CubとSRと

ただの日記

「誇りを持っているなら」

2020年05月16日 | 心の持ち様
2014.09/10 (Wed)

・「はいはい。私が悪うございました」
・「いやいや、そんな意味で言ったんじゃない」
・「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」

 まあ、いろいろありますね。
 
 「はいはい。私が悪うございました」
 不貞腐れてますね。漫才の「ごめんね、ごめんね~」と同じです。真心が籠ってない。
 けど、反省もし、後悔もしている。不貞腐れたり拗ねたりしている演技でもしなきゃ、恥ずかしくって、とても言えないから、ふざけた物言いをしてます。誤魔化さなきゃ後が続かない、と思ってる。
 勿論こんな態度で誠意が通じるなんてこと、有り得ません。

 「いやいやそんな意味で言ったんじゃない」
 「誤解されちゃあ困るなあ」「心外だな」と言ってるわけですが、これを世間では「弁解」とか、「言いわけ」、早い話が「言い逃れ」、と言います。
 実際、「オレの言い方、そんなにおかしかったかな?」と反省さえもしようとしてない。
 反省してないから後悔することもない。
 それどころか
 「そうじゃないんだ。そんなつもりで言ったんじゃない」
 というのは、裏を返せば、
 「お前ら、バッカじゃねえか。何、聞き間違えてんだ」
 と見下して、
 「間違ってんのはオレじゃない。お前らだ」
 、と。
 最悪ですね、これ。でも、
 「ちょっと待って。そういえば誤解されるような言い方をしたかもしれない。そうだったとしたら謝る。でも本当はそういうことじゃなくって~」
 というような話し方だったら、話が成り立つか、というと、それもまず無理、ですよね。
 何故って一箇所でも立ち止まって謝ろうものなら、その一言だけを鬼の首でも取ったように散々に論(あげつら)って、他のところは一切聞こうとしないでしょ?
 論争の得意な人はそこばかりを追及してくる。
 「ええい、もういいや」
 となった頃に
 「~ということでよろしいか?」
 などと散々否定したことを繰り返されると、つい
 「それで結構です」
 その途端にゲームセット。あとはもう、二十年でも三十年でも謝罪しろ、賠償しろと言われ続ける。国家間のことなら特にそうです。
 最近も「一個人としてなら」、と答えたことを最後になって「公人じゃないですか」と言われ、「じゃ、取り消します」と言ったら、「ダメですよ、問題発言です」って嵌められた、どこかの放送協会の会長、いましたね。

 「私だけが悪いのか?みんなの失敗を私だけが背負うのか?」
 今、そう思ってる人、多いでしょうね。元官房長官のK野氏とか、A日新聞とか。今は不満の塊だと思います。
 でも考えてみましょう。誰も「あなただけが悪い」なんて言ってない。
 「あなたが悪い」、または「あなたも悪い」というけれど、「あなた『だけ』」、なんて言ってない。
 「私だけが悪いのか」という、「だけ」という被害者意識を、「そりゃ、違うでしょ?」と言ってるんです。しっかり仲間、加害者じゃないですか。

 何しろ日本は不思議の国です。世界中のほとんどの国が「悪いのは誰か」と犯人捜しをして問題を解決しようとするのに対し、日本では威儀を正して真正面から堂々と頭を下げ、悪行を全面的に認め、命を懸けてやり直すと宣言すれば、三度までは許してくれます(仏の顔も三度まで)。敗戦まではそれが立派な日本人の在り方でした。
 間違ったことをすれば、恥を忍んで謝る。謝った上で、騒動収束のために命を懸ける。その姿を見てそれ以上の追及は「できなくなる」のが日本人です。

