佐治晴夫先生の本に「ゆらぎ」について
書いてあるのを読んだとき、初女先生の
「揺れてもいい、芯が通っていれば。
揺れながら成長し、大きくなっていく。
それは、人も白樺も同じ」というお言葉が
科学的に実証されたような気がしました。
佐治先生は「138億年の遠い昔、小さなゆらぎが
起こったことで、宇宙は限りなく熱い火の玉と
して生まれた。すべては小さなゆらぎから生まれ
ました。
今、健常な人の脳波や心拍の変動は、自然界の
ゆらぎに近いことが分かっています。
座禅などで心が落ち着いている時の心拍は
自然界に見られるゆらぎそのものです。
でも、人が亡くなる直前の心拍は、
メトロノームのように規則正しく打っていて
それが、1拍抜け2拍抜け心拍停止になるのです。
ゆらがないで規則的なのが異常事態。
ゆらぐことが生きている証拠なんです。
ゆらぎがないというのは、ある意味での精神疾患
心の病気になると、一つのことに取りつかれて
しまって、ゆらぐことが出来なくなってしまいます。
だから迷ってもいいんです。
希望というゴールさえ見失わなければね。」と…
生きていることはゆらぐことなんだ!
初女先生の「揺れてもいい」の言葉に巡り合った時
大きな安心を頂いた気がした分けがわかりました。
初女先生、芯はあるけれど大揺れです。
揺れながら希望の光を見ています。
天国から揺れてる私が見えますか~