ひとりの夜を短歌とあそぼう (角川ソフィア文庫) | |
クリエーター情報なし | |
角川学芸出版 |
☆☆☆☆
本を読んで、すぐにブログに書ける本と、何度も読み返してなかなか書けない本がある。
感動してないのではなく、あまりにも良すぎて、ずっとバックの中に入って持ち歩いていたからである。
この「ひとりの夜を短歌とあそぼう」は、ズバリその本。
女優や漫画家など異業種の方達が自由に遊んだ短歌を、歌人の穂村弘・東直子が先生役で指南を・・・。
短歌のおもしろさを考えると、言葉のおもしろさはもちろんのこと、落語に相通じるものがある。
笑いとは、枝雀師匠が云われる「緊張と緩和」、・・・・これ何・・・ああ、そういうことか・・そういうことだったのか。
解るということで、思わず納得、顔もほころび、心も和む・・・ということで、私にとっては、短歌も落語(笑い)も同じこと。
今回の「ひとりの夜を短歌とあそぼう」の中では、穂村弘・東直子の二人解説、感想が違うところがおもしろい。
一つの歌に、解釈のしかた、受け手側の気持ちの持ち方で、まるっきり変わってしまう。
逆に、短歌って、受け手側の自分、その歌に心動かされる自分が映しだされて、ちょっと怖い気がする。
でも勇気をもって、気になる歌を少しばかり紹介を。
お題を聞けば、なるほどというのがあるので、お題はあとで披露。
愛こめてどうか不幸であるように君無き春の我無き君へ・・・・・・・・・(吉野明実・40才・漫画家)①
・・・・・・別れ、そして春が訪れ、さめている君がいる、フラれたんだ。
分離帯超えてわかったぼくたちが肉だったこと液だったこと・・・・・(沢田康彦・42才・編集者)②
・・・・・この分離帯は「生死のライン」なのか「性の歌」なのか。
空豆はすでになくなり枝豆はいまだ現れず末法のビール界・・・・・・・(針谷圭角・51才・飲食業)③
・・・・・(○○はすでになくなり○○はいまだ現れず末法の世なり)が原典か。
きみに選ばれぬわれがいて 電気屋のおかまひとつ選べぬわれも・(那波かおり・41才・英米文学翻訳家)④
・・・・・いつも、選ぶのに迷う自分がいます、たかがお菓子一つなのに・・・・、本は早いです・・・。
「空豆の塩ゆで好き」におどる心 崖っぷちすでに・・・・・・・・・・・・・・・(やまだりよこ・40代・上方文筆家)⑤
・・・・・やまだりよこさん、崖っぷちすでになんですね・・・。
抱きたくて声聞きたくて会いたくて五十の恋の春ど真ん中・・・・・・・(榊吾郎・53才)⑥
・・・・・講談調であり、演歌の紹介みたい、と、いくつになっても恋はよろしいな。
「友だちへ戻るにはもう好きになり過ぎた」と言ってくれる声など・・(中村のり子・18才・学生)⑦
・・・・・自慢の対象が言葉=内容ではなく、「声」なんだと。
今からはわたしとあなたの秘密です海で三回死にかけました・・・・・(那波かおり・41才・英米文学翻訳家)⑧
・・・・自殺の告白なのか、二人だけの性愛的な秘密なのか・・・。
甘い汗にじませ白い耳に告ぐ 少ししつっこいくらいが好きよ・・・・(東直子・39才・歌人)⑨
・・・・何ともエロイ、どこが自慢なのか・・・告ぐがおそろしいと。
「こんなめにきみを会わせる人間は、ぼくのほかにありはしない」・・・(穂村弘・40才・歌人)⑩
・・・・こんな目って、よいことなのか、わるいことなのか・・・。
お題は、①(嫉妬)、②(べたべた)、③(べたべた)(空)、④(えらぶ)、⑤(えらぶ)、⑥(えらぶ)
⑦(自慢する)、⑧(海)、⑨(自慢する)、⑩(自慢する)
短歌には、その日、そのときの気持ちが、素直に表現されている。
飾り気のない、裸の想いであればあるほど、染み入るごとく伝わってくる。
「ひとりの夜を短歌とあそぼう」は言葉のもっている感動を味わえる本でおます。
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