~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

母の日に思い出したこと…

2012-05-14 10:58:48 | 日記
昨日、今日は母の日だ!と思ったら、ふわっと10年前の思い出に

包まれた気がしました。

息子の一周忌の時、うちに来てくれた同級生の女の子が

「夢でやまちゃんが、お母さんに電話いくらかけても出ないから

有難うって言っておいて!と言ったの」と教えてくれた、そのことが

母の日と思った途端に、心に浮かんできたのです。

そして、私も自分の母親に「有難う」を言ってなかったと、

電話をかけたのですが、何となく照れくさくて結局言えずじまい

で、電話を切ってしまいました。

思春期だった息子から「お母さん、有難う」は当然のごとくなかった

けれど、亡くなった後にこんなかたちで「有難う」と言ってくれた

あの子の優しさと誠実さに胸が熱くなります。

どれほど、「親より先に逝くのは、一番の親不幸」と言われた

ことでしょう…

でも今、母さんは胸を張って言います。「創(つくる)は一番の

親孝行息子!だって私をこんなに豊かにしあわせにしてくれて

いるから…」

昨日は次男がガールフレンドに勧められたと言って、

カーネーションを一輪プレゼントしてくれました。

生まれって初めてもらったカーネーションです。

我が家では、初物は創にお供えするので、このピカピカの

カーネーションの初物は勿論、息子の祭壇へ…

母の日に、創の「お母さん、ありがとう」の思い出が私の心に

降りて来たのは、きっとあの子からのメッセージでしょうか

「有難う、創る。あなたのお母さんにさせてもらって

本当にしあわせだよ、母さんは…」

思い出は過去だけじゃない、今も生き続け未来を繋げていくって

ことを、息子に教えてもらった母の日でした。
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永くつかう国へ

2012-05-13 14:45:51 | 日記
3月19日の新聞にあった、毎日広告デザイン賞の「先を見つめる」の

作品の1枚の写真が目に留まりました。

古そうな木製のスプーンのような、ヘラの様なものが写っているの

です。

写真に添えられた選評を読むと、『「これからの日本」というテーマ

の作品で、きめ細やかな板の上に、先の随分すり減った木製の

ヘラがあり、何だろうと視線をずらすと右下に小さく

「永くつかう国へ」と…

震災があり、豊かさや便利さを追求してきた私たちが忘れていたこと

何か変えなければならないと思い始めたこと…が、

添えられた言葉が控えめだけに、様々な想像を呼び起こす。

「これからの日本」への思いを込めた優れた作品。』とありました。

写真のヘラは、受賞者のお母さんが20年以上使っている

料理用のヘラだそうです。

この写真を見た時、なぜか心に響くものがあったのは、使い込んだ

道具とそれを使って来た人の温かみが、感じられたからでしょうか

ふと、初女先生の道具を思い出しました。

ガイアシンフォニーの映画に出てくる「すりこぎ」は勿論ですが

お鍋も、私が思わず「先生、この鍋むかーし家にもあった!」と

言ってしまったくらい懐かしいお鍋がありました。

ご飯を炊く電気釜も、今どき売ってないような古い型でした。

「いのちをいただく」と、食材のいのちを大切にされる先生は

物にもいのちがあると、ささやかな物であっても大切にされます。

イスキアで、お菓子を包んだ包装紙を先生が丁寧にのばして

畳まれているのを見た時、初女先生はどんなものでも大切に

扱われるんだなと思いました。

先生は「私、つましいのよ」と言われてましたが、豊かさ

便利さを追求してきた私たちが、忘れ捨て去ってきた心を

初女先生は伝えて下さっています。

「永くつかう国」だった日本が、いつの間にか消費が美徳と

なってしまいました。

物でも人でも、やっぱり大切にされることが幸せなんですよね。

初女先生を想うだけで、心が満たされしあわせになるのは

先生の深い母性を感じるからでしょうか。

今日は母の日、初女先生、ありがとうございます!



