東京五輪招致のレセプションで、安倍総理が「より速くー、より高くー
より強くー」と歌い上げた時、強い日本がかえって来たと
感じた人が多かったのでしょうか…
私は、言いようのない不安に包まれたました。
この不安はなんだろうと思っていた時、「この国は震災前の状態に
戻ろうとしている」という文章を見つけ、私の不安はこれだ!と
思いました。
戦後、焼け跡から立ちあがった日本は、いつしか経済大国を
目指し、いつの間にかこの地震列島に54基もの原子力発電所を
つくってしまいました。
経済最優先で来たこの国が、リーマンショック以降政治も経済も
閉塞状態に陥っていました。
そして、そんな中で起きた東日本大震災・原発事故に、私たちは
たじろぎ立ちどまり、どう生きていったらよいか、本当幸せとは
なんだろうと、誰もが苦悶したはずです。
消費が、経済を進める美徳という考えが間違っていたと気づき、
物を大切にし、節約する昔ながらの日本人の生活が、いかに尊い
ものであったかに、多くの人が気づいたと思います。
原発は安全ではなく、どれほど危険なものかも解ったはずです。
この大震災の大きな大きな犠牲から、私たちが学ばなければ
震災でいのちを落とした人達に申し訳ないと思ったはずです。
あれから2年…
たった2年しか経っていないのに、経済最優先の道を再び
歩もうとしているのです。
総理は施政方針演説で「今こそ世界一を目指していこう」と
人差し指を突き立てて呼びかけました。
被災地の人からは、風化し忘れ去られようとしているという
声が聞こえるようになり、毎日放射能を出し続けている
原発事故も、早々と終息宣言などを出し、終わったかのような
錯覚をさせられ、これほどの事故も、あったことをなかったかに
するような方向に行くのだろうかという、危惧さえ覚えます。
作家の井出孫六さんは「日本は『大国』であることが好き
なんです。原発がどんなに危険でも『経済大国』という
言葉の前には問題にされなかった…
現在の日本は大国主義の幻想を捨て、身の丈に合った小国
として生きる道を探すべきでないか…
勤勉な国民がいるというものすごい財産がある。これに勝る
ものはない」と言っています。
経済学者の中山智香子さんは「市場規制の規制をなくし、
お金だけが大事というのが新自由主義。強きを助け弱きを
くじく…貧困から抜け出すために働け、市場に買われるように
自分の価値を高めろと、新自由主義は人々を容赦なく追い立てた
そして、その本質は人間の使い捨てです」と言っています。
そして今、その新自由主義の流の中に、私たちの国があることに
警告を鳴らしています。
中山さんは、震災前の道に戻らないためには宮澤賢治の
『雨ニモマケズ』にヒントがある、デクノボーの生き方をと
言っています。
「皆にデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず苦にもされず。
人と比べようとしない。前に進むばかりがいいのではない。
何かおかしいと、変だなと思ったら立ちどまる。
つじつまや帳尻を合わせるのがうまい器用者ではなく、
不器用な生き方です。」と言っています。
中山さんは、ビクトリア朝時代の思想家の『穏やかな経済』
(最後の者にも分け前がいくように、一人一人が自分の
分け前を必要以上に求めないという意味)が好きだと…
あの大震災を体験し、立ちどまった私たち日本人はどこに
進もうとしているのでしょうか…
「私、つましいの」という初女先生の生き方は、
震災があってもなにがあっても、揺るがないものでした。
真の豊かさとは、本当の幸せとは何でしょうか…
より強くー」と歌い上げた時、強い日本がかえって来たと
感じた人が多かったのでしょうか…
私は、言いようのない不安に包まれたました。
この不安はなんだろうと思っていた時、「この国は震災前の状態に
戻ろうとしている」という文章を見つけ、私の不安はこれだ!と
思いました。
戦後、焼け跡から立ちあがった日本は、いつしか経済大国を
目指し、いつの間にかこの地震列島に54基もの原子力発電所を
つくってしまいました。
経済最優先で来たこの国が、リーマンショック以降政治も経済も
閉塞状態に陥っていました。
そして、そんな中で起きた東日本大震災・原発事故に、私たちは
たじろぎ立ちどまり、どう生きていったらよいか、本当幸せとは
なんだろうと、誰もが苦悶したはずです。
消費が、経済を進める美徳という考えが間違っていたと気づき、
物を大切にし、節約する昔ながらの日本人の生活が、いかに尊い
ものであったかに、多くの人が気づいたと思います。
原発は安全ではなく、どれほど危険なものかも解ったはずです。
この大震災の大きな大きな犠牲から、私たちが学ばなければ
震災でいのちを落とした人達に申し訳ないと思ったはずです。
あれから2年…
たった2年しか経っていないのに、経済最優先の道を再び
歩もうとしているのです。
総理は施政方針演説で「今こそ世界一を目指していこう」と
人差し指を突き立てて呼びかけました。
被災地の人からは、風化し忘れ去られようとしているという
声が聞こえるようになり、毎日放射能を出し続けている
原発事故も、早々と終息宣言などを出し、終わったかのような
錯覚をさせられ、これほどの事故も、あったことをなかったかに
するような方向に行くのだろうかという、危惧さえ覚えます。
作家の井出孫六さんは「日本は『大国』であることが好き
なんです。原発がどんなに危険でも『経済大国』という
言葉の前には問題にされなかった…
現在の日本は大国主義の幻想を捨て、身の丈に合った小国
として生きる道を探すべきでないか…
勤勉な国民がいるというものすごい財産がある。これに勝る
ものはない」と言っています。
経済学者の中山智香子さんは「市場規制の規制をなくし、
お金だけが大事というのが新自由主義。強きを助け弱きを
くじく…貧困から抜け出すために働け、市場に買われるように
自分の価値を高めろと、新自由主義は人々を容赦なく追い立てた
そして、その本質は人間の使い捨てです」と言っています。
そして今、その新自由主義の流の中に、私たちの国があることに
警告を鳴らしています。
中山さんは、震災前の道に戻らないためには宮澤賢治の
『雨ニモマケズ』にヒントがある、デクノボーの生き方をと
言っています。
「皆にデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず苦にもされず。
人と比べようとしない。前に進むばかりがいいのではない。
何かおかしいと、変だなと思ったら立ちどまる。
つじつまや帳尻を合わせるのがうまい器用者ではなく、
不器用な生き方です。」と言っています。
中山さんは、ビクトリア朝時代の思想家の『穏やかな経済』
(最後の者にも分け前がいくように、一人一人が自分の
分け前を必要以上に求めないという意味)が好きだと…
あの大震災を体験し、立ちどまった私たち日本人はどこに
進もうとしているのでしょうか…
「私、つましいの」という初女先生の生き方は、
震災があってもなにがあっても、揺るがないものでした。
真の豊かさとは、本当の幸せとは何でしょうか…