 ドライバー、ナビゲーター、は、表面のごく一部です。必要な人は、エンジニアから、整備士、食事、健康管理、作戦監督、マネジャー、大会運営のためのサポーター等々、あげればきりがない。
 日本の相撲だって、白鵬がいくら双葉山の連勝記録に迫ったから、といって、横綱を初めとする幕内力士だけで大相撲が成り立つものじゃない。
 じゃ、それを追っ掛ける幕下力士がいれば良いかというと、それも違う。
 行司、呼び出し、床山、協会の役員等々、こちらも実際には相撲を取らない多くの人々が、御膳立てをしてくれるからこそ、「連勝の新記録は達成できるか」「土をつけるのは誰だ」、となるわけです。
 これまで裏方やってた人が、いきなり観客を湧かせる相撲なんか取れるわけもないし、力士が「明日から行司、やってくれ」と言われてできるわけは、ない。

 注目されるのは、最前線の兵士であり、幕内力士であるわけですが、実は、全体で一つのものを形成している。
 暗黙の了解があって、誰も口にしないけど、そういうことです。

 70年安保の時だって、全共闘ばかりが目立つけれど、運動は分化し、先鋭化して、日常的に「自己批判」が「強制」されるようになり、(これ、おかしな物言いでしょう?)終いには、グループ内で、「粛清」まで、行なわれた。字面では、そうは見えませんが、実際には「処刑」、です。

 しかし、実は、学生運動に自然に参加させようという活動を行なうグループもあった。「民青(民主青年同盟)」がそうです。

 その民青のやり方、フォークダンスをやってみたり、みんなでハイキングに行ってみたり、という、正攻法でなく、搦め手からの参加者勧誘、という方法は、真剣に真正面から社会について考えようとする各グループから見れば、とんでもない軟弱者、日和見にしか見えない。
 けれど、このノンポリ(ノンポリシー。はっきりした思想を持たない)をも、巻き込んでしまい、学生運動にシンパシーを感じるように仕向けていく、このやり方こそ、コミンテルン世界大会の決定方針に一番近いものでした。
 「人民戦線」、の考え方、「革命は外側(暴力、武力)からでなく、内側から」、です。

 昭和20年から27年までの占領統治下、我が国は自主、自立の権利を奪われていたわけですが、その際の、占領軍は我が国に何を強制したか。
 「え?強制?」そうです。自主、自立の権利を奪われ、統治されていた、ということは、自主的な判断は何もできない(許されない)ということです。
 決定の範囲があり、その中でなら「自由」、というのは、自由でも何でもないでしょう?檻の中の自由を自由とは言わない。なら、「指示=命令(強制)」となります。

 う~む。一回で終わるつもりだったのに・・・。とんでもないことになりそうです。
                    今回はここまで、ということに。 
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