CubとSRと

ただの日記

「はだしのゲン」閲覧問題に関するその後

2020年05月10日 | 心の持ち様
2013.08/27 (Tue)

 昨日、やっとこれに関する日記を書いたのですが、その書いている途中にニュースが流れたことは、前回の追記の通りです。

 閉架式に移動させたことが「閲覧制限」、とは何とも大袈裟な物言いでしたが、とにもかくにも旧に復した、ということで、昨日も今朝も、大方のコメンテーターは「良かったよかった」、で終わらせていました。

 まるで、「言論封殺があって、それに『市民』が完全勝利した!」と言わんがばかりの雰囲気に、70年安保闘争の頃を思い出してしまいました。
 勿論規模は全く違うし、対する大臣は一言「教育上好ましくなければ、教育上の配慮も必要だ」と言っただけなんですけどね。

 
 狼魔人氏が、今朝新しく日記を挙げておられました。
 その中で、氏は
 《松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。》
 と書かれつつも、「これからが本当の戦いだ」と看破されています。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 松江市教委「手続きに不備」
             学校側に一任

 賛否両論の情報戦争は、組織力に勝る反日サヨク勢力の勝利ということか。圧倒的なプレッシャーが市教委を動かした。

 第一段階は、反日サヨクの勝利に終わったが、注目して欲しいキーワード」が二つある。
 「手続きに不備」と「学校側に一任」の二つだ。

 つまり松江市教委が「閲覧制限」を撤回したのは、閲覧制限を不当だと反省したからではなく、手続きに不備があったからである。
 市教委は本質的議論を避けて、学校現場に丸投げをしたに過ぎないのだ。
 「戦場」を市教委から学校現場に移すことにより、実は情報戦争の第二段階はこれから始まるのだ。
           (略)
 
 松江市教委が「制限撤回」に踏みきった理由が、「手続きの不備」であり、「ゲン」の内容を検証した結果ではないことは、情報戦争が再燃することを意味する。

 松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。
 各学校長の判断に委ねるというが、普通の保護者が「ゲン」を読んで、これを自分の子どもに読ましたいと思うだろうか。
 松江市教育委員の中にも、自分の子どもには見せたくないという者がいて、それが「閉架」に繋がったと聞く。

 今後は各学校の保護者が図書館から「ゲン」を放逐するための運動を大々的に行えば、「閉架」どころか「禁書」にすることも可能になる。

 市教委が「閉架」を指導したことに逆らう学校は無いが、市教委が「各学校の自主性を尊重する」とお墨付きを与えたのだ!
 学校の判断で「閉架」どころか「禁書」にできるというのは、考えようによっては大きな前進ではないか!

 それには保護者を中心とした学校OBや有志の組織的「閉架」(禁書)要請の署名運動などが不可欠である。

                (以下略)

  学校に丸投げ!「はだしのゲン」に賛否、
                 ~狼魔人日記より~
  
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 もう一つ、冷静な目で事の経緯を産経の阿比留氏が書かれていました。
 こちらは産経ニュース「阿比留瑠比の極言御免」。一週間ほど前のものです。

 「はだしのゲン」はどんな本か      
                      2013.8.21 21:03 

 米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。

 この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態になっている。例えばこんな論調である。

 「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)

 「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)

 「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)

 どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。

 だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。

 40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。

 3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。

 「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。

 特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。

 「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」

 東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。

 朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。

 憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。(政治部編集委員)

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。」
 と書かれているが、これ、前回の日記に書いたように、共産党系の「文化評論」、日教組の機関誌である「教育評論」が後半の発行元なんだから、好みで普及したというより、正真正銘、教職員のためのプロパガンダとして、「普及」したというより「設置」した、と言う方が良くはないか。

 けれど、共産主義者の多い島根県はそれ以上に保守王国としても知られている。
 学校の図書館に日教組の活動の一環として本を置く者もあれば、県教委の「学校に一任」という決定を鶴の一声にして、すぐ閉架に、とする学校もある、と思われる。
 その際、「前半は問題ない」が、「後半は成人誌に連載されたものだから、子供が見るべきものではない」で大方は片付くだろう。

