2016.09/12 (Mon)
高校の二年だったか、三年だったか。水滸伝を読んでいたら「八十万禁軍」という言葉が出てきた。
「禁軍」に対するのは「廂軍」。
後で分かったのだが「禁軍」というのは「禁裏の軍」という意味で、皇帝を守る軍隊。近衛軍のような存在らしい。
対する「廂軍」というのは地方政府管轄の軍隊で、各地を戦乱から守るのが仕事。(この「廂軍」が何となしに後の軍閥政府と重なって見えるのだが脱線はしないよう、これはまたいつか。)
それにしても「八十万禁軍」というのは兵士が八十万人いる、ということだからとんでもない人数であるのだけれど、そこはそれ、「白髪三千丈」の国、近年では南京市の人口二十万人をはるかに超える「南京三十万人大」を日本軍がやったと言い張る国だ、大風呂敷、大袈裟は国民性、だと思っていた。
そう思っていたら、この「八十万禁軍」、実際は八十万以上の、八十二万人もいた時期があるのだそうだ。勿論そんなにはいなかったのがほとんどの時代の禁軍だったらしいが。
ところで「八十」というのには、何か意味があるのか。
日本では、御存知「八百万の神」という言葉があって、「八」が出てくる。末広がり(扇)、ということで吉数、とされる。
また人麻呂の歌に「もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも」、と武門を表す枕詞「もののふ」の後にとても多いという意味の「八十氏」という言葉を持ってきている。実際に武門の家が八十あった、ということではない。
「八」、「八十」、「八十万」、「八百万」。こうやって並べてみると、シナにせよ、日本にせよ、「八」を吉数としてとらえていたのではないか、そのことに関しては擦れ違いはないのではないかと思う。同じような感覚を持っていたということだ。
では「禁」という文字(言葉)に関してはどうなのだろう。
「禁軍」というのは「禁裏の軍」と書いたが、「禁裏」の「裏」は「裡」とも書いて、「表に対する裏」というよりも「外に対する内側」という意味で使われるものだから、「禁裏」は一般人(国民)が入ることを禁じられている場所という意味になる。
さてそれでなんだけれど、何となし「禁」という文字には「十八禁」とか「禁煙」「禁酒」など、嫌々ながら従わざるを得ないような雰囲気がある、と思っていた。私だけだろうか。
「否定される」というか、とにかく「自由にできない」「縛られる」「法の縛り」みたいな言葉ばかりが頭に浮かんでくる。
「禁闕(きんけつ)」「禁軍」などの言葉にも、長いこと
「どうしてこんな言い方をするのだろう。嫌われているわけでもなかろうに」
、としか思えないでいた。
しかし、ここ五年余り、わりとまじめに「日本」、「日本人」ということについて考えるようになって、「島国根性」と同じく、これはいつの間にか深く考えることもなく受け入れてきた「常識」が沈殿して、先入観をつくってきていたからなのではないか、と思うようになってきた。この「禁」という字句の意味するところも、もしかしたら正反対だったんじゃないのか。
神社に、時折り、注連縄の張られた「禁足の地」というのがある。
中に入らないように、としてあるのだから普通に「立ち入り禁止」とか「進入禁止」と書けば良いようなものだけど、(おそらく)昔のままに「禁足(の地)」と書かれている。何だか「立ち入り禁止」とか「進入禁止」とは随分雰囲気が違って、「力づくでも止める」といった感じではない。何となし、「禁闕」や「禁裏」、「禁軍」に似た雰囲気がある。
何が違うのだろうと考えてみた。
「立ち入り禁止」や「進入禁止」には「止める」という文字が入っているからだろう、「何だよ、それは」、と不満を持っても、つまり「嫌々ながら」「不承不承」、でも受け入れなきゃ、という「社会の約束」が前面に押し出されている。
対して、古くからの「禁」の方は、「敬している」からこそ、「畏れ多いと思う」からこそ、近付かない、「社会の約束事」ではない、自分の心に直接響かせる表し方だったのではないか。
「水滸伝」で知った「禁軍」という言葉も、実はこんな風に「畏れ多い人(皇帝)・宮廷を守る軍」という意味合いだけであって、人民が敵意を持って見ていたなどということはなかったんだろう。
では、日本では決して一般的ではなかった「禁裏」「禁闕」「禁軍」等にある、その「禁(=畏れ多い)」ということを、我々の先祖はどうやって理解するようになったのか(理解、ではなく「感得」、だったのかもしれないけど)。
多くの日本人は幕末まで「禁裏」「禁闕」「禁軍」なんて知らなかった。
それなのに「天皇」、「皇室」について、一気に受け入れること(得心すること)ができたのは何故だったのか。