CubとSRと

ただの日記

道の駅(目的について)

2020年05月17日 | 日々の暮らし
2015.07/08 (Wed)

 25年余り前、初めてバイクで北海道に行った。当時は「モトトレール」という名の夏季限定列車があった。

 日本海側を一晩かけて北海道に行く寝台急行「日本海」がそれで、夏だけ、「日本海」・「モトトレール」という二つの名前を持っていた。それに夏だけバイク専用の貨車をつけ、そこにバイクを留める。
 元郵便貨車だったらしい車両の床にバイク固定用のフックをつけて、センタースタンドを立て、厳重にロープで固定する。フェリーなんか比べ物にならないくらいしっかりしたものだった。
 ライダーは隣接する寝台車に乗る。夕方5時に乗車したら、以降愛車を見に行くことはできない。手持無沙汰で不安な夜が始まる。

 だからというべきか、乗り合わせ、顔つき合わせた見ず知らずの者同士は、誰からともなく声を掛け合い、数十分の後には意気投合して酒宴を開き大いに盛り上がっている。
 翌日、昼前には函館駅に到着。ライダーは四方、思い思いの方角に走り去る。
 夏、連日、大阪から函館の間で、それが繰り返されていた。

 目的は北海道ツーリングだ。仲間と一緒なら言うまでもないけど、一人だって気分は高揚している。そこにこの大宴会だ。
 だからこの大阪からの一夜は、北海道ツーリングの一番初めの、思いがけないプレゼントだったのかもしれない。

 目的がはっきりしていれば、そしてその目的が未来からの明るい光を感じさせるものならば、そこへ至るまでの道程は、また、その都度立てられる目標は同じく明るく輝いて見える。
 目的に向かい、万難を排していくために目標が立てられているのだ、と多分に肯定的に見詰め、取り組もうとする。

 北海道を一人、走る。
 25年余り前だって、道はまっすぐで高速道路みたいなものだった。地元の車は「法定速度は80キロ」、と習ったんじゃないかと思うくらいビュンビュン走っている。トラックも同じだ。だからこちらも地元ナンバーの車に合わせて後ろを走っていれば捕まることはない。

 ただ困ったことはガソリンスタンドが少ないことだった。「この先百キロ、スタンドなし」、なんて恐ろしい表示の看板が立ててあったりする。更にはいきなり工事中の深い砂利道が出現して、それが数キロに及んでいたりする。なのに工事している姿はどこにも見えない。
 そんな道をおそるおそる走っていると地元のトラックが相変わらずの70~80キロで迫ってくる。死ぬかと思う。

 もう一つ死ぬかと思うことがある。トイレがない。我慢しないで、そこらで立ち○○をすれば良いようなものだが、見渡す限りの大平原。どこから時速七、八十キロで車が現れないとも限らない。
 大国主と少彦名の勝負じゃないけれど、排泄の辛抱は気が狂いそうになる。

 そんな時(大方は、気が狂わぬように処理をした後だったけど)、草原の果て、或いは丘陵の上にポツンと建物があったりする。
 行ってみると、場面にそぐわない立派なトイレが建っている。
 誰もいない、何しろ近隣に人家は見えないのに信じられないくらいきれいで、もちろん水洗だ。時によると自動ドアだったりする。
 「これはツーリングライダーのために北海道が作ったのか???」
 本気でそう思ったことが何度もある。
 街中ではない、周囲に全く人影の見えないところに降ってわいたような立派なトイレ。こんなシュールな景色は見たことがない。

 「道の駅」というのは、「道往くドライバー、ライダーのために清潔なトイレを提供する」、というのが本旨だったんだそうだ。北海道のトイレのシュールさは、そのはしりだということをあらわしているのかもしれない。
 旅行をしていると用を足す場所がない。あっても余りの汚さに閉口することが多い。JRの前身である国鉄のトイレだって水洗であることは珍しく、トイレットペーパーなどは置いてない。ましなところでティッシュの販売機が置いてあるのが関の山、だ。
 加えて古いトイレは当然の如くに汚い。
 「国鉄」ならぬ「国道」となると、トイレなんかある筈もない。高速道路が作られ、P・AやS・Aには清潔なトイレがあると知った時は
 「さすがに『有料道路』だなあ」
 と感心した覚えがある。
 一般には交通量の多い国道に作られた「ドライブイン」で、飲食のついでのようにして「用を足す」。

