日常一般

日常生活にはびこる誤解、誤りを正す。

島崎藤村「破戒」2差別語って何か?

2007年12月18日 | Weblog
 僕のブログを読んで「」と言う用語は差別用語だから使用しないほうが良いのではないか?という指摘があった。この言葉を文字通り解釈すれば「よごれ多い」である。誰が考えても差別用語である。
 明治39年に自費出版されたこの作品「破戒」は、大正11年に第2版が、昭和14年に第3版が改訂版として出版された。その中で藤村自身、解放全国委員会の批判に答える形で多くの表現を変えているが、「」と言う言葉も「民」という言葉に変えている。しかしこの改定本に対して解放全国委員会は「昭和14年に藤村が一部の改定を行ったのは、当面改定によって『差別』を抹殺しようとしたからに他ならない。(中略)しかしに対する呼称をどのように変えても、それでもって差別が消え去るものではない。藤村はその改定によって、自己を欺瞞し同時に民を瞞着しようとしたといえるのである」と批判している。要するに例え「」という言葉を「貴族」に置き換えても、根深い差別意識がなくならない限り、貴族という名のが存在するのみであって、差別はなくならないというのである。「さらに昭和14年における藤村と全国(解放全国委員会の前身)の妥協は、封建的身分差別=賎視観念に対する糾弾闘争を、観念の一つの象徴に過ぎない個々的言葉の糾弾に歪曲させ、瑣末主義に陥らせた誤謬である」と指摘している。
 ここで指摘されているように、改定本は細かな点で改定を行っているが、大筋では何一つ改定は行われていない。自分がであることを告白する時の生徒の前に土下座する丑松の卑屈な態度も、猪子連太郎の後を受けて、解放運動にまい進しようとはせず、お志保を共としたテキサスへの逃避行も、丑松という人物が、猪子連太郎に導かれて、不十分ながら目覚めていく人間として描かれてはいるものの、改定はされてはいない。それは藤村の裏切りのように思え、解放同盟にとっては我慢のならないものだったのであろう。しかしこのような批判にもかかわらず解放同盟は「進歩的啓発の効果をあげている」と述べ「破戒」に一定の評価を与え、再販を支持した。
 このように解放同盟は「」という言葉を「エタ」という仮名文字に変えてはいるもののその呼称は残している。それ故「『エタ』『』『特殊民』などの言動を敢えてしても、そこに侮辱の意志が含まれていないときは絶対に糾弾すべきものではないし、糾弾しない」と原則的立場を確認している。
 このように、「」という言葉は、差別用語ではあっても「かってこういう人も生き、こういう時代もあった」という歴史的事実を、この言葉を差別用語として抹殺することで、人間の心の中から抹殺してはならないのである。
 このように差別用語の使用、不使用の問題は、人間の意識(心)の問題であり、愛情の問題でもある。潜在意識の中に潜むに対する差別意識は、時や所が変わってもなかなか解消するものではない。だから解放同盟は、差別する社会との闘争を一義的なものとしながらも、差別を助長する民自身の貧困、無教養、粗野、衛生観念の欠如、暴力等々を正すために、品性の向上と、生活環境の改善等、自力更生の道を歩み、世間の同情と、理解を喚起している。このようにして解放闘争は内と外の問題に対応しつつ一定の成果をあげてきているが、他方において、浮浪者、売春婦、博徒、雑多な芸能人、暴力集団等々の闇の部分の組織化も、一般市民の防波堤として、政府の要請によって行われ、右翼の大物と結びついた「やくざ組織」が作られたという事実は世間にはあまり知られてはいない。そして「やくざ組織」には「任侠道」が作られ、素人さんには絶対に手を出さないという原則が確立したのである。それは一種の隔離政策でもあった。
 かくしての組織は右と左の陣営に分かれて対立した。
 この文章を書くにあたって、新潮文庫「破戒」の解説「『破壊』と差別問題」北小路健作に大筋で依拠したことを報告し感謝の意を表明する。