CubとSRと

ただの日記

常識≒早合点?

2020年05月20日 | 心の持ち様
2016.07/26 (Tue)

 「月刊Hanada」8月号掲載の、論文、
 「決して急ぐな!対露領土交渉」  (元防衛大学校教授) 瀧澤一郎
 からの転載の続きです。

 次回は「常識」ということについて転載します、と前回に書いてました。
 で、標題に書いた通り、「常識≒早合点?」。
 例によって独りよがりな題名ですが。
 確かに常「識」、と書くくらいですから、理解はしてなくても、取り敢えずは「覚えていれば(知っていれば)」それでその場はおさまる、ってのが「常識」。「その場」、ってのがミソです。別にそれを用いて考えを深めることまでは、その場の人は望んでない。
 だったら、早合点でも似たようなもんじゃないか。「オッケー、分かった」。「どう分かったんだ、説明してみろ」、なんて意地の悪いことは言わないのが普通です。

 でも、ホントは「常識」があるなら、普段にそれを生かしていて当たり前、考える術にしていて当たり前だと世間は思ってる。
 「合点」なら良いけれど、「早合点」で良い、なんて思ってない。いずれきっと迷惑を蒙ることになるから。
 なのに、自分はとなると、よくやってます、「思い込み」。そこからの「知ったかぶり」。

 また底なし沼にハマりそうだから、転載開始。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   「ロシアの三大業病」

                   (略)
 
 動きは多少鈍くとも勤勉であったロシア人は、七十年間の共産主義支配の下で、親方赤旗の懶惰(らんだ)な生活に慣れきってしまった。共産主義は働くよりも奪うことを教える。働くことの喜びを忘れてしまった。
 ソ連末期のアンドロポフ政権は「節酒運動」を展開、職場には「立って入れ」と号令した。朝からウォトカに痺れ、這って職場の門をくぐる輩があまりにも多かったからである。
 ところが同僚に抱きかかえられて門をくぐるものが続出し、運動は失敗した。
                   (略)
 六十六歳という男性の平均寿命、障害児の増大、少子化などもプーチンの悩みの種であり、ロシアは亡国に向かう坂を転げ落ちている。

 だが、いますぐどうなるというものでもない。常識で考えてみれば分かることだが、国際法を破り、欧米から厳しい制裁を受けながら、クリミアを武力併合し、さらにウクライナ東部へ侵攻しつつあるロシアが、日本の領土返還要求に応ずるはずがない。これが常識というものだ。

 首脳同士の個人関係を強めれば領土交渉に有利な情況が生まれるなどと、俗耳に受けやすい浮世床政談を言い回る宣伝工作団のお歴々がいるが、だまされてはいけない。
 相敵対する国々のトップ間の個人的友情が領土紛争を解決に導いたなどという甘っちょろい話は、古今東西なかった。
 国際間の切った張ったの大問題解決に情の入る隙間はなく、、結局力関係がすべてを決する。
 核保有国ロシアは、憲法九条で縛られた日本の弱点を見透かしており、こちらが国際法や歴史的事実によって返還要求の正当性を主張して相手を論破していくと、とどのつまり、「もう一度やろうか」とくる。もちろん、もう一度戦争をやろうか、という意味なのである。

 であるから、相手に見くびられることのないように、黙々と国力の充実に相務めることが迂遠に見えるが実は領土問題解決の最短路なのだ。
 早い話が、日本がもし仮に核武装に踏みきるということになれば、ロシアはいまよりずっと真剣に北方領土返還の具体策を検討するようになるだろう。いまは返還の「へ」の字も彼らの頭のなかにはない。

 日本がロシアの北方領土疑似餌作戦に引っかからず、孜々営々(ししえいえい)と奮励するうちに、数十年はすぐ過ぎる。早ければ、あと二十年か三十年もすると、ロシアはにっちもさっちも行かなくなる。
 共産主義体制の負の遺産である〈働かない病〉は治らない、アル中・エイズ・麻薬の三大業病にも対処できない、少子化は止まらない、ロシア極東の人口希薄化も止まらない、モノを作らない、〈タケノコ生活〉も止まらない・・・・とないないづくしで、必ず行き詰まる。
 北方領土は熨斗をつけて返すから助けてくれ、と泣きついてくる。
                  (略)


