初女先生が「響き合う人と出会った時が幸せ」と言われましたが、
その逆の時もあるもので、いくら話してもこちらの思いが届かず
今まで何だったんだろうと、心が折れる時があります。
そんな時、初女先生ならどうされるかしらと、先生の本を
開いてみたら、そこに答えがありました。
「『その人の言うことが本当に正しいのか、わたしの言うことが
正しいのか、それは誰にもわからないこと。
それを判断できるのは神様だけだと思います。』
ある人がすごく一生懸命になって、私に「これが正しい」と伝え
ようとしている時、私の方にも反論のようなことがあったとしても
論争みたいなことをしたくないのです。
そのような時は、ただ「受けとめる」ようにしてますが、
それによって私の気持ちを変えることはありません。
結果的にどちらが正しいのか、それはあとになってわかること
ですから。」
このお言葉を読んで、先生の心と信仰の強さを感じ
ました。
先生はダメと言うことを言われないので、随分無理を
なさっているのではと、思う事がありますが、それは
「神の計らいは限りなく 生涯わたしはその中に生きる」と
決められた、先生の揺るぎのない信仰そのものなのだと
思いました。
私は未熟で、そんな時はショックを受け、心が折れそうに
なります。
でも、先生のこのお言葉を反芻していたら、思いが届かず
どうにもならない時は、神様にお任せしましょうと
気持ちを切り替えることができました。
この広い世界で響き合う人と出会うことが、どんなに
幸せで尊いことかを、その逆の体験からより深く
知ることができました。
初女先生の一つひとつのお言葉は、どれほど深い体験の中から
生れてきているのでしょう
だから、苦しんだり、悲しんだり、悩んだりした時、
先生のお言葉が、私たちの心の道しるべの光となって
くれるのですね。
その逆の時もあるもので、いくら話してもこちらの思いが届かず
今まで何だったんだろうと、心が折れる時があります。
そんな時、初女先生ならどうされるかしらと、先生の本を
開いてみたら、そこに答えがありました。
「『その人の言うことが本当に正しいのか、わたしの言うことが
正しいのか、それは誰にもわからないこと。
それを判断できるのは神様だけだと思います。』
ある人がすごく一生懸命になって、私に「これが正しい」と伝え
ようとしている時、私の方にも反論のようなことがあったとしても
論争みたいなことをしたくないのです。
そのような時は、ただ「受けとめる」ようにしてますが、
それによって私の気持ちを変えることはありません。
結果的にどちらが正しいのか、それはあとになってわかること
ですから。」
このお言葉を読んで、先生の心と信仰の強さを感じ
ました。
先生はダメと言うことを言われないので、随分無理を
なさっているのではと、思う事がありますが、それは
「神の計らいは限りなく 生涯わたしはその中に生きる」と
決められた、先生の揺るぎのない信仰そのものなのだと
思いました。
私は未熟で、そんな時はショックを受け、心が折れそうに
なります。
でも、先生のこのお言葉を反芻していたら、思いが届かず
どうにもならない時は、神様にお任せしましょうと
気持ちを切り替えることができました。
この広い世界で響き合う人と出会うことが、どんなに
幸せで尊いことかを、その逆の体験からより深く
知ることができました。
初女先生の一つひとつのお言葉は、どれほど深い体験の中から
生れてきているのでしょう
だから、苦しんだり、悲しんだり、悩んだりした時、
先生のお言葉が、私たちの心の道しるべの光となって
くれるのですね。