 それがどうしたことか、戦後おかしくなって来ています。
 学校教育が徹底した結果、今は家庭も十分おかしくなっている。
 謝らない。間違っていたら削除して、あとは知らん顔をしている。時には削除すらせず、「人のうわさも七十五日」、とばかりに、時が経ってみんなが忘れるのを待っている。 
 え?「アサヒ新聞のことか?」、って?
 大江健三郎の「沖縄ノート」だってそうでしょう?周囲にそんな事例、ありませんか?
 自身はどうだろう、と思います。この歳になってもそれを思い出して、恥ずかしく思うことがあります。削除だけして、知らん顔してないか。削除さえしないで太平楽言ってないか。

 謝っただけじゃ何にもならない。でも謝らないより数百倍、上等です。日本人に近い。
 問題は「では、次に何をするか」、です。当然迷惑を懸けられた人の名誉の回復です。

 先日届いた「社報 靖國」9月号に、ジャーナリストの堤 堯(たかし)氏が「靖國に行かずして靖國を語るな!」
 という文を寄せられています。
 その後半に書かれた文章を転載して終わろうと思います。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   「靖國に行かずして靖國を語るな!」

                         (略)

  (その)遊就館に入ってすぐに、「青い目のサムライ」と題する展示があって一人の青年の写真が展示されている。見るからに混血・美貌の青年だ。
 日米交渉も土壇場、ワシントンに送り込まれた特命全権大使・来栖三郎は、避戦に向けて必死の努力をする。来栖の妻はアリスという米国女性で、夫妻の長男・良は母親似の美青年だった。来栖がパリ在任の頃、良はパリの社交界で人気者となり、あまりの美貌に映画俳優になれと勧誘された。
 良は横浜工業高校機械科(後の横浜国大工学部)を卒業、川西航空機に入社してエンジニアになった。徴兵されて陸軍航空隊に配属され、パイロットの将校として日米戦に参加した。
 戦争も末期、関東上空に米軍艦載機を迎撃し、これを見事に撃ち落して帰還した。二度目の迎撃に向かうため愛機に搭乗する寸前、滑走路の死角を急発進してきた友軍機のプロペラに巻き込まれ、頭をはねられて即死した。
 戦後、来栖家を訪れた米軍将校が居間に飾られた良の遺影を見て、母親アリスに向かって、
 「お気の毒だが、あなたのご子息は日本軍の犠牲になったのだ」
 と言った。対してアリスは言った。
 「良は愛する祖国日本を守るために尊い命を捧げたのです。彼は日本軍の勇士として死にました。このような息子をもったことを、私は誇りに思います」
 返す言葉もなく、将校は辞するしかなかった。父の来栖三郎は息子の墓石に、歴史の父・ヘロドトスの
 「平和な時代には子が父を葬り、戦争の時代には父が子を葬る」
 という言葉を刻んだ。

 これには後日談がある。この来栖一家の物語を、加賀乙彦が『錨のない船』と題する小説に仕立てた。小説の初版では
仮名だが、再版以後は実名に変えられ、英訳本も実名のままだ。
 その中で、米軍機と空中戦の最中、被弾した良は落下傘で飛び降り、その姿を見た村人たちがてっきりアメリカ兵と思い込み、寄ってたかって竹槍で良を刺し殺した、と書いた。
 トンデモナイことだと、良の戦友らが何度も加賀に抗議したが、いまだに梨のツブテで返答はない。
 この作品はいまも実名記述のまま内外の書店に並んでいる。
 これは良のみならず来栖一族への侮辱・冒瀆で名誉毀損罪に相当する。いや、日本人全体を「なんと酷(むご)い民族か」と貶める。加賀の本職は精神分析医だ。必要なのは加賀自身の精神分析だ。おそらく加賀は靖國神社を訪れたことはあるまい。こういう手合いが歴史認識をひん曲げる。

                        (転載了)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 米軍将校からすれば憎むべき日本軍。だから良の母を「愚かにもそこへ嫁いだ米国人女性」、としか見ていないのでしょう。
 それ故の彼女に対する同国人としての愛憎半ばした言葉だと思います。
 それに応える見事なまでの母の言葉。亡き最愛の息子を「日本の犠牲者だ」、とまで言われて、です。
 