 しかし、本当の問題は、狼魔人氏の指摘通り、今度は全国の学校図書館などが対象になる、という事だ。
 今度は焦点を定めることができない。一万人程度の署名ではどうにもならない。燎原の火の如くに、各学校で「閲覧反対」の声が挙がれば、色々な「戦後レジーム」から脱却する切っ掛けになるかもしれない。

 靖國神社の閣僚参拝と同じようなものを感じる。
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「はだしのゲン」

2020年05月10日 | 心の持ち様
2013.08/26 (Mon)

 「はだしのゲン」について、一度は日記を書こうと思っていた。
 しかし、肝腎なことは疾っくにネットに出ている。

 初出の「少年ジャンプ」では人気がなく、一年余りで連載終了になってしまったらしいこと。
 ところが、出版社を換えて掲載は続けられ、遂に全十巻の大作となって、一千万部が売れ、全国の公立図書館、学校図書館などに置かれ、今や「反戦マンガの名作」と讃えられるようになっていること。
 当時の松江市民の一人が、その表現の過激さから、
 「子供には刺激が強過ぎるから、自由に閲覧できる『開架』から、申請(申し込み)のあった時に貸し出す『閉架』の方に、本を移したらどうか」
 と提案したこと。
 図書館で協議の結果、一理あり、として閉架に移すと、ネットの威力、それを聞きつけて全国から「教育等の言論封殺だ。表現の自由の侵害だ」、との声が届き始め、すぐに一万人もの「閲覧制限反対」の署名が集まり、図書館も市も、もう一度閲覧を自由にするかどうか話し合う事になったこと、等々。

 これらのことについては多くの方が詳しく書いておられるので、書くまい。
 例によって「狼魔人日記」や、今回それに転載されていた「依存症のひとり言」ブログ、それに「反日勢力を斬る。イザ!」等、資料として、また、考え方としても足下にも及ばない私としては、「そちらをご覧ください」と言うしかない。

 というわけで、いつものことながら、私の思ったことを。

 ちょっと調べてみたら、「はだしのゲン」は1973年から75年までの一年と数か月、「少年ジャンプ」に掲載された、とある。
 当時の少年ジャンプ、というのは、大変人気のあった週刊の少年漫画雑誌で、毎週の読者投票の結果、獲得票の多い順に掲載されることが決まりだったそうだ。
 つまり、人気がなくなるとどんどん後ろに回され、遂には中途でも連載中止になる。
 だからジャンプに掲載される漫画家は、毎週戦々恐々としていたわけだし、その分、担当者との打ち合わせにも熱が入り、作品は作家と編集者の共同作品とも言えるくらいのものだったという。
 主人公がいつの間にか片隅に追いやられ、脇役がいつの間にか主役になる、というのは、だから特にジャンプに於いては当然のことだった。
 まあ、その分、小説なんかと同じく、人気があるから、と言って、二度、読もうという気にさせるものは少ない。

 「はだしのゲン」は初めこそ巻頭カラーだったりしたみたいだが、いくらもしない中に巻末の方に、それも最下位辺りが定番となった。いつ、打ちきりになってもおかしくない状態だ。

 その頃、私は学生だったので、連載を同時進行では見ていない。たまたま数回見る機会があったくらいで、その時もあまりまともには読まなかった。
 今、もう作者は亡くなっているのだし、反戦、反原爆のマンガを「悪い」という気は全くない。だから、悪口を並べ立てる気はない。
 のだけれど、でも、思いは正直に書いて置かねばなるまい。

 十年ほど前、偶然に機会があって、パラパラとめくってみたことがある。
 「あれ?おかしいぞ。間違ってるぞ」などと思うより先に「何とも悪意の籠ったマンガだな」と腹を立てた覚えがある。こんな酷いマンガだったろうか。
 絵が上手ではないということは、連載開始時(学生の頃)から思っていた。それは仕方がないし、それだって読者の好みだ。
 けれど、少年漫画に、ゴム人形の首を引き抜くように斬首の場面を描き、女性の陰部に一升瓶を突っ込む、妊婦の腹を引き裂く、などの行為を日本軍が行った、という事を、マンガではあってもそれを「真実だから」と描く少年漫画がどこにあるか。
 ましてや、「三光作戦」など日本軍が行ったことは、ない。行ったことがないものを、「真実だ」として子供に伝えることは、一体何を意図してのことなのか。

