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CubとSRと

ただの日記

共産党  ⑤これでおしまい

2020年05月24日 | 重箱の隅
2016.09/26 (Mon)

 《本音は天皇制反対》
 ところで今年三月、共産党がなぜ破防法(破壊活動防止法)の「調査対象団体」に指定されてきたのか、という質問状が内閣に提出されました。破防法の調査団体は、公安調査庁が調べるところです。
 内閣は、これは従来から続いていることで、共産党は本質的に変わっていない、革命論を捨てていない、との答弁書を出して話題となりました。
 
 「革命」「共産主義」というと、議会制民主主義制度のもとではそれを否定するかもしれない、と疑われても仕方がないところがあるのでしょう。同じ敗戦国でも、ドイツは憲法で共産党の存在を否定しています。
 革命論や自衛隊論以外でも、見逃せない重要なポイントがあります。それは天皇制です。
 実は「天皇制」という用語は、共産党が「君主制」を読み替えて作った造語なので使いたくありませんが、取りあえず使います。

 天皇制をどうするか、これについて共産党自体がはっきり説明しています。
 二〇〇四年綱領の解説版があります。
 「ここが知りたい特集。日本共産党綱領と天皇制、自衛隊、より明らかになった変革の道すじって?」(二〇〇四年三月七日「しんぶん赤旗」)です。
 その一問一答で、「今度の綱領は天皇制、自衛隊を容認したの?」という問いに、
 「共産党は、天皇制や自衛隊を『良い』ものだとは考えていない」
 と答えています。
 綱領にも、天皇制は「将来、情勢が熟したときに、国民の総意によってかいけつされるべきものである」と明言しています。
 最近、共産党はあれほど嫌っていた天皇陛下御臨席の国会開会式に初めて出席して注目されました。共産党も天皇制を認めてソフトな普通の政党になったか、と。

 しかし綱領を見ると、本質は明らかに違います。「良いもの」と思っていないのです。廃止したいのでしょう。
 でも、そうはっきり言うのは得策でない。そこで「国民の総意」で、などと意味不明のことを言うのでしょう。国民投票でもやり、そこで決着しようというのでしょうか。
 政党として大事な問題を「国民の総意」「国民の合意」で決めるというのなら、政党はやめたほうがいいのではないでしょうか。
 政党は重要な政策テーマについて国民にはっきり主張をし、その方向に少しでもリードしていく理念、政策、気概がなければ存在する意味がないでしょう。
 共産党は、その肝心の臍を隠そうとしているといわれても仕方ないと思います。

 《「共産党」を知らない世代のみなさんへ》
 日本共産党は、自由主義社会でほとんど〝唯一〟残っている共産主義政党でしょう。日本共産党も、ソ連崩壊後は振るわない政党になり、衆参の国政選挙では七連敗とか八連敗とかいわれました。党員数も赤旗読者も減少の一途です。国会内でも「はぐれ鳥」でした。それがここ一、二回の選挙で盛り返してきました。なぜでしょう。
 考えられるのは二つ。一つは、野党第一党や政権まで取った民主党、その後継である民進党への国民の失望、二つめは「共産党を知らない世代」が増えてきたことでしょうか。

 民進党は民主党から看板は変えても、その理念、基本政策、党員、地方組織、財源などはいつも頼りなさを感じます。これが、死んだはずの共産党を生き返らせてしまったのでしょう。
 共産党と街頭でスクラムを組んで気勢を上げる、選挙で参議院一人区全区で共闘と、関係を一挙にエスカレートさせました。それも、政権問題や政策の一致は棚上げしてやるという前代未聞の「共闘」です。

 六〇年安保闘争でも、社会党、総評は、共産党と共闘しても同列に置かず、あくまでもオブザーバーに留めました。
 戦後の掟を破り、何でもあり。溺れる者は藁をも掴むといいますが、そんなことをして国民の信頼を失い、やはり政権交代はできない政党に堕落したか、ということになるのは必定です。

 議会政治が機能するには、健全な野党の存在が不可欠です。共産党からの誘惑に乗せられることなく、二度や三度の敗北といった風雪に耐えうるしっかりとした野党を作らないと日本はおかしくなり、共産党に振り回され続けるでしょう。

          (転載終了)