   「日本人はお人好しだから」

 その他日露中の「三角関係」で、日露が接近すれば対中牽制になるという俗耳に受けやすい政治宣伝もぶち上げられた。産経新聞にもそういう論説が出た。
 しかしそんなパワープレイは日本にはできない。なぜなら日本には核がなく、露中は核保有国。少なくともいま両国は同舟関係にあり、日本のためにその関係を犠牲する気はない。

                  (略)

 モスクワではスシが大人気。六○年代末に一号店ができたが、いまは何百店あるやら。
 だが当たり前のことだが、スシを食べると親日になり、領土返還に反対しなくなるのか。風が吹くと桶屋が儲かる、より根拠がない。
  グルジア元大統領のサーカシビリは大の寿司ファンだが、日本のためにどう貢献したということはない。
  ロシア人はよく、支那大陸や半島の人より日本人が好きだという。
 その心は、大陸半島系はこすっからいが日本人はお人好しで騙しやすい、である。

 ロシアは、北方領土返還を国益とみていない。日本が北の大陸にのめり込むとき、必ず国運は傾く。
 同盟関係を損ねてまで猪突猛進するな。


                   (転載了) 

 
            ~「決して急ぐな!対露領土交渉」(「月刊Hanada」8月号掲載)から~

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >共産主義は働くよりも奪うことを教える。働くことの喜びを忘れてしまった。

 そう言われればそうだよな、と思うんですが、では「何故、そうなるんだ?」と多くの人は考えない。
 そうして、ただ「共産主義は危険だ」とだけ覚えてしまう。
 で、何かの拍子に
 「そんなことないですよ。搾取する資本家から利益を取り戻すだけですよ。人間は平等なんだから、同じなら国が仕切って再分配する方がいいでしょう?」 
 、みたいな説明をされると、
 「そうか、奪うったって、悪いことじゃないんだな」
 と簡単に「早合点」してしまう。
 これを繰り返されると、「考え方」だと思い込んだ「早合点」の方が身に沁み込んでいく。

 じゃあ、騙されないようになれるか。猜疑心の目でいくら見たって駄目。そんな実力はつかない。
 ならば、立ち止まって、または深呼吸して、素直に、欲心を封じようと思いながら、正面から見つめることを繰り返せばどうだろうか。

