CubとSRと

ただの日記

やっぱり今年も・・・・。

2020年05月26日 | 心の持ち様
2017.08/06 (Sun)

 「8月6日。8月9日。8月15日」

 朝、8時過ぎ、テレビを点けたら広島の追悼式典の場面が映っていた。
 あの「安らかに眠ってください ~」の慰霊碑(?)に、今年の死没者名簿が納められるところだった。
 
 碑の文言については、今、書く気はない。
 今は、ただ、単純な気持ちだけ書く。
 画面には白いシャツにチューリップ帽みたいなのをかぶった老人が、何人か映っていた。広島もおそらくは猛暑なんだろう。台風の影響もあって暑くてたまらないんだと思う。
 けど、当然のこととして、喪服用の黒い服の人や、白いシャツながら黒いズボンの人もいる。

 「葬式でも法事でも、哀悼の、追悼の意を、ということなら、どこかに黒い物(喪章)を付ければそれでよい」と聞いたことがある。夏の暑い時は、猶更だ。

 「今の心持ち」を表現するのが服装だ。
 総理大臣や政府の出席者に「帰れ!」と野次を飛ばす人は、だからそういった(哀悼の)服装はしていないと思う。
 いや、そんな(哀悼の)心持ちの服装でいたならばそんな言葉は出てこないだろう。そういうことを言うべき「場」ではないからだ。

 日時、場所は変わって8月15日、靖國神社。
 国を守るために散華された先人(英霊)たちは、早い話が自身の愛する人や家族を守ろうとされた。そしてそれは同じ日本人を守ることになり、結果として国をも守ることになる。純粋に一本の線で貫かれている。
 ならば、直接ではない国が、そして国民が「おかげで今の我々がある」、と思って参拝するのは当然ではないか。
 ただ同じ日本人だから、というだけの理由で血のつながりもない我々を、顔を見たこともない、或いはまだ生まれて来てもいない我々を命を懸けて守ってくださったのに。
 「家族、一族に戦没者が居ない。だから参拝しない」?
 「おじいさんの墓参りもしたことない者が靖国神社に参拝する?エエカッコするな」?
 英霊の散華があったればこそ、今の我々が存在する。

 しかし、靖國神社は「神社」だ。神が祀られているところだ。決して「慰霊」や「哀悼の意」を表しに参るところではない。感謝の誠を明らかにする、或いは赤心を以て誓うために参るところだ。
 とは言え、現実には戦死された先人が(英霊として、或いは神として)祀られているのだから、直接の家族、一族がその心積もりで参拝したい、と考えられるのは無理からぬことであり、その気持ちは痛いほどよく分かる。
 要は、遺族・一族でない者は、せめてその日以外に、「神社」として参拝すべきではないか、ということだ。
 勿論、その日は政治家などは参拝すべきではない。政治家の参拝は「国家のために」というのを第一義にしてしまう。公人だとか私人だとかいう発想自体卑し過ぎる。
 「周辺の国々が云々」などと言う報道や大臣の説明など、靖国神社を政争や外交カードにする以外の何物でもない。
 国家は祭主であり、国民は全て「等しく」参拝者であるべきだ。
 とにかく、旧軍人でない者が、帝国陸海軍の軍装で参拝することだけはやめて欲しい。


 転載です↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 「広島で平和記念式典 パヨクたちが安倍やめろコール」

1: 名無しさん@涙目です。(catv?) [US]2017/08/06(日) 15:27:07.77
田んぼ‏ (suisei1942)
今日、8時15分広島に原爆が投下されました
被害者の方々につきましては、謹んで哀悼の誠を捧げます。