 そんな見事な母に比して、加賀乙彦氏は、実名小説としながら何故にこのような話にしてしまったのでしょうか。
 英霊となった一日本軍兵士に失礼だとは思わなかったのでしょうか。事故死よりも米兵と勘違いされて竹槍で刺殺される方が面白いじゃないか、とでも思ったのでしょうか。

 そして、今、何故改訂本を出そうとしないのでしょうか。
 「国民としての誇り」など、無意味、ということなのでしょうか。



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「逃(の)がした魚は大きい」

2020年05月16日 | 心の持ち様
2014.09/08 (Mon)

 日記、書いてたんですけどね。あと数行で終わる、ってところまで行って、転載もやって、全画面表示にしようとしたら、全部消えてしまいました。
 マウスの調子が悪くって、クリックしたところと違ったり、時には二回以上反応してしまう。
 こんな失敗、何回したんでしょう。その都度、性懲りもなく同じ後悔をする。
 「あ~、こんなことなら、ちゃんと下書きをしておくんだったぁ~!」
 って。
 「わりと上手くまとまっていたんだけどなぁ~~」
 いつもの「逃した魚は大きい」、です。

 そして「飽きることなく」というか、「千古不易」というか、全く同じ答えを出す。
 「とにかく、これからは、下書きを!!」

 下書きしてたって打ち込む段階で変えてしまうことって能くある。
 実際、勢いで書き進めていった部分は、後で読んでも読み易い。そして不思議なくらい、そんな「興に乗って(調子に乗って)」書いたものは記憶に残らず、後で見ると、他人の書いた文章みたいで面白く読めてしまう。
 それが根底にあるから、余計に下書きをおろそかにしてしまうんだろうか。

 で、考えてみた。
 「逃した魚は大きい」けど、何とか掴まえた魚と比べて「ホントにそんなに大きかったのか」、ということです。
 冷静になってみれば、「己の能力の範囲内」ってことは確かなわけで、メダカほどの文章がいきなり、鯛ほどになっていた筈はない。
 精々元がメダカなら、よくて金魚すくいの一番小さい奴程度。コイやクジラになるわけはない。
 たかが知れてる「己の能力の範囲」。

 それで、また考える。
 「己の能力の範囲内のことなんだから、高が知れてる」
 、ということと、先日引き合いに出した
 「旅に行ってもロバはロバ。(馬になって帰って来るわけじゃない)」
 とを重ねると、以下の結論が出てくる。
 「何やっても高が知れてるんだろ?書いて置きたいことが一杯ある、ったって『己の能力の範囲内』ってことならその書いた内容も高が知れてる、ってことだろ?じゃ、意味ねえじゃん。」

 何という後ろ向き!何という投げ遣り!自己蔑視だ、自虐史観だ、ジパノフォビアだ!
 これじゃまるで
 「どうせボクなんか。代わりは誰だっていいんだ、父さんはボクのことなんか何も思ってないんだ」
 、と拗ねてる碇シンジくんじゃないか。
 いや、別に人類の未来が双肩にかかってる、ってわけじゃないんだけど、少なくとも自分の代わりはいませんからね。
 「天上天下に我は一人。自分が認めないでどうするか(天上天下唯我独尊)」、です。

 「己の能力の範囲内」だからこそ、できる限りのことをすべきで、その繰り返しが微々たるものではあっても「己の能力の範囲」をその都度広げていくのだ、ということを我々は知っています。少なくとも理解は、している。
 今あることを受け入れる(容認する)のではなく、今あることを認め、向上する(筈の)自分を信じ、尊ぶこと。

 「書いたこと、考えたこと」のレベルも同じことです。書くにつれ、考えるにつれて、少しずつ間違いなく向上している。向上しない筈がない。
 勿論、生身の人間ですからね、怠けていれば退行しますけど。

