CubとSRと

ただの日記

ですよね。

2020年05月06日 | 心の持ち様
2013.07/01 (Mon)

 
 古森義久氏の「ステージ風発」ブログより、そのまま転載します。

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 「安倍首相が中国に反論した」


 日本の民主党政権の媚中姿勢とくらべると、いまの自民党政権は健全です。
 安倍首相が日中首脳会談に関する中国側の前提条件をあっさりと非難し、その態度をたしなめた、というのです。
 当然の姿勢にもみえますが、ルーピー鳩山、ナッシング菅、口だけ野田の三首相では考えられなかった対中姿勢に思えます。

 6月28日、安倍首相は「中国側は、尖閣諸島の問題について、ある一定の条件を日本がのまなければ首脳会談をしないと言ってきている」と述べました。中国側が日中首脳会談実現に、尖閣問題での新たな譲歩を前提条件として日本側に提示していることを明らかにしたのです。
 安倍首相は自民党総裁として参加したインターネットでの党首討論でそのことを明らかにしたそうです。

 首相は、中国側の条件提示について「それは間違っていますよということを我々は言い続けている」と批判しました。「首脳同士の交流はとても大切だ」としつつ、「なにがなんでも首脳会談をやろうとしてこちらが国益を削っていくのは間違っている」と強調しました。習近平国家主席との会談の前提として尖閣問題で譲歩する考えはないとの姿勢を示したとのことです。

 中国側は日中首脳会談を開くためには、日本側がまず前提条件として尖閣での領土紛争の存在を認めろとか、尖閣の棚上げを認めろとか、という類の前提条件を求めてきたのでしょう。
 それをぴしゃりと断り、そもそも首脳会談の開催自体に前提条件として相手国からの譲歩を求めるという中国の汚い手法の理不尽さをきちんと指摘する。

 ごく自然な対応ともいえるのでしょうが、最近の日本ではなかったパタ-ンに思えます。
    http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/3117390/
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 先日来、朴大統領の訪中ニュース、朝のテレビ番組などで採り上げられていたのを、何度か見ましたが、大方は「中韓が蜜月状態で日本は仲間外れ」みたいな「どうしよう、どうしよう」と狼狽しているような捉え方。
 今朝の「朝ズバッ!」ではM氏、「これから日中程度の付き合いになろうとしているんだから、高いところから見ているくらいのつもりで良いんじゃないですか」、みたいな分かったような分からんようなことを言ってましたが、そういう問題じゃない。

 ここにはシナのことしか書かれていませんが、実際のところ、日本が歩み寄ろうも何も「歴史ファンタジーを受け入れよ」、とか「日本が尖閣諸島を盗んだ」などと言われるのに、どうやって歩み寄ればいいんでしょう。
 「首脳会談の開催自体に前提条件として相手国からの譲歩を求める」
 なんて、どう考えたって変でしょう?

 この「どう考えたって変でしょう?」という事を、これまでは政府、外務省が内密に相手国と摺合せをして妥協点を探ってきたわけですね。いや、勿論今もやってるでしょう。
 けれど、レーダー照射の時と同じパターンで、「こんなことされてるんですよ」「こんなこと言われてるんです」→「正しいのはこれです(理は我にあり!)」
 余裕があれば極めの一言。
 「ところで皆さんはどう思いますか?」

 相手の耳に届くように、周囲に向かって話をするというやり方、これは効果的です。ロビー活動なんかでなく、噂となって一瞬に世界に広がるから、国交の有無より、正しい筋合いの方に賛同する国が多くなる。
 これ、古来、シナの一般的なケンカの仕方にあるんです。
 ある、というより、これがケンカの常道。ケンカというものは当事者だけでは成り立たない。当事者と観客(野次馬)があってこそ、です。

