昨日の夜、パリに住んでいる友達から電話があり、思わず「どこから?
パリなの?」と言ったら「日本。母が亡くなったの…」という返事が
返ってきました。
去年の秋から、日本に戻りずっと看病していて、1月末にパリに
帰ったばかりでした。
3姉妹の二人の妹さんに診取られて、お母さんは旅立ったようです。
今日、葬儀に出席する為、千葉の八街まで行ってきました。
飽きる程電車に乗って、日本って思ったより広かったんだと感心し
駅に降り立ちました。
びっくりするほど何にもなくて…空が広くて…
やっぱりお葬式は晴れた日がいいなーと、空を見ながら息子の
葬儀の時のどこまでも晴れ渡った青空を思い出していました。
少し早く斎場に着き、待っていると彼女の一人娘のパリジェンヌが
「お母さんに会って」と呼びに来てくれました。
だいぶ落胆しているのかなと、心配しながら行くと彼女の
背中だけが見えていて、何をしてるのかと思ったら、必死で
喪主の言葉を書いていました。
その時初めて、あ!喪主なんだ。気がつき「長女だから喪主
なんだ」と言うと、彼女も「帰ってきたら、喪主になっていたの」
と、とんちんかんな答えが…
何だか、悲しいのに可笑しくなりました。
でも、人生ってちゃんと辻褄が合うようになっているんだなと、
つくづく思いました。
彼女がパリにいて、お母さんと一緒にいられなかった時間が
最後の看病と言うかたちで、与えられたのですから…
必死に喪主の挨拶を書いていた彼女が「挨拶の中に、お母さん
実はタイガースが好きだったって入れたいけど、無理かな」と
残念そうに言ったので、いつも平和を切に願っていたという
お母さんに、ジュリーがコンサートで脱原発の署名をやっている
ことや、9条のことを歌のしている事を伝えたかったなと
思いました。
老人の葬儀は、泣いている人が少ないのですが、今日は違って
いました。
生前のお母さんには会ったことがありませんが、きっと
素晴らしい方だったに違いありません。
出棺の車が出る時、70歳位の方が大きな声で「有難う
おかあさーん!」と叫んだのです。
抜けるような青空に響き渡ったその声に、お母さんの姿が
感じとれるようでした。
パリなの?」と言ったら「日本。母が亡くなったの…」という返事が
返ってきました。
去年の秋から、日本に戻りずっと看病していて、1月末にパリに
帰ったばかりでした。
3姉妹の二人の妹さんに診取られて、お母さんは旅立ったようです。
今日、葬儀に出席する為、千葉の八街まで行ってきました。
飽きる程電車に乗って、日本って思ったより広かったんだと感心し
駅に降り立ちました。
びっくりするほど何にもなくて…空が広くて…
やっぱりお葬式は晴れた日がいいなーと、空を見ながら息子の
葬儀の時のどこまでも晴れ渡った青空を思い出していました。
少し早く斎場に着き、待っていると彼女の一人娘のパリジェンヌが
「お母さんに会って」と呼びに来てくれました。
だいぶ落胆しているのかなと、心配しながら行くと彼女の
背中だけが見えていて、何をしてるのかと思ったら、必死で
喪主の言葉を書いていました。
その時初めて、あ!喪主なんだ。気がつき「長女だから喪主
なんだ」と言うと、彼女も「帰ってきたら、喪主になっていたの」
と、とんちんかんな答えが…
何だか、悲しいのに可笑しくなりました。
でも、人生ってちゃんと辻褄が合うようになっているんだなと、
つくづく思いました。
彼女がパリにいて、お母さんと一緒にいられなかった時間が
最後の看病と言うかたちで、与えられたのですから…
必死に喪主の挨拶を書いていた彼女が「挨拶の中に、お母さん
実はタイガースが好きだったって入れたいけど、無理かな」と
残念そうに言ったので、いつも平和を切に願っていたという
お母さんに、ジュリーがコンサートで脱原発の署名をやっている
ことや、9条のことを歌のしている事を伝えたかったなと
思いました。
老人の葬儀は、泣いている人が少ないのですが、今日は違って
いました。
生前のお母さんには会ったことがありませんが、きっと
素晴らしい方だったに違いありません。
出棺の車が出る時、70歳位の方が大きな声で「有難う
おかあさーん!」と叫んだのです。
抜けるような青空に響き渡ったその声に、お母さんの姿が
感じとれるようでした。