 「勝てない相手はいない」と錦織選手、言ってたけど、その表情を見ると虚勢を張ってるわけじゃない。傲慢な様子でもない。ひたすら自分を信じて、自分に言い聞かせているんだと思います。
 昨年から今まで、コーチの指示通りに基本的な技術の徹底練習をし続けて来たんでしょうね、心技、共に。
 というより、心に技を乗せて。

 「逃した魚」を希望として、また日記を書きましょう。

 
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8月10日「報道2001」での橋下発言について

2020年05月16日 | 日々の暮らし
2014.08/11 (Mon)

 「反日勢力を斬る」ブログで書き起こされていたので一部拝借します。

 橋下
 「自民党の保守系の政治家にも問題があった。稲田行革担当大臣ですよ。産経新聞の正論に当時は合法だったと、日本には公娼制度があったから合法だった、何も日本は悪くないという主張もあった。片山さつきさんもこの問題をずっと取り上げて強制連行は無かったから日本は悪くないと言っていた。保守系の議員の人たくさん居たんです。
去年5月、僕がもう世界から国内からバッシングを受けた時に稲田さんも片山さんも『女性蔑視だ』と急にころっと変わってしまった」

 このへんの経緯は知らないが、橋下発言は世界の誤解に油を注いだだけだったのは紛れもない事実だ。
 
 http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-2572.html

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《去年の五月にこの話をした時は、稲田氏は合法であったと言い、片山氏は強制連行はなかったから悪くない(合法)と言って、自分だけが言っていたわけではない。
 ところが、大問題になってからは二人とも態度を急変させ、自分は孤立無援になってしまった。》

 何だか、これだけ見たら、自民党もとんでもない風見鶏で(そんなのもいますよ、そりゃ)、形勢を見て態度を変える、信用ならん、ということになるんですが、そりゃ話が混乱してますよ。

 あの時は、慰安婦自体は合法であり、強制連行はなかった、ということで、賛同者が多かったのだ。

 橋下氏は、
 「それはそれとして、苦痛を与えたことを自分の耳で聞いて、謝るべきところは謝る、それが道義上の責任じゃないか」
 と話を進めた。
 また、海兵隊に関し、
 「あれだけの猛者が。それなりに遊ばせてやるべきではないか」
 といったようなことを発言した。
 
 その結果、慰安婦だったと主張する当人とその援助をしている団体は、橋下氏に論詰され、論破されることを懼れ、面会を取りやめ、帰国してしまった。
 海兵隊に関しては、建前で動く他国の軍隊に対し、不作法な事を言ったわけで、痛いところを衝かれた米軍司令官の方は、ただただ不快感を抱くだけ、となってしまった。
 
 双方とも、橋下氏なりの「思い遣り」から発したものと思われる。
 氏はそれを、上記のような言葉で説明したわけだ。

 しかし、番組での話はますます混乱してしまった。
 何しろ強制連行云々からアサヒの目論見通り、「人権蹂躙」に話をすり替えて強弁する出演者が二人。
 それに自身の発言の正当性を主張する橋下氏が入って、アサヒの検証、今後の取り組みについての話がそっちのけになってしまった。

 で、あの時、橋下氏は沖縄米軍司令官に対し何を言ったのかを見直して、もう一度番組のことを思い出してみた方が良いのではないか、と思い、あの時の日記の一部を再掲してみることにする。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「本音がそんなにえらいのか(やせ我慢をする意味)」
                          
                              2013年5月15日の日記


 間違いなく橋下氏は本当のことを言っている。与党自民党が、今、言うに言えないことを、単身、「橋下個人」として言っている。
 何でも今朝の2時ごろまで40回ほどツィートしているらしい。
 周りはみんな非難する。石原氏と松井氏だけが擁護するようなことを言っている。
 維新の内部でも「人気取り」「選挙対策」などと言っているらしいが、橋下氏にとって、そんなことはどうでもいいだろう。自民党に恩を売れば良いだけのこと。
 少なくとも、この発言で韓国の目は橋下氏に釘付けになっているし、シナだって己の国がやってきたことは棚に上げて、例によって加減を知らない批判振りだ。(「日本の政治家が人類の良識と歴史の正義に公然と挑戦する言論を発表したことに驚きと強烈な憤慨を示す」、だって。)