 「車社会となった日本がこんなことでは、『車社会文化』の向上なんか望めない。ゴミを捨てたり、そこらじゅうで用を足すような無作法を根絶しよう」
 そうは言っても、なかなか無作法は治らない。
 「だから、まずはトイレと駐車場を整備しよう。各自治体に協力を依頼しよう。それさえできれば、あとは自治体のアイデアに任せたらいいんじゃないか」
 知恵者が、その近くに土産物屋を作ろうと言った。作ってみた。予想以上によく売れた。
 「土産物はないから、野菜でも並べてみるか」。朝採ったばかりの土のついたような新鮮な野菜は思いのほか売れた。
 初めはトイレ・駐車場の設置には大金が必要だからと難色を示していた自治体が、農家でない地元民も頻繁に利用するのを見て考えを改めるようになり、「道の駅」は急激に増えていった。
 そしていつの間にか旅行者が用を足すためだけの施設が、有力な販売促進センターとなり、地域活性化の拠点となっていった。

 本来の目的は忘れられ、すっかり外れてしまったように見える。
 では、本来の目的はどうなったのか。
 「旅行者に清潔なトイレと無料の駐車場を提供する」
 これが守られていない「道の駅」はない、だろう。「道の駅」は十二分に機能している。旅行者は当然のように無料駐車場に車を停め、時にはそこで買い物をし、用を足して旅を続ける。大袈裟ではなく、もはや「道の駅」なしの旅行は考えられなくなっている。
 こういうことを書くと「そのせいで廃業に追い込まれたドライブインはどうなるのだ」という意見も出てくる。けれど、道の駅ができたって一向に客足の衰えないドライブインだってたくさんある。閑古鳥の鳴いているような道の駅だって、同じようにある。

 目的がはっきりしていること。そしてその時々の目標が、「そこに至るため」、ということを意識していれば、そして、多少強引でも目的につながる理由付けをしっかりとしていれば、大きく道を踏み外すということはない。
 つい「是々非々」に拘泥して「木を見て森を見ず」に陥ってしまうと却って取り返しのつかないことになる。

 今、全国には千六十ヶ所ほど、「道の駅」があるという。そして、まだ増え続けている。中には道を踏み外しそうなところもあるかもしれない。
 けれど、「道往くドライバー、ライダーに必要なものは何か」を思い出せば、道を踏み外すことはないだろう。
 思い出させるのは「思い遣り」の気持ちだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金と暇と

2020年05月17日 | 日々の暮らし
2015.07/04 (Sat)

 早期に退職して七年余り。今年、遂に年金暮らしの歳になったわけだが、当然のごとくに時間はあるが金はない。
 小遣い稼ぎの才もないし、腕に職も持たない。
 潰しのきかない仕事だったんだから、職に就いている間、それなりの下準備をしていればともかく、「そんなこと遠い話」、と一向に考えもしなかった。だから、これは仕方がない。
 とにかく(ローンはたくさん残っているとはいえ)、家はあるのだから、少しずつ整理をしていってほどほどに倹約をすれば、何とかなるだろう。

 そんなつもりで、昨日は古いPCを二台、処分してもらいに電気店に行き、行ったついでに買い物をしようかと思ったが、
 「いやいや残り二万数千円、うまく使わなければ」
 、とパンだけ買って帰ろうとしたら、パン屋が休みだった。
 これは金を使うなということだろう、きっと。毎朝一合飯食ってんだから、「週の半分はバゲットを」なんてちょっと贅沢か。

 それにしてもせっかくSRで出てきたのに、このまま帰るのは・・・。
 「だったら平日だし、誰もいないだろうから」
 、と近くのダム湖の展望駐車場まで行ってみることにした。
 行ってみたら、予想に反して人がいた。休憩仮眠中のトラックらしいものまで数台。
 二人ほどいた人と話しているうちに、次々と人がやってきて段々賑やかになってくる。予想は大外れだ。