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受け入れる

2012-05-11 23:28:59 | 日記
初女先生の講演や本を読んだ人が、「受け入れる」ということを

何から何まで、すべて受け入れることだと思っている方が結構います。

子育て中のお母さんは、子供のすることを何でも受け入れなければ

ならないのかと思っていたと言ってました。

初女先生の本を読み返してみたら、そういうことではないと先生は

ちゃんと言っていました。

  
  「受け入れる」といっても、それは、

  ただ親切にすればいい、かまってあげればいい

  ということではありません。

  「受け入れる」というと、すべてを、どこまでも受け入れる

  と思う人がいるけれど、それは違います。

   間違っていると思えば、そのように対応することも

  同じくらい大事なことです。

  言葉でもなく、意地悪でもなく、どう対応するかは、

  自分の生活で見せていくしかないのです。

             
           (佐藤 初女)

自分の生活で見せていくしかない。これは初女先生でなければ

出てこないお言葉のように思います。

初女先生の「動の祈り」を感じます。
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宮澤賢治が教えてくれたこと

2012-05-10 23:07:52 | 日記
東日本大震災があり、再び宮澤賢治の言葉が多くの人の心を

響かせています。

賢治の誕生する2カ月前に、三陸地震津波があり生れて5日目に

陸羽地震(りくう地震)があり母が、えじこ(乳幼児を入れる籠)に

賢治を入れ、両手でかかえながら自分の上体でおおって念仏を

唱えていたそうです。

賢治の亡くなる半年前には、三陸沖地震がありました。

賢治は詩人の大木実への地震の見舞い礼状に「海は実に悲惨です」

と、書いています。

賢治は地震と共に生まれ、地震と共に去って逝ったと言えるかも

しれません。

賢治は妹トシだけではなく、たくさんの亡くなった魂の存在を

感じていたのかもしれません。

先日、「銀河鉄道の夜」を読んでいた息子が、「これって死が

テーマなの?」と聞いてきました。

私も、最初に読んだ時は、何だかファンタジーの世界の様な

気がしてましたが、これは確かトシの死の後に書かれた

もので、死してなお生き続ける魂(いのち)が主旋律となった

物語りだと今は思っています。

悲しみと苦しみが渦巻いている時代を生きた賢治

そして2011年3月11日、東日本大震災の後

賢治の言葉が日本人の心を支えています。

先日テレビで、津波で家も何もかも失った女性がこれから

どうしていったら良いのか分からなくなり、何も出来なく

なった時、賢治の「雨ニモマケズ」中の

「一日玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ…」というのを

読み、避難所にいた時と同じだと思った時、「あー、何十年前の

生活に戻ればいいんだ」と思い、立ち上がることが出来た

と言ってました。

今、新聞でもテレビでも盛んに、夏の電力不足をアピールして

います。

そして、原発が止まることが日本の危機の様に訴えています。

日本人が、数十年前の生活に戻る覚悟があれば、

大丈夫なんだと、この方の話を聞いて思いました。

 賢治さん、賢治さんの目には今の日本はどう映って

いますか。

私達のすることは、震災前に戻すことじゃないんですよね。

私の知っている宮澤賢治の悲しげな目が、尚いっそうの

深い悲しみを増してきている気がしています。








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心がある…

2012-05-08 22:26:23 | 日記
昨日は、11月の講演会の打ち合わせをしました。

お庭のきれいなスタッフの家にみんなで集まり、お昼を食べながら

でも、真剣に話し合いをしました。

森のこもれびで初女先生講演会を主催する時は、私は毎回これが

最後と思ってやってきました。

本当にただの主婦の私がやるには、そういう気持ちで全力投球

しないとても出来ないので…

だから、次の為に予算をとっておこうとかいう発想もなく…です。

昨日の話し合いの中で、参加費を少しでも安くするために

スポンサーを募ったらと、いう意見もでました。

あらためて、お金もないし何にもないなーと思っていたら

初女先生がイスキアの活動を始められる時、「私にはお金が

あるわけでない、特別な才能があるわけでないけれど、

心がある。心だけは無尽蔵に絶えることがない。心で生きよう」

と、そのことを礎にやってこられたことを思い出しました。

初女先生のような深い心と強い意志は、私にはとてもないけれど

みんなで心を合わせて丁寧に、丁寧に準備をしていけば

きっと、この小さな歩みもイスキアに繋がるかもしれないって、

思えました。

何もないけれど、心がある!