 当事者だけだったら、ケンカのあったこと自体、世間に知られないでしょう?
 相手が何か言って来たり、手を出そうとしたりすると、言い返したり応戦したりするのではなく、まずは周囲の人に大声で説明する。
 勿論相手のやり方が理不尽であり、こちらに正義がある、という事をできるだけ平易に説明するわけです。
 「相手も同じ対等の立場の人間」、と考える日本人は、相手の人格を認め、まず相手の言い分を聞こうとする。
 一対一で周りに誰もいなければ、心ゆくまで話し合えばいいんだけれど、現実の世界では一対一の果し合いのような状況になることは、まず、ない。
 そうなると、先にまくし立てて、周囲の人を味方にした方が良い。

 どんな字を書くのだったか忘れてしまったんですが、この「言い合い」、口喧嘩、(ちょっとした演説です)のことをシナでは「ワラワラ」と言うんだそうです。
 これで相手を言い負かす、周囲の人(見物人・野次馬)を味方につけた方が勝ちです。言い負かされて悔し紛れに殴り掛かって勝っても、周囲の目は冷たい。
 言い負かされた上に殴り掛かって負けたら、完璧に笑い者になるから、殴り合いにまで発展することはないんだとか。

 シナ伝統の喧嘩の仕方を、安倍総理、彼の国のお株を奪ってしまったわけです。
 どうも彼の国は喧嘩の仕方まで(民主主義的だから?)、粛清してしまったようです。

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重箱の隅をつついてみました。

2020年05月06日 | 重箱の隅
2012.09/30 (Sun)

 「ダチョウになった沖縄タイムス」   
                  ー狼魔人日記ー より
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘されるオスプレイに乗っても、安全性について判断を下すことができない。
  本紙記者が試乗することで「オスプレイは安全」という根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがあるため、搭乗は見送った。
 
       (武富和彦編集局長の談話)
            沖縄タイムス   9月24日の記事

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (ダチョウは危機に直面すると頭を砂地に突っ込んで危機を打ち消そうとするんだそうです。頭突っ込んだって、危機は消えやしないのに。)


 「乗っても、安全性について判断を下すことができない。」

 そりゃそうでしょう。
 「一回乗ってみたから絶対安全、大丈夫だ!」
 なんてこと、強弁する方がおかしい。将にその通りです。
 けど、
 「本紙記者が試乗することで『オスプレイは安全』という根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがあるため」「搭乗は見送った」、って。
 そりゃ、また何で?何でそうなる?

 まさか沖縄タイムスの記者の記事(又は取材活動)は、アメリカの専門委員会より信頼されている、ということでしょうか? 
 もしそうだとしたら、「こりゃすごい!一地方紙が住民にそれだけの影響力を持っているのか!」とひたすら感心するしかないのだけれど、「根拠のない情報が県民や読者に発信されるおそれがある」と書いてある。

 「根拠のない情報が」、ということは、局長自身、記者の「アメリカの専門委員会」以上の鑑識能力を信じていないということですよね?
 信じてないから、「間違った情報が発信されるかもしれない」、つまり、「危惧(おそれ)」として捉えている。
 「鑑識能力がない」上に、「根拠のない情報を発信する」「惧(おそ)れ」のある記者を沖縄タイムスは雇い、不信感を抱きながら、いや抱くが故に「搭乗」を「見送」らせた。

 それって、つまり「取材はしなかった」、と言ってるだけでしょう?
 「搭乗は見送った」、というのはそういうことですよね?
 じゃあどうやって取材をするんでしょう。
 少なくとも「試乗記」は書けないし、当然、試乗もしてないのに「安全性について判断を下すことはできない」。
 けど、それ以上に「危険性について」も書けるわけがない。
 大体が、試乗したって「安全だ」とも「危険だ」、とも言えないんでしょう?