 何でも、人がいなかったのは昼食時だったからで、昔と違って日曜祝日でなくとも早朝から夕方まで大勢いるんだ、とか。
 知り合った者同士ツーリングに出たりしないんだろうか、と聞くと、それはほとんどないらしい。ただ、日がな一日集まって好きなバイクや車の話をして終わりなんだと。
 定年退職組が多いそうで、そうなると気力・体力に加えて懐具合の問題もあるんだろうか。
 「ツーリングに行く」なんて言うと、きっと家では言われるんだろうな、「何言ってんの!何かあったらどうすんの。もう若くはないのよ。お金だって要るのよ」、って。

 コペンでも、SRでも、乗ってうろうろしたいのは山々だが、先立つものが、と思うと、自然、足が鈍る。
 では、「うろうろしたい」からと言って、何かを節約してでも(例えば三度の食事を一度にしても)、出掛けたいのかというとそんな大袈裟なことではない。ただ、ふらっと出たいだけだ。「そぞろ神」が憑いたり、道祖神が強引に招いたり、ってなわけではない。
 「出掛ける」ったってはっきりした目的があるわけではないから、出掛けていたって、「楽しい」、より追い越しができなくて苛々したり、法定速度固守の車の後に大名行列を作ったり、という「やれやれ」な記憶ばかりが疲れとともに残るだけだったりする。

 だからと言って「そんな思い出ばかりになるなら行かなきゃいいんだよ」と、論点をずらされたら困る。それじゃ今の国会討論だ。「戦争なんかしなきゃいいんだよ。総理大臣は戦争をしたいんだろう。白状しろ」と言い続けている。
 ノーベル賞を取った物理学者だって「戦争は絶対いけない」と言っておいて「集団的自衛権を認めれば戦争に巻き込まれる。でも自衛のための戦いは仕方がない」と辻褄の合わないことを平気で言っている。
 想像力を逞しくして、そのくせ、対象をちゃんと見詰めようとしない。夢想を事実で証明していくのならともかく、社会の仕組みを見つめようともしないで妄想だけ逞しくする、なんてのはいただけない。

 「うろうろしたい」中身は何か。目的は何か。ちょっとでも考えて(見詰めて)やっていれば、不平の出る場はあるまい。「戦争は絶対いけない」なんて、誰だって了解している。「何故起こるか」。翻って、「どうしたら起こらないか」についてやるのが「討論」だろう。
 「ただ何となく」とか、会津の「什の掟」とは正反対の、唐突な「駄目なものはダメ!」は自虐性向でしかない。

 「コペンのトップを開けて、きれいな景色の中を走りたい」、「SRに乗って風の中を走ってみたい」
 はっきりとそう思って乗れば、それなりの準備をする。それなりの服装をする。それなりの覚悟をする。そうなれば満足感のほうが勝るだろう。
 けど何の当てもなく、となると、そうはいかない。だから「先立つものが~」と思ってしまうのだろう。
 所詮言い訳なのだ、万能の付け句、「それにつけても金の欲しさよ」、なのだ。

 「アリとキリギリス」の話の「キリギリスの生活」を、『してみたい』と思うのと、『するしかない』と思うのでは随分違うけれど、「オレはキリギリスなんだ」と覚悟して物事を見詰めるのはもっと違うだろう。
 安穏な自分の生活とか、他人への迷惑とか考える以前に、人間たるもの、何ができるか。

 ・・・・・となると、何のかんのと理由をつけて怠けていないで、まずは日記をつけること、ですね、私の場合は。見詰めようとしなきゃ、何の役にも立ちゃしない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼らが竹島に拘る理由 (後)

2020年05月17日 | 心の持ち様
2014.09/29 (Mon)

  「転載します」と書きながら、与太話だけで寝てしまいました。
 お蔭で今朝読み直してみたら、字は間違える、文は辻褄が合わない、何書いてんだ?状態で本当に冷や汗三斗。
 何とか、いじって直しましたので、よろしければ今一度御覧ください。もしかしたら今度は意味が通っているかも・・・。