 本来なら、今、これらの国の安倍政権潰しの工作が本格的になる時期のはずだが、この囮(陽動)作戦を無視して工作活動を続ければ、自国内での統制が全く利かなくなる。そして、世界中から本心を見透かされてしまう。だから、どうしてもこれへの対応が必要になる。
 「もしかして」飯島顧問の訪朝とリンクしてるのか?なんて思ったりする。


 ところで、今回の日記も、政治の世界なんか全く分からないおっさんの、「床屋政談」ではありません。
 初めに書いた通り、何だか釈然としないものを感じたからなんです。

 橋下氏が何らかの政治工作的意図を以て、の発言だろうという事は明らかです。釈然としないのは、だからそのことではない。
 今回の夕刻の備忘録を見て、
 「ああ、そんなことを言ってたのか。そういう事か」
 、と思ったからなんです。

 備忘録氏の文中にある、橋下氏の言、
 「世の中、建前では回らない」。 
 その通りです。
 でも、これ、大変な妄言です。
 そして、備忘録氏が問題にされている通り、もっと大きな問題は米軍司令官にそれを直言したという事です。
 更には日本軍への賞賛までも打ち消してしまった。


 「世の中、建前では回らない」。 
 そうです。その通りです。
 でも、そんな当たり前のこと言って何になる。
 世の中は、社会は、個々人みんなが幸せになりたいから、助け合うためにつくったものでしょう。
 つまり社会は「本音を実現するために考え出され、つくられた」、「建前」じゃないですか。
 「世の中、建前では回らない」、なんて見下した言い方するんじゃなくて、「世の中、建前で回すよう努力すべきだ」、というのが政治家じゃないですか。
 政治家がニヒリズムや打算に走ってどうする。

 性欲の問題は大問題です。
 でも、
 「性欲を処理してすっきりしたら、明日は一人でも多く敵を殺せ」
 というのでしょうか。
 兵士は、剣闘士でもなく、殺しを請け負う殺し屋でもない。国家国民のために必要とあらば覚悟して命を捨てようとするごく普通の人間です。普段は普通に生活している一人の日本人です。これでは有事の際には命と性欲を天秤に掛けよと言ってるのと同じじゃないですか。
 更には、自衛隊にだってこんな軽はずみな事を言える筈がないのに、同盟国の軍司令官に同じことを言う。・・・・言えますか?

 こんなだから、外国から日本軍の優秀性について称賛の声が挙がっても、
 「性欲を抑えきれないのはどこも同じ。男だから」
 みたいなことを平気で言う。これ、軍を、特に日本軍を本当に擁護していることになりますか?

 軍人は多くの部分で武人、武士の心の有り様に重なります。一番大きいのは「自律」の心です。
 「性欲を抑え込むこともできないで何の軍人か!」 
 という気持ち。できるできないではないのです。
 「建前で生きなきゃならない」
 というやせ我慢をするからこそ、軍人は武士と同じく尊敬された。
 氏はこの軍人の「痩せ我慢」を「建前では、回らないんですよ」、と一蹴した。

 慰安婦云々よりも、軍人のやせ我慢を侮辱したこと。それも同盟国軍のことを同盟国軍の司令官に。
 「痩せ我慢なんてつまらないことしてないで、風俗産業に行かせて発散させなさいよ。でないと、いざという時、十分に働いてくれないよ?」

 こんな言い方されて、腹を立てない方がどうかしている。

 しかし、この言い種を採り上げて、批判、非難したマスメディアは居たか?
 