 「墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘されるオスプレイに乗っても、安全性について判断を下すことができない。」

 この文、言い換えれば「試乗しても、安全性について判断はできない」と言いたいだけで、それは最初に書いた通り、至極真っ当なことです。
 なのに、妙な修辞が先に来ている。

 「墜落事故が相次ぎ、危険性が指摘される~」、と「オスプレイの定義」をしている。枕詞、と言っても良いかもしれない。
 こう言いたいんですよね、きっと。
 「試乗なんかしたって、どうせ安全確認なんかできないんだから、試乗はしなかった。本紙記者が乗っただけで『安全だ』、なんて言われちゃかなわん。」

 それならそれだけ言えばいい。それでこそ、事実を伝える新聞記者だ。
 けど、わざわざ「墜落事故云々」をつけている。
 初めっから「受け入れる気はない」って言えばいいのに。
 あ、事実を伝える新聞社としては「反対だから、乗らなかった」、じゃ、記事にならないからか!

 でも、それ、新聞社の態度???
 
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「党員票は民意だ」ってか?

2020年05月06日 | 心の持ち様
2012.09/29 (Sat)

 新聞を読んでもテレビを見ても、どうもよく分からん、ということが結構ある。
 それで周囲の迷惑を顧みず、録画をしてとんでもない時に見たり、やらねばならない家事をつい忘れて新聞を読んだりするのだが、やっぱりわからんことは分からん。「そこらにいくらでもいる『ただのおっさん』の面目躍如、だな」、なんて威張っていられない。

 今度の自民党総裁選では、石破氏が党員票の過半数を得たものの、全体票では過半数には届かず、決選投票となった。そして安倍氏の逆転勝利となった。
 小泉進次郎議員が
 「私は二回共、石破氏に投票した。野球だってクライマックスシリーズで三位だったチームが優勝することがある。そういうルールなんだから、結果は受け入れて当然のことと思う」
 みたいなことを言っていた。
 早い話が「ルールなんだから仕方がない」。つまり、少々以上に不満が残る、と。
 石破氏自身、
 「そういうルールで行われたんですから、党員票は過半数であっても(この結果)、『じゃあ、党員票って何なんだ』などと言う気はありません」、と。

 「思いきり言ってるじゃないか」とテレビのコメンテーターが突っ込んでいたけれど、勿論石破氏も納得している。そして、不満は当然残っている。
 確かに過半数を一人で得てしまった。それに比べたら二位の安倍氏だって大差をつけられているわけだし、その上に議員票を載せたってとてもじゃないけど石破氏に太刀打ちできるような状況ではなかった。
 それが議員だけで改めて投票したら、僅差で石破氏は破れてしまった。
 「でも、この党員票って一体、何なんだ?」と考える。

 三年前、下野することになってしまった自民党は、昨日の「天声人語」にあった如く「落ち武者集団」のように尾羽打ち枯らして「党名から変えるしかないんじゃないか」というところまで追い詰められていた。
 長い長いこの三年間、「反省しろ!」「どこが悪かったのかはっきりさせなければ」と散々に言われ続け、議員として残った者も考え続けた。
 そんな中、石破氏はテレビに出れば「反省しなければならない」「どこが悪かったかをよく考え、悪いところは変えていかねばならない」と言い続けてきた。けれど、それは他の議員だって同じではなかったろうか。
 一人でも「もう反省なんかしなくていい。悪いところなんか今の民主に比べたら無きに等しい」、なんて広言して憚らなかった人がいたか。

 それなのに何故、石破氏一人が「党再生」を考え続けていたように見え、これだけ党員から期待されたのか。
 一つはっきりしているのは、特に石破氏はこの三年間、誰よりも多く全国を歩き、党員と話をしてきた(党員の話を聞いてきた)、ということだ。
 何でも、自民党の党員は60代以上が大半らしい。その大半である60代以上の党員が、多く石破氏に投票した、と。