 >相手に見くびられることのないように、黙々と国力の充実に相務めることが迂遠に見えるが実は領土問題解決の最短路なのだ。

 これは以前に書いた、福沢諭吉の「痩せ我慢の説」や、氏の居合の稽古と同じ理屈です。
 ~~~~
 「まずは、確実に、こつこつと正しい取り組みをしよう。そうすれば、分からないことも少しずつ分かるようになり、できなかったことも、少しずつ、できるようになる。」
・「できないことがあっても、焦っていても、決して外には見せず、ひたすら努力し続ける。」

 常識は生かせて当たり前。しかし実力の裏付けがなければ 生かすことはできない。実力(武力)は、時間をかけて作らなければ。焦っていることを外に見せず、こつこつとひたすら努力し続けなければ。
 

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ダイエットと同じ(油断したら)

2020年05月20日 | 心の持ち様
2016.07/25 (Mon)

 「思い込み」を、「感じ」を「考え」と区別できない反射的思考(直感?)でもって処理する。つまり結論を出す。

 「早合点」しておいて、「考えたつもり(実は勘)」で結論(決めつけ)を出す。
 当然のこと、間違いが多くなる。迷惑なこと、この上ない。
 そんな人に限って「間違っていたと分かれば素直に認める」というけど、実際は、弁解はするけど謝罪はしない。

 これがジャーナリストだ、ということになると世間には大きな影響を与えるわけだから甚だ迷惑な存在だ、ということになる。
 だけど、勿論、ジャーナリストというのは、ホントはそうじゃない。
 思い込みでなく、事実を確認して、前後、位置等の関係を明らかにして、それから推論を立て、読者に「推論である」として提示する。
 よく言われる「5W1H」を愚直なまでに守ろうとするとそうなる。ジャーナリストの場合は情報を発する側だから、自然、信用できる人、そうでない人が見えてくる。
 問題は情報を発する側ではなく、受け取って理解する側、つまり我々にある。

 発せられた情報を、「早合点」しておいて、「考えたつもり(実は勘)」で結論(決めつけ)を出す。
 これを我々はついやってしまう。発する側でないから注意を受けることもない。気づかずB層に安住してしまっている。
 そして「気が付いた!B層から抜け出さなければ!」となっても、喉元過ぎれば何とやら。ちょっと油断したら、その瞬間B層へ逆戻り。安閑としてはいられない。


 ・・・・・・というわけで、またまた、「月刊Hanada」8月号掲載の、論文を一つ。
 「決して急ぐな!対露領土交渉」から。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「決して急ぐな!対露領土交渉」  (元防衛大学校教授) 瀧澤一郎

 〈 保守同士でウマが合う? 〉 

 「いまこそ北方領土解決のチャンスだ」と、モスクワのタクトに踊る宣伝工作員たちが、近頃盛んにはしゃぎ回っている。
 彼らの毛色を調べると、元モスクワ特派員上がりの大学教師だの、ネットメルマガの運用元に化けたKGB手先風、財団やシンクタンクの研究員風、以前から右系ナショナリストの隠れ蓑を着たプロ工作員等多士済々である。
                        (略)
 宣伝屋集団はまるで合い言葉のように、「プーチンと安倍首相は保守派同士でウマが合う」と強弁する。これは言葉のトリックだ。
 ロシアでいう「保守派」とは、ソ連共産党残党、スターリン主義シンパのような守旧・復古派のことである。要するに共産主義者だ。たしかにプーチンは筋金入りの共産主義者であり、スターリンを崇拝している。

 ところが、わが国の保守というのは、少なくとも表向きは反共であろう。自民党という保守党の首脳が日本共産党とズブズブだなどということはまずあるまい。「安倍首相とプーチンがウマが合う」と言うなら、水と油がくっつくというような話ではないか。
 宣伝工作員というのは、こういう詭弁を何食わぬ顔ですかしっ屁のように放つ。読者や視聴者を見くびっているのだ。

 政治宣伝工作というものはテレビのコマーシャルと同じで、もともと無知蒙昧な大衆が対象だ。「ウソも百回繰り返せばホントになる」というレベルの話である。
 安倍首相を引きずり出してプーチンに会わせ、北方領土をエサにしウン兆円を巻き上げるという政治目的のためなら、どんなウソでも詭弁でも弄する。
                        (略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 まず。

 「保守派」という言葉一つで「同じ」と早合点し、考えもしないで「仲良くなれる」としてしまう。
 「早合点」しておいて、「考えたつもり(実は勘)」で結論(決めつけ)を出す。
