オバデヤ書 エサウの子孫=エドムの滅亡
はじめに
旧約聖書には2つの系統が存在する。それは主の計画を遂行する系統と、これを妨げようとする反ユダヤ=反キリストの系統である。オバデヤ書でエドムが選ばれたのは反ユダヤのルーツと見做されたからである。この反ユダヤの系統を遡ると、創世記の中にその起源を見ることが出来る。それは、カイン、イシュマエル、エサウ(=エドム)の系統である。これは正統に対する異端である