 テレビ、新聞しか見ない、読まない、「ネットなんて見ることもない情報弱者だから、テレビの情報に流されたんだ」という意見もあるようだが、それは明らかに間違っている、というか、あまりにも皮相的な、薄っぺらな見方だ。最も大事なことを忘れている。
 テレビ、新聞などのマスメディアによる情報と、ネットによる広範な玉石混交の情報。この二つだけが情報、なわけではない。それよりももっと強烈な情報があるではないか。それは直接、己が目で、耳で、手で受け取る情報だ。
 百聞は一見に如かず、とは言うけれど、その一見も、テレビではなく目の前に実物を置いた方が感情を揺さぶられる。「感動」する。サッカーだって、大相撲だって、野球だって、AKB48だって同じだ。私だってAKB48劇場に行って舞台を見たら熱烈なファンになる(・・・かもしれない)。

 石破議員が全国を歩いた。
 じゃ、それぞれの土地で、党員の前で、話をし、党員の多くが「石破さんの言うことはよく理解できた。よし、今度の総裁選では石破さんに投票しよう」となったのか。そんなこと、ある筈がない。
 長年それぞれの人がそれぞれの考えを持って働き、生きてきたのだ。一度や二度会って話を聞いたからって「よし!あんたの言うことは全て理解した」なんてなろうわけがない。
 普通に考えたら、百歩譲って「来て話をしてくれた。能くは分からなかったけどオレの話もちゃんと聞いてくれた。大臣なんかやってた割に、なかなか感じのいい人だ。この人なら投票しても良いなと思った」ではないのか。

 気持ちを揺さぶられた。ちょっと大袈裟かもしれないけど「意気に感じ」た。
 これが「どぶ板選挙」ではないのか。政策や、国家論ではない。
 「大汗かいてやってきて、話を聞いてくれた」
 たったこれだけが、百万言より重い、信頼になったのではないか。
 「自民党は変わらなければならない。そのために皆さんの意見を聞かせてほしい」。
 「自民党のために」と説明し、話を聞き、そして全国を回った。で、残ったのは「自民党の変わり方」でも、石破氏の「考えの理解」でもない。残ったのは石破氏への「信頼」だった。相変わらず「どう変わるか」のビジョンはない。けれど、それは「信頼する」石破氏に任せればよい。党員の心の裡はこんなものの筈だ。
 党員は党の代表たる国政議員を支える。衆参両方の議員は党員より見識が高いからこそ代表と「された」。
 それでは、見識の高い者と、数の多い党員のどちらの考えを採るべきか。

 こう考えてくれば、「決選投票は議員だけでやり、結果、逆転して安倍総裁が誕生」となったのは、何ら不思議なことではない。
 これが小選挙区(一人しか選出されない)からの「一票に泣く(一票差で落選という)」ような形、或いは「議員票、党員票も同じ一票として、決選投票はしない」という形なら、それは明らかに「ポピュリズムだ」ということになる。
 党員票を掴んだ石破議員を幹事長にする。これ以上の便法はないではないか。
 それに党員票は「民意に近く」ても、党員は決して民意ではない。
 党員は党の考えに共感を持ち、党を形成している人で、「党として国を動かす」ことを考えている。

  民意はまず「個」人の損益を考える。党意はまず「国」の損益を考える。

 長くなりました。最後に。
 
 総裁選を野球のクライマックスシリーズに喩えることが適切でないことだけは
 はっきりしている。それをメディアが「おかしい」と言わないのは、確かに自民党分裂の画策が始まっているからかも・・・・・・・。
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始まりましたよ。でも爪なしのねこパンチ。

2020年05月06日 | 心の持ち様
2012.09/27 (Thu)