 (「思い込み」を、「感じ」を「考え」と区別できない反射的思考(直感?)でもって処理する。つまり結論を出す。)

 「自分はちょっとは抜け出せたかな?」と油断した途端にB層に逆戻り。私がしょっちゅう陥っているパターンです。
 どうも○越氏も同じパターンの劣化ジャーナリスト脳みたいです。
 深呼吸すれば、(思いついた途端に三歩歩く、なんてことしないで)とにかく立ち止まって深呼吸すれば、「保守派」は日本とロシアでは立脚点が全く違う、ってことくらいは気が付く。
 二千数百年以上続く民主主義国家の「保守派」と、七十年以上続いた社会主義革命思想の国のそれと。保守するものが根本から違う。

 で、この「保守派だから仲良くなれる」というたった一言の前提で、
 「プーチンと安倍はこれまでに何度も会見している。数年間も全く会おうとしない隣国とは違う。今がチャンス」
 、と話を繰り返されれば。
 あのラブロフ、でしたっけ、外相、あの強硬な発言。また前のメドベージェフだったか、いい加減な言動。
 あれ、プーチンの考えなんか無視して勝手に言ったんでしょうか?そんな筈はない。
 あれこそちゃんと打ち合わせして、の、言動だった筈です。あれこそプーチンの具体的な思いだったと見るのが自然でしょう。


 >政治宣伝工作というものはテレビのコマーシャルと同じで、もともと無知蒙昧な大衆が対象だ。
 
 あ~、やだやだ。無知蒙昧な大衆の一人ですよ、私は。
 だから、間違いなく「政治宣伝工作」をされている。
 つまり「安保法案」を、「戦争法案」と決めつけ、だから「戦争法案、絶対反対!」と繰り返し聞かされることで、それが真実と思い込んでしまった多くの国民と、「保守派同士仲良くなれる」と言われ、なるほどと思ってしまう国民とは、ほとんど差はない、ということですね?

 うまい話には何かある。それに一回聞いただけで納得できる、なんてことはそうそうあるもんじゃない。
 だからと言ってうまい話があったとしたら「騙されてるんじゃないか?」と常に猜疑の目で人を見るというのは、どうも人間が卑しくなっていけない。

 考えてみればお人好し「日本」だ。騙されるということに関してホントに苦労、苦悩してきた。その繰り返しが日本の歴史だ、といえるかもしれない。
 でも、だから、「ではどうするか」の飽くなき繰り返しもしてきたんじゃなかろうか。
 深呼吸をすれば、そこで身に着けてきた「謙虚と思い遣り」が目を覚ます。
 目先の利益に曇った眼が、我欲から離れたら「あれ、何か釈然としないな。何故だろう」と澄んでくる。



 ・・・・・・・というわけで、次回も

 「決して急ぐな!対露領土交渉」から、「常識」ということについて転載。

 ・・・・・・

 追記
 一旦更新してから、読んでみて、
 「これ、『安倍総理も騙されてんじゃないか?』と言ってるみたいに見えるかな?」
 と思いました。
 騙されているかもしれないし、そうでないかもしれない。
 何しろ大きな国益がかかってますからね。総理の目だって曇るかも。

 けど、そこで私欲の有無が絡んでくる。だから前後関係、位置関係、で見る。
 「事実」、と言われるものはこういう場合は信用できない。
 となると、ここで「世界は腹黒い」という名言が出てきます。

 安倍総理はプーチンの腹黒さに勝てるか。

 結局、最後は国益が懸かっていて悪魔のようになったとしても、使える能力は「謙虚と思い遣り」「正心誠意」しか日本人には、ないし、それは最高の能力でもある、と観念するしかないような・・・・。

 
 

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B層だと自分に言い聞かせる

2020年05月20日 | 心の持ち様
2016.07/23 (Sat)

 野党4党の統一候補が、  
 「介護士が低賃金で結婚できないから仕事を辞める」
 「これを何と言うか皆さんご存知ですね 介護離職です!」
 と言ったと。

 なるほど!介護士が離職するから介護離職 ・・・・って、ちゃうやろ!!
 介護離職した当人(私)が、つい納得してしまった。
 我ながらどこまでバカなんだと呆れてしまう。

 これは演説の掴み、だったのかな?うまいこと、乗せられたのかな?
 そう思ったんだけど、どうも本気で言ったらしい。
 これ、言い間違いじゃないぞ。本気で思い違いしてるんだ。そういう「認識」なんだ。介護のことなんて考えたこと、なかったんだな。

 「『病み上がりの老人』、って出てきちゃいけないのか!ガンサバイバーに対する差別だ!」
 その前置きに「政治に素人の」という言葉があったのに、載ってなかったんですよね、写真には。
 それを「こんなこと言われてましたよ」と渡された。
 だから勘違いして「病み上がりの老人とは失礼じゃないか」、というなら分かる。