 「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 共産党は「破壊活動防止法」の調査対象団体。

 「何だか恐ろし気な団体に見えるな。指定暴力団みたいだ」
 と思われるかもしれませんが、「指定暴力団」の方がはるかにまし、です。
 なぜなら、指定暴力団は現実社会の枠の中に在って、公安の監視下に置かれているからです。下っ端の犯罪がトップをも揺るがす暴力団のための連座制。それが「暴力団対策法」といったら大まか過ぎますか。
 それに暴力団は現社会を否定(=破壊)しようとしているわけではない。社会を肯定して、その中で己の団体の勢力拡大に勤しんで(?)いるだけですから。
 対する共産党は?
 初期からの「筋の通った」「全くぶれない」ことといえば、現実社会を否定する、破壊すること。それが革命実現のための必須項目。どちらが危険か言うまでもないことでしょう。
 
 目的のためには手段を選ばない。だから「天皇制反対!」と自分では言わず「国民の総意」「国民の合意」で決めるという。
 政党は同じ考えの者が集まって国民に新しい世界を描いて見せ、国民の賛同を得てその実現に努めるためのものです。
 それが「国民の総意」で決定、ということになると、「責任も国民が取れ」と言っていることになります。
 「絵は描く。だがそれは君たちが実行し、その恩恵は君たちが受けるのだ」
 これを「いいじゃないか、素晴らしいことだ」ととらえる人が今でも多いから、妙なことになる。これ、「君たちは我々に言われる通りに、黙って手足になってやっていればいいんだ」、ということでしょう?

 さらには「現実社会の枠に守られながら(共産党として存続を認められる)、その枠の中で現実社会の破壊活動をする」という絶対矛盾。
 その意味で「筋の通った」「全くぶれない」政党。そんなのは決して褒められるべきことではないでしょう。
 「一目置かれる」べき存在ではないし、同時に「野党」の雄と言えるものでもない。

 「社会を破壊するのが目的」の集まりであっても、それを公言しなければ「党」として存立を認めるのが民主主義ですが、実際の破壊活動までも認めているわけではありません。そこを十分に把握しているから、破壊活動もその責任も、自らの手は使わないで全て国民にやらせようとする「筋の通った」「全くぶれない」政党。
 つまり、共産党は「野党」ですらない、ということになります。
 

 長々と転載を続けましたが、これで終わりです。
 実は、最初はいつもの通り、「部分転載」のつもりだったんですが、途中から、やはりこれは全文掲載の方が良いのではないかと思い、この日記初めての長文の全文掲載にしました。
 「月刊Hanada」10月号を購入されている方には、何をいまさら、でしょうが、雑誌の中の一つだけ取り出して改めて見直すと、意外な発見があることもあります。
 多くの力のこもった論文が並んでいると、やはりそれぞれの特色よりも、気迫、熱量をより大きく感じさせるものの方が心に残ります。
 でも、論文もあれば紹介文もありコラム形式のものもある。「論説よりもまずは共感を得るように」、と意図するものもある。
 それぞれにみんな目の付け所が違うわけですから、単に「気迫、熱量」と「特色」を両天秤にかけるべきではないと思います。

 この共産党に関する論文(講演録の形式になっていますが)は、「日本共産党」の概要を具体的な事例を上げながら説明してありますから、知識と考え方双方に渡って全文転載の方が良いのではないかと思ったわけです。
 いつもの通り、この日記は自身の考え方を整理するために書いているものですから、その意味はあったと思います。
 これをもとにして、また日記にすることもあるかもしれません。

 
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共産党  ④

2020年05月24日 | 重箱の隅
2016.09/23 (Fri)

 さて、声高に護憲を唱える今の共産党ですが。
 元々「非武装中立なんて有り得ない」から、「国軍は持つべきである」、と言っていたはずなんですが。
 そして国を護るための軍隊だから「自衛隊」だ、と。
 つまり「自衛隊」という名称を最初に提唱したのは共産党だ、ということです。国民のほとんどは知らないでしょうね。
 だからと言って今の自衛隊を共産党が作ったわけではないのですが。

 転載、続けます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 《憲法は守りましょう》
 さて、当面するテーマである憲法改正問題に移りましょう。

 戦後、占領下でいまの憲法が制定されたことはご存知ですね。一九四六(昭和二十一)年です。八月二十四日の衆議院本会議で採決が行われた時、共産党所属議員は全員反対票を入れました。
 政党として唯一反対したのが共産党です。また、共産党を代表して野坂参三氏が反対討論をしています。
 そこで、九条は「一個の空文に過ぎない」「わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」と堂々の反対討論を行いました。なんと、いまの自民党など改憲派の言っていることです。同時に「人民共和国憲法草案」を発表しています。れっきとした改憲派です。

