2014.09/10 (Wed)
・「はいはい。私が悪うございました」
・「いやいや、そんな意味で言ったんじゃない」
・「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」
まあ、いろいろありますね。
「はいはい。私が悪うございました」
不貞腐れてますね。漫才の「ごめんね、ごめんね~」と同じです。真心が籠ってない。
けど、反省もし、後悔もしている。不貞腐れたり拗ねたりしている演技でもしなきゃ、恥ずかしくって、とても言えないから、ふざけた物言いをしてます。誤魔化さなきゃ後が続かない、と思ってる。
勿論こんな態度で誠意が通じるなんてこと、有り得ません。
「いやいやそんな意味で言ったんじゃない」
「誤解されちゃあ困るなあ」「心外だな」と言ってるわけですが、これを世間では「弁解」とか、「言いわけ」、早い話が「言い逃れ」、と言います。
実際、「オレの言い方、そんなにおかしかったかな?」と反省さえもしようとしてない。
反省してないから後悔することもない。
それどころか
「そうじゃないんだ。そんなつもりで言ったんじゃない」
というのは、裏を返せば、
「お前ら、バッカじゃねえか。何、聞き間違えてんだ」
と見下して、
「間違ってんのはオレじゃない。お前らだ」
、と。
最悪ですね、これ。でも、
「ちょっと待って。そういえば誤解されるような言い方をしたかもしれない。そうだったとしたら謝る。でも本当はそういうことじゃなくって~」
というような話し方だったら、話が成り立つか、というと、それもまず無理、ですよね。
何故って一箇所でも立ち止まって謝ろうものなら、その一言だけを鬼の首でも取ったように散々に論(あげつら)って、他のところは一切聞こうとしないでしょ?
論争の得意な人はそこばかりを追及してくる。
「ええい、もういいや」
となった頃に
「~ということでよろしいか?」
などと散々否定したことを繰り返されると、つい
「それで結構です」
その途端にゲームセット。あとはもう、二十年でも三十年でも謝罪しろ、賠償しろと言われ続ける。国家間のことなら特にそうです。
最近も「一個人としてなら」、と答えたことを最後になって「公人じゃないですか」と言われ、「じゃ、取り消します」と言ったら、「ダメですよ、問題発言です」って嵌められた、どこかの放送協会の会長、いましたね。
「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」
今、そう思ってる人、多いでしょうね。元官房長官のK野氏とか、A日新聞とか。今は不満の塊だと思います。
でも考えてみましょう。誰も「あなただけが悪い」なんて言ってない。
「あなたが悪い」、または「あなたも悪い」というけれど、「あなた『だけ』」、なんて言ってない。
「私だけが悪いのか」という、「だけ」という被害者意識を、「そりゃ、違うでしょ?」と言ってるんです。しっかり仲間、加害者じゃないですか。
何しろ日本は不思議の国です。世界中のほとんどの国が「悪いのは誰か」と犯人捜しをして問題を解決しようとするのに対し、日本では威儀を正して真正面から堂々と頭を下げ、悪行を全面的に認め、命を懸けてやり直すと宣言すれば、三度までは許してくれます(仏の顔も三度まで)。敗戦まではそれが立派な日本人の在り方でした。
間違ったことをすれば、恥を忍んで謝る。謝った上で、騒動収束のために命を懸ける。その姿を見てそれ以上の追及は「できなくなる」のが日本人です。
それがどうしたことか、戦後おかしくなって来ています。
学校教育が徹底した結果、今は家庭も十分おかしくなっている。
謝らない。間違っていたら削除して、あとは知らん顔をしている。時には削除すらせず、「人のうわさも七十五日」、とばかりに、時が経ってみんなが忘れるのを待っている。
え?「アサヒ新聞のことか?」、って?
大江健三郎の「沖縄ノート」だってそうでしょう?周囲にそんな事例、ありませんか?