 それが「ガンサバイバーに対する差別だ!」って・・・・。どうしてそうなるんだろう。

 「思い込み」を、「感じ」を「考え」と区別できない反射的思考(直感?)でもって処理する。つまり結論を出す。
 それで「日本人が真実に正直になれないのは神道のせいであり、それは天皇の戦争責任を追及しないことにもつながっている」
 なんて「三段論法」ならぬ「夢想三段跳び論」を展開する。
 「八百万の神たちを自分の都合のいいように使い分ける狡さ。天皇が責任者なのに追及しようという発想すらない間抜け。それが日本人だ!」
 見ると十年以上前の記事だから、昔から彼は、こうなのだ。 
 これがジャーナリストの性なのか。
 ならば、決して彼はボケてない。

 「放心したような顔」「明らかに尋常ではない文字」「日付の分からない頭」
 これは彼であり、十数歳下の私でもある。
 ただし、私は以前からそうだけれど、彼はテレビで見る限り、十数年前はそうではなかった。
 確かに他のことを考えてぼんやりしてたこともある。抜けたことも言っていた。元々字はへたくそだった。
 だが明らかに以前とは様子が違う。
 でも、考え方はジャーナリストのままなのだ。何も心配はいらない。初めからあのままなのだ。
 だから、都民がそれを選ぶのなら、しょうがない。失敗したって責任は都民しか取れないのだから。
 (迷惑は多くの国民に及ぶけど、それは同じ日本人として覚悟するしかない)

 ついでながら。「都政も国政も同じだ」という氏の主張は間違ってないと思いますよ。
 というより、それくらい気宇壮大にやらなければ。東京は矮小化してはならない。何たって首都なんだから。
 
 (そのくらい壮大にやれば都庁の職員ものびのびと仕事ができるでしょ?応援団のO沢一郎氏も言ってました。「神輿は軽くてなんとやら」、と)
 
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譲位だとか退位だとか

2020年05月20日 | 心の持ち様
2016.07/22 (Fri)

 あの騒動がいつの間にか消えてしまいました。
 けど、ということは、また天災のように、突然テレビ・新聞で採り上げられ、大騒ぎになる可能性がある、ということです。
 どうしてかというと、あの騒ぎの時、犯人探し(リークしたのは誰だ)をしようという動きが出ただけで、結局犯人は推測されたものの推測どまりだったし、何より「譲位」などとなった時、「皇室典範に記載されていないことについては、陛下は決してご発言されない」という何よりも大事なことについては全く論議されなかったからです。
 一番肝腎なこと、(肝腎というよりあってはならないこと)に関してだけでも、何故、議論にならなかったのだろう。

 一番肝腎なこと、というのは天皇という存在を一体我々はどう思っているのかということです。「世界最古の奇跡のような国」ということなどを誇らしげに口にするようになったこと自体は素晴らしいことです。けど、陛下と我々はどういう関係なのか。
 陛下は「国民の総意に基づいた我が国の象徴」なのか。それともただ「国家元首」なのか。

 「国民の総意に基づく」というのは、「国民が天皇の地位を定める」ということです。
 それは「国民が天皇の上位に位置する」ということです。つまり「国民の方が天皇よりえらい」と言ってるわけです。
 「国家元首」。これまた、独裁者でなければ西欧では(形式上は)国民の総意で決定される。限定的ながら、権力も委ねられる。
 けど、天皇陛下は国民から権力を委ねられた、そういう存在でしょうか?

 天皇は國體(国体)であり、我々国民(臣民、民草)はその赤子だとされてきました。西欧とは全く違って「ただただ(一体となって)栄えよ」と天壌無窮の神勅にある通り、これは生身の人間としてではなく、神勅を実行する「存在」として、我々は感じれば良い。それが天皇です。

 生身の人間ではなく國體そのものなのだから、お隠れになることを「崩御」と言うのであって、ならば、それ以前を「生前」などと表現することはおかしい。國體そのものなのだから、戦前は生身の人間としての、「誕生日」という言い方はせず「天長節」といいました。
 「退位ではなく、譲位というべきではないか」というような言葉はちらほら見えたけれど、「生前、というのはおかしい」と、論じた人は見当たりませんでした。

 それから皇室はあくまでも「皇室」であって、「天皇家」「皇家」といった「一家」ではありません。
 以下は転載です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  4、皇統を永続するための側室制度