今、広島平和式典をライブで見ていると、遠くで『安倍はやめろ〜、安倍は帰れ〜』と静寂に行われている式典にずっと響き渡っていた
これはどういう事か!
信じられない…
#広島原爆の日

mt_fooj (Fooj)
広島で8:15分に太鼓叩いて「安倍やめろ」ってのが平和運動ならそんな平和なんか要らないね。 何が人道主義だよ。 それ、踏みにじっているのはお前らだよ。

jukans (jukan)
広島の慰霊式典で「9条守れ、安倍はやめろ」と騒ぐ人々、あまりにも自分勝手で
罰当たりで…言葉が出ない。

uni726 (UNI)
また広島原爆投下の日の政治利用。安倍やめろとかうんざり。だからサヨクは嫌い。
黙って慰霊すべき日なのに。

tmasato72 (鷹羽雅人@蟄居閉門中)
@ihara_saikaku 「安倍やめろ!」でございます。広島は暑いでしょうね。良い一日を\(^◇^)

nosaibaninko (裁判員制度はいらないインコ)
あと広島の今日の「安倍なんてすぐに帰れ」「安倍やめろ」とかは「前の安倍政権時代」からずっとあってどうせ首相やめろは毎年の定例行事だから一つの「伝統芸」。

核なき世界へ前進を=72回目、広島原爆の日―各国の橋渡し、政府に要請
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170806-00000017-jij-soci

 「厳選!韓国情報」ブログから
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遠山(とおやま)の目付(めつけ)と一点凝視と

2020年05月26日 | 心の持ち様
2017.08/03 (Thu)

 今日の宮崎正弘氏のメールマガジンからです。最近度々投稿されている加藤清隆氏の意見が載ってました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(読者の声1)
 内閣改造・自民党役員人事は事前に候補者が全て出そろった。「奇をてらわない」という安倍総理の宣言通り、手堅さ重視の実務型布陣となった。

 問題の防衛相には経験者の小野寺五典氏、文科相には閣僚経験豊かで安定性のある林芳正氏が起用された。
 唯一と言っていいサプライズは野田聖子氏の総務相と河野太郎氏の外相だろう。いずれも自民党総裁選に出馬した、ないしは出ようとしたいわば「うるさ型」で、党内の批判勢力を取り込むというのか、押さえ込んだ形となった。

 河野氏の外相起用にはネットを中心に早くも批判が噴出しているが、その多くは父親・洋平氏との混同だろう。行革担当相就任の際も同様の懸念が出たが、河野氏は無難にこなした。
 今回も恐らく一札取ってあるのだろうし、そもそも主要外交は総理自らが行っており、河野氏が独自色を発揮できる部分は少ない。
 今回の人事によって内閣支持率が直ちに上がることは望めない。
前回も書いたように、今後は経済、外交、憲法改正を粛々と進める以外にない。それで国民が支持してくれれば支持率は自ずから上がろうし、不支持ならさらに下がるだけ。

 いずれにしても危機的な朝鮮半島情勢をにらみながらの厳しい政権運営となる。
(加藤清隆)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 加藤氏が書かれている通り、
 ①行革担当相就任の際も同様の懸念が出たが、河野氏は無難にこなした。
 ②今回も恐らく一札取ってあるのだろうし、
 ③そもそも主要外交は総理自らが行っており、河野氏が独自色を発揮できる部分は少ない。

 内閣はチームだというけど、結局は総理大臣の考えをどこまで貫けるか、です。「反乱起こして(下克上)、大臣が総理大臣にとって代わる」、なんてことはない。
 つまり、総理が全て。総理の意に反することをこっそり決定して、後で、総理が「そんなこと知らなかった!」と慌てふためき~、なんてことはない。そんなことしたら大臣をクビになるだけではない。離党どころか政界を追放、なんてことも有りうる。
 何よりも、総理の知らないところで何かを決定することはできない。ましてや外交問題なんか、外務大臣が独断でできるようなものではない。

 野田議員もそうだけど、言うこと聞かなければ、即、更迭、です。
 あれですよ、例の。
 「敵は身近に置け」。悪巧みができぬように。
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山の日(今日も祝日)

2020年05月26日 | 重箱の隅
2017.08/11 (Fri)

 国旗は揚げませんけどね。

 「『海の日』があるんなら、『山の日』があったっていいじゃないか」
 ということらしいんですけど。

 Wikiを見ると、
《国民の祝日として「山の日」を制定することを求める日本山岳会をはじめとする全国「山の日」協議会加盟諸団体や既に「山の日」を制定していた地方自治体、その他山岳関係者や自然保護団体等からの意見を受け、2013年4月、超党派110名の議員連盟「山の日制定議員連盟」(会長:衛藤征士郎、幹事長:丸川珠代、事務局長:務台俊介、副会長は7党派から。最高顧問:谷垣禎一)が設立された》
 、とあります。

