日常一般

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列王記(第2)イスラエルの滅亡

2015年05月17日 | Weblog


列王記(第2)イスラエル王国の滅亡
はじめに
 列王記は旧約聖書のうち「歴史書(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記)」の一書を構成する。列王記はイスラエル国家(南・北)の滅亡の歴史を語る。北王国はアッシリアに南のユダ王国はバビロニアによって滅ぼされ、国家を失う。最終的には、彼らは居留地を追われ流浪の民となる。主がこれを主導する。イスラエルの国王と民は、神の前で悪を行ったからである。
 イスラエルは神によって選ばれた民では無かったのか?その増大繁栄を約束されていながら、その民が何故、神に反抗し、滅亡せねばならなかったのか?これは旧約聖書を読む者ならだれでもが抱く疑問であろう。
 主なる神はアブラハム、イサク、ヤコブ、を通じ、わが前で完全ならば、汝らにカナンの地を与え、その祖先(イスラエル)の増大繁栄を保障する、と契約している。契約は守られねばならない。しかし契約とは双務関係にあって一方がこれを破った場合、他方はこれを守る義務はない。
 この契約は一方的にイスラエルの側から破られた。イスラエルは決して神の前に完全では無かった。異教の神を礼拝し、その祭壇や偶像を主の宮に置き、占いや、魔術を行い、異教の習慣に従って自分の子供を火に焼いて捧げたりした。更に、「高き所」と呼ばれる地方礼拝所を造り、祈った。そこには律法からの乖離があった。主は怒る。主は北イスラエルを滅ぼした後に云う「わたしは、わたしの嗣業の、残りのもの(南ユダ)を見捨て、敵の手に渡す。かれらはその全ての敵の餌食となり、略奪の的になる。なぜなら、彼らの先祖がエジプトを出た日から今日まで彼らはわたしの目に悪い事を行い、私を怒らせてきたからである(列王記第2、21章14~15節)」と。かくして、イスラエルは北王国も南のユダ王国も時間差はあるものの滅びる。勿論神の前に立って義なる王もいたが、神の怒りを鎮める事は出来なかった。

人は神の似姿か
 人は神の似姿として造られた。それにも拘らず、世界最初の人間であったアダムとエバは、神によって禁じられていた「知恵の実」を食する事により、似姿である事を止め、罪ある存在(原罪)となって、楽園を追われた。ここから神と人との葛藤が始まる。神は一旦は自分から離れた人を、自分の似姿に近づけようとする。逆に人はこれから離れようとする。原罪ゆえに人は、個性を持つ存在となる。自己を主張するようになる。それに対して神は云う「おのれを空しくして我が前に立て」と。旧約聖書の段階では、この両者の間の葛藤は解決されていない。 いや、解決できない。人はもともと罪ある存在だからである。このことを抑えない限り、旧約聖書を理解することは出来ない。
 それではイスラエルの救済は何によってもたらされるのか?この両者の葛藤を解決するものこそが、イエス・キリストである。イエスは何の罪も無いにも拘わらず人類の罪を一身に背負って処刑された。処刑後3日目に復活した。旧約聖書では許されることの無かったイスラエルの民は、ここで初めてその罪を許されるのである。我々の罪が許されるのは、そこにキリストの十字架の贖いがあるからである。主はキリストにおいて我々の罪を裁き、罰せられたのである。許しはキリストの贖いによってのみ与えられるのである。この様にして旧約聖書は、新約聖書に引き継がれていく。律法はキリストの愛によって成就する。愛なき律法は、拘束である。神における罪と罰、それは新約聖書よって新たな展開を見せる。旧約聖書は新約聖書を前提として初めて成り立つ。

エリシャ
 列王記(第2)を語る場合、エリシャについて語らなければならない。聖書は彼について多く語っているからである。彼は紀元前9世紀代のイスラエル王国で活躍した預言者で、預言者エリヤの弟子である。その名は列王記(第Ⅰ)に初めて登場する。主によってエリヤの後継者と見做され(列王記:第Ⅰ、19章11節)、その伝道を引き継いだ。彼の活動期間は、北イスラエルの王、アハズヤ、ヨラム、イエフ、ヨアハズ、ヨアシュの時代で、エリヤと共にあり、その死後は師の意志を受け継ぎ、国内に蔓延している異教崇拝と戦い、さらに様々な奇跡も行った。彼の生涯60年の間、預言活動と奇跡の業を絶やすことが無かった。かくして、彼はイスラエルを代表する預言者としての地位を確立する。
 エリシャについて語る場合、奇跡について語らねばならないほど多くの奇跡を行っている。以下がその主だったものである。
1.エリコの町の水源を塩で清めた(2章:19~22節)。
2.油を増して寡婦とその子供達を貧困から救った(4章:1~7節)。
3.死んだ子を生き返らせた(4章:18~37節)。新約聖書ルカの福音書7章:13~15節参照。
4.毒物の混入した煮物を麦粉で浄めた(4章:38~41節)。
5.パン20個と一袋の穀物を百人の人が食べきれないほどに増やした(4章:42~44節)。新約聖書ヨハネの福音書6章:9~13節参照
6.アラムの軍司令官ナアマンの皮膚病をヨルダン川の水で癒した(5章:1~14節)。
7.水の中に沈んだ斧を浮き上がらせた(6章:1~7節)
 これらの奇跡にはイエス・キリストが行った奇跡とWる場面がある。これらの奇跡からどのような苦難にあっても、主なる神を求める人々はそれから救われると云う事が示されている。

