あっという間に3月になってしまいました。
昨日は、おばちゃんひな祭りで手作りの美味しい
お食事と楽しい語らいの時間を過ごしました。
5時過ぎに横浜に着いたのですが、家には帰らず
神保町の岩波ホールに行きました。
実は、昨日はアラン・レネ監督の命日で1回のみの
「夜と霧」の上映があったのです。
19時からなので、この雨だし1時間前に行けば
大丈夫と思っていたのが甘かったのです。
朝からチケットを求め行列が出来、2時には完売に
なったとか。
そのため、特別に20時15分の追加上映となり
私も、何とか観られることになったのです。
なぜ、この映画を観たいと思ったかというと
フランクルの「夜と霧」があったからです。
ナチスの強制収容所を描いたこの映画を観ることは
フランクルを知ることに繋がる気がしたからです。
映画が始まるとき、実に緊張しいている自分が
いました。
強制収容所の映像や写真は今まで、観てきては
いるのですが、この映画で私は言葉を失いました。
1955年に作られた、たった32分の映画に
人間とは何かを問われた気がしました。
そして、これほど過酷な状況を生き抜いた
フランクルの言葉を
自分は、なんと軽く受け止めていたのかということに
愕然ときました。
フランクルの「夜と霧」に、今までの人生を逆転
させられるくらいのショックをうけたのですが、
それでも、それはまだまだ表面のところでの
理解だったと知らされました。
映画を観た後、受けたショックに体がついていけず
具合が悪くなり、やっとの思いで家にたどり着きました
でも、この映画を観て本当によかったと思いました。
フランクルの言葉を自分の体に落として行く為には
この映画を観なければ、気づけなかったことです。
春の嵐のような雨に叩きつけられながら
たった1日、2回だけのこの映画に出会えたことに
感謝しないではいられませんでした。
再び、フランクルの「夜と霧」を読もうと思いました。
人間は、人生から問われている存在である。
人間は、生きる意味を求めて人生に問いを
発するのでなく、人生からの問いに答えなくては
ならない。
そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに
対する具体的な答えでなくてはならない。
ビクトール・フランクル
あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうが
あなたに絶望することはないと、フランクルは言って
いるということ…