 初めは8月12日にして、盆休みと連動させよう、と考えられたらしいけど、引き続きWikiにはこう書いてある。

《しかし8月12日は、1985年の日本航空123便墜落事故と同日であり、しかもJAL123便が墜落した場所も御巣鷹の尾根、つまり「山」という事から、群馬県選出の小渕優子衆議院議員らが「JAL123便事故が起きた日をお祝いするのは違和感を覚える。これでは山の日ではなく『御巣鷹山の日』になってしまう」と懸念を示し、大澤正明群馬県知事がJAL123便事故を理由に日付の見直しを求めたことを受け、議員連盟は11月22日の総会で最終的に8月11日を山の日とすることを決定した》。

 「これでは山の日ではなく『御巣鷹山の日』になってしまう」
 追悼の日が祝日、なんて確かにとんでもないことです。
 超党派議連の提案だったわけだから、いつものように「自民党が悪い」とは言えないし、中心メンバーが自民党議員であったにしても、異論を唱えたのも同じく自民党議員。

 要は「祝日」の定義は、これでいいのかということなんですけど。
 いや、「祝日とは」、って定義自体、敗戦後は曖昧にされてきました。まるで考えること自体が悪いこと、みたいに。

 今上天皇を諡(し)号で呼ぶ。
 「その方が分かり易いだろ?いや、違うことは分かってるよ。分かってるけど、細かいこと言ってると本質を見失うから」、とか何とか。
 何でもかんでも「御」をつける。
 「その方が分かり易いだろ?いや、違うことは分かってるよ。分かってるけど、細かいこと言ってると本質を見失うから」。

 ホントにそうですかね。分かり易くなったのか?却って本質、はずしてませんかね?
 というより、初めから取り違えてませんか。「情けは人のためならず」を「情けをかけるのはその人を甘やかすことにしかならない」、なんて思ってる人、結構いますからね。

 「そんな分かり易い間違い、ないだろう?」と思ってたって、「来るべき」を「きたるべき」と読まないで「くるべき」と読んでいる人、いっぱいいますよ。
 「来たる」を「来る」と読んだら、「やがて来るであろう~」の意味が「来なければならない」になっちゃうんですけど・・・。

 いくら気を付けても間違うのが言葉の使い方です。だからこそ、更に気を付けなければならない。
 でなければ、「分かってるけど、細かいこと言ってると本質を見失うから」って。

 気が付いたら「岩盤規制」ができてしまって、頑固(偏屈)おやじの出来上がり。

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「海の日」

2020年05月26日 | 日々の暮らし
2017.07/17 (Mon)

 今日は「海の日」だったが、いつ雨になるのか予断を許さない状況だったので、国旗を掲げなかった。
 そしたら、結局雨は降らなかった。
 何しろ「ハッピーマンデー」だ、揚げなくて失敗したような、揚げなくって良かったような・・・。

 今日はとにかく暑かった。とにかく空模様が怪しかった。
 梅雨明けが近いような風だが、それは今週半ばらしいから今日明日はまだ気が抜けない。

 「海の日」と言えば何となく、いかにも「晴天」といった気がするが、今日は当たり前なら間違いなく(終わり頃ながら)「梅雨の真っただ中」で、いつ豪雨になってもおかしくない時期。

 実は、本来、「海の日」は「海の記念日」で、それならば本当は7月20日。
 7月20日なら梅雨は明けて本格的に夏到来、ということで「晴天」というより「青天」と書きたいような雰囲気になっていることが多い。「海の記念日」という言葉通り海王丸や日本丸が全ての帆に風をはらんで波飛沫を立てて青海原を疾走している姿が浮かんでくる。