自身はどうだろう、と思います。この歳になってもそれを思い出して、恥ずかしく思うことがあります。削除だけして、知らん顔してないか。削除さえしないで太平楽言ってないか。
謝っただけじゃ何にもならない。でも謝らないより数百倍、上等です。日本人に近い。
問題は「では、次に何をするか」、です。当然迷惑を懸けられた人の名誉の回復です。
先日届いた「社報 靖國」9月号に、ジャーナリストの堤 堯(たかし)氏が「靖國に行かずして靖國を語るな!」
という文を寄せられています。
その後半に書かれた文章を転載して終わろうと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「靖國に行かずして靖國を語るな!」
(略)
(その)遊就館に入ってすぐに、「青い目のサムライ」と題する展示があって一人の青年の写真が展示されている。見るからに混血・美貌の青年だ。
日米交渉も土壇場、ワシントンに送り込まれた特命全権大使・来栖三郎は、避戦に向けて必死の努力をする。来栖の妻はアリスという米国女性で、夫妻の長男・良は母親似の美青年だった。来栖がパリ在任の頃、良はパリの社交界で人気者となり、あまりの美貌に映画俳優になれと勧誘された。
良は横浜工業高校機械科(後の横浜国大工学部)を卒業、川西航空機に入社してエンジニアになった。徴兵されて陸軍航空隊に配属され、パイロットの将校として日米戦に参加した。
戦争も末期、関東上空に米軍艦載機を迎撃し、これを見事に撃ち落して帰還した。二度目の迎撃に向かうため愛機に搭乗する寸前、滑走路の死角を急発進してきた友軍機のプロペラに巻き込まれ、頭をはねられて即死した。
戦後、来栖家を訪れた米軍将校が居間に飾られた良の遺影を見て、母親アリスに向かって、
「お気の毒だが、あなたのご子息は日本軍の犠牲になったのだ」
と言った。対してアリスは言った。
「良は愛する祖国日本を守るために尊い命を捧げたのです。彼は日本軍の勇士として死にました。このような息子をもったことを、私は誇りに思います」
返す言葉もなく、将校は辞するしかなかった。父の来栖三郎は息子の墓石に、歴史の父・ヘロドトスの
「平和な時代には子が父を葬り、戦争の時代には父が子を葬る」
という言葉を刻んだ。
これには後日談がある。この来栖一家の物語を、加賀乙彦が『錨のない船』と題する小説に仕立てた。小説の初版では
仮名だが、再版以後は実名に変えられ、英訳本も実名のままだ。
その中で、米軍機と空中戦の最中、被弾した良は落下傘で飛び降り、その姿を見た村人たちがてっきりアメリカ兵と思い込み、寄ってたかって竹槍で良を刺し殺した、と書いた。
トンデモナイことだと、良の戦友らが何度も加賀に抗議したが、いまだに梨のツブテで返答はない。
この作品はいまも実名記述のまま内外の書店に並んでいる。
これは良のみならず来栖一族への侮辱・冒瀆で名誉毀損罪に相当する。いや、日本人全体を「なんと酷(むご)い民族か」と貶める。加賀の本職は精神分析医だ。必要なのは加賀自身の精神分析だ。おそらく加賀は靖國神社を訪れたことはあるまい。こういう手合いが歴史認識をひん曲げる。
(転載了)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
米軍将校からすれば憎むべき日本軍。だから良の母を「愚かにもそこへ嫁いだ米国人女性」、としか見ていないのでしょう。
それ故の彼女に対する同国人としての愛憎半ばした言葉だと思います。
それに応える見事なまでの母の言葉。亡き最愛の息子を「日本の犠牲者だ」、とまで言われて、です。
そんな見事な母に比して、加賀乙彦氏は、実名小説としながら何故にこのような話にしてしまったのでしょうか。
英霊となった一日本軍兵士に失礼だとは思わなかったのでしょうか。事故死よりも米兵と勘違いされて竹槍で刺殺される方が面白いじゃないか、とでも思ったのでしょうか。
そして、今、何故改訂本を出そうとしないのでしょうか。