初女先生から教わった大切な、大切なこのことを実行して

いかなくっちゃね…

私の心はまだまだちっちゃいけれど、みんなで心を合わせて

いけば、豊かになっていくよね…

打ち合わせの最後にみんなで歌った「小さな森の詩」が

私たちの心をしっかり結んでくれました。

初女先生のおむすのように…


        


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出会い

2012-05-07 23:02:33 | 日記
今日は11月の講演会に向けて、スタッフが集まり色々話しました。

ふと、私が息子を亡くし初女先生と出会ったことで、この人たちと

出会えたんだと思ったら、これも息子が繋いでくれたご縁なのかな

と思いました。

こういう出会いは不思議なくらい、初めて出会ったその時から

心の一番深いところにあることを話せるのです。

響き合う出会いとはそういうものかもしれません。

先週出会ったTさんもそうです。

Tさんのお嬢さんは、そのことを別の言葉で言っていました。

「いい匂いのする人」と…

響き合うのも、いい匂いも、出会った瞬間にわかります。

これからは、表面ではない深い繋がりによって支え合い

助け合って共に歩んで行く時代が来たのだと思います。

何気なく、初女先生の本を開いたら、ぴったりの言葉が書いて

ありました。

  
    何かのきっかけで出会い、互いに結ばれて、

     通じ合って一つのうねりになって静かに動いていく

     そこからまた新しい、「何か」が生まれるのです。

              
                   佐藤 初女

     


    
     
   

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メガネ

2012-05-05 23:05:26 | 日記
昨日、新聞を読んでいた時、突然メガネが鼻のところがポロっと

折れて、半分になってしまいました。

「あっ!」と小さい声が出て、後が続かなくなりました。

これは、息子がかけていたメガネで、息子が亡くなったその時から

私がかけていたメガネでした。

近眼の息子ののメガネが、私の目に合うはずもないのですが、息子の

ものを身につけていたくて、昨日まで10年と6カ月、私がかけて

いました。

外出の時はコンタクトですが、レンズが劣化しメガネ屋さんにも、

もう、きれいにはならないと言われていました。

レンズがくすんでよく見えないけれど、ずっと使おうと思って

いました。

それが、昨日なにもしてないのに、ポロっと折れたのです。

その瞬間私を包んだ淋しさは、子供が親離れしたなと、感じた時

の様な、そんな淋しさでした。

きっと、息子が「お母さん、もう僕のメガネはいいから、

ちゃんと自分の眼に合ったメガネにしなよ」と、言っているのかな

と、思いました。

半分に折れてしまったメガネを、私は息子の祭壇に供え

「今まで、有難う」と呟きながら、

今日はちょっと淋しい母でした。



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命の長さより…

2012-05-03 23:22:52 | 日記
初女先生が「出会いは神さまの時間」と言われていますが、昨日

私はその深い神さまの時間を頂きました。

それは一本の電話による出会いでした。

ブログの言葉が響いたと言って下さる、Tさんからの電話…

Tさんは、1年半前にお嬢さんを亡くされたと、静かな優しい声で

お話して下さいました。

どれ程の苦しみや悲しみを、乗り越えて来られたのだろうと

思いながら聴いていましたが、電話を切った後にTさんが教えて

下さった、お嬢さんの出たクローズアップ現代をパソコンで

観たら、私は言葉を失ってしまいました。(「ある少女の選択」を

検索して観て下さい)