 ところが今回の日記の初めにちょっと書いたように、それらの残虐シーンは、「ジャンプ」での連載以後、共産党の雑誌や、同じく日教組の雑誌に掲載されるようになってから、のことらしい。
 つまりこれは「大人の読者対象のマンガ」となってから、というわけで、それなら納得もできるわけだ。
 共産党の、後には日教組組合員の思想に基づくマンガであって、廃帝・反皇室を唱える立場からなら、何もおかしいことではない。
 確かに詐話であろうが何だろうが「言論の自由だ。表現の自由だ。マンガじゃないか。論文書いてるんじゃないぞ。何を目くじら立てて怒ってるんだ」という逃げ道がある。

 実に狡いやり方だけれど、プロパガンダ、オルグ、という事なら、身内の問題で終始すればよい。問題は、「マンガじゃないか」と言いながら、公立の図書館に置くことだ。これは身内同士の問題どころか、「国を背負って立つ次世代の若者」に対する宣伝活動、洗脳工作そのものではないか。
 もっと単純に言えば、「成人向け(18禁)マンガ」を「表現の自由だ」、「親子で話し合うべきだ」から、「図書館で自由に閲覧させよ」と強弁しているのと同じだ。
 実際、「はだしのゲン」、5巻からは「成人向けマンガ」として描かれているのだから。
 でしょう?掲載された「市民」、「文化評論」、「教育評論」、なんて雑誌、「言論の自由だ!」って言って、子供が読みますか?子供に読ませますか?

 だけど、そういうことは新聞には欠片も書いてない。
 「一巻から十巻まで全部通してこそ平和教育であり、目を背けたくなるようなことことからも目を逸らさせない。これこそが本当の教育だ」、みたいな論調で終始している。
 けれど、熱光線に焼かれ、皮膚と衣服が熔けてくっついてしまったのを見るのと、強姦、虐殺、悪ふざけにしか見えない斬首の絵を見ること、の、どこが同じ「教育」なのだろう。
 「はだしのゲン全十巻」、というのが、いけないのだ。これがいつもの「誤魔化し」なのだ。
 「4巻までは開架で。以降は成人指定」。これが三方一両損。


 蛇足ながら。
 私はこの作品も、作者も好きではありません。
 けれど、作者が「ジャンプ」以降の、共産党員、日教組組合員等の「日本人」の熱意に感じ、反戦の意を、平和の希求の意を、強くしていったことそのものは、尊いことだと思います。
 つまり、問題はやはり彼が収集し、読み耽った捏造、或いは偏向資料にある、ということです。大江健三郎などという偏向小説家の激賞、日教組、共産党の革命思想による「日本の否定」「蔑視」などにある、ということです。
 或る意味では、彼も国のために命を捧げたのだと思います。国のために、世界のために良かれと思い、制作を続けようとした彼の、その尊い志を台無しにしてしまった、五巻以降の編集者、関係の各資料をこそ、憎みます。


 追記
 八月二十六日、再度の会議が開かれ、「閲覧制限」は撤回されました、とのニュースが流れました。
 騙されないで下さい。閲覧制限など初めからありません。単に閉架式の分類に移動させただけで、「申し出れば閲覧できる」、となっていたのです。
 これを以て、今度は松江市教委を非難する声が挙がったとしたら、それこそが、彼らの思う壺、です。行動を起こしたのは松江だけ、なのですよ?

 「『閉架の棚に置くべきでは?』と言った、たった一人の素直な気持ちが、今、日本人に考える切っ掛けを与えたのだ、次はうちの町で考えるべきではないか。」
 そう思うべきではないでしょうか。
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一歩引いて「見る」

2020年05月10日 | 重箱の隅
2013.08/29 (Thu)

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(腐敗の温床「石油派」を討て)
                               2013/08/29 (木) 7:54


 「読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声」
 の欄に、宮崎氏と読者のこんなやり取りがありました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (読者の声1)
 安倍首相が靖国神社を八月十五日に参拝しなかったことについて、櫻井よしこ氏ら保守派から非難が集中していますが、宮崎さんは沈黙していますね。
 この件は如何ですか?
  (JJセブン)