 天声人語  9月26日付

 3年前の秋、自民党は落ち武者集団を見るようだった。政権を明け渡し、「自民党という名が国民に嫌われている」と党名を変える動きもあった。「和魂党」やら「自由新党」やら、まじめに考えていたらしい
▼支援団体は離れ、陳情は減り、食い慣れぬ冷や飯のせいか無気力と自嘲さえ漂った。その斜陽から、新総裁が次期首相と目される党勢の復活である。「ある者の愚行は、他の者の財産である」と古人は言ったが、民主党の重ねる愚行(拙政)で、自民は財産(支持)を積み直した
▼とはいえ総裁に安倍晋三元首相が返り咲いたのは、どこか「なつメロ」を聴く思いがする。セピアがかった旋律だ。当初は劣勢と見られたが、尖閣諸島や竹島から吹くナショナリズムの風に、うまく乗ったようである
▼1回目の投票で2位だった候補が決選投票で逆転したのは、1956年の石橋湛山以来になる。その決選で敗れたのが安倍氏の祖父の岸信介だったのは因縁めく。「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった年のことだ
▼以降の自民党は、国民に潜在する現状維持意識に根を張って長期政権を保ってきた。人心を逸(そ)らさぬ程度に首相交代を繰り返してきたが、3年前に賞味期限が切れた
▼思えば自民は、原発を推し進め、安全神話を作り上げ、尖閣や竹島では無為を続け、国の借金を膨らませてきた。景気よく民主党を罵倒するだけで済まないのは、よくお分かりだと思う。たまさかの上げ潮に浮かれず、責任を省みてほしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 中身がないというか、イヤらしいというか。
 とにかくねちねちと、言葉を選んでの感情的な物言いです。
 読み終わって、
 「結局何を言いたかったんだ?」
 と思う。

 「三年前は落ち武者集団を見るよう」で、「党名を変え」ようとしたことを嘲笑う。 「無気力と自嘲の漂っていた」のから復活できたのは「ただ民主党の愚行」の故で、「安倍総裁の返り咲きはセピアがかった懐メロ」、とこき下ろす。
 「原発は自民の責任」「尖閣・竹島は何もしなかった」「国の借金を膨らませた」
 
 何故、そうだったのか、どんな努力をしていたのかは完全に無視して、やることなすこと初めから揶揄、嘲笑の種、としてしか見ていない。
 大学の入試に出されるからと、これを毎日読んでいたら・・・・。
 そう思うと何だかうすら寒くなってしまう。

 気を取り直して。
 「3年前に賞味期限が切れた」と断じた政党に、
 「まだ始末はついてない。責任を省みよ」、とノタマウ。
 何だか政権与党に愚痴を言ってる飲んだくれの左翼インテリおやじみたいだ。


 あれっ?
 自民党、まだ野党なんだけど。
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コメントを下さった或る方へ

2020年05月06日 | 心の持ち様
2012.09/26 (Wed)

 安倍元総理が自民党総裁に再選されました。
 マスメディアは、まだ衆院選挙も行われないうちから、もう安倍総理が誕生したような物言いで、総裁叩き・自民党叩きを始めています。

 それ自体は問題ありません。
 三年の間、自民党が野党として学んだことは沢山あります。
 なかでも、慎重に言葉を選び、とにかく結束して事に当たる、ということの大事さを叩き込まれたわけですから、そうやすやすとは「ブレない」。
 また、民主党の御老体にインタビューして
 「政治が詰まらなくなったなぁ~」
 なんて東北弁で嘆かせたって、その民主党の代表選の情けなさを我々は数日前に見せつけられた後です、何の共感も持てない。

 それよりも、今回、色々なことを考えさせられました。
 安倍新総裁が、この三年間のお礼(ねぎらい)の言葉を口にした瞬間、谷垣総裁が涙を浮かべたこと。その後に、立候補者の全てが、まず「国のために」、国民のために一致結束してやっていく、と異口同音に宣言したこと。
 石原議員の、「私は体育会系(少林寺拳法三段)」だからという発言の意味するところ(本当にパパに頼り切っている坊ちゃんか?)。町村議員が安倍氏に「今回はやめておけ」と言ったこと。それでも、安倍議員が立候補したこと。石破議員が多くの党員票を集めたこと。

 それに、安倍新総裁が「体調を崩して退任せざるを得なかったこと」、「お友達内閣」との世評等々。
 こんなことを色々と挙げてみると、とても私のような物知らずだって、そう簡単には書けないことばかり、ということに気が付きました(ちょっと遅すぎますけど)。