 尤も、昔から多くの国々では、家系の基盤と永続を重んずる立場から、一夫多妻の風習があり、わが国の皇室をはじめ、豪族においても例外ではない。皇室の場合は『古事記』や『日本書紀』を見れば明らかであり、それを法制化した養老の後宮職員令(ごくうしきいんりょう)では、皇后以外に、妃(二員)・夫人(三員)・嬪(四員)の計九名の側室が公認されていた。(このことは従来も歴史家の常識であったが、近年、特に「庶系継承」の事例の数字を示して、世人の注意を喚起したのは高森明勅氏である。)これは古来の風習とシナの令制に倣うものだが、これだけの用意があって、その結果、実際に歴史上、皇統の男子の約半数が皇后の嫡出以外の「皇庶子孫」である。この事実を無視したり、或いは隠して議論する「男系男子」論者があるが、それは偏向といわねばならない。歴史や伝統を理解する上で大切なことは、公明正大な史実を基礎にすることである。近い例では、明治天皇の御生母は中山慶子典侍(てんじ、ないしのすけ)であり、大正天皇の御生母も柳原愛子権典侍(ごんてんじ)であったが、共に後に「儲君(もうけのきみ)」(皇太子のこと)に治定され、〝皇后の実子〟として「立太子」されている。


 5、側室制度の廃止を決断されたのは昭和天皇

 この歴史を十分に承知されながら、かような旧来の側室制を進んで廃止して、近代的な一夫一婦の美風を実現されたのが、他ならぬ英主昭和天皇であられた。(大正天皇は幸に貞明皇后との間に男のお子様が四名おられたので側室は置かれなかった。)しかしこれは、明治の『皇室典範』(第一条)にいう皇統の「男系ノ男子」継承の立場からは、将来に大きな危険をはらんでいた。それ故、実はこの時に、旧典範の「皇庶子孫」の皇位継承の特例(第四条・第八条)を除外し、-戦後の新皇室典範では庶子を認めない。-「女帝」も含めた改正をしておかなければならなかったのに、そのままに残され、その上に、新旧典範では養子も認められない規定のため、いまや現実に、男子の皇胤が絶えようとしているのである。この明白な現実を無視して、どこまでも「必ず男系男子」をと主張するのは、決して歴史の〝伝統〟でも〝正統〟でもなく、約五割の歴史的役割を果たした側室制に目をつぶった、守旧で観念的な、無理を承知の横車に近いであろう。


  田中卓評論集 「祖国再建 下」
   付録  第四
 女帝・女系反対論に対する徹底的批判
 -〝天壌無窮〟の皇統を祈念してー
 4、皇統を永続するための側室制度 より
 5、側室制度の廃止を決断されたのは昭和天皇 より

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 田中博士の、この文章が書かれたのは平成十八年で、まだ悠仁親王はお生まれではない。
 私が子供の頃、母に
 「明治天皇は十数人妾があった。でも、それは、跡継ぎが居ないと困るから、そういう決まりになっていたんだ」
 、と聞いたことがあります。
 「大奥に比べたら全然違うけど」、とも。
 実際は、この養老令に則って、9名まで居られたのかもしれません。

 この文にあるように、側室を持たれなくなるのは大正天皇からということになりますが、同じく文にあるように積極的にそうされたのは昭和天皇からです。
 勿論、国民がどうのこうのと言うようなことではありません。
 そして、今上陛下もそれに倣われ、皇太子殿下もそうされています。

 新皇室典範では庶子を認めない。
 養老令ならともかく、一番に困ったことは、「新旧典範では養子も認められない規定」である、ということです。
 そうなると、皇統の継承に関する全ての責はまず、皇后陛下に、ということになります。そして、皇太子妃殿下に。
 これに重ねて男系男子となれば、皇后陛下、そして皇太子妃殿下の御心はどんなでしょう。

(略)

 ここまでは、言ってみれば公平に、又冷静に、皇室のことについて考える準備のようなものでした。
 「万世一系とは」、「神武天皇実在の論証」、「戀闕」、「君臣の情義」、「承詔必謹」「天壌無窮の神勅」等いずれをとっても「感じとって」いかなければならないことばかりです。

 そして、ここまでを感じ取られたならば、田中博士は「女系天皇推進論者」ではなく、「天壌無窮の神勅」を拠りどころとする「容認論」者だということや、「万世一系」とは「成果」であって、実際のところは「君臣一体」の、「君臣の情義」による、「皇統の正統な継承」こそが大事なことなのだ、との考えであるということが見えてくるのではないでしょうか。

 この順に見ず(感じ取ることなく)、いきなり「女系天皇」云々となれば、それぞれに国を思う日本人同士の論詰の仕合にしかならないでしょう。

                   (以下略)
                   
                       ( 2012年3月28日の日記より )
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「岸信介かく語りき」より (4回目。 これでおしまい)