 (宮崎正弘のコメント)
 「沈黙」しておりませんが、批判もしておりません。
 ただし直前に安倍首相は松陰神社に参拝しています。「これが国民へのメッセージだ」と小生は書きました。
 
 また日本の精神力の回復のために重要なことを静かに安倍首相は行動しています。
 まず春先に硫黄島へ行きましたね。滑走路の下に数万の遺骨が眠っていて、そのうえにアメリカ軍が故意に滑走路を敷設したのです。いまも怨霊の声が聞こえると言います。
 安倍さんは硫黄島訪問のあと、8月21日に、この滑走路の移設を決断、それを表明し、平成26年度予算から組みます。

 また自衛隊のジブチ駐屯地を訪問し、海賊退治への国際貢献に奮闘する自衛隊員を励ました。
 こうした一連の行動軌跡を追えば、あちこちで歴代総理が手を付けなかった慰霊と国軍化への筋道を明示しているのではありませんか?

 政治家とは理想と現実のギャップを埋めていくのが仕事であり、改憲へのステップ、自衛隊の国軍化、教育現場の改革など一歩一歩の努力を評価せずにはおられません。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 以上は今朝のメールマガジンで拝見したものです。

 一方では謗られ、また一方では褒め称えられる。「この人しかいない!」と大きな支持が寄せられたかと思えば、翌日には「売国奴!」「弱腰」「アメリカのポチ」と叩かれる。全く以て政治家とは因果な仕事です。

 この因果な仕事を何のために選ぶのか。地位か。名誉か。それとも金銭か。
 そうとしか思えない人も過去にはいましたね。
 ちょっと振り返ってみただけでも・・・です。

 しかし、宮崎氏のこの言葉は大事なことと思います。

 「政治家とは理想と現実のギャップを埋めていくのが仕事」
 であって、それには
 「一歩一歩の努力」
 が必要なのだ、と。

 今、やっていることが、
 「一時期のパフォーマンス」
 でしかないのか、それとも
 「理想と現実のギャップを埋めていく」
 という作業の一つなのか。

 一歩引いたら見える時もあります。
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またまた取り急ぎ。

2020年05月10日 | 心の持ち様
2013.08/16 (Fri)

 「ぼやきくっくり」さんの
 RKB「中西一清スタミナラジオ」からの書き起こし
 、というのから転載します。
 青山繁晴氏が中西氏の電話インタビューに答えるという形の放送から。
 
 先に簡述しておきますが、八月十五日(あちらでは8月14日)を、「VJ Day」って言うんだそうです。
 「Victory over Japan Day」ってことだそうです。「日本に勝った日」。

 ところが青山氏、ニューヨークにあって、手当たり次第に、政府当局者からタクシー運転手、レストランのウェイターと、その日のことを聞いたんだけど、全く関心がなかったんだそうです。
 そんな風に過去より今、今のことにこだわる実際の世界に比べ、中韓は外交のツールとして70年前のことに未だに拘り続けている。
 それは世界の非常識なんだ、そんな国は他にないんだ、ということを話されています。
 
                         では、部分転載です。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
               (略)

 中西一清
「それは強く感じますねぇ」

青山繁晴
「はい。同時に、このVJ Day、日本に勝った日だよってことをみんな、ほとんど意識してない、忘れてるってことは、逆に言うと、あるいは、違う面で言うとですね、何が事実だったかってことをたとえば、アメリカ人ももうよく知らないってことなんです」

中西一清
「うん」

青山繁晴
「で、よく知らないっていうことはいわば、真空地帯であって、その真空地帯の中で、いや、その、『従軍慰安婦』ってものがいて、それはsex slave、性の奴隷にされてたんだと、いう話をされると、他のことを知らないから、そのことだけを信じて」