 さて、また変な方向に行かないうちに転載します。小見出しは以下の題でした。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 P124より
 「中国も韓国も海洋・島には全く関心がなかった」

 呉善花氏)
 小さな島一つ防衛できないという以前に、最も大切な国土だという認識がまるで薄いわけです。
 (注。 「小さな島」→英国に占領された多島海諸島の巨文島のことを指す。) 
 韓国で最大の島である済州島についてもそうです。1876年に日朝修好条約が結ばれて対日開港となってからのことですが、古くからそうだったように済州島付近の漁場では日本と朝鮮の漁民が入り混じって操業していました。それに対して金玉均(キム・オッキュン)という高級官僚が抗議していますが、その時彼は「済州島はどこの道にも属していない」と述べています。済州島は行政的には全羅道に属している島の筈ですが、この金玉均の主張からすると、はっきりしていなかったんじゃないかと思います。
 そういうわけですから、朝鮮半島の諸国はずっと無人の小さな島なんか、まるで眼中になかったんです。韓国が竹島にあれだけ執拗にこだわるのは、竹島は「韓国が実力で日本から奪還した領土」だと位置付け、反日のシンボルにしているからです。
 北朝鮮は「対日武力戦争によって独立を戦い取った」と誇っていますが、韓国の独立は「日本から戦い取った」ものでないことが、韓国には悔しくて仕方がない。
 そこで一方的に李承晩ラインを引いて竹島を軍事的実効支配下に置くことで「日本から領土を戦い取った」実績をつくったわけです。
 ですから、竹島を領有していることは、韓国にとってはきわめて大きな誇りなんです。韓国の場合は中国とは違って、海洋への関心から竹島領有にこだわっているのではないんですね。

                                           (転載了)

          ~日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の「心の闇」より~

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「島を国土だという認識がまるで薄い。済州島にしても国土だ、という意識を強く持っては、いない。」
 なるほど。だからこそ済州島ほどの大きさだって「島」なんだから、「流刑地」としてだけ、「白丁の島」としてだけ認め、蔑視し、永らくほったらかしにしていたわけですね。
 しかし、それ以前に、実は以下のような単純な理由からなんじゃないでしょうか。
 「半島は『大陸』の一部だが、島は『島』である。大陸ではない。拠って『国土』とは言えない。」
 「事大主義」、「小中華思想」ならば、こうなってもちっとも不思議ではありません。
 日本なんかは「島の寄せ集め」でしかないんですから、「島『国』」、だなんてちゃんちゃらおかしい。
 ・・・ということなんでしょうね、きっと。

 じゃあ、なぜ竹島に関してはあんなに拘るのか。
 それがシナからの独立を記念して建立した「独立門(ドンニンムン)」を、いかにも「日本からの独立を記念して」、みたいに言ってることと直接係わっているんじゃないでしょうか。
 「誇り高き独立国である」と言いたいのだけれど、シナ、ソ連ではなくアメリカが来てくれたおかげで、再び「自力」でなく、独立国に(成った、のではなく)、「なれた」。
 でもそれは口惜しくて言えない。何しろ二度が二度ともお人好しの日本が絡んでいるわけです。(絡むどころか、日本のおかげというしかない。)何しろただの「島」に住む「蛮族」の日本です。

