息子の机の上に、フランクルの「夜と霧」のテキストが
置いてありました。
何だか、私に読みなさいと言っている気がしました。
表紙には「絶望の果てに光がある」と書いてあり
次のページには、「どんな時にも人生には意味がある」
と、記してあります。
ランディさんは、悩みがあるとき、あ~というものが
出てきて、初めて掴む藁が仏教と、言ってました。
悩みがないときは、ただの学問になってしまうと
フランクルもそうかもしれません。
悩み苦しんでいるからこそ、求めている光に
フランクル言葉の深さ、そしてそのことが真実で
あると、感じることが出来るのだと思います。
『人間が人生の意味は何かと問うに先立って
人生のほうが人間に問いを発してきている。
だから人間は、ほんとうは生きる意味を
問い求める必要なんかないのだ。
人間は、人生から問われている存在である。
人間は、生きる意味を求めて人生に問いを
発するのでなく、人生からの問いに答えなくては
ならない。
そしてその答えは、人生からの具体的な問いかけに
対する具体的な答えでなくてはならない
ビクトール・フランクル』
フランクルは深いな~
今、再びフランクル…です。