中西一清
「ああー、はい、なるほどね」

青山繁晴
「えー、日本てのはそういうひどいことをしてるのかって話になってしまうわけですね」

中西一清
「何か現代のことのように思われるわけですよね、きっとね」

青山繁晴
「現代のことのように思われる雰囲気、の場合もあります。おっしゃる通り」

中西一清
「ねえ」

青山繁晴
「で、そういうことによって、何が起きてるかというと、今回も、ニューヨークのその、経済界の人に、ところで、Your Prime Minister Shinzo Abe、安倍総理は、Revisionist、これ、リビジョニストっていうのはですね、えー、たとえば、その、第二次世界大戦の歴史を全部覆して、えー、もう一回全部見直して、東京裁判もやり直そうと。東京裁判、は、不公平な面もちろんありますけれども、それもう歴史の一コマですね。ところがそれを掘り返してやり直そうとしてるらしいねっていうように言われるわけです。で、これは大いなる誤解ですけれども、えー、むしろそういうことを、作るために中韓が、その、8月15日、の、周りのことを、周辺のことを、外交の道具として使ってるっていうように僕らは知るべきです」

中西一清
「そうですね」

青山繁晴
「その上でですね、その上で、今回その、話をもう一回最初に戻しますと、日本が、秋にも、発足させていく国家安全保障会議について、韓国出身の、アメリカのコロンビア大学の教授、と、先ほどまで、議論をしてきました。えー、この人は女性で、スー教授っていうんですけれども、だいたい小学校ぐらいまで、その、韓国にいて、そのあと、アメリカにお母さんと一緒に引っ越してきて、えー、そして苦学して、その、アメリカの国家安全保障会議で、重要な役割を果たしたって人なんですね。で、その人が、えー、今の安倍政権について、何を言ったかというと、とにかく日本には強くなってもらわなきゃ困るんですと。なぜかというと、8月のニューヨークは9・11を思い出すし、それからアメリカは今、テロに対するハイ・アラートの状態になってる、つまり、中東の大使館をいったん閉鎖したり」

中西一清
「ありましたねー」

青山繁晴
「はい。そしてこのニューヨークでも、僕は昨日、その9・11の、現場にもまた行ってきたんですが、そこの警備・警戒も一段と厳しくなってるわけですね」

中西一清
「うーん」

青山繁晴
「ところがこのスー教授に言わせれば、そうやってその、テロに対して意識が向かっているように見えるけれども、本当の脅威っていうのはテロリズムよりも、実は中国だと。
 中国の独裁主義と、それから膨張する軍事力、あるいは太平洋にせり出してくる、その、意図、そういうものが本当の脅威なんであって、同じ民主主義国の日本には、良い意味で強くなってもらわなきゃ困ると。
 えー、僕はそれは、経済だけじゃなくて、たとえば軍事についてもそうかと、言いましたら、もう一回言いますが、この韓国出身の、スー教授は、その通り、経済も外交も軍事も強い日本であってこそ、民主主義がきちんとアジアで、今後も続き、中国にとっても、その独裁主義や、あるいは膨張主義が、戦争を起こしたりしない抑止力になるんだと。
 だから、安倍政権のように、ある程度今後続くってことが計算できる政権っていうのは実は、アメリカだけじゃなくてヨーロッパ諸国にとっても、ありがたい存在なんだと、いうことなんです。
 えー、これは、何を意味するかというと、70年前の戦争の時にどうだったって話よりも、現在の日本が民主主義国家としていかに信頼されてるか、それに僕たちは正当な、フェアな自信を持つべきだと思います」

  ~~~~~~~~~~~~~~

  一つはここまでです。
 もうひとつは産経新聞から。

  ~~~~~~~~~~~~~~~

 実際、日本政府高官は今春訪米し、米政府高官らに首相の歴史に関する考え方を説明して回った。靖国参拝に関しては「中国の言う軍国主義化など全くない」と述べた。韓国の反発については、こんなやりとりがあったという。

 日本政府高官「そもそも日本は韓国と戦争をしていない。戦没者をまつる靖国への参拝に関し彼らに文句を言われる筋合いはない」

 米政府高官「初めて聞いた。そうだったのか…」

 続けてもう一つ。

 さらにこの産経記事にはこんな続きがあって…


 韓国は今でこそ
 「日本政府、政界や指導者の靖国参拝はあってはならない。韓国政府の立場は明確だ」
 (5日の趙泰永外務省報道官の記者会見)との見解を示している。
 だが、韓国政府が靖国問題を強く主張しだしたのは最近のことだ。

 「ハイレベルで靖国参拝に批判の声を上げだしたころ、韓国政府当局者に
 『直接関係ないだろう。なぜなんだ』
 と理由を聞くと
 『中国が反発しているのでわが国も何か言わなきゃ…』
 ということだった」
 と、外務省幹部は振り返る。


  http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1427.html


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  何か変でしょう?