 ところがその後、いろいろ変化しました。「改悪反対」とか「将来の改憲」とか、そしていまや全くの護憲派に変貌です。
 二〇〇四年に作成された現綱領で、なんと「現行憲法の前文を含む全条項をまもる」と一八〇度宙返りをしたのです。
 ここで問題です。
 共産党は自衛隊は憲法違反の存在という解釈で、その解消をめざしています。憲法は、軍事的措置を否定しているという解釈ですから、その先は日米安保体制の否定になります。
 ですから、安保法制などは論議する前から反対なのです。審議時間が足りず、国民的合意が得られていないなどの理屈は、本当はまるで関係がないのです。最初からすべて否定なんですから。

 「憲法を護れ!」という合唱は、一色の声ではありません。いわゆる「平和主義」の枠内で自衛隊と安保条約を認め、それでいいという声と、そうじゃなく自衛隊は憲法違反だから憲法を厳密に解釈して、自衛隊そして安保条約もなくそう、という声が入り混じっているのです。
 同じ「護憲」という列車に乗っても、行先は全然別なのです。共産党はそのことを分かったうえで、「護憲」、「護憲」と言っている。みんな連れて行こうという肚でしょう。

 ですから、安保法制廃止のための統一戦線など、ためにする議論です。行き先が違うものが一緒の列車に乗ってしまったのです。民進党は民主党以来、自衛隊合憲、安保体制維持の立場です。それが共産党と一緒に行動するなんて、どうかしていませんか。
 世論調査をみても、自衛隊と日米安保といういまの防衛体制を支持する人が、八四・六%(内閣府二〇一四年度調査)です。共産党は、この世論の大勢をも否定する考え方です。
 近年の中国の膨張主義の高まり、北朝鮮の懲りない核開発、そして米国の内向き志向などを見ると、共産党の主張は、憲法の文理的解釈で憲法を「護り」、日本の安全保障を「壊す」ものといえるでしょう。

 実はその共産党も、自衛措置はいらないという「非武装中立」を目指しているとは到底思えません。過去にも、社会党が唱えた「非武装中立」論をトコトン叩いてきたからです。しかも、「最小限の自衛措置が取られた場合は、核兵器の保有は認めず、徴兵制は取らず、海外派兵は許さない」(八五年版「日本共産党の政策」)と公言していました。
 それはそうでしょう。共産主義の政権となれば、当然、「赤軍」となる。国の防衛を放棄し、丸裸でいい、という国はありません。比較憲法の西修教授によれば、人口百万以上の国で軍隊を持たない国はないといいます。むしろソ連にしても中国にしても過大な軍隊を持ち、核武装大国になっています。中国の「人民解放軍」は外国向きだけでなく、内戦用にも使われてきた歴史があります。

 日本では、哀しいことにというか平和ボケか、社会主義は国防に反対するものという誤解があります。どこの国でもどんな政権でも、国防はゆるがせにできない国家の存亡にかかわる一大事です。それが日本ではおかしくなり、かつての社会党の二度の分裂も、争点は国防問題でした。

 サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の賛否で、右派左派に分裂。六〇年安保でも分裂し、民社党ができました。保守と「革新」というか、野党第一党との一番の対立軸が国防では、情けないです。
 同じ敗戦国でも、ドイツ社民党はマルクス主義と絶縁し、保守党と共同作業で憲法改正や緊急事態法制の整備を図ったやり方が、何とも羨ましいかぎりです。

 《めざすものは- あれ! 中国型?》
 共産党は一体日本をどうしようと考えているのでしょうか。
 野党にとっての憲法は党の綱領です。その旗印に支持者が集まっているのです。実際そうでない人もいるようですが、これが建前です。
 共産党の綱領は、先に述べたように何度も変わっています。二〇〇四年のいまの綱領を見てみましょう。
 いろいろ書いてありますが、特徴的なことをピックアップします。「民主主義革命」とか「社会主義、共産主義の社会」も出てきます。共産党が目指すものです。
 
 この「社会主義をめざす」で、大事なヒントを見つけました。ソ連は社会主義でない、とバッサリ切り捨てたのは先に述べたとおりです。( 共産党② 当時の不破議長の「ソ連崩壊は当然だ云々」発言参照)
 それでは、どんな社会をめざすのでしょうか。

