2017.08/30 (Wed)
朝、目覚まし時計代わりにしているラジオを聞いていたら、北朝鮮がミサイルを撃ったというアナウンスが聞こえてきた。
「何?この間の録音テープか?いや、目覚ましのラジオの筈だけど?」
、とボンヤリ思ったけれど、「目覚ましのラ」辺りで、「またか!」と目が覚める。
「ここ、逃げ場、ないし。死ぬなら一瞬だな」
現実味のない、妄想のような覚悟をする。
(後で思い出してみると、兵庫南部地震の時と同じだった。あの時も「もはやこれまでか。ここで死ぬのか」、しか考えられなかった。)
けど、例のJアラートというやつは聞こえなかったのだから、こっちの方ではないのかも、と思い、テレビを点ける。
東日本の方向に発射されたらしいことが分かる。
テレビ大阪以外、みんなこれをやっている。驚いたことに教育テレビでもテロップが流れている。
しばらくすると各局でワイドショーが始まり、当然ながら、これまた申し合わせたように日本批判、アメリカ批判。威嚇(恫喝)行為を繰り返している当の北朝鮮のことは見事なくらい非難しない。
それどころか相も変わらず「日本は部外者なのに米朝の争いに巻き込まれて~」。拉致の「ら」の字も出てこない。
そして「Jアラートは意味がない」。
ネットでも「切迫感のある警報音でなければ」「もっとアナウンスに緊迫感が欲しい」などと。
「一発だけなら誤射かもしれない」は歴史に残る名言だけれど、誤射であろうが、核弾頭を装備していなかろうが、爆薬の入ってない空弾頭のミサイルであろうが、着弾すれば必ず死傷者は、出る。
「途中で破壊したら破片が落ちて却って危険だから、破壊反対!」、なんて、どこかの旧党首が間抜けなことを言ってたけど、破片が落ちてくるのと着弾するのとどっちが危険か、考えるまでもないことだろうじゃないか?
柱の角に足の小指ぶつけるのと、車で正面衝突するのと、「ぶつかるのは同じでしょ?♥」、なんてこと言ってたんじゃ話にならない。
緊急地震警報が数秒~数十秒程度のものであっても、避難を考える時間が一秒でも二秒でもあるだけで間違いなくダメージを減らすことができる。
ミサイル攻撃に対する防災訓練で、頭抱えてしゃがみ込んでいる姿を笑う海外の記事があったそうだが、「何もしないよりマシだ、という発想がなければならない」、ということが全く分かってない愚かな記者だなあ、と呆れてしまう。
Jアラートだって「直撃されれば一巻の終わり、だから」と言って、直撃されなかった99%は間違いなく何らかの対抗措置が取れるのだ。仮に具体的な対抗策がとれなかったとしても、「とろうとする姿勢の有無」だけで、ダメージは大きく違ってくる。無防備の時はむち打ち症になっても、身構えていれば酷い筋肉痛で済むこともある。
「Jアラートなんて役に立たない」というのは、危機について考える気がない、いや、考える能力がない、危険というものを想像することすらできない、と言っているに等しい。
まあ、「役に立たない」という声が全国に広がって、「これではいけない。このままでは日本は滅ぼされるかも」という声が大きくなり、改憲の機運が盛り上がることになれば、その方が良いわけだ。
いくら危険だと言っても「そうしたのは現政権だ。安倍が悪い」の一点張りで、全く先へ進めない。
もしかしたら意外に現政権も「目的達成のためには、もう、手段を選んでは、いられない」、と、神頼みの心境かも。
いくら説明しようと思っても全く聞く耳を持たない国民の、賛同を得ようなんて至難の業だ。
何しろ「民主主義」、「国民主権」の「日本国民」の多くは「民=俺=神」と思っているみたいだから。
朝、目覚まし時計代わりにしているラジオを聞いていたら、北朝鮮がミサイルを撃ったというアナウンスが聞こえてきた。
「何?この間の録音テープか?いや、目覚ましのラジオの筈だけど?」
、とボンヤリ思ったけれど、「目覚ましのラ」辺りで、「またか!」と目が覚める。
「ここ、逃げ場、ないし。死ぬなら一瞬だな」
現実味のない、妄想のような覚悟をする。
(後で思い出してみると、兵庫南部地震の時と同じだった。あの時も「もはやこれまでか。ここで死ぬのか」、しか考えられなかった。)
けど、例のJアラートというやつは聞こえなかったのだから、こっちの方ではないのかも、と思い、テレビを点ける。
東日本の方向に発射されたらしいことが分かる。
テレビ大阪以外、みんなこれをやっている。驚いたことに教育テレビでもテロップが流れている。
しばらくすると各局でワイドショーが始まり、当然ながら、これまた申し合わせたように日本批判、アメリカ批判。威嚇(恫喝)行為を繰り返している当の北朝鮮のことは見事なくらい非難しない。
それどころか相も変わらず「日本は部外者なのに米朝の争いに巻き込まれて~」。拉致の「ら」の字も出てこない。
そして「Jアラートは意味がない」。
ネットでも「切迫感のある警報音でなければ」「もっとアナウンスに緊迫感が欲しい」などと。
「一発だけなら誤射かもしれない」は歴史に残る名言だけれど、誤射であろうが、核弾頭を装備していなかろうが、爆薬の入ってない空弾頭のミサイルであろうが、着弾すれば必ず死傷者は、出る。
「途中で破壊したら破片が落ちて却って危険だから、破壊反対!」、なんて、どこかの旧党首が間抜けなことを言ってたけど、破片が落ちてくるのと着弾するのとどっちが危険か、考えるまでもないことだろうじゃないか?
柱の角に足の小指ぶつけるのと、車で正面衝突するのと、「ぶつかるのは同じでしょ?♥」、なんてこと言ってたんじゃ話にならない。
緊急地震警報が数秒~数十秒程度のものであっても、避難を考える時間が一秒でも二秒でもあるだけで間違いなくダメージを減らすことができる。
ミサイル攻撃に対する防災訓練で、頭抱えてしゃがみ込んでいる姿を笑う海外の記事があったそうだが、「何もしないよりマシだ、という発想がなければならない」、ということが全く分かってない愚かな記者だなあ、と呆れてしまう。
Jアラートだって「直撃されれば一巻の終わり、だから」と言って、直撃されなかった99%は間違いなく何らかの対抗措置が取れるのだ。仮に具体的な対抗策がとれなかったとしても、「とろうとする姿勢の有無」だけで、ダメージは大きく違ってくる。無防備の時はむち打ち症になっても、身構えていれば酷い筋肉痛で済むこともある。
「Jアラートなんて役に立たない」というのは、危機について考える気がない、いや、考える能力がない、危険というものを想像することすらできない、と言っているに等しい。
まあ、「役に立たない」という声が全国に広がって、「これではいけない。このままでは日本は滅ぼされるかも」という声が大きくなり、改憲の機運が盛り上がることになれば、その方が良いわけだ。
いくら危険だと言っても「そうしたのは現政権だ。安倍が悪い」の一点張りで、全く先へ進めない。
もしかしたら意外に現政権も「目的達成のためには、もう、手段を選んでは、いられない」、と、神頼みの心境かも。
いくら説明しようと思っても全く聞く耳を持たない国民の、賛同を得ようなんて至難の業だ。
何しろ「民主主義」、「国民主権」の「日本国民」の多くは「民=俺=神」と思っているみたいだから。