 けど、例によって「ハッピー・マンデー」、だ。7月20日を早めて季節を飛び越えてしまったわけだ。これ、自民党の仕業なんだけど。
 けど、忘れちゃいけない。民進党はもっと極端に、「一年を前期と後期に分けて休日をそれぞれ一つにまとめて大連休にしよう」としてたんだからね。
 早い話、祝日、或いは祭日の、根本的な意味を失くしてしまおう、ただ休日だけ、にしてしまおう、と目論んでいた。
 ついでに言えば、ヘイトスピーチがどうのこうのと言ってるけど、民主党政権時代、あの三年間で「人権擁護委員会」なんてのを作ろうとしていた。
 「人権擁護委員会」なんて名前、ぱっと見は良い話みたいだけど、その委員会のメンバーは「日本人でなくともよい」ということだったんだからね。つまり外国人(主に半島国人)の好き勝手が横行するおそれ、大、だった。
 性善説からすれば「そんなの取り越し苦労だ」となるんだろうけど、現実問題、放送局にせよ各市町村役場(役所)にせよ、「日本人の人権より外国人(特に半島・大陸)の人権に配慮を」となって、三十年くらいは経っている。公立学校の教員だって、日本国籍を持っていない者は、期限付き講師(三ヶ月~一年)にだってなかなかなれなかった。それが今は堂々と教諭になり、公立小学校で当然のように朝鮮文字を教えている。

 脱線した。
 「人権擁護委員会」ができるかも、となった時は、正直、本当に「日本は完璧に潰される」と背筋が凍るような気がした。
 それが必死の努力によって潰されたことを、何となく「現内閣不支持」と思っている日本人のどれだけが知っているだろう。

 今また「報道しない自由」、で加戸氏の参考人としての発言がメディアでは全く無視されているけど、だまされちゃいけない。
 あら?またとんでもない方向へ。
 「安倍政権、支持率30%、割る」。
 「だからどうだ、って言うの?」ってことです。
 「国の行く末を感情的に選択するのか」
 それとも
 「二千数百年を『稽古照今』の目で見るか」
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「感動した!」、じゃないぞ。「感動する」、だぞ。

2020年05月26日 | 心の持ち様
2017.07/28 (Fri)

 例によって日記の間隔が空き過ぎている。
 「アホ化が進行しているのだから、仕方がない」
 、と納得しようとしてみる。でも、納得したら行き止まりだ。

 以前は「書けない。でも、書けなくとも何か書かなきゃ。自分のボケ進行を抑えるためなんだから」、と思っていた。
 書けない理由である「そうは言っても、酒、飲みたいし」、という誘惑やら「飲んでからでも書けるし」、という根拠のない自信等と、日夜戦ってきた(大袈裟じゃないよ)。
 それで、まあ、一勝二敗くらいなペース(三日に一度書く)、で何とかやってきた。アホ化は辛うじて抑えてきた。

 それが今回の「書けない」、は、ちょっと様子が違う。
 「酒を飲みたい」、という誘惑はそれほどでもなくなったから、書く邪魔にはならない。ところが「飲んでからでも書けるし(一勝二敗だって三割だ!)」と言っていたけど、今は飲まなくても書いていて途中で立ち往生してしまう。読み直しても先に続く言葉が出てこない。口から出まかせ、筆任せで、あっち行ったりこっちに来たり、言いっ放しでおしまい、といういつもの得意技が全く使えなくなった。

 言ってみれば「題材」はあるのだ。けど「取り掛かったら何年もかかるかもしれない」という思いが頭をよぎったが最後、絶望的になって、「とにかく一休み、落ち着け」、となる。
 そして、そのまま頓挫して「この題材は今は無理。もうちょっと考えがまとまったらやることにしよう。取り敢えず、次、行ってみよう!明日があるさ!」、とごまかす。
 次行ってみよう、ったってもう気力がなくなってるから、その日はそれでおしまい。

 斯くして一勝二敗ペースだったのが、いつの間にか負けが込んで、気が付くと「書けなかったり」「書かなかったり」で、更新ははるか昔のことになる。
 ・・・・なんてことをグダグダ書いてたってしょうがない。で、とにかく、今できることをやってみよう、と考えた。
 それで、これまでに撮った写真をUSBメモリーに取り込むことにした。

 デジカメにしてからは、撮っても、カメラの液晶モニターで一、二回確認するだけで終わりだった。何しろその都度、自分のセンスの酷さを衝き付けられるようなものだ、なかなか大きな画面で見ようとは思わない。
 でも、取り込んでおくくらいのことはできる。そんな作業で立ち往生なんかしないだろう。

