今、ピンチにある私に書の先生から
「山崎さんの情熱があればできる!」という
メールを頂きました。
「情熱」か~
初女先生の初めての講演会をやった時に、先生が
講演の中で「一人の女性の情熱がまわりを動かす」
と言われ、会場の方は初女先生の事だと受け取った
ようですが、そのアンケートを読んで、先生が
「これは直さんのことなのに」と言っていたのを
思い出しました。
自分では分からないけれど、こんなおばちゃんに
なっても私の中には「情熱」があるんだ~
あの講演会も、生まれて初めての主催で
いきなり555席というホールをとってしまい
決まってから、足が立ちすくみました。
初女先生の講演会をやりたい!
このホールを満席にしたい!
その思いだけで、動き回っていましたが
あれが情熱だったんだ。
困難な時に私の情熱は目覚めるようだ
落ち込んではいられない
何も持ってない私だけれど、情熱は確かにある
訪れる困難に「なぜ」と言ってもこたえは
返って来ない
ヨブ記に「わたしたちは、神から幸福を
頂いたのだから、不幸もいただこうではないか」
という聖句があります。
こんな風に潔く言えはしないけれど、「なぜ」の
問いから生まれるものは何もないことは
知っている…
初女先生は、黙ってどんなときの受けていました。
それが初女先生の『神の計らいは限りなく
生涯わたしはその中に生きる』という
生き方でした。
先生、私の中にはまだ情熱がありますよね…