 それで、今回「お友達内閣」について、以前書いた日記を転載しようと思います。
 先日、二世議員について書きましたが、この「お友達内閣」も同じく見直さねばならないことと思います。
 失敗があるとここぞとばかりに叩くのは世の常ですが、大概はその任を託した者は何の責任も取りません。
 実際、現政権の体たらくをあれこれあげつらっているのは、政権を取るように懸命に持ち上げていたマスメディアであり、民主党に「風」を吹かせた有権者です。
 そして、彼らは「民主党はダメだったけど自民党も~」と、自民党に投票もしないで一括りにして駄目と決めつける。

 いい加減に(無責任に)選んでおいて「好(よ)きに計らえ」と命じておきながら、「こんな筈じゃなかった。民主党はダメだったけど、自民党もね」、はないでしょう。

 でも、民主党に投票しなかった者だって反省すべき点はある。そしてその反省は、為されているとは言えない。 
 我が意に適った発言や行動があれば、ほめるけれど、何かあったらいきなり全否定をする場合が往々にして、ある。
 確かに「一事が万事」ではあるけれど、表面だけ、上っ面だけでそれをやったんじゃあ彼の国の官制デモを笑えない。
 自民党が三年間で学んだ如く、我々有権者は学んできたか。

 何だか前置きばかりになりましたが。
 二年半前に書いた日記です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、重豪という藩主は名君であった、と書きました。しかし、それだけのことをやったものの、借財はとんでもない額になり、一年の利息が藩の年収の5倍以上、当たり前なら絶対に返せない状態になってしまった。

 名君です。何とかしなければと色々な工夫をしようとはします。
 しかし、文化、芸術面の優れた人が、経済に強いとは限りません。名君は、家来に仕事を任せます。

 で、結果は、やっぱり、、、です。
 「子孫に借金を残すな」とは、今も言われますが、思い通りにはいかない。重豪も息子に後を託すしかない年齢になり、借金返済が気になりながら、息子、斉宣に家督と借金500万両を譲ることになりました。

 このままでは大変なことになるわけですから、斉宣は藩政の大改革に乗り出しました。抜擢されたのは、樺山主税。島津一門の名家です。

 家老に取り立てられ、藩政改革に取り組むことになった樺山は、同じ学派で「近思録」の輪読会仲間であった秩父太郎季保を呼び出し、全てを託すために、彼を家老に推挙します。

 一門家の樺山が家老になるのは分かります。しかし、その家老が、今度は同じ学派の仲間とは言え、下級武士でしかない秩父太郎を同じ立場の家老に、と推挙し、藩主斉宣もこれを許す。普通に考えたらあり得ないことですが、あった。

 どうも、これは、藩主斉宣の考えが先にあったようです。
 藩政改革のために藩校の学者の中から優秀な人材をと思ったものの、藩校は先代の重豪がつくっているのですから、主流の学者は先代の藩主側についています。そして、彼等は藩政改革ができなかった。
 
 「近思録の勉強会を熱心にやっている秩父太郎という者が居ると樺山が言う。樺山も仲間らしい。よし、それなら、樺山に改革をさせてみよう。」
 「改革のために打つ手は、父重豪が、まだやっていないこと、だ」

 絶体絶命、最後の一手だったのかもしれません。輪読会の首領とは言え、下級武士を家老に取り立てての藩政改革です。これまでに何の実績もない者に、藩政改革を委ねるのです。ですから、藩主斉宣の決心も尋常ではないということになります。
 結果はともかく、斉宣もまた、名君と言えるでしょう。

 「樺伊賀は上から読めばそれはそれ 逆さに読めば馬鹿と読みたり害と読みたり」
 こんな狂歌が残っています。

 樺山主税による藩政改革は厳しい緊縮財政だったようです。  
 あまりの厳しさにネを上げたいのですが、樺山をはじめとして改革に乗り出した者が率先して取り組んでいるのですから、正面切って文句を言えません。