 そうしたら、興味深いものがでてきました。不破元議長の講演集からです。そこに「社会主義をめざす国々」という一項があります。
 「旧ソ連は、社会主義への道を途中で外に踏み出した。いま私たちが社会主義をめざす国としてあげているのは、中国、ベトナム、キューバの三つの国です。人口は合わせて14億人以上、経済発展もめざましく、世界での政治的経済的比重はますますおおきくなっています。」(『科学の目で見る日本と世界』新日本出版社、二〇一一年)と。
 
 中国の人口の大きさにくらくらときたのでしょうか。共産党は、世界人口の三分の一が社会主義(中国を入れると)だとか、革新自治体下の日本の人口は三千七百万に達するとか、そういう足し算が昔から好きなようです。
 しかし、これではっきりとするでしょう。日本共産党は、中国と同じような道をめざしていることが。

 ところが日本は数年前から、尖閣諸島の所有権問題や毒入り餃子事件などもあいまって、一番嫌いな国が中国というのが定着していますね。
 日本共産党が、実は中国共産党と同じ道を歩こうとしているとなれば、世論はどう受け止めるでしょうか。


 (転載ここまで。以降は次回に)

「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「憲法護れ!」
 その目的は安保体制の破壊。
 それは革命実現への一里塚。
 ということは、
 「憲法を護って」「国を破壊しろ」、と。

 納得できます。本来の目的のために活動を続けている「筋の通った」「全くぶれない」政党です。
 世界に誇れる政党でしょう、とても人間の所業とは思えない「目的達成のためには手段を選ばない、人としての道義のかけらもない」活動をしている、という点では。
 勿論、既成社会、現実社会は打倒、破壊すべき存在なわけですから、そんなものに対するに道義なんか要らない、というのは「筋が通」っているわけですよね、「革命」なんですから。
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共産党  ③

2020年05月24日 | 重箱の隅
2016.09/22 (Thu)

 「目的のためには手段を選ばない。」

 この言葉で思い出すのは自民、社会が一緒になって村山総理を押し立てた時のこと。
 「自民はそこまでして政権を我が物にしたいのか」、みたいに言われた。
 一方の社会党議員は、金輪際なれるはずのなかった大臣になれる、ということですっかり舞い上がっていた。
 「総理大臣になるんだから、まさか着た切り雀の背広じゃ格好がつかない。新調してください」
、と言われた村山総理、紳士服のコナカ、だったかで二着か三着みつくろった。
 「さすがに大衆の代表だ、慎ましいもんだ。自民党とはえらい違いだ」
 、とマスメディアはほめそやした。
 (まさかこの後、村山談話や、阪神淡路大震災の対応みたいなことが起こるとは・・・・)

 確かに与党、政権の中枢にあって、常に旨味(利権)を味わってきた自民党の、「なりふり構わず」といった様子には辟易したけれど、見方を換えれば、利権への執着は社会を運営維持するための一便法であるとも言える。それならば「社会を『運営維持』するために手段を選ばない」ということを一概に否定はできない。
 しかし、「現実社会『破壊』のためには手段を選ばない」ということになると、現実社会に存する人間としては肯定はできない。
 「現実社会を破壊する」ということは、「現実の我々の存在の在り方そのものを否定する」、ということであり、それは財産の没収は言うまでもなく、最悪の場合は抹殺されることも有り得る、ということなのだから。
 実際、文化大革命なんてそうだったわけで、南京で行われた「と主張される」二十万人とか三十万人とかの「大」とは、桁の違う粛殺が行われたことは周知のこと。

 共産党の今回の「野党共闘」というのはそれではないか。
 いずれは民進党を吸収、乃至は抹消する。そして共産党の考える理想社会(=社会主義社会)を実現させる。
 そのための「統一戦線」という戦術を、今回は「野党共闘」と言い換えているだけのことではないか。

 昨日の続き。転載です。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「日本共産党の怖さ一から教えます」  梅澤昇平

 《ホトトギスと「統一戦線」》
 前述した荒畑寒村氏は、最初の頃の共産党にいたものですから、その手の内をいろいろ知っています。そのなかで〝ほほう〟と思うものに、共産党は「ホトトギス政党」だというのがあります。
 「自分で巣を作らず、外の鳥のつくった巣の中に自分の卵を生みつけて、大きくなると親鳥を追っ払って乗っ取る」(『日本の革命を語る』山川均、向坂逸郎、高橋正雄著)。
 たしかに調べてみると、ホトトギスはウグイスの巣を利用するんですね。これを「寄生的な繁殖習性」というのだそうです。たしかに、日本共産党にもそういう習性があります。