ヒゼキヤ王とヨシア王の改革
 列王記に現れる王たちの大部分は主の前で悪を行った。それは主の怒りを買った。特に、南ユダのマナセ王はその悪故に、主の怒りは激しかった。ユダ王国の滅亡の原因でもあった。このようにイスラエルは、その王は、北も南も主の前で悪を行ったのである。しかし、全てがそうであったわけではない。主の前で正しき事を行い、右にも左にもそれない王がいないわけでは無かった。南王国のアマツヤ王、アザリヤ王、ヒゼキヤ王、ヨシヤ王等がそうであった。特にヒゼキヤ、ヨシヤの宗教的改革は注目に値する。

ヒゼキヤ王の改革
 ヒゼキヤは25歳で王となり、29年間エルサレムで王位にあった。希代の名君として称えられている。彼は父祖ダビデが行ったように、預言者イザヤと共に、主の目にかなう正しい事をことごとく行い、偶像崇拝を否定し、高き所を取り除き、石の柱を打ち砕き、アシュラを切り倒した。更に、アッシリアの影響力を退けた。しかし、この改革は、彼の治世第14年にアッシリア王センケナブリとの戦いに破れることにより、実質的に終焉する。更にあとを継いだマナセ王、アモン王の行った悪によって、その改革は水泡に帰す。

ヨシヤ王の「申命記改革
 ヨシヤ王は、ソロモンから数えて16代目の南王国ユダの王でヒゼキヤ王の曾孫。前2代の王(マナセ、アモン)が、神の前で悪を行ったのに対し、敬虔な王として描かれている。その彼の最も大きな業績が「申命記改革」である。彼の治世18年に神殿の修復の際に発見された律法の書は、申命記の原典であると云われている。この原典に基づいて行われた改革が「申命記改革」である。申命記改革とは列王記第2、23章1~25節に詳しく述べられている。その基本は、異教の神への信仰を禁ずるものであり、それ故に、異教の神を信ずるものは殺された。結局は、主なる神に立ち返れと云うものであった。聖書は云う「彼(ヨシア)のように心を尽くし、精神を尽くしモーセの律法のすべてに従い、主に立ち帰った王は、彼の前にはいなかったし、彼の後にもそのような王は現れなかった」と。しかし、アッシリアの衰退に際し、北上してきたエジプト軍を迎え撃ったヨシアは戦死する。この為、その改革は途中で挫折した。更に彼を継いで王となったエホヤキムも、神の前で悪を行った。
結局、大国(アッシリア、エジプト)の侵入、あるいは後を継いだ王の不信仰の為、ヒゼキヤ王の改革も、ヨシア王の改革も元に戻され、意味が無くなったのである。これも主なる神を怒らせた原因であった。主なる神は、北イスラエルだけでなく、南のユダ王国も滅ぼすことを決心する。

主の怒りの炎は鎮まらず
主はマナセ王が自分に対して行った悪の数々を許そうとはしなかった。主は云う「私はエルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神殿も、わたしは捨てる」と。南王国ユダの主都エルサレムは陥落し、国は消滅する。そこに住んでいた多くの民は、バビロンに捕囚とし連れて行かれる。神殿は破壊され、その中にあった宝物は持ち去られる。貧しい一握りの民は残されるが、彼らもバビロンに反抗し、敗れて、ついにはエジプトに逃れる。
列王記は、このように非常に暗い終わり方をする。
同時に一筋の光を見ることも出来る。バビロンに捕えられていたエホヤキン王がその名誉を回復して、バビロンの中で非常に厚遇されるようになった事である。聖書はそれについては何も語ってはいない。けれどもダビデの子孫としてイエスが誕生する一つの伏線と考える事が出来よう。主はダビデだけはその罪を許し、聖なる存在としているのである。これもイエスの存在を前提にしているのであろう。

平成27年5月12日(火)
報告者 守武 戢 
楽庵会