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、はや中年の男が「世の中、建前では回らない」との発言までしたようである。一体どれほど狂っているのだろう。ここまで馬鹿だと批判する方も疲れる。「世の中、本音では回らない」のである。本音で回らないからこそ、建前を繕うのである。その繕った建前が、ようやく世の中を回しているのである。そんなところに個人の本音など入ろうはずがない。それをやたらに入れたがるのはエゴイストであり、革命家を気取る狂人である。

                    (略)

この記事の中身で最も恐ろしい部分は、「コントロールできない」「認めないとダメ」「考えないといけない」の件である。この男は、誇り高き米軍司令官に対して、「何々はできない」「何々ではダメ」「何々をしないといけない」と誹謗し、侮辱し、命令したのである。他国の軍幹部に、その前段が如何なる内容であろうとも、「できない」「ダメ」を連呼して、ただで済むはずがない。しかもその前段たるや「聞くも書くもおぞましい下半身ネタ」なのである。

                    (略)

 何しろ「海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と断言しているのである。米軍のエリート中のエリートである海兵隊を、「自らの精神すら制御できない愚者の集団である」と言ってのけたわけである。恐らくは軍人にとって、これ以上にない侮辱であろう。ましてやその指揮官にとっては、全てのアメリカ軍人の名誉に賭けて、許せるはずもない発言であろう。

                    (略)

 日本側の立場として、過去の様々な事件を念頭に、こうした暴言が出たのだというのなら、彼等も本国に報告のしようもあるだろう。しかし、そうではない。「因果関係はない」としての発言である。所詮「命をおとしかねない極限状況」には、あなたがたの部隊は耐えられないだろうから、こんな息抜きは如何か、と女郎屋の主人ばりに躙り寄って、骨の髄まで海兵隊を侮辱したのである。

集団行動の全くできない男が軍に、しかも他国の軍に、自らの主張を聞けと迫る。大したシビリアンコントロールである。こんな問題を「軍の最重要課題」などと論じている段階で、軍人は元より、シビリアンにもなれはしない。あらゆる方策を講じて、公人の座から引き摺り降ろすべきである。この発言の責を問われるのは、この男ではない。誠に残念ながら我々日本国民なのである。ゲスを公人として選んだのは誰か。一都市の選挙であるという言い訳は、もはや通じない。

                     (略)

 史実として旧軍の規律が極めて高かったことは、様々な場面で立証されている。それは我が国が殊更示さずとも、他国から声が上がるレベルにある。それを「世界中どこの軍においても云々」という発言で自ら否定し、同列にまで落とし込み、そのことによってこれまでの我が国の主張を、その価値を徹底的に貶めた。
 
           「武人の誇りとゲスの本音」
                    ~夕刻の備忘録より~
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久し振りに「なるほどねぇ~」

2020年05月16日 | 重箱の隅
2014.08/01 (Fri)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
      平成26年(2014)7月31日(木曜日)弐
                       通巻第4305号  
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 期限切れ鶏肉をつかってマック、KFCの経営被害は甚大だが
   このキャンペーンは中国の外国企業排斥が基本の動機ではないのか
 *************************

 最初から意図的である。
 期限切れ食肉加工は米国企業が100%出資の現地法人である。中国のテレビが当該工場に潜り込んで、実際にカメラを回し、「期限が切れている? 死にはしないさ」という工員の会話が録音された。

 画像が放映され、中国ばかりか世界に流れたので、日本でもファストフーズなど、甚大な悪影響がでた。

 しかし、この事件はそれほど驚くことだろうか?
 どぶ川の水で食器を洗い、箸をばしゃばしゃと洗い、つぎの客に出すのは常識。いや、それは日常の風景。屋台だけの話ではない、ちゃんとしたレストランで小生がチト呆れたのはどぶ川の水でスープを作っていたこと。すぐにそのスープを飲むのをやめたが、下痢は三日続いた。

北京の一流ホテルの料理場では、コック長が「客が日本人?」と聞くやフライパンに唾を吐いて、それから料理したと、実際に目撃した元駐在員が語った。中国での駐在が長いと原因不明の食あたり、食中毒は常におこる。原因不明で死んだ人も何人かいるが、中国の医院では死因は特定されない。