 戦後すぐに社会党ができ、共産党も活動を再開する。そこで共産党は、社会党を乗っ取ろう(?)としてちょっかいを掛けます。それが統一戦線です。
 狙いは、天皇制を廃止して社会主義統一戦線政権を作るためです。これに社会党は振り回されました。再三再四、共産党は社会党に申し入れ書を持ってくる。
 しかし当時の社会党は、その後の民社党を作った右派が主導権を握っていました。その中心人物は西尾末廣氏(社会党書記長、片山内閣官房長官、民社党委員長)でした。
 彼は戦前からの労働運動の指導者(総同盟副会長など)で、労働組合への共産党の侵入と闘ってきましたので、共産党の申し入れ書をその場で破り捨てるという荒業を見せました。

 これに共産党幹部は怒り、何度でも申し入れに来る、と捨て台詞を吐きました。それに対して西尾は、信頼できないものとはやらない、と跳ね返したといわれます。つまり文書のことではなく、相互に信頼できない連中とは行動もともにできないぞ、ということなのです。

 民進党は、一昨年以来の安保法制問題で、すっかり共産党の一点共闘、一点統一戦線の網に引っ掛かったきらいがあります。
 統一戦線は長い歴史があります。共産党の常套手段といっていいでしょう。
 一九三五年、コミンテルン(国際共産党)の第七回大会でディミトロフ書記長が提案して以来の歴史があります。ファシズムから共産党を守るため、本当は嫌いな社会民主主義勢力を抱き込むための戦術です。そして一度、統一戦線の網に入れたらあとは逃がさないぞ、という道具です。

 「統一戦線は共産党の手中で棍棒の役目をつとめる」(ニーマイヤー『共産連立政権戦術』)といわれます。戦後の東欧の歴史を見ればそのとおり、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなど、将棋倒しで次々と統一戦線内閣ができ、少数派だった共産党が警察と軍を押さえ、事実上の共産党政権にしました。


 《「革新自治体」という昔の甘い夢》
 日本では、統一戦線は当時の社会党右派が頑張って作らせませんでした。これで、天皇制廃止論も吹っ飛んだといえるでしょう。
 しかし、悪夢もあります。それは共産党主導でいわゆる「革新自治体」と呼ばれた自治体ができ、財政は破綻、お役人天国、労組専横、偏向行政などが行われ、その後始末に多くの自治体が苦労したことです。

 昭和四十年代、一九六五年頃からで、代表的なのは蜷川京都府政(七期二十八年)、美濃部東京都政(三期十二年)、黒田大阪府政(二期八年)があります。これは社会党と共産党を軸に、総評や左翼文化人などによる統一戦線といえるものです。
 三都府とも最初は社会党が主導しましたが、選挙のたびに共産党が都府議会や国会での議席を伸ばし、ついには共産党が上回って都府政の主導権を握ってしまいました。社会党や総評の組織は、根こそぎ共産党に食い散らかされました。

 この当時、もっとも共産党勢力が強かった京都府では、本庁職員七千人のうち三千人が赤旗の定期購読者にされ、府庁舎内では「噂のゲー・ペー・ウー」と言われたように、批判的な言動は厳しく監視されていたといわれています(山本茂『地方王国の盛衰ー共産党[京都府]』。)
 そしてバラマキ福祉で、バブル経済が弾けるとどこも財政破綻、そこでようやく革新自治体は崩壊したのです。

 しかしこの当時でも、国政では社共の統一戦線や選挙協力はできませんでした。
 地方自治では外交・防衛問題は主題にはならないですが、国政ではそうはいかないのです。社会党時代に共産党との選挙協力は調べた限りでは、一九七七年の参議院宮城選挙区で共産党が候補を下して協力したという一件のみです。
 社会党の左派は共産党との共闘を目指しましたが、党の大勢は社公民路線(社会、公明、民社の協力)を模索していたからです。
 今回、参議院選挙という国政選挙で、民進党が共産党と一人一区で全面的な選挙協力ををしたことは、戦後の歴史にもないことです。共産党の誘いがうまかったのか、民進党が目先の利益を優先して深く考えなかったか、ということでしょうか。


 (転載ここまで。以降は次回に)

「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より


 註
 「ゲー・ペー・ウー G・P・U 」
 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内務人民委員部附属国家政治局(ロシア・ソビエトれんぽうしゃかいしゅぎきょうわこくないむじんみんいいんぶふぞく こっかせいじきょく)・・・・。あまりにも長いので頭文字で言うのが普通です。

 スターリンの死後の1953年9月に廃止。後にソ連国家保安委員会(カー・ゲー・べー、(或いはケージービー)KGB)として生き残る。
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共産党  ②

