2013.07/14 (Sun)
「子供たちに伝える国旗・国歌物語
私たちの美しい日の丸・君が代」
http://www.meiseisha.com/katarogu/hinomaru/hata-bi.htm
上記の本から転載です。
●由来
明治天皇は、旧来の陋習をやぶって、次々に近代日本の改革を断行されました。また、全国を巡幸されることも多くありました。
明治九年(1876)、明治天皇は、五十日をかけて東北地方を巡幸されましたが、この時、はじめて船に乗船されました。七月二十日は、青森から函館を経由して横浜に到着された日です。
この日は、長く「海の記念日」と呼ばれてきましたが、平成七年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になりました。
日本は、四方を海に囲まれた海洋国家で、海なくして日本の繁栄はありません。海の恩恵に感謝し、さらに、明治の国づくりに思いをいたし、この日を迎えたいものです。
転載終わり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敗戦後、昭和天皇が全国を巡幸されたことは能く知られています。
多くの国民を、戦いで、又空襲で失った、焦土と化した我が日本は、何もなくなってしまったところから、もう一度立ち上がろうとした。
その時、巡幸は国民の大きな心の支えとなったと言われます。
国に対し、陛下に対し、不満を抱く者も多くあったのではないかと思われますが、巡幸に際して、騒動が起こったという事は一件もなかったようです。
逆に、直接に訴えようとした人々が、陛下のねぎらいの言葉を耳にしてスッカリ気持ちが変わり、国の再建に力を尽くそうと誓った、というような話もあったとか。
考えてみれば国が困難に陥った時、又、新しい一歩を踏み出そうとする時、天皇の行幸、お言葉があります。
「祭政一致」、それもまずは「祭」、神前に奉告(祭事、です)があって、後に「政事」が行われる。それが建国以来の我が国の在り方でした。
そして普段、天皇は祭事のみを行われ、政事は臣が行います。
しかし、危急の際、緊急の際には、天皇が象徴的な政事を行われる。
それが「御親政」です。
今回の大震災で天皇皇后両陛下がほぼ毎週のように東北へ行かれたのも、やはり「御親政」と捉えるべきでしょう。
昭和天皇も今上陛下も、それを当然のこととして行われた。
そこから我々国民は、天皇陛下が常に無私の存在として日本の弥栄を祈って来られたことを感じてきたのではないでしょうか。
何しろ、以前の日記に書いたように、春雨物語でしたか、国に災いが起こると、天皇の身は健康であっても、天皇=国体(國體)、ということで、薬を服されるのが専らだったそうです。
変な感じですね。病気でもないのに、のみたくもない(きっと苦い)薬を飲まなきゃならない。でも天皇というのは人ではないのですから、それは当たり前のことだった。
「ふうん。何か理不尽な気もするけど、無私、というのは分かるような気もするな。それに比べたら『海の記念日』なんて、祝日にする意味あんのか?」なんて思ってる人、意外に多いのかもしれませんね。
中には「何?海の記念日?ははぁ。競艇の連合会辺りがごり押ししたんだろう、きっと」、なんてことを言う不埒者もいるかもしれない。
でも、明治天皇が五十日間の巡幸を終えられ、横浜に到着された時、ですからね。
あの当時、それも天皇が船で、なんて、あり得ないことです。
そして、どこを巡幸されたのかと言うと、東北、です。それも五十日。
物見遊山?まさか。
戊辰戦争時、反政府的な行動をとってきた東北地方を罰するのではなく、近代日本を拓く大きな力としなければならない。そのための「天皇親政」です。
そう考えたら、これは近代日本にとって記念すべき日の一つと見て間違いないでしょう。(だから祝日なんですね、失礼しました)
もっと大事に思わなければならない日なんじゃないでしょうか。
「7月20日は海の記念日」。
「子供たちに伝える国旗・国歌物語
私たちの美しい日の丸・君が代」
http://www.meiseisha.com/katarogu/hinomaru/hata-bi.htm
上記の本から転載です。
●由来
明治天皇は、旧来の陋習をやぶって、次々に近代日本の改革を断行されました。また、全国を巡幸されることも多くありました。
明治九年(1876)、明治天皇は、五十日をかけて東北地方を巡幸されましたが、この時、はじめて船に乗船されました。七月二十日は、青森から函館を経由して横浜に到着された日です。
この日は、長く「海の記念日」と呼ばれてきましたが、平成七年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になりました。
日本は、四方を海に囲まれた海洋国家で、海なくして日本の繁栄はありません。海の恩恵に感謝し、さらに、明治の国づくりに思いをいたし、この日を迎えたいものです。
転載終わり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敗戦後、昭和天皇が全国を巡幸されたことは能く知られています。
多くの国民を、戦いで、又空襲で失った、焦土と化した我が日本は、何もなくなってしまったところから、もう一度立ち上がろうとした。
その時、巡幸は国民の大きな心の支えとなったと言われます。
国に対し、陛下に対し、不満を抱く者も多くあったのではないかと思われますが、巡幸に際して、騒動が起こったという事は一件もなかったようです。
逆に、直接に訴えようとした人々が、陛下のねぎらいの言葉を耳にしてスッカリ気持ちが変わり、国の再建に力を尽くそうと誓った、というような話もあったとか。
考えてみれば国が困難に陥った時、又、新しい一歩を踏み出そうとする時、天皇の行幸、お言葉があります。
「祭政一致」、それもまずは「祭」、神前に奉告(祭事、です)があって、後に「政事」が行われる。それが建国以来の我が国の在り方でした。
そして普段、天皇は祭事のみを行われ、政事は臣が行います。
しかし、危急の際、緊急の際には、天皇が象徴的な政事を行われる。
それが「御親政」です。
今回の大震災で天皇皇后両陛下がほぼ毎週のように東北へ行かれたのも、やはり「御親政」と捉えるべきでしょう。
昭和天皇も今上陛下も、それを当然のこととして行われた。
そこから我々国民は、天皇陛下が常に無私の存在として日本の弥栄を祈って来られたことを感じてきたのではないでしょうか。
何しろ、以前の日記に書いたように、春雨物語でしたか、国に災いが起こると、天皇の身は健康であっても、天皇=国体(國體)、ということで、薬を服されるのが専らだったそうです。
変な感じですね。病気でもないのに、のみたくもない(きっと苦い)薬を飲まなきゃならない。でも天皇というのは人ではないのですから、それは当たり前のことだった。
「ふうん。何か理不尽な気もするけど、無私、というのは分かるような気もするな。それに比べたら『海の記念日』なんて、祝日にする意味あんのか?」なんて思ってる人、意外に多いのかもしれませんね。
中には「何?海の記念日?ははぁ。競艇の連合会辺りがごり押ししたんだろう、きっと」、なんてことを言う不埒者もいるかもしれない。
でも、明治天皇が五十日間の巡幸を終えられ、横浜に到着された時、ですからね。
あの当時、それも天皇が船で、なんて、あり得ないことです。
そして、どこを巡幸されたのかと言うと、東北、です。それも五十日。
物見遊山?まさか。
戊辰戦争時、反政府的な行動をとってきた東北地方を罰するのではなく、近代日本を拓く大きな力としなければならない。そのための「天皇親政」です。
そう考えたら、これは近代日本にとって記念すべき日の一つと見て間違いないでしょう。(だから祝日なんですね、失礼しました)
もっと大事に思わなければならない日なんじゃないでしょうか。
「7月20日は海の記念日」。
勿論、国旗を掲げましょう。