 不満は「樺山が藩政を私している」という形で出てきました。
 確かに、この改革は、近思録の輪読会仲間(近思録党)ばかりが職に就き、それまで藩政改革に当たってきた者は全て罷免されてしまったのです。更に、いくら首領であるとは言え、下級武士の秩父太郎が家老に取り立てられている。

 先代藩主重豪の施政を悉く批判する形になってしまったこの改革は、遂に重豪の知るところとなり、激怒した重豪は、藩主斉宣を隠居させ、改革を中止させます。そして樺山主税、秩父太郎、共に、責任をとって、切腹。
 「近思録崩れ」、という大事件となりました。

 「仲間ばかりで藩の実権を握り、藩政をほしいままにした」事件ということになります。ただ「事実を並べて眺める」だけ、ならそうなります。
 一般的な歴史学者はこれで終わりです。そこから何を汲み取るのか、そこからどんな「論理」という筋道が見出せるのか。それこそが歴史を学ぶ意義です。

 樺山の所領地の領民は、後になって、樺山の墓を建てます。領民には慕われていたということなのだそうです。土地ではいい顔をして、中央ではやりたい放題?
 その辺りの消息を、海音寺潮五郎の短編「太郎死なず」を読んで、考えさせられました。簡単に書いてみます。

 貧乏の不満を口にすることなく、日々学問に明け暮れていた太郎は、樺山から、一緒に藩政改革に取り組んで欲しいと頼まれます。
 太郎は、引き受けることを決心します。親戚一同は大喜び。
 早速、藩職にあるもの、まだ無役の者、上級武士等多くの者が太郎の元に求職にやって来ます。
 ところが太郎はそれらを全て断ってしまいます。

 無役の者は問答なし、で断ります。
 藩職にあるものは「これまでできなかった方が、何をしようと言われるのか」とやり込められる。
 上級武士には俸給はなし、用もなし、と頭ごなし。一族の者も採用しない。
 職に就いたのは、太郎の、ごく近い友人か、近思録党ばかりです。
 周囲の不満は高まる一方。見るに見かねた、一族の長老が、太郎に意見をしに来ます。
 「一族の者は使わぬ、というのは良い。だが、仕事のできる者や、人となりを見て、もう少し何とかならんのか。これでは、お前を恨むものばかりになってしまうぞ」
 すると太郎は
 「この仕事は、これまでに多くの人が取り組んで、誰一人成功しなかったのです。最後に私に回ってきたと思っております。しくじればもとより死ぬ覚悟ですが、私一人が死ぬだけでは済まない。一緒に死ぬる者でなければ、この仕事はできないのです。どんなに仕事のできる人であっても一族であっても、一緒に死ね、とは言えません。」
 つまり、掛け値なしの「一蓮托生」です。「死ぬ時はみんな一緒」です。
 確かにこの覚悟が必要でしょう。でも、普通、そこまで思いつめないようにする。
 
 「仲間ばかりで藩の実権を握り、藩政をほしいままにした」という文から見える印象は最悪、最低の腐りきった藩政です。
 しかし、こんな差し迫った状態の藩政を私して好き勝手に、なんて考える方がおかしいでしょう。
 この文からは正反対の、「秩父太郎以下、近思録党は決死の覚悟だった」という意味を読み取る方が自然ではないでしょうか。

 「太郎死なず」では、切腹の当日、時間の来るまで、いつもと同じく我が子に論語を暗誦させ、教え続ける太郎の姿が書かれています。
 そして、親戚の者に「この人は、死んでも後を子が継ぐ。この人は、死んでも死なないのだ」と呟かせています。

 後年、西郷隆盛は、この藩政改革のために命をなげうった秩父、樺山の学んだ「近思録」を、同じ志から勉強しようと輪読会をはじめます。
 大久保利通、海江田信義(有村俊斎)らも参加したこの会は、「誠忠組」となって、薩摩の近代化の原動力となっていきます。
 まさに、「太郎死なず」、です。

  「仕えるのは藩か主君か(島津重豪という名君②)」から
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