2020年05月24日 | 重箱の隅
     2016.09/21 (Wed)

 前回の続きです。いきなり転載です。
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  「日本共産党の怖さ一から教えます」  梅澤昇平

 《けっして謝りません》
 共産党はほかの政党と違って、けっして謝ったり党首が責任を取ってやめたりしません。あるのは、あくまで個人責任や「自己批判」を書かされることです。
 一九五〇年代の武装闘争も共産党自体がやったのですが、当時の一部幹部がやったといい、「党史」からは削除してしまいました。不都合な真実は、ないこととして削除してしまいます。ソ連共産党でも、中国共産党でも、同じやり口です。

 モスクワからの資金援助も党ではなく、一部幹部の仕業にされ、共産党の顔として長い間、君臨してきたはずの野坂参三議長も、百歳になって除名されました。あくまで個人の責任にされます。
 驚くべきは、あのソ連が一九九一年に崩壊したときのことです。
 革命の聖地ロシア。日本共産党綱領(六一年綱領)でも「ソ連を先頭にする社会主義陣営」といってきたのに、崩壊したときは、まるで他人事のような対応でした。当時の不破議長は、ソ連崩壊は当然だ、と冷ややかなコメントでした。

 これに対し、ヨーロッパで隆盛を誇ってきたイタリア共産党は、共産党をやめて「左翼民主党」と改名し、共産主義とは縁を切り、英国やドイツの労働党、社民党らの民主的社会主義の社会主義インターナショナルに加盟したほどです。
 モスクワの長女といわれたフランス共産党もガタガタになって左翼戦線のなかに溶け込み、両党とも衰退ぶりは目を覆います。

 日本では、かつての社会党の左派系にソ連崩壊の激震が走りました。戦前からの無政府主義者的な社会主義者で著名だった荒畑寒村氏(一九八一年没)は、「俺は早く死にたい」「ソ連も中国も、社会主義でない」と嘆きました(『寒村茶話』)。
 社会党の副委員長まで務めた高沢寅男氏(社会党左派の社会主義協会のリーダー)は、「自分の思い込みで間違ったことを述べてきた私の誤りを心からおわび」(『社会主義』九四年五月号)と書いて謝罪し、社会民主党を離党しました。
 長い間、ソ連型社会主義の導入を主張し、講演をし続けたことの悔恨でしょう。二人とも正直者といえるでしょう。


 《語れない暗い過去があります》
 共産党は九十年以上の歴史を持つ、現存する最古の政党です。「不屈の」歴史、「一貫した」歴史と言いますが、実は語れない暗い過去、黒く塗りつぶした歴史があります。
 政党も人間も、長いこと生きていると忘れたい過去の一つや二つを持つのは仕方ないことなのかもしれません。
 それにしても、共産党は歴史を切り取るのですから、驚きます。

 共産党は戦前派ソ連の言いなりで、テーゼ(指令)に従った歴史です。戦後もソ連、その後は中国共産党に盲従し、六〇年代後半になってようやく「自主的」になった党です。
 戦後、最初の綱領は五一年綱領。これはスターリン綱領とも呼ばれます。
 その次が六一年綱領。これは、モスクワで開催された世界共産党会議の声明を土台に作られました。六四年にソ連派が追放されて中国派が主導権を握り、しかし六六年に中国派は除名。このあたりから、ようやく自前の党になったのです。
 ですから、共産党の歴史の半分はソ連、中国に支配されていたのです。
 また先に述べたように、朝鮮戦争時の武力闘争は、「五〇年問題」として、いまの党とは関係ないとして封印、歴史からカットしています。

 もう一つ、一九三三(昭和八)年に起こった暗い話。それはその後、委員長、副委員長になった宮本顕治、袴田里見氏らによる、いわゆるリンチ事件です。警察のスパイだとして仲間にリンチを繰り返し、死に至らしめた事件です。
 このため、宮本氏は思想犯としての治安維持法違反のほか、監禁致死傷罪、逮捕監禁罪、傷害罪、死体遺棄罪、銃砲火薬取締法施行規則違反などで無期懲役の判決を受けました。しかし戦後、他の共産党幹部とともに復活し、党の最高指導者になったのです。
 
