昨日の夕方、初女先生のラジオの番組があると連絡があり、慌てて
あちこちに知らせました。
三浦の講演会の参加者には、いきなりメールでお知らせしました。
きっと驚かれたことと思います。私の名前なんて忘れていると
思うので、「8時から初女先生のラジオ放送があります。山直」
なんて、支離滅裂なメールを送ったのですから…
いよいよ時間になり、先生のお声が聴こえてくると、それだけで
なぜかドキドキしてしまいました。
先生のお話は、いつどこで聴いても姿勢を正される思いがします。
先月お会いしているのに、ラジオから聴こえて来るお声を耳に
すると、懐かしくて懐かしくて…
初女先生の懐に包まれているようでした。
今日、パソコンのメールに昨日の放送を聴いたという方から
嬉しいお便りが届いていました。
「傷つけられたり、裏切られたりした相手を許さなければ
ならないのでしょうか?という質問に、初女先生は
「許さなくちゃと思わなくていいのではないですか。
そのままにしておけば」とおっしゃったのが新鮮でした。
クリスチャンは7を70倍するまで許しなさいと、教えられて
いるので、先生のお答えも当然許すように言われるものだと
思ってました。
先生は違うんですね。何だか嬉しかったです。
肩の荷が軽くなる気がしました。」と書いてありました。
私も、この方と同じ驚きをしたことがあります。
分かち合いの時に、お子さん二人を自死で亡くされた
お母さんの書かれたものを読まれた時、私はキリスト教は
自殺は罪深いこととしているので、先生は何と答えるのだろうと
思ってました。
そうしたら先生は、「お子さんが望んでしたことですから、
お母さんは自分を責めないで、子どもさんが望んだように
生きて行って下さい。それが供養になるんです」と
言われたんです。
私はこの時、本当に大きな深い愛を初女先生に感じました。
キリスト教の教えからみれば、相反する答えかもしれないけれど
この先生のお言葉によって、このお母さんはどんなに大きな
支えを得たか…
7の70倍も許すなんて、考えただけでもしんどい事です。
そのままにしとけばいい…それも先生の愛と知恵ですね。
私は放送中、ラジオの前で正座をして、先生の前に
坐っているような、そんな気持ちで聴いていました。
初女先生をお側に感じた、素敵なひな祭りの晩となりました。
あちこちに知らせました。
三浦の講演会の参加者には、いきなりメールでお知らせしました。
きっと驚かれたことと思います。私の名前なんて忘れていると
思うので、「8時から初女先生のラジオ放送があります。山直」
なんて、支離滅裂なメールを送ったのですから…
いよいよ時間になり、先生のお声が聴こえてくると、それだけで
なぜかドキドキしてしまいました。
先生のお話は、いつどこで聴いても姿勢を正される思いがします。
先月お会いしているのに、ラジオから聴こえて来るお声を耳に
すると、懐かしくて懐かしくて…
初女先生の懐に包まれているようでした。
今日、パソコンのメールに昨日の放送を聴いたという方から
嬉しいお便りが届いていました。
「傷つけられたり、裏切られたりした相手を許さなければ
ならないのでしょうか?という質問に、初女先生は
「許さなくちゃと思わなくていいのではないですか。
そのままにしておけば」とおっしゃったのが新鮮でした。
クリスチャンは7を70倍するまで許しなさいと、教えられて
いるので、先生のお答えも当然許すように言われるものだと
思ってました。
先生は違うんですね。何だか嬉しかったです。
肩の荷が軽くなる気がしました。」と書いてありました。
私も、この方と同じ驚きをしたことがあります。
分かち合いの時に、お子さん二人を自死で亡くされた
お母さんの書かれたものを読まれた時、私はキリスト教は
自殺は罪深いこととしているので、先生は何と答えるのだろうと
思ってました。
そうしたら先生は、「お子さんが望んでしたことですから、
お母さんは自分を責めないで、子どもさんが望んだように
生きて行って下さい。それが供養になるんです」と
言われたんです。
私はこの時、本当に大きな深い愛を初女先生に感じました。
キリスト教の教えからみれば、相反する答えかもしれないけれど
この先生のお言葉によって、このお母さんはどんなに大きな
支えを得たか…
7の70倍も許すなんて、考えただけでもしんどい事です。
そのままにしとけばいい…それも先生の愛と知恵ですね。
私は放送中、ラジオの前で正座をして、先生の前に
坐っているような、そんな気持ちで聴いていました。
初女先生をお側に感じた、素敵なひな祭りの晩となりました。