 過去四年間だけでも、伊勢丹、ヤマダ電機など数十社が撤退したが、日本企業ばかりではなく台湾企業は一万社近くがすでに撤退した。韓国企業は夜逃げを敢行した。米国も、IT関連、通信機器、コンピュータの多くが人員削減に踏み切っている。IBM,HPなどの動向がそれであり、またスタバも近く撤退を開始するとの情報がある。

 IT関連で言えば、華為技術やZTE(中国通訊)など大手がすでに欧米日の技術に迫り、外国企業が邪魔になったため、様々な妨害、入札阻止などをおこなっている。豪企業リオ・テント、英国企業グラクソ・スミス・クラインなどは、なぜか独禁法抵触といわれて社員が逮捕されるなど露骨に中国企業を保護するためだ。


 ▲米中戦略対話の破綻、海洋リグ撤去への報復の可能性

 この流れが食品産業にきた。
米系企業をとっちめるのは、その背後にもっとどろどろした政治的動機がある。つまり、シャングリラ対話、米中戦略対話で、米中はアジアの安全保障をめぐって激論、中国は四面楚歌となり、完全に米中関係が破綻している事実経過となんらかの関係がある。

 ベトナム沖で掘削を続けたCNOOC(中国海洋石油)は、海洋リグを撤去した。これを中国軍は屈辱と感じており、米国への報復をとんでもない方向からやらかした、とみると整合性がでてくるだろう。

 さらに穿った見方は、この米国企業は進出のさいの諸手続きや認可に関して江沢民派の世話になった。江沢民派をコーナーに追い込む習近平政権にとって、これは戦闘開始の信号でもある、という。
しかしまだ勢力を誇示する上、家来を政治局常務委員に四人も送り込んだ江沢民を最後まで追い詰める意図を習近平が抱いているとは到底考えられず、上海派が牛耳る通信利権に習近平が手を出す前に、胡錦涛――温家宝――朱容基らがもつ「金融利権(銀行、保険、証券)に手を付けるか、あるいは守旧派の李鵬一味が持つ「発電利権」に手を出すだろうからだ。

 ともかく米国企業を絡め手で敵に回した中国は、この結末をいかにつけるのか?

                  (以下略)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 米国企業が100%出資の現地法人。中国のテレビが潜入、驚愕の科白を録音。
 それを
 「我が国の恥が、まさか世界に流れるとは思わなかった」
 と言うのだろうか。それこそ「まさか!?」、だ。
 計算され尽くしたものだ、と思わない方がおかしいんじゃないか。
 それを宮崎氏は端的に
 「この事件はそれほど驚くことだろうか?」
 と書かれている。
 どぶ川の水で食器、箸を洗い、同じ水でスープをつくり、コック長(!)が日本人の客には唾を吐いたフライパンで料理を作る。
 それが当たり前(!)なのに、何故、外国企業の場合は「死にはしないさ」という科白と共に大々的に報道したのか。
 外国の厳しい衛生管理を知るからこそ流したわけで、ならば、これは国内向けより敢えて世界中に知らしめるためにやった、と考えるのが妥当だろう。
 じゃ、その目的は?
 「21世紀の今、GDP第2位となった大国であるが、我が国の衛生観念はこんなに低い。何とも恥ずかしいことである」
、と世界に知らせるため?そんな筈、ないですよね。
 この会社の信用を貶め、もう、シナではやっていけないようにして潰してしまう。潰してそのまま名前を変えて自国専用の会社にして、収益を国内にとどめようと目論んだのではないか。

 出資者であるアメリカ企業が、
 「もう、やっていけない」
 と言えば、
 「工場、食品製造の技術等、そのままで引き揚げるのなら(着のみ着のままで、なら)、我が国に与えた多大な損害を罪には問わない」
 とか何とか。
 そして、国が後ろ盾となって、全てを押領(横領)する。

