あの大震災から、今日で2年が経ちました。
遺族の方の3回忌という言葉に、関連死を含め2万人以上という
壮大な犠牲者の一人ひとりの死が、立ち上がって来るようです。
何の被害も受けていない私が、あの日を語ることははばかれる
けれど、2年前の3月11日が、私の中でも消えない記憶として
残っています。
あの日は金曜日でした。
作業所で障害者の人達と作業をしていました。
Y君は疲れやすいので、横になって休んでいました。
そのY君が、地震に一番先に気づいたのです。
地震だという、呟くような彼の声を聞いてまもなく、今まで
体験したことのない、あの大きな揺れが来たのです。
「机の下にもぐって」という私たちの声に、Mさんがパニックに
なり、椅子に座ったまま動いてくれない…
寝たきりのY君を動かすこともできない…
動揺と、混乱の中でY君の小さな声が聴こえて来たのです。
「逃げて下さい。逃げて下さい。」という声が…
貴方を置いてなんて逃げられない!と、言いながらどうすることも
出来ず、幸い地震は収まったのです。
私たちの作業所は、耐震など何もなく、強風でも家が揺れる
そんなところです。
だから、自分で体を動かせないYさんの言葉は、覚悟が
ないと言えない言葉なんです。
自分を助けてほしいと言わず、逃げて下さい!と言った
19歳の彼を思うと今でも、胸が熱くなります。
今、彼は2年前よりもっと動けなくなっています。
3月11日は、私にとっていのちを考える「いのちの日」です。
前に進みたいと言っている被災地の人に、私たちは何が
出来るだろうか…
「遺体写真二百枚見て水を飲む、喉音立てずに
ただゆっくりと 」
遺族の方の3回忌という言葉に、関連死を含め2万人以上という
壮大な犠牲者の一人ひとりの死が、立ち上がって来るようです。
何の被害も受けていない私が、あの日を語ることははばかれる
けれど、2年前の3月11日が、私の中でも消えない記憶として
残っています。
あの日は金曜日でした。
作業所で障害者の人達と作業をしていました。
Y君は疲れやすいので、横になって休んでいました。
そのY君が、地震に一番先に気づいたのです。
地震だという、呟くような彼の声を聞いてまもなく、今まで
体験したことのない、あの大きな揺れが来たのです。
「机の下にもぐって」という私たちの声に、Mさんがパニックに
なり、椅子に座ったまま動いてくれない…
寝たきりのY君を動かすこともできない…
動揺と、混乱の中でY君の小さな声が聴こえて来たのです。
「逃げて下さい。逃げて下さい。」という声が…
貴方を置いてなんて逃げられない!と、言いながらどうすることも
出来ず、幸い地震は収まったのです。
私たちの作業所は、耐震など何もなく、強風でも家が揺れる
そんなところです。
だから、自分で体を動かせないYさんの言葉は、覚悟が
ないと言えない言葉なんです。
自分を助けてほしいと言わず、逃げて下さい!と言った
19歳の彼を思うと今でも、胸が熱くなります。
今、彼は2年前よりもっと動けなくなっています。
3月11日は、私にとっていのちを考える「いのちの日」です。
前に進みたいと言っている被災地の人に、私たちは何が
出来るだろうか…
「遺体写真二百枚見て水を飲む、喉音立てずに
ただゆっくりと 」