 やってみて、PCの画面を見て「あれ?」と思った。あんなに「こりゃダメだ」と思って二度以上は見ることのなかった写真が、意外に「見られる」じゃないか。
 何でだろう、どこが違ったんだろう、と思った。「これならこの写真から思いついたことを書ける」、と自信が湧いてきた。 

 それにしても、不思議だ。撮る時はいつも「ああでもない、こうでもない」、と寄ってみたり、離れてみたり、しゃがんだりズームにしたり、と、出来ないなりに苦労している。
 で、撮ったのをカメラのモニターで見ると「こんな凡庸な写真撮ってどうする」、といつも自己嫌悪に陥る。それに加えて縦長に撮ると液晶の反射方向の問題からまともに見ることさえできない。だから段々に写真を撮ることが面倒になってくる。
 けど、今回、初めて「何か見落としていたんじゃないか」、と思い始めた。

 それで思い出したのが1970年大阪万博、「太陽の塔」のことだ。
 「万博をカラーで見よう!」というCMがテレビで流れ、カラーテレビを買うと太陽の塔のレプリカが付いてきた。
 それを当時新聞広告で見た。聞いたこともない、「岡本太郎」という何の変哲もない名前の、絵描きだか彫刻家だか知らん人がつくるのだという。
 ひどいもんだと思った。あの、あまりのバカバカしさ、というか、あの形のバカさ加減に少々以上に呆れた。
 「大金注ぎ込んで、何、バカやってんだ」、と、ちょっと腹さえ立てていた。
 それが高校二年の時、その会場に行って太陽の塔をまじまじと見ることになった。巨大だった。ビックリした。
 あのバカバカしい塔が、大屋根を突き抜いて立っている。目の前に聳え立っている。大目玉をひん剥いた、鼻が曲がった、おちょぼ口が傲然とした風で遠くを見ている。
 それだけでもみょうちきりんなのに、そのはるか上に素っ頓狂な金色の杯みたいな顔までついている。これだけ巨大なバカバカしいものは見たことがなかった。
 だから「こんなバカなものに大金注ぎ込んで」、なんて小賢しい、卑小な思いは、その瞬間にどこかに吹っ飛んでしまった。

 「塔」の意味のない「塔」。
 いや、理由だとか思惑だとかそういったものは、この「塔」には関係ないんだ。ただ、塔の形をしているだけで、これは思いっきり、命の根っこからの大妄想を形にしただけのものだ。底抜けの、いや、底は抜けてないけど、「底を抜いてしまおう」という意気込みの具象化だ。
 「圧倒された」、という言葉では間に合わない。会期中、都合三度行ったけど、色々な展示館の記憶が薄れていく中で、太陽の塔だけは未だに鮮やかに残っている。そこにあるのは確かに「感動」したという記憶だ。
 ここまで徹底して無意味な巨大なものを作る。すると見る側はバカバカしくて呆れる、というところでとどまっては、いられない。
 感情が強引に振り回される。これは確かに「感動」だろう。

 自分の写真と太陽の塔じゃ比較にもならないけれど、カメラの小さなモニター画面とPC上の数十センチの画面だって明らかに感じるものが違う。大きいだけで意味がある。・・・ということは毎回の日記だってそうではないか。
 小さな出来事を「バカバカしい」としか思わなかったり、採るに足りないことだと打っ棄ってしまうけれど、そうではなくて凝視して大画面にしてみる。毎日感動のない生活をしているのと、どんな小さなことでも視野一杯に捉えて「感情の動く生活」をするのと。

 日記が書けないのはボケてきたから。アホ化が進んできたからだ。それは感動しなくなったということでもある。ならば自分が感動を見出すことをすれば良いだけだ。
 真剣に身の回りの些細なことを見詰め、短文に残していく。大作にはならないけれど、そうやって低徊を続けていけば、自分の見出そうとしていた、或いは書き留めようとしていた世界が捉えられるのではないか。

 大上段に振りかぶるつもりで。でも目の前の小手、肘を確実に。
 花森安治言うところの「眼高手低」、だ。

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