2020年05月20日 | 心の持ち様
2016.07/21 (Thu)

 「月刊Hanada」8月号掲載の、
 「巣鴨プリズン、60年安保、そして家族のこと・・・・『岸信介かく語りき』」 (聞き手 加治悦子)
 から4回目の転載です。これでこの関連の転載は、おしまいです。
 開戦に関しての、氏の捉え方、東条英機の本心等、現在の我々国民はあまり聞くことのない、勿論習ったことすらない見方です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「開戦、そして終戦」
  
 加地(聞き手)
 先生、開戦の時は、日本が本当に勝つと思って、東條さんにいわれて入閣されたんですか。

 岸
  いや、いちばん初めに東條さんから私になれという、お話がありましてね。まだ戦争が始まらんうちですよ。
 「いったい、日米関係はどうなるんでしょう?やるんですか、やらないんですか」
 と言ったら、東條さんは
 「極力やらないように努力する」
 と。
 「戦争は回避しなきゃいかん。全力を挙げて、そうするつもりだ」
 というお話ですからね。私は戦争すべきもんじゃないという、意見だったもんですからね。
 「東條さんがそういうお考えなら、はいりましょう」
 と言って、入ったんです。そして東條内閣ができてからも、東條さんはあらゆる努力をされた。

 最後に開戦に至ったのは、アメリカの無理強いに日本が乗せられた感じですよ。日本としては極力、戦争を回避するために努力したのが、事実ですよ。
 もちろん、戦争に勝つという自信はなかったと思うんだけれども、とにかく日本が生きていくためには、どうしたって、屈伏するわけにいかない、ということだった。初めから、アメリカ本土を攻めて、アメリカをとっちまうなんていう考え方は、これほどもない。ただ、日本を守るためですよ。

 それだから、問題は戦争をいつやめるべきかという、戦争指導を間違ったと思うんですよ。初めから勝てるわけがないんですからね。

 加地
  東條内閣の時にお辞めになったのは、どういう経緯で、お辞めになったんですか。
 岸
  私は東條さんと、非常な激論になりましたのはね、サイパンが陥(お)ちるか、陥ちないかという時ですよ。
 その頃は、明治憲法の下では、統帥権というものが、独立と言われているんですよ。軍が直接、陛下に申し上げて、一般の国務大臣の権限外、国務大臣はそれに口を出すことができないっちゅうのが、明治憲法のあり方なんです。
 それで東條さんが
 「お前はそういう軍の統帥に関する問題、どこで決戦するかということは、軍が決めるんだ、文官のくせに口を出すとは、憲法違反だ」
 と言うんだ。
 私は
 「憲法の議論だったら、実はあなたよりも私のほうが専門家だから、よく知ってるんです」
 と。
  それで私はこう言った。
 「私は軍については素人だから、『お前、そう言うけど、サイパンで決戦するよりも、台湾沖で、あるいは沖縄でやることのほうが、作戦上有利なんだ。サイパンじゃ、うまくやれないけれども、沖縄なら、うまくやれるんだ』ということをおっしゃるのなら、私は頭を下げる」
 サイパンをとられたら、二月か、三月の間に、日本の軍需生産の大事なものは、全部破壊されちまう。戦争ができなくなると。
 だから、とにかくここで、あらゆる全力を挙げて、最後の戦いをして、残念ながら敗れたら、手を上げて。それでなけりゃ、国土がほんとに焦土に化して、救う手がないと。もし敗けたら、我々が、そら腹切ってもなんでもしていいから、陛下にお詫びする方法はいくらでもあるんだから、手を上げるべきだと。

 加地
 で、どうなったんですか。先生が東條さんにおっしゃって・・・・。
 岸
 聞かない。そうしたらね、結局、東條さんが東條内閣を改造して、私に辞めろっていうことなんだ。
 私は、辞めないって言うんだ。いまの内閣では、大臣っていうのは総理が任命するんですから、言うこと聞かなけりゃ、すぐクビ切れるんですよ。
 ところが、戦前は、大臣の任命は憲法上、陛下が直接任命されまして、そうして国務大臣たるものは、陛下に対して輔弼(ほひつ)の責任があったんですよ。したがって、輔弼の責任の点においては、元の憲法では、内閣の総理大臣と国務大臣というものは、同格なんです。
 言うこと聞かなけりゃ、クビ切るっていうのは、明治憲法じゃあ、できないわけだ。ですから、結局、総辞職ということになる。
 そうしましたらね、ちょうど東京憲兵隊の隊長をしておられた、四方(しかた)という大佐がおりましてね、それが、私のところへ会いに来ましてね。
 「東條さんが辞めろって言ったら、辞めたらいいじゃないか。そういうことだと、国が乱れるんだ」
 と、言いますからね、 