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また、取り急ぎ

2020年05月10日 | 心の持ち様
2013.08/13 (Tue)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
 平成25(2013)年8月13日(火曜日)


 宮脇女史の
 宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』(扶桑社)
 という本の書評を宮崎氏が書かれているんですが、この書評の後半に、宮崎氏の「韓国の近代史早わかり」とでも名付けたい文章があって、これが見事にまとめられていて、言ってみれば「大学の講義90分で韓国を知る」みたいな秀逸さ。
 勿論、読むだけならほんの数分。
 戦後生まれのみなさん(私もです)、これは目を通しておくべきと思います。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

            (略)
            
 ▼嘗て韓国が反共を国是とした時代は過去の物語になった

 蛇足だが、個人的体験を書く。
 評者(宮崎)が最初に韓国へ行ったのは1973年、まだ朴正煕大統領のころで、一週間ソウルに滞在してあちこちを取材したが、大歓迎され、とくに有力閣僚がインタビューに応じてくれた。
 彼らは一様に流ちょうな日本語、些細で微妙な表現も日本語でなした。金泌鐘首相も完璧な日本語を喋ったのだ。

 夜の宴会で驚いたのは参加者の多くが「日本時代は好かった」というのである。かれらはまた日本の『中央公論』『文藝春秋』などを仔細に読んでいた。
 なにしろ当時の韓国は「反共」である。在韓米軍は最新の武装、38度線は緊張感がただよい、秘密のトンネルも次々と発見され、国民全体が反共ゆえに日本への依存も高かった。いや、国を挙げて親日ムードに溢れていた。
 いまとなっては考えられない状況がそこにあった。日本の保守知識人はほとんどが韓国贔屓でもあった。

 爾後、何回か韓国へ行った。儒城温泉にも、古墳群にも、釜山にも済州島にも行った。
 或るシンポジウムでは高坂正堯氏と一緒だった。その懇親会には現代グループの鄭会長も金大中も、金泳三も出席した。
 或る年の国際シンポジウムでは88年ソウル五輪を前に世界のジャーナリストが集まり、米国から来ていたボルシェグレーブ(NEWSWEEK元編集長)らとも知り合った。日本からは竹村健一、日高義樹氏らも出席していた。

 そうした日本重視政策が突如変わったのは、金大中政権からだろう。
 金大中は、朴政権時代に日本に亡命し、高田馬場にオフィスをかまえて岩波、朝日などと交流し、左翼に染まっていった時代でもある。
 彼が誘拐され、それがKCIAの仕業とわかったときに、日本のマスコミは韓国を痛罵攻撃しはじめた。凄まじい韓国批判が日本で本格化したのも、背後に米国の情報操作があった。

 そして日本の論調の変化とともに韓国は北朝鮮に理解を示すようになり、中国と国交を開くや、反共路線を弊履の如く捨てた。
 米国と距離を置く、日本のこととなるとぼろくそに批判し、反対に北京に靡いた。すなわち韓国は国を挙げて基本姿勢を中国へなびくことに決めたのだ。
 だから日本軽視は、中国重視への転換とパラレルに起きた。
 外交儀礼や国際常識を度外視しても、日本に出鱈目なことをやってのけるのは、その体内に染みついた事大主義、媚中の体質。強気に媚び、弱気を虐めるというDNAである。逆に言えば韓国がおかしなことを言い出すと、かえって哀れを誘う。


 有)宮崎正弘事務所 [メルマ!:00045206]
    
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 事大主義。
 「大いなるに事(つか)う」。大きな力に、つき従うという考え方のことです。属国意識、と言っても良いし、中韓の間だけから言えば小中華、とカッコつけて言っても良い。
 事大主義にならざるを得なかった半島国と、正義と自国の存続を中心に考えてきた日本とが、分かり合い助け合う、なんてことは金輪際ないのだと思います。
 金輪際ないのですが、引っ越しをするわけにはいかない。
 なら、どうするかというのは、この急激な変化を「見詰める」ことによって明らかにする切っ掛けをつくろうと努める、くらいしか方法はないのかもしれません。

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