 お節介で、お人好しな日本が、清からの独立を、わざわざ下関条約の最初の項に明文化してくれた。
 そして、二回目は日本が敗れることによって自動的に「独立できた!」
 でも、そんなこと、絶対に認めたくない。だから何とか「自力で独立した」という証が欲しい。
 それで、一回目の「清からの独立」は「迎恩門(ヨンウンムン)」を破壊し、「独立門(ドンニンムン)を「日本からの独立の証し」として新たに建てた、みたいな風に教え込んだ。
 二回目、「併合からの独立」でなく、「戦って独立を勝ち取った」と言いたい。だから、李承晩が「対馬は我が領土!」とアメリカに頼み込んだけれど、一蹴された、というか、一笑に付されてしまった。(第一次対馬侵攻作戦はこの時にあった、ということになります)
 それならば、と引いた、妙に折れ曲がった線が李承晩ライン。
 それで人の住まない絶海の島を、韓国領と宣言した。対馬は駄目だったけど、竹島は「自力で手に入れた(奪還した)」「領土」、というわけです。
 「自力で手に入れた(奪還した)のは、我が国が独立国だからである」。
 不自然に折れ曲がった線を引いて、対馬ははずして、竹島だけ引っ掛けている。こんな小さな島、朝鮮時代には見向きもしなかったのに。地図上の線をちょっと引き違えただけなのに「自力で奪還した!」
 線一本で「島を戦って取った」。中華思想の真骨頂ここにあり、です。「せこい」とか「姑息」という言葉で形容することすらためらわれる。
 でも、これ、
 《 「百人斬り」という名称が世に出た以上、その名の下で、一人でも死者が出たならば「百人斬り」は「あった」、ということであり、百人斬殺されたかどうかは大して意味はない。つまり(?)、「百人斬殺されたのである!」 》
と似ています。
 《 「数千であろうが数万であろうが、虐殺という事実があったことが、問題なのであって、我々の心には三十万人が虐殺されたという記憶が事実となって残っているのだ。今は四十万人となっても、虐殺されたという事実(?)は消えない!」 》
 、と同じ理屈です。

 これで「竹島(独島)は独立の象徴」という意味が分かります。
 領土であることに、なんら生産的な価値はない。ただ、あの島を、線を曲げて引いただけであっても、とにかく「自国の領土」と主張することで「独立国である」、と言える。
 「共同管理にしたら良い」「あんな島、くれてやったら?」なんて言うのは、実は彼らの持っている後ろめたさを嘲笑していることにしかなりません。そして、実際に領有権を放棄することは何の解決にもなりません。それに味を占めて、「次は対馬を」と言ってくるのは目に見えています。
 やはり「そんなやり方は、独立国として実に恥ずかしいことなのだ」と彼らに教え続けるべきだ、と思います。

 彼らに迷惑を掛けられ続けるのが嫌ならば、彼らを成長させるしか手はないのですから。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼らが竹島に拘る理由 (前)

2020年05月17日 | 心の持ち様
2014.09/29 (Mon)

 呉善花、黄文雄、石平、三氏による鼎談三部作を今年の初めに入手し、みんな読みかけにして置いていたら、早くも十月になろうとしています。
 でも年が改まるまでにこの三冊はどうしても読んでおきたい。

 ということで今回は、その中から呉善花氏を主にした
 「日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の心の闇」
 から、一部転載をしてみようと思います。

 私はこれまでに何度も「物の考え方」ということについて繰り返し書き散らしてきました。それは以下のようなことを言いたかったからでした。
 「我々は日本人である。日本人は学問の有無に限らず、又、教養の程度に関わらず、国政に関して、或いは国のことに関して、発言する義務がある。」
 「権利」ではありません、「義務」です。「民主主義国家」の日本人なんですから。日本を動かし、栄えさせるのも、衰えさせるのも、日本人の仕事です。他国人にやってもらうことではありません。まずは日本人が動かねば。

 「権利」と言ってしまえば楽ですね。
 「言いたくなければ言わなくていい」、「したくなければしなくていい」。
 けど、「義務」はそうではない。「義=(唯一の)正しさ」、「務=務め」。日本人である限りは「しなければならない」。
 「そんなの、やなこった」は許されない。だから「しなくても良い」とは大違い。

 戦後、我々は権利の主張をするように、と学び、「個があってこその国、である」、と習いました。
 そして義務について声高に言うことは「軍国主義」「全体主義」だと教えられました。学校だけとは限りません。新聞であれ、雑誌であれ、です。
 「公のために」ではなく、「自身のために」。
 「まずは自分のことを考えろ」、と。
 「個があってこその国だ」、と。