「国民としての誇り」など、無意味、ということなのでしょうか。
・「はいはい。私が悪うございました」
・「いやいや、そんな意味で言ったんじゃない」
・「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」
まあ、いろいろありますね。
「はいはい。私が悪うございました」
不貞腐れてますね。漫才の「ごめんね、ごめんね~」と同じです。真心が籠ってない。
けど、反省もし、後悔もしている。不貞腐れたり拗ねたりしている演技でもしなきゃ、恥ずかしくって、とても言えないから、ふざけた物言いをしてます。誤魔化さなきゃ後が続かない、と思ってる。
勿論こんな態度で誠意が通じるなんてこと、有り得ません。
「いやいやそんな意味で言ったんじゃない」
「誤解されちゃあ困るなあ」「心外だな」と言ってるわけですが、これを世間では「弁解」とか、「言いわけ」、早い話が「言い逃れ」、と言います。
実際、「オレの言い方、そんなにおかしかったかな?」と反省さえもしようとしてない。
反省してないから後悔することもない。
それどころか
「そうじゃないんだ。そんなつもりで言ったんじゃない」
というのは、裏を返せば、
「お前ら、バッカじゃねえか。何、聞き間違えてんだ」
と見下して、
「間違ってんのはオレじゃない。お前らだ」
、と。
最悪ですね、これ。でも、
「ちょっと待って。そういえば誤解されるような言い方をしたかもしれない。そうだったとしたら謝る。でも本当はそういうことじゃなくって~」
というような話し方だったら、話が成り立つか、というと、それもまず無理、ですよね。
何故って一箇所でも立ち止まって謝ろうものなら、その一言だけを鬼の首でも取ったように散々に論(あげつら)って、他のところは一切聞こうとしないでしょ?
論争の得意な人はそこばかりを追及してくる。
「ええい、もういいや」
となった頃に
「~ということでよろしいか?」
などと散々否定したことを繰り返されると、つい
「それで結構です」
その途端にゲームセット。あとはもう、二十年でも三十年でも謝罪しろ、賠償しろと言われ続ける。国家間のことなら特にそうです。
最近も「一個人としてなら」、と答えたことを最後になって「公人じゃないですか」と言われ、「じゃ、取り消します」と言ったら、「ダメですよ、問題発言です」って嵌められた、どこかの放送協会の会長、いましたね。
「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」
今、そう思ってる人、多いでしょうね。元官房長官のK野氏とか、A日新聞とか。今は不満の塊だと思います。
でも考えてみましょう。誰も「あなただけが悪い」なんて言ってない。
「あなたが悪い」、または「あなたも悪い」というけれど、「あなた『だけ』」、なんて言ってない。
「私だけが悪いのか」という、「だけ」という被害者意識を、「そりゃ、違うでしょ?」と言ってるんです。しっかり仲間、加害者じゃないですか。
何しろ日本は不思議の国です。世界中のほとんどの国が「悪いのは誰か」と犯人捜しをして問題を解決しようとするのに対し、日本では威儀を正して真正面から堂々と頭を下げ、悪行を全面的に認め、命を懸けてやり直すと宣言すれば、三度までは許してくれます(仏の顔も三度まで)。敗戦まではそれが立派な日本人の在り方でした。
間違ったことをすれば、恥を忍んで謝る。謝った上で、騒動収束のために命を懸ける。その姿を見てそれ以上の追及は「できなくなる」のが日本人です。
それがどうしたことか、戦後おかしくなって来ています。
学校教育が徹底した結果、今は家庭も十分おかしくなっている。
謝らない。間違っていたら削除して、あとは知らん顔をしている。時には削除すらせず、「人のうわさも七十五日」、とばかりに、時が経ってみんなが忘れるのを待っている。
え?「アサヒ新聞のことか?」、って?
大江健三郎の「沖縄ノート」だってそうでしょう?周囲にそんな事例、ありませんか?
