日常一般

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新約聖書 「使徒の働き」 エルサレムから世界へ

2015年12月12日 | Weblog

新約聖書・「使徒の働き」1
これまで読んで下さった読者のみなさんは、何故、旧約聖書を離れて、突然に新約聖書の1書「使徒の働き」に移るのかと不思議に思うに違いない。しかも、この前に来る「共感福音書(マタイ、マルコ、ルカの福音書を指す。ヨハネの福音書は別)」を飛ばしてである。それについては説明しなければなるまい。全くの私事である。今、日野キリスト教会の1グループで「使徒の働き」を読んでいるからである。こちらの方は精読で遅々として進まないので、全体像を知りたいと思ったからにすぎない。
さて前置きはこの位にして本題に入ろう。「使徒の働き」は、ルカの作と云われており、「ルカの福音書」と「使徒の働き」とは2部作だとも云われている。「ルカの福音書」も、「使徒の働き」も共にローマの貴人テオピロという人に捧げられている。
「使徒の働き」は、イエスの復活と昇天の直後から30年ほどの間に起きた使徒たち、特にペテロとパウロの活躍を中心に福音伝幡の歴史を書き連ねたものであり、初期キリスト教社会の発展の歴史を述べている。前半(1章~12章)と後半(13章~28章)の二つの部分に分けることが出来る。前半は使徒の働きがユダヤ人の本来の国土、エルサレムから始まりユダヤからサマリヤに広がり、後半部分は異邦(世界)伝道であり、アジア地方を経てローマ帝国の中枢ローマに至ると云う構成になっている。前半ではペテロが、後半ではパウロが活動の中心になる。
これはイエスの言葉「しかし、聖霊があなた方に望まれる時、あなた方は力を得ます。そしてエルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、及び地の果てにまでわたしの証人となります(1章8節)」に基づいている。
この書の特徴は、1、イエスの福音がユダヤ教の狭い殻を破り、人種・民族の区別なく、人類すべてに及ぶものであること。すなわち異邦人(ユダヤ教徒が、自分達は神の選民であると云う誇りから異教徒を区別して呼んだ言葉)の福音であること。2、イエスの福音は神の恩恵による罪の許しの訪れであり、すなわち、罪人の福音であること。その他、貧者、奴隷、女性などにも福音の目を向けている、ことである。これを要約すれば社会的弱者に対する福音であることが分かる。これらの福音伝道がユダヤ教の律法主義者との葛藤の中で行われたのである。それは命を懸けた戦いであった。
「使徒の働き」は、キリスト教のユダヤからローマに至る地理的な伝播であると同時に、ユダヤ人から異邦人に至る文化的な伝播でもある。
使徒たちは福音宣教を行う上で、3種類の人と接した。
  1.割礼を受けた者(ユダヤ教徒)
  2.敬虔なる者(神を畏れるもの):ユダヤ人の会堂に出席し、聖書に対して敬意を払う異邦 人であるが、ユダヤ教に改宗する為の正規の手続きを踏んでいない者。「使徒の働き」ではコ ルネルオ。
  3.ユダヤ教に無関係な異邦人
人を見て法を説くではないが、使徒たちは上記の人たちに対し、聖霊の働きを奇跡などによって具体的に見せ、イエス・キリストこそ救い主であると証明した。福音宣教の効果は上がり、信者は増大する。敵対するユダヤ教徒は畏れ、信者を追放するが、信者達は追放先でも宣教に努めた。ユダヤ教徒の真っただ中という、四面楚歌の中で福音宣教の効果は上がっていった。
今回は「使徒の働き」の前半部分(1章~12章)について述べる。
登場人物
12使徒:ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、ヤコブ、シモン、ユダ、ダタイ。ユダが脱落した後は、マッテヤ。
ペテロ:12使徒筆頭。元の名はシモン。ガラリヤの漁師の息子。イエスの刑死後、イエスの命により福音伝道に尽くす。「使徒の働き」前半(1~12章)の主人公。割礼を施し、モーセの律法を厳守することが、神への信仰に非ずと云い、聖霊を心に受け入れることこそ真の信仰と主張する。形式主義に対する批判者となる。コルネリオを教化し神の僕とする。
 ステパノ:聖霊と信仰に満ちた人の一人。福音伝道に努め、民の教化に精出し、その効果をあげる。ユダヤ教に属する人々はこれに脅威を感じ、姦計を弄して、彼を陥れる。彼の弁明は聞かれず石打ちの刑に会う。死に際し次のように云う「主イエスよ私の霊をお受け取り下さい」「主よこの罪を彼らに追わせないでください」と。ここに、私は十字架の上で叫んだイエスの声を聴く。
 サウロ(パウロサウロはユダヤ名、パウロはギリシャ名。13章以降、異邦伝道からはパウロに変わる。最初はキリスト者に対する迫害者として現れ、多くの信徒を捕え牢に繋ぎ、更にサマリヤの諸地域に散らす。皮肉な事に散らされた信者はその地で福音宣教に努め信者を増やす。
しかし、主たる神は彼の中に信仰の心のあることを認め、選び、回心させる。以降、敬虔な信者として福音伝道に励む。3回に及ぶ異邦伝道を成し遂げる。
 バルナバ:サウロは回心し伝道に励むが、前歴が前歴ゆえに、信者は、にわかには彼を信じない。その彼を庇い、保障した者がバルナバである。バルナバは、以降パウロの陰となり、常に行動を共にする。異邦伝道にも行動を共にするが、諍いが生じ別行動をとることになる。それ以後彼の名は出てこない。
 ピリポ:敬虔なキリスト者。シモンと云う魔術者が聖霊を授ける権利を金で買いたいと云うのに対しこれを諭し、これを罰す。また、女王の財産管理をしている宦官に洗礼を施したりしている。
 コルネリオ:ローマより派遣されたイタリア隊の百人隊長。神を信じる敬虔なる異邦人。全家族と共に神を畏れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しを成し、常に神に祈りを捧げていた。神の命により、ペテロを尋ね、自宅に招き、洗礼を受ける。
キリスト者とユダヤ教との違い
コルネリオはペテロを自宅に招き、そこで洗礼を受けるが、ここでキリスト者と、ユダヤ教との違いを知る。
 神が清められたものに穢れたものや、清く無いものは無いユダヤ教では一部の4足の動物、這うもの、空の鳥等を食することは禁じられている(10章15節)。
 どこの国の人であっても、神をおそれかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。ユダヤ人の選民思想に対する批判(10章35節)。
 ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが神は私に、どんな人のことでも、清くないとか、穢れているとか言ってはならないことを示して下さいました(10章28節)。 
ここに万人、万物、万象の全ては神によって清められれば、清く無いものは何もないのである事が示されている。
 かくしてイスラエルの片田舎から発生したキリスト教は、ユダヤ人に本来の地域エルサレム、ユダ、サマリヤから始まってローマ、世界へとその歩みを進めていくのであるが、今回は、前半にとどめ、次回には3回に及ぶ異邦伝幡について述べてみたい。その過程は、エルサレムからローマへそして世界から神の国へ、有限の世界から無限かつ永遠の世界へと、肉から霊への世界が展開するのである。
平成27年12月8日(日)
報告者 守武 戢 
楽庵会