私は、13歳の息子を亡くした時、命は長さではないと懸命に

自分に言い聞かせていました。

息子の死は、あまりに突然だったので私は息子のいのちと真剣に

向き合う時間もありませんでした。

私は、人は生きた長さではなく、どう生きたかが大切だと

思っていましたが、それはどこか頭で考えて分かっていた

ところがありました。

Tさんのお嬢さんの放送を観てたら、そのことが頭ではなく

魂にいきなり飛び込んできたのです。

そして、人はここまで強く優しくなれるということ…

初女先生は「心には前に進むための言葉を」と言われていますが

呼吸器を付け、話すことが出来なくなっていたお嬢さんですが

心を前に進ます言葉をしっかりと持って、紡いでいたのです。

「命とは長さではない どう生きていくかだ」と、彼女の

生きる姿がそのことを実証しているのです。

うちの息子が伝えたかったであろう、そのことをTさんの

お嬢さんが私に示してくれたのです。

 自分の人生で経験出来ることは、たかが知れています。

人の人生を知ることで、自分の人生がより豊かに耕される

のだと思います。

Tさんそしてお嬢さんとの、この出会いは私の人生に深く

鍬を打ちこんでくれました。

「出会いは神さまの時間」

本当に、神さまの時間を感じました。

そして、感謝なしでは生きられないと心から思いました。


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お兄ちゃん

2012-05-02 23:38:25 | 日記
うちの子は9歳で兄を失くしました。

大人でも耐えられない悲しみを、その年齢で体験させてしまった

ことへの、不憫さを私はどこかに持っています。

思い返してみると、お兄ちゃんがいなくて悲しいとか、淋しい

という言葉を私は聞いたことがありません。

ずーっと心の奥深く沈めているのでしょうか…

友達には言えても、親には言えないのかもしれません。

でも、どんなときでも息子の心を支えいるのは、お兄ちゃんの

ようです。

今日、深夜バスに乗って被災地へ行くと言う息子

事故があった後だから、バスはやめてよと言う私

もう、親が言っても自分の判断で行動しているから無理と

分かっているのに、つい一言がでてしまうのです。

でも、家を出る前に兄の祭壇に手を合わせている姿を見て

この子の心には、いつもお兄ちゃんがいるんだと思えました。

13歳のお兄ちゃんと19歳の弟

弟にとってお兄ちゃんは、いくつになってもお兄ちゃんなんだ

それが兄弟ってものなんだと、息子の姿を見ていてつくづく

思いました。

そんなことを考えていたら息子から「有難うございます

いってきます。」というメールが届きました。

お兄ちゃんと言うと、涙がでちゃう母ですが…

お兄ちゃんは、やっぱり頼りになるね!

「おにいちゃん!」
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風薫る5月

2012-05-01 19:20:24 | 日記
今日から5月です。

4月とは違う木々の息吹を感じます。

5月という月は、育つことへの喜びがあらゆる自然から発せられる

時なのかもしれません。

体内時計が機能しなくなってきた現代人だけが、5月病などに

なってしまうのかも…

そんな5月の最初の日に、皆で集まって宿に下見に行ってきました。

三浦に来ると、誰もが小さな旅に出た気分になるのは、やっぱり

ゆったりと流れる時のせいでしょうか…

前回の下見の時は、河津桜が堅い蕾をつけていましたが、今日は

その桜が、みごとな新緑と化していました。

まだまだと思っていた講演会が、ヒタヒタと近づいてきているのを

感じました。

今日は、より真剣に大広間に座布団を並べ、何人くらい入れるか

などを見積もったり、部屋やお風呂に台所のお釜まで見て

あれこれイメージを膨らませて、宿の女将さんに「宿の協力

なくして、宿泊の講演会は出来ませーん!」とお願いしたり

5月の爽やかな風に吹かれ、まるで再びの青春(?)のような

気持ちで、スタートを切りました。

帰って来て、パソコンに向かったら5月4日は寺山修司の命日だ!

と思ったら寺山修司の5月の詩がふと思い出され、心がちょっと

青春してしまいました。

サミュエル ウルマンの「青春とは」の詩の冒頭に

 青春とは 真の青春とは

 若き肉体のなかにあるのではなく

 若き精神のなかにこそある

と、書いてあります。

心を自由にして、自然に任せている初女先生は、90歳にして

その精神は青春!なのかも…

風薫る5月、三浦の風にイスキアの風を感じました。
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