 最初からその計画だったのではないか。「ヤオハン」なんかはその犠牲者第一号、と言えるだろう。
 
 いや、そんな陰謀論で片づけるべきではない。これは陰謀でも何でもない。ごく当たり前のこと、何も今に始まったことではない、日常茶飯のことなんだ。シナ始まって以来、連綿として続けられて来た、伝統的手法。国技とも言えるやり方ではないか。
 例の「避諱(ひき)」、だ。「目上の者を、嘘を吐いてでも護らねば立派な人間ではない」という考え方だ。
 外国資本の下、全てを夷狄の指示通りに行う。華夷秩序を忘れたのではない。華夷秩序を守ればこそ、臥薪嘗胆、目上(国家)を守るために避諱を貫く。そして最後にはその全てを乗っ取って、自らが立派な人間であることを証明する。
 「愛国無罪」などという、下賤の者の使う薄っぺらな言葉では表せない「華人」の在るべき姿をこうやって示す。
 「私はこんなに立派に国を守り、国のために尽力した」ということになるのだろう。
 少なくとも、テレビ局はそのために多大な貢献をした、と考えて良いだろう。

 筋書き自体は、繰り返すけれど昔からの陳腐なものということになる。が、今、敢えてこんなシナリオを用意したのは誰か。それは言うまでもない、テレビ局の上に居る者。国を牛耳る者。

 二つ目の説は米国への宛て付け。「江戸の仇を長崎で」、です。
 論理性のまるでない手法だから、普通は「あれだけの大国が、そんなガキみたいなこと、するか??」と思ってしまう。
 でも、そんなガキみたいな反論、或いは論点をずらしての討論、って真面目に相手をするのがバカバカしくなってくるでしょう?「もう、キミとはやっとれんわ!」となる。すると「正義は勝つ!」とばかりに踏ん反り返ってます。
 「下品で声の大きい奴が勝つ」討論より、さらに低いレベルの話であることは言うまでもない。尖閣の体当たり事件の時、何がありましたっけ?レアメタル、とか、人質のようにしての逮捕、監禁、とか。「江戸の仇を長崎で」。ね?

 三つ目が権力闘争の手駒として使われた、という説。
 江沢民派の勢力を削ぐため。壊滅を目指したら、それこそ忍界大戦みたいになってシナ自体が四分五裂の、各地の独立騒ぎになる惧れに晒されるし、好機と見て西欧諸国が雪崩れ込んでくる。主席の命だって危うくなる。
 だから勢力を削ぐだけにして習体制を維持して置けば、そう遠くない将来、既に引退している江沢民は・・・・でしょう?
 リーダーがいなくなれば、揺さぶり続けるうちに分裂衰退していく。

 さて、どうでしょう。
 「三つとも、だな」、と思いませんか。
 下品なことも平気でやる。ハニートラップなんて兵法の中にも入らない、のかもしれません。
 腹黒いでしょう?下品でしょう?
 でも、そうやって国を動かそうとしているのが大方の国です。
 国益のためなら何だってする。

 そんな中でも、日増しに傲慢になっていく国を、隣国に持つ我が国。
 それでも我が国は
 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して』我等の安全と生存を保持しようと決意した」
 って。
 ・・・・・具体的には「九条最強!」「世界へーわ、夜露死苦!」と唱えるだけでしょ?

 ダイジョーブかな~。集団的自衛権反対、ということなら、専守防衛で、いずれは皆殺し、でしょう?
 「核ミサイル、東京に落とす」、って言ってるから、反撃した時には東京は無くなってるんだけど・・・・。
 「最後の一人まで戦うぞ~!」
 「お~っ!」
 「先に手を出しちゃいけないんだぞ~っ!」
 「お~っ!」
 「くるなら来てみろ~!話し合うぞ~っ!」
 「お~っ!・・・・・えっ??」

コメント
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