私は、星野さんがまだ殆んど無名の時に、アラスカに住み
写真を撮っている青年がいると、筑紫さんのニュースで紹介
された時から、心惹かれてきました。
今、また星野さんの本を読み返しています。写真も素晴らしいですが
実は、星野さんの文章も写真と同じくらい、心に深く降りて留まって
くれる文章なのです。
星野さんが面白き事を言ってました。
「僕はいつのころからか、歴史の長さを人の一生で考えるように
なった。今、自分がここに在るということは、歴史のどの時代にも
自分の分身がどこかにいたということだ。
親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、
例えば二千年前の弥生時代の分身はわずか七、八十人先なの
だ。
振り返り、少し目をこらせばその男の顔をかすかに読みとること
だってできるだろう。僕たち人間の歴史とは、それほどついこの間
の出来ごとなのだ。」
アラスカの大地で、自然の営みを直に感じ生活していた
星野さんの視点に、はっとさせられます。
弥生時代が、七、八十人ということは、二クラス分、2000年
という気が遠くなるような、時の流れが、たった二クラス分なの
です。
宇宙の時間の感覚とはこんなかもしれません。
そして、そのどこにも自分と繋がりがある、自分の分身がいるの
です。
どこも途切れることがなかったから、この「いのち」が今ここに
あるってことに、感謝しないではいられなくなります
写真を撮っている青年がいると、筑紫さんのニュースで紹介
された時から、心惹かれてきました。
今、また星野さんの本を読み返しています。写真も素晴らしいですが
実は、星野さんの文章も写真と同じくらい、心に深く降りて留まって
くれる文章なのです。
星野さんが面白き事を言ってました。
「僕はいつのころからか、歴史の長さを人の一生で考えるように
なった。今、自分がここに在るということは、歴史のどの時代にも
自分の分身がどこかにいたということだ。
親からスタートして自分の分身が一列にずっと並んだなら、
例えば二千年前の弥生時代の分身はわずか七、八十人先なの
だ。
振り返り、少し目をこらせばその男の顔をかすかに読みとること
だってできるだろう。僕たち人間の歴史とは、それほどついこの間
の出来ごとなのだ。」
アラスカの大地で、自然の営みを直に感じ生活していた
星野さんの視点に、はっとさせられます。
弥生時代が、七、八十人ということは、二クラス分、2000年
という気が遠くなるような、時の流れが、たった二クラス分なの
です。
宇宙の時間の感覚とはこんなかもしれません。
そして、そのどこにも自分と繋がりがある、自分の分身がいるの
です。
どこも途切れることがなかったから、この「いのち」が今ここに
あるってことに、感謝しないではいられなくなります