2013.08/27 (Tue)
昨日、やっとこれに関する日記を書いたのですが、その書いている途中にニュースが流れたことは、前回の追記の通りです。
閉架式に移動させたことが「閲覧制限」、とは何とも大袈裟な物言いでしたが、とにもかくにも旧に復した、ということで、昨日も今朝も、大方のコメンテーターは「良かったよかった」、で終わらせていました。
まるで、「言論封殺があって、それに『市民』が完全勝利した!」と言わんがばかりの雰囲気に、70年安保闘争の頃を思い出してしまいました。
勿論規模は全く違うし、対する大臣は一言「教育上好ましくなければ、教育上の配慮も必要だ」と言っただけなんですけどね。
狼魔人氏が、今朝新しく日記を挙げておられました。
その中で、氏は
《松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。》
と書かれつつも、「これからが本当の戦いだ」と看破されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松江市教委「手続きに不備」
学校側に一任
賛否両論の情報戦争は、組織力に勝る反日サヨク勢力の勝利ということか。圧倒的なプレッシャーが市教委を動かした。
第一段階は、反日サヨクの勝利に終わったが、注目して欲しいキーワード」が二つある。
「手続きに不備」と「学校側に一任」の二つだ。
つまり松江市教委が「閲覧制限」を撤回したのは、閲覧制限を不当だと反省したからではなく、手続きに不備があったからである。
市教委は本質的議論を避けて、学校現場に丸投げをしたに過ぎないのだ。
「戦場」を市教委から学校現場に移すことにより、実は情報戦争の第二段階はこれから始まるのだ。
(略)
松江市教委が「制限撤回」に踏みきった理由が、「手続きの不備」であり、「ゲン」の内容を検証した結果ではないことは、情報戦争が再燃することを意味する。
松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。
各学校長の判断に委ねるというが、普通の保護者が「ゲン」を読んで、これを自分の子どもに読ましたいと思うだろうか。
松江市教育委員の中にも、自分の子どもには見せたくないという者がいて、それが「閉架」に繋がったと聞く。
今後は各学校の保護者が図書館から「ゲン」を放逐するための運動を大々的に行えば、「閉架」どころか「禁書」にすることも可能になる。
市教委が「閉架」を指導したことに逆らう学校は無いが、市教委が「各学校の自主性を尊重する」とお墨付きを与えたのだ!
学校の判断で「閉架」どころか「禁書」にできるというのは、考えようによっては大きな前進ではないか!
それには保護者を中心とした学校OBや有志の組織的「閉架」(禁書)要請の署名運動などが不可欠である。
(以下略)
学校に丸投げ!「はだしのゲン」に賛否、
~狼魔人日記より~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もう一つ、冷静な目で事の経緯を産経の阿比留氏が書かれていました。
こちらは産経ニュース「阿比留瑠比の極言御免」。一週間ほど前のものです。
「はだしのゲン」はどんな本か
2013.8.21 21:03
米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。
この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態になっている。例えばこんな論調である。
「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)
「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)
「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)
どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。
だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。
40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。
3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。
朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。
憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。(政治部編集委員)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。」
と書かれているが、これ、前回の日記に書いたように、共産党系の「文化評論」、日教組の機関誌である「教育評論」が後半の発行元なんだから、好みで普及したというより、正真正銘、教職員のためのプロパガンダとして、「普及」したというより「設置」した、と言う方が良くはないか。
けれど、共産主義者の多い島根県はそれ以上に保守王国としても知られている。
学校の図書館に日教組の活動の一環として本を置く者もあれば、県教委の「学校に一任」という決定を鶴の一声にして、すぐ閉架に、とする学校もある、と思われる。
その際、「前半は問題ない」が、「後半は成人誌に連載されたものだから、子供が見るべきものではない」で大方は片付くだろう。
しかし、本当の問題は、狼魔人氏の指摘通り、今度は全国の学校図書館などが対象になる、という事だ。
今度は焦点を定めることができない。一万人程度の署名ではどうにもならない。燎原の火の如くに、各学校で「閲覧反対」の声が挙がれば、色々な「戦後レジーム」から脱却する切っ掛けになるかもしれない。
靖國神社の閣僚参拝と同じようなものを感じる。
