私は関東の生まれなので、方言と呼べるものを持っていません。
だからでしょうか、方言への憧憬は歳を重ねれば重ねるほど
色濃くなってきます。
初女先生の言葉は、もうそれだけで私にとってふる里そのものです。
宮澤賢治の作品を読むと、方言を持たない自分がとても薄ぺったく
感じるのです。
今日、また素敵な方言に出会いました。
「までい」です。
「までい」とは、手間を惜しまず、丁寧に心をこめて、慎ましく
と言った意味合いを持つ、東北の方言だそうです。
何だか、初女先生のお姿にぴったり重なります。
福島の飯館村では、20年の歳月をかけて「までい」な村づくりを
してきたそうです。
飯館村は本当に美しい風景がひろがり、「日本で最も美しい村」
連合に加盟を果したのは、震災の5か月前だったそうです。
そして、その飯館村を舞台に刊行された『までいの力』に書いて
あることが、新聞に載っていました。
それは、震災を体験した私たちが歩むべき道を、示して
くれているようです。
『「までいの心」あるいは哲学は、ないものをねだるのではなく。
あるものを探し生かす。
この足元こそ、ほんとうに大切なものがきっとあるはずだ。
走るスピードを緩めて、時には立ち止まって、なくしてきた大切な
何かに気づき、それを見つめ直す。
昔からの村の暮らしの中にこそ、未来を方向付けるべきヒントが
隠されている。』
一人ひとりが「までい」を心に刻み、震災後の私たちの歩むべき
道を探していかなければ…
だからでしょうか、方言への憧憬は歳を重ねれば重ねるほど
色濃くなってきます。
初女先生の言葉は、もうそれだけで私にとってふる里そのものです。
宮澤賢治の作品を読むと、方言を持たない自分がとても薄ぺったく
感じるのです。
今日、また素敵な方言に出会いました。
「までい」です。
「までい」とは、手間を惜しまず、丁寧に心をこめて、慎ましく
と言った意味合いを持つ、東北の方言だそうです。
何だか、初女先生のお姿にぴったり重なります。
福島の飯館村では、20年の歳月をかけて「までい」な村づくりを
してきたそうです。
飯館村は本当に美しい風景がひろがり、「日本で最も美しい村」
連合に加盟を果したのは、震災の5か月前だったそうです。
そして、その飯館村を舞台に刊行された『までいの力』に書いて
あることが、新聞に載っていました。
それは、震災を体験した私たちが歩むべき道を、示して
くれているようです。
『「までいの心」あるいは哲学は、ないものをねだるのではなく。
あるものを探し生かす。
この足元こそ、ほんとうに大切なものがきっとあるはずだ。
走るスピードを緩めて、時には立ち止まって、なくしてきた大切な
何かに気づき、それを見つめ直す。
昔からの村の暮らしの中にこそ、未来を方向付けるべきヒントが
隠されている。』
一人ひとりが「までい」を心に刻み、震災後の私たちの歩むべき
道を探していかなければ…