 でも「個の存在」を保障するのは「国」、なんですよね。そしてその「国」は、実は「個」を縛らない。
 「国は国民がつくったものだから、国は国民の僕である」というのがその理由です。しもべである国に、主人公たる我々は守られているということになる。
 「国は主人であるべきか」、それとも「国は下僕であるべきか」。
 反対に
 「国民は主人公であるべきか」、逆に「国民こそ下僕、奴隷なのか」。
 やっぱり「国を動かし、栄えさせ、また衰えさせるのは、国民の仕事」です。
 国を立てるのも、更に、盛り立てるのも国民。よそからリーダーがやってくるわけじゃない。では、国民には何ができるか。

 個々の国民にできること。それは国に誇りを持ち、「一旦緩急あれば」国のために、懸命になって良策を考え、他の国民と力を合わせてそれを実行すること。
 我々を守ってくれる「国」、なんて本来はないのだから、逆に力を合わせて「国」をつくり、「国」自体を守っていかなければ(たとえ国が張子の虎であっても)国民は普段、国に頼ることできない。

 長い前置きになりましたが、今回は
 「朝鮮人は、何故あれほど『竹島』に執着するのか」
 について転載するつもりでした。
 彼らもまた国に頼るために、国を彼らなりに「建てよう」としてきた。
 これ、今回の本を読んで、今更ながらに気付いたことです。

 彼らが執着をするにはそれだけの理由があったからです。随分と身勝手な理由なんですけどね。
 だから、「元々、日本の領土なんだよ」とか「竹島と独島は同じじゃないよ、別の島なんだよ」などといくら言ったって納得なんかするわけがない。

 ・・・・・と書いていたら、零時を過ぎてしまいました。続きは次回に。

 (寝ぼけて書いていたら、間違いだらけでした。訂正しましたので、ご容赦。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと考えたら。ちょっと知ってたら。

2020年05月17日 | 重箱の隅
2014.09/19 (Fri)

 「歴史に『たら』も『れば』もない」、と言います。
 歴史的事実から物事の筋道を見出すのですからね、歴史の勉強は。
 だから過ぎたこと(起こった事象)について仮定の話をしたって、何ら正しい筋道は見出せない。仮定でしかないんですから。
 
 でも、これ、「『歴史』の勉強では」、なんですよね。
 何でもかんでもそうだ、ってんじゃあない。
 実際、「仮説」ってのはとても重要な方法でしょう?これこそ、「たら」「れば」です。
 文学の世界だって科学の世界だって、これなしじゃあ今の隆盛はなかった。
 
 「何言ってるんだ?」と言われそうですので、先に言ってしまいますが、例の、「己の能力の範囲内でしか物事を把握できない」ということについてです。
 「能力」はつくるものだから、それぞれの環境の中で、そして本人の意思によって特殊な形でつくられていきます。「教養」も、だから能力の別名と言えるでしょう。
 ちょっと考えれば、ちょっとした知識があれば、理解能力の範囲は直に広がるだろうに、つくり上げた理解能力の枠から一歩も、「踏み出そうという努力」、をしない。
 そのくせ、そこを衝かれればプライドの故でしょう、激昂する。
 「あっ、そうか!」「しまった!そんなこと考えもしなかった」と気づいた瞬間の激昂だから、虚を衝かれたことによる狼狽の故、と言っても良いかもしれない。思いもしなかった弱点を指摘された、自分の教養、人格までまとめて全否定されたような気になるからでしょうね。
 
 9月17日の「水曜アンカー」で青山氏が話されたことを、ぼやきくっくりさんが文字お越しされているので、その一部を転載します。全文は改めて御覧ください。

 一つ目は「ちょっと考えたら」分かるだろうに、考えることなど思いもしなかった、ということ。アサヒのことです。
 二つ目は「ちょっと知ってたら」、廃絶と新生、どっちがより効果が上がるか見えやすいのではないか、ということについてです。これは我々国民。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                   (略)
 