 「なにおお前、兵隊!俺は国務大臣だ。お前ら兵隊が、俺の輔弼の責任について、口を出すっていうことは、許されないことだ。だいたいお前らのような奴がいるから、東條さんを誤らせるんだ。日本で右向け右って言やぁ、どんな場合でも、右向かなきゃならん、左向け左って言やぁ、どんな場合でも、左向かなきゃならんのは、上御一人(天皇)だけなんだ。
 それを、東條さんが命令すればだな、無条件に聞けなんていうようなことを言う兵隊が東條さんについてる東條さんを誤らしてだ。下がれ!」ちゅったんだよ(笑)。
 
 そうしたらね、あの頃の長い刀をガッチャンと床下について、 
 「覚えとれ!」
 と、こう言いやがるんだ。

 加地
  でも、先生ね、そういうふうに激論なさったのに、そのあとで巣鴨で、お互いに、気持ちがぴったりと、また、元に戻ってらしたわけですね。
 岸
  東條さんにお目にかかって、
  「最後に自分があなたの意見に従わなかったことは自分としちゃあ、あなたに別に恨みだとか、あなたに含むところがあって言ったんじゃない」と。
 加地
  国のことを考えたら、当然ですね。
 岸
 国のことを考えて、なにしたんだと言ったら、東條さんが
 「いや、君の心根はよう分かってる」
 ということでね。あそこへ伺って、そういう話をしたことがあるんです。

                     (転載了)

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  東条英機が開戦を主張した、みたいな感じで習ったように思うんですが、段々にいろんな本を読んでみると、どうも様子が違う。
 また、海軍と陸軍の歩調があまり揃っているとは言えない。それどころか、ものによると、海軍の勇み足や、楽観論が、みたいなことも書いてある。
 いずれにしても全面的な長期戦争は考えていなかったし、短期決戦で早期講和をというのが陸海軍共に希望するところだったようですが、要はアメリカ、ですね。文中にもあるように「アメリカの無理強いに日本が乗せられた」というのが真相だ、と書かれたものが今になってやっとちらほら見受けられるようになりました。
 それでも、今だって、
 「結局は駐米大使館の凡ミスのせいで、日本が卑怯な戦(奇襲攻撃)を始めたことになっている。外務省なんてものは昔も今も~」
 となってしまうことが多い。
 しかし、高山正之氏の能く書かれているように、「宣戦布告して戦を始めなかった」「卑怯な開戦だった」などと、米国がどの口で言うか、と思います。

 「アメリカの無理強いに日本が乗せられた感じですよ」。「感じ」は要らない、「強引に手を出すように仕向けられたのだ」、と言い切ってもいい。

 それから、文官と武官の違いをしみじみと感じた部分を。
・ 「戦争は回避しなきゃいかん。全力を挙げて、そうするつもりだ」
・ 「どこで決戦するかということは、軍が決めるんだ、文官のくせに口を出すとは~」
・ 「東條さんが辞めろって言ったら、辞めたらいいじゃないか。そういうことだと、国が乱れるんだ」
 対して文官である岸信介は
・ 「問題は戦争をいつやめるべきかということ」
・ 「全力を挙げて、最後の戦いをして、残念ながら敗れたら、手を上げて」
・ 「もし敗けたら、我々が、そら腹切ってもなんでもしていいから、陛下にお詫びする方法はいくらでもあるんだから~」

 武官は国のために命を捨てることを本分とします。命を捨てて国を守る。「大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」の歌通りです。
生き残って、復興計画も立て、実行して・・・などというのは武官の仕事ではありません。だから何が何でも戦を回避するよう努める。

 文官は逆です。何が何でも生き残って国の復興に尽力する。
 だから、冷徹です。「いつやめるべきか(一番有利な時にやめる)」と考える。これ、そこまでに多くの兵が死傷しているのですよ?「冷徹」でないと、「冷たい血」を持ってないとできないことです。
 「もし敗けたら、我々が、そら腹切ってもなんでもしていいから、~」って敗けるときのことを考えて戦う軍隊が強い筈がない。戦死してこそ軍人であって、責任とって腹を切る、なんてのは軍人として恥ずかしい。
 「陛下にお詫びする方法はいくらでもあるんだから」、というような発想は軍人にはない。負け戦のお詫びの方法は最大の恥だけれど、「死んでお詫びをする」しかない。

 この文官と武官の違いは、当然のことですが昨今言われる文民統制、とかシビリアンコントロールとか言われるものとは違います。
 天皇の下に文官と武官が居並ぶわけですから、本来の在り方からいえば一番よく似ていたのは朝鮮の両班(文班、武班)かもしれません。現実には全く違いますが。何しろ日本は尚武の国ですから。
コメント
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