昨日、やっとこれに関する日記を書いたのですが、その書いている途中にニュースが流れたことは、前回の追記の通りです。
閉架式に移動させたことが「閲覧制限」、とは何とも大袈裟な物言いでしたが、とにもかくにも旧に復した、ということで、昨日も今朝も、大方のコメンテーターは「良かったよかった」、で終わらせていました。
まるで、「言論封殺があって、それに『市民』が完全勝利した!」と言わんがばかりの雰囲気に、70年安保闘争の頃を思い出してしまいました。
勿論規模は全く違うし、対する大臣は一言「教育上好ましくなければ、教育上の配慮も必要だ」と言っただけなんですけどね。
狼魔人氏が、今朝新しく日記を挙げておられました。
その中で、氏は
《松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。》
と書かれつつも、「これからが本当の戦いだ」と看破されています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松江市教委「手続きに不備」
学校側に一任
賛否両論の情報戦争は、組織力に勝る反日サヨク勢力の勝利ということか。圧倒的なプレッシャーが市教委を動かした。
第一段階は、反日サヨクの勝利に終わったが、注目して欲しいキーワード」が二つある。
「手続きに不備」と「学校側に一任」の二つだ。
つまり松江市教委が「閲覧制限」を撤回したのは、閲覧制限を不当だと反省したからではなく、手続きに不備があったからである。
市教委は本質的議論を避けて、学校現場に丸投げをしたに過ぎないのだ。
「戦場」を市教委から学校現場に移すことにより、実は情報戦争の第二段階はこれから始まるのだ。
(略)
松江市教委が「制限撤回」に踏みきった理由が、「手続きの不備」であり、「ゲン」の内容を検証した結果ではないことは、情報戦争が再燃することを意味する。
松江市教育委は卑怯にも「ゲン」の本質論を避け、「手続き論」で済まして問題を学校現場にマル投げした。
各学校長の判断に委ねるというが、普通の保護者が「ゲン」を読んで、これを自分の子どもに読ましたいと思うだろうか。
松江市教育委員の中にも、自分の子どもには見せたくないという者がいて、それが「閉架」に繋がったと聞く。
今後は各学校の保護者が図書館から「ゲン」を放逐するための運動を大々的に行えば、「閉架」どころか「禁書」にすることも可能になる。
市教委が「閉架」を指導したことに逆らう学校は無いが、市教委が「各学校の自主性を尊重する」とお墨付きを与えたのだ!
学校の判断で「閉架」どころか「禁書」にできるというのは、考えようによっては大きな前進ではないか!
それには保護者を中心とした学校OBや有志の組織的「閉架」(禁書)要請の署名運動などが不可欠である。
(以下略)
学校に丸投げ!「はだしのゲン」に賛否、
~狼魔人日記より~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もう一つ、冷静な目で事の経緯を産経の阿比留氏が書かれていました。
こちらは産経ニュース「阿比留瑠比の極言御免」。一週間ほど前のものです。
「はだしのゲン」はどんな本か
2013.8.21 21:03
米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。
この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態になっている。例えばこんな論調である。
「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)
「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)
「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)
どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。
だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。
40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。
3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。
朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。
憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。(政治部編集委員)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。」
と書かれているが、これ、前回の日記に書いたように、共産党系の「文化評論」、日教組の機関誌である「教育評論」が後半の発行元なんだから、好みで普及したというより、正真正銘、教職員のためのプロパガンダとして、「普及」したというより「設置」した、と言う方が良くはないか。
けれど、共産主義者の多い島根県はそれ以上に保守王国としても知られている。
学校の図書館に日教組の活動の一環として本を置く者もあれば、県教委の「学校に一任」という決定を鶴の一声にして、すぐ閉架に、とする学校もある、と思われる。
その際、「前半は問題ない」が、「後半は成人誌に連載されたものだから、子供が見るべきものではない」で大方は片付くだろう。
しかし、本当の問題は、狼魔人氏の指摘通り、今度は全国の学校図書館などが対象になる、という事だ。
今度は焦点を定めることができない。一万人程度の署名ではどうにもならない。燎原の火の如くに、各学校で「閲覧反対」の声が挙がれば、色々な「戦後レジーム」から脱却する切っ掛けになるかもしれない。
靖國神社の閣僚参拝と同じようなものを感じる。