 ~ちなみに僕は朝日新聞の友だちに電話しまして、逃げたならおかしいだろうと。
 福島第2原発っていうのは、事故現場から、12キロしか離れてないと。
 逃げたんだったら、どうしてもっと遠くへ行かないの。あの時、20キロ圏内が警戒区域、誰も入れないって言ってたんですよ?
 何でわざわざ警戒区域の中にとどまってるのにそれが逃げたことになるんだって言ったら、うーっとこう、電話で詰まってですね、でも基本的に、たとえば青山ちゃんは日本を褒めすぎなんだよっていうふうに言ったわけですよ。
 で、僕は、君がそうやって反日の立場でいるから、何もかも色眼鏡で見るようになるんだよ、って言ったら、彼は、いや、僕、けっこう長い付き合いの人なんですけど、ちょっとここまで言っちゃいましたけど、電話を切っちゃいました。
 
 朝日の今、大幹部ですよ? 僕と同じ時期に政治部にいた人ですけれども。

                    (略)

 「実は朝日新聞は戦前からあってですね、その、戦え戦え、若者よ戦地に行けってことを、徹底的に煽った、その、大新聞そのものなんですよ。
 たとえば、毎日新聞もそうです。今よりはるかに大きな、一流紙としての毎日新聞の存在だったし、僕の古巣の共同通信は、同盟通信っていう名前で、国営通信社だった。
 そして僕は共同通信に入って最初の記者研修で、教わってびっくりしたのは、同盟通信はかつて、中国だけで68の支局があったと。ね。それは国営通信社だからでもありますけど、でも要するに戦争を遂行する立場なんですよ。
 
 朝日は煽り、同盟通信はもっと軍部と直接結びついて、戦争を遂行したんで、戦争に負けたら、ね、生き残るためには、さっき言いましたとおり、組織を守るためには、ガラッと立場を変えて、その、日本は悪うございましたっていう側に、煽ったからこそ、あるいは同盟通信も含めて、同盟通信は共同通信と時事通信に解体されたわけです、GHQによって。

 で、朝日新聞は、そんな解体されないためにも、反日が正しいってことにならざるを得なくて、そうすると、これは、実は朝日新聞だけの問題じゃなくて、その日本のメディア全体を考えますとね、たとえばですよ、その吉田調書全部公開された中に、吉田さんの、吉田、今度は吉田昌郎所長の言葉として、全面撤退なんて馬鹿なことを誰が言ったんだ!と。
 そんなことあり得ない!ってことを明言してるのに、どこも報じないでしょう?

                    (以下略)

 http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1617.html#se...

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 青山氏に、
 「逃げたって言うけど、そんな近くに『逃げた』ってのはおかしいんじゃないか?もっと遠くへ行かなきゃ意味ないじゃないか」
 と至極真っ当な考え方で指摘された。
 ところがこう指摘されるまで、この「大幹部」になってる人、そんな道理からの「見方」について考えることもしなかった。
 「でも、言われてみれば、その通りだ。自分は係わってないけれど、十分考えることができることだった。それを青山の野郎、せせら笑うように『お前、頭、大丈夫か?反日やり過ぎて、目が曇ってんじゃねえか?』みたいな、人を小馬鹿にしたようなこと、言いやがって!」
 この「大幹部」はおそらくこんなことを思い、激昂の余りに一瞬我を忘れて電話を切ってしまった、と考えるのが「筋道」でしょう。

 二つ目の件です。
 「生き残るために」、アサヒは百八十度の方向転換をし、同盟通信は「共同通信」と「時事通信」に、「解体」される前に分かれた。
 GHQは新聞社など、潰そうと思えばいつでも潰せたわけです。
 それは「靖國神社を焼失させ、後をドッグレース場に」という無茶苦茶な計画を実行に移すより、もっと簡単なことだったでしょう。「国際社会の批判を浴びるかも」、なんて心配をする必要もなかったのですから。

 そんな「風前のともしび」よりも危うい状態であっても、「何が何でも会社を潰してはならない。この際、悪魔に魂を売ってでも、会社を守るのだ!」と、幹部社員は考えた。そして彼らは責任を取って辞職し、残った社員は会社存続のためにGHQの腰巾着になった。また、分かれたことによって、「同盟通信」はなくなった。

 そこまでして、現在のアサヒがある。
 だったら、今度は「我々」が潰すのか。日本人が日本人の新聞を潰すことを世界はどう捉えるか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする