今朝、朝刊とは別に東日本大震災で死亡が確認された方々のお名前
を掲載という紙面が入っていました。
1万5000人を超える人が亡くなり、3000人以上の人がいまだに
行方不明だそうです。
毎日、新聞に震災での死亡・行方不明の人数が掲載されているの
ですが、数字だけ見てもあまりの数の多さに現実のこととして
受けとめられないでいました。
でも、今朝の新聞で6面におよぶ亡くなった方々のお名前を見て
どれ程たくさんの命が失われたかが、目の前に突きつけられた
気がしました。
3・11…あれから1年が経ちました。
深く重い重い1年でした。
生きてることが、当たり前でなくなった1年
どう生きればよいか立ちどまり、見つめ続けた1年
これだけ沢山の尊い魂(いのち)に、生きている私たちは
どう応えていけばいいのだろうか…
亡くなった人たちの望んでいることは、それはきっと
震災前の日本に戻すことではないのだろう…
大きな犠牲の上に、頂いた気づき
私たちはその気づきを道標に、亡くなった魂(いのち)が
喜んでくれる社会にしていくことでは、ないのだろうか…
3月11日、祈りの中でそんなことが心に降りてきました。
を掲載という紙面が入っていました。
1万5000人を超える人が亡くなり、3000人以上の人がいまだに
行方不明だそうです。
毎日、新聞に震災での死亡・行方不明の人数が掲載されているの
ですが、数字だけ見てもあまりの数の多さに現実のこととして
受けとめられないでいました。
でも、今朝の新聞で6面におよぶ亡くなった方々のお名前を見て
どれ程たくさんの命が失われたかが、目の前に突きつけられた
気がしました。
3・11…あれから1年が経ちました。
深く重い重い1年でした。
生きてることが、当たり前でなくなった1年
どう生きればよいか立ちどまり、見つめ続けた1年
これだけ沢山の尊い魂(いのち)に、生きている私たちは
どう応えていけばいいのだろうか…
亡くなった人たちの望んでいることは、それはきっと
震災前の日本に戻すことではないのだろう…
大きな犠牲の上に、頂いた気づき
私たちはその気づきを道標に、亡くなった魂(いのち)が
喜んでくれる社会にしていくことでは、ないのだろうか…
3月11日、祈りの中でそんなことが心に降りてきました。