自身はどうだろう、と思います。この歳になってもそれを思い出して、恥ずかしく思うことがあります。削除だけして、知らん顔してないか。削除さえしないで太平楽言ってないか。
謝っただけじゃ何にもならない。でも謝らないより数百倍、上等です。日本人に近い。
問題は「では、次に何をするか」、です。当然迷惑を懸けられた人の名誉の回復です。
先日届いた「社報 靖國」9月号に、ジャーナリストの堤 堯(たかし)氏が「靖國に行かずして靖國を語るな!」
という文を寄せられています。
その後半に書かれた文章を転載して終わろうと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「靖國に行かずして靖國を語るな!」
(略)
(その)遊就館に入ってすぐに、「青い目のサムライ」と題する展示があって一人の青年の写真が展示されている。見るからに混血・美貌の青年だ。
日米交渉も土壇場、ワシントンに送り込まれた特命全権大使・来栖三郎は、避戦に向けて必死の努力をする。来栖の妻はアリスという米国女性で、夫妻の長男・良は母親似の美青年だった。来栖がパリ在任の頃、良はパリの社交界で人気者となり、あまりの美貌に映画俳優になれと勧誘された。
良は横浜工業高校機械科(後の横浜国大工学部)を卒業、川西航空機に入社してエンジニアになった。徴兵されて陸軍航空隊に配属され、パイロットの将校として日米戦に参加した。
戦争も末期、関東上空に米軍艦載機を迎撃し、これを見事に撃ち落して帰還した。二度目の迎撃に向かうため愛機に搭乗する寸前、滑走路の死角を急発進してきた友軍機のプロペラに巻き込まれ、頭をはねられて即死した。
戦後、来栖家を訪れた米軍将校が居間に飾られた良の遺影を見て、母親アリスに向かって、
「お気の毒だが、あなたのご子息は日本軍の犠牲になったのだ」
と言った。対してアリスは言った。
「良は愛する祖国日本を守るために尊い命を捧げたのです。彼は日本軍の勇士として死にました。このような息子をもったことを、私は誇りに思います」
返す言葉もなく、将校は辞するしかなかった。父の来栖三郎は息子の墓石に、歴史の父・ヘロドトスの
「平和な時代には子が父を葬り、戦争の時代には父が子を葬る」
という言葉を刻んだ。
これには後日談がある。この来栖一家の物語を、加賀乙彦が『錨のない船』と題する小説に仕立てた。小説の初版では
仮名だが、再版以後は実名に変えられ、英訳本も実名のままだ。
その中で、米軍機と空中戦の最中、被弾した良は落下傘で飛び降り、その姿を見た村人たちがてっきりアメリカ兵と思い込み、寄ってたかって竹槍で良を刺し殺した、と書いた。
トンデモナイことだと、良の戦友らが何度も加賀に抗議したが、いまだに梨のツブテで返答はない。
この作品はいまも実名記述のまま内外の書店に並んでいる。
これは良のみならず来栖一族への侮辱・冒瀆で名誉毀損罪に相当する。いや、日本人全体を「なんと酷(むご)い民族か」と貶める。加賀の本職は精神分析医だ。必要なのは加賀自身の精神分析だ。おそらく加賀は靖國神社を訪れたことはあるまい。こういう手合いが歴史認識をひん曲げる。
(転載了)
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米軍将校からすれば憎むべき日本軍。だから良の母を「愚かにもそこへ嫁いだ米国人女性」、としか見ていないのでしょう。
それ故の彼女に対する同国人としての愛憎半ばした言葉だと思います。
それに応える見事なまでの母の言葉。亡き最愛の息子を「日本の犠牲者だ」、とまで言われて、です。
そんな見事な母に比して、加賀乙彦氏は、実名小説としながら何故にこのような話にしてしまったのでしょうか。
英霊となった一日本軍兵士に失礼だとは思わなかったのでしょうか。事故死よりも米兵と勘違いされて竹槍で刺殺される方が面白いじゃないか、とでも思ったのでしょうか。
そして、今、何故改訂本を出そうとしないのでしょうか。
「国民としての誇り」など、無意味、ということなのでしょうか。