 この話が一九七六年の衆議院本会議で再燃しました。当時の春日一幸民社党委員長がこの問題を取り上げ、刑法犯であったはずの宮本氏の復権に疑問を投げかけました。
 これに対し、当時の稲葉修法務大臣も、治安維持法違反の政治犯釈放とは違い、「奇妙奇天烈。事は重大で、調査する」と答弁したのです。
 これで当時の共産党本部は、「金魚鉢をひっくり返したように大騒ぎになった」(兵本達吉『日本共産党の戦後秘史』)。
 この時の袴田の供述書によれば、細引き、出刃包丁、斧、ピストルなどが用意され、リンチを加えたそうです。

 一九七一~七二年にかけて、「連合赤軍リンチ」事件がありました。「総括!」と称して、十二名の若者がリンチで殺害された痛ましい事件です。過激派同士疑心暗鬼になり、殺し合ったのです。それと似た状況があったのでしょうか。
 こんな暗い話は当然、封印されています。

 (転載ここまで。以降は次回に)

「月刊Hanada」10月号 「日本共産党の怖さ一から教えます」より。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「謝らない」

 「党は間違えない。間違うのは個人である。」
 理屈は分かる。
 「社会主義社会の実現のために党が活動しているのだから、その党が『間違い』を認めたら、人民は何の指示を受けて行動すればよいのか。それでは革命は遂行できない」。
 けれど、党を形成しているのは生身の人間。だから間違いも起こす。
 というわけで、間違いを起こすのは生身の人間であって、党は間違えることはない。
 最高指導者は「党」そのものであるから、(その地位にいる限りは)決して間違いは起こさない。

 「詭弁だ」と言い切るのはちょっとかわいそうだけれど、生身の人間の個々の欲(向上心も含む)について一律に否定するやり方を採るのがマルクス社会主義で、そうなると、その場しのぎにしか見えない「個人に責任を取らせる」という方法しか取れない。

 やっぱり、「無私無欲の頭脳集団は存在し得ない」、という根本的な問題が絡んでくる。
 「要求はするけど責任は取らない(社会主義革命を達成・継続できないのは、最高指導者以外の全ての党員、人民の責任である)」
 これでうまくいくわけはないと思うが。
 
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共産党  ①

2020年05月24日 | 重箱の隅
2016.09/20 (Tue)

 「共産」ということには問題はない。
 人は集まって社会をつくり、人間としてそれを運営、維持、発展させる。
 助け合って互いにものをつくり、融通し合って個々人が生きていくのが社会だから、「共産」というのは至極当然のことと言える。

 ただ、これが現状維持ではなく「個々人の快適、良質な生活を目指す」、となると、これまた当然のこと、「見果てぬ夢」。
 実現した瞬間に、「より快適で、より良質な生活を目指す」、ことになる。欲望、向上心に限りがないのが人間なんだから。

 だからということで、究極の目的として「個々人の快適、良質な生活の実現」を置き、できるだけ効率的に、と「共産党」と名付けた頭脳集団をつくり、それが人々に指示(指図に感じる)をするようになると、これは近い将来をバラ色に見せてくれるだろうけど、現実には今も将来もとんでもない非人間的な社会を作り出すことになる。
 理由は簡単で、その「頭脳集団」もまた人間であるからだ。人間であるから無私無欲には金輪際なれない。
 「社会は『共産』で成り立っているのに、『命令(指図)ばかりする何も作らない連中』に何で命がけで従わなきゃならんのだ!」
 となる。
 「我々共産党は、『指示』という生産活動を行っているのだ!」
 と言ったって、そんなもの詭弁にしか聞こえない。
 現実問題、党員は明らかに人々より良い生活をしている。人民が木綿の人民服を着ていたとき、党の上層部員は絹の人民服を着ている。 ちょっとしたことでも不満は出てくる。
 当然だ。「頭脳集団」だって、同じく社会を構成している「人間だもの」。


 「月刊Hanada」10月号に「日本共産党の怖さ一から教えます」という論説文が載っていました。
 例によって部分転載をしてみようと思います。

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 「日本共産党の怖さ一から教えます」  梅澤昇平

 日本共産党は、参議院選挙で思惑通りの「躍進」とはいかなかった。
 これは大都市圏への定数増があり、前人気も良かっただけに意外だ。しかし問題は、むしろこれからではなかろうか。
 というのも、定数一人区で野党共闘がある程度成功し、民進党の落ち込みを助けた。これで民進党は共産党に吸い付かれた。切れない仲になったのではないか。そうだとすると大変だ。
 それにしても、日本共産党を知らない世代が増えている。この隙間に、共産党はソフトな顔で入り込んでいる。そこで、日本共産党とはどんな政党か入門してみよう。

 《生まれも育ちもモスクワです》
 党の憲法である綱領も、資金も、ピストル(?)も、ロシアのモスクワ製といわれます。
 一九一七年のロシア革命でソ連ができ、このソ連を守り、世界中に共産主義を拡散するためにコミンテルン(国際共産党)ができ、 各国に種が蒔かれ、中国共産党や日本共産党ができました。
 日本共産党の正式名称は、「コミンテルン日本支部日本共産党」です。

 モスクワからはテーゼと呼ばれた綱領(指令)が送られ、そのなかに「天皇制廃止」があって当時の共産党員はぶったまげ、これはなかったことにしよう、解党しようとなったこともあります。
 それに資金も与えられ、少なくとも八十五万ドル(現在の貨幣価値で三十億円以上)もあった、とソ連解体後機密文書のなかに証拠が残されていると言われています(名越健郎氏論文)。
 それにピストルなど武器も大量に手に入れ、試射を繰り返した(田中清玄『清玄血風録』など)。 このため、警官と匕首などによる刃傷沙汰以外に、銃撃戦も結構ありました。
 つまり、日本の政党で〝唯一〟外国製の政党なのです。

 《「反戦」はモスクワと北京を守るため》
 共産党はよく戦前、戦争に反対した〝唯一〟の政党だ、と胸を張ります。ところがこれは少し話が違うんです。
 ソ連を守り、中国の共産革命を支援し、日本での革命をめざす。そのためには、ロシア革命と同じく、戦争を敗戦に導いて内乱から革命へ、という筋書き。レーニンの革命的祖国敗北主義と言われるものです。

 一九二八年にコミンテルンは第六回大会、帝国主義戦争でソ連が脅かされそうになったら、各国の同志は自国の敗北のみならず、ソ連の勝利のために戦えと決議しました。
 これを受けて、有名な「三二年テーゼ」で日本に指令が来ます。「帝国主義戦争反対。帝国主義戦争を内乱に転化せよ」「ソヴェート同盟と中国革命を守れ」「革命的階級は反革命的戦争(注・対連戦)の場合は、ただ自国政府の敗北を」です。
 この前の「二七年テーゼ」でも、「シナ革命から手を引け!」「ソヴェート連邦を擁護」という指令がありましたが、三二年テーゼでオクターブが一挙に上がったのです。
 つまるところ、日本共産党の「反戦」はあくまで共産主義、ソ連のための「反戦」だったといえるでしょう。

 それに付け加えれば、戦後、日本で〝唯一〟「戦争」をしたのが、共産党ともいえます。
 一九五〇年の朝鮮戦争勃発で、ソ連は北朝鮮軍を支援し、在日米軍を弱らせるため、日本共産党に武装闘争を指令します。
 共産党はこの指令にもとづき、各地で武装闘争、、いわば「内戦」を仕掛けます。「中核自衛隊」「山村工作隊」などを作り、火炎ビンを投げて暴れ、全国の交番を六十九ヵ所、襲撃したといわれます。
 これは戦前にもありました。コミンテルンからの資金援助が途絶えて、銀行ギャングなど荒っぽいことをしでかしています。一九三二年の大森銀行ギャング事件などが有名です。

 (以降は次回に)
 
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 「唯一の外国製の政党」
 「共産主義を守るため『だけ』の反戦」
 
 世の中、聞いてみなけりゃわからない。でも、見詰めれば見えてくることもある。
 外国製の政党、といわれりゃ、
 「成る程、愛国心なんて持つわけないか」
 、となるし「反戦は共産主義を守るため」となると、
 「そりゃ、現国家体制を覆すためには手段を択ばないんだから。平和のための反戦、なんて想定外だよな」
 となる。
 それにしても「天皇制廃止」という指令を見て、「これはなかったことにしよう」「解党しよう」という話になるなんて・・・・。
 
 ソ連成立以前からの、日本の共産主義思想の持ち主からしてみると、
 「日本は天皇の下に(天皇の赤子として)共産社会を形成していた事実があるじゃないか。その無私無欲の存在を何故なくさねばならないのか」
 或いは
 「言いたいことは分かるが、二千数百年の歴史をそこまでして破壊する、なんて恩知らず、恥知らずなのでは?」 
 くらいの思いが拭えなかったんじゃないか。

 でも、結局は解党しなかったわけだ。
 ということは「理屈」で自身を納得させた、ということになる。
 となると、今、国会の開会時、共産党員が出席した、というのは「?????」とならない方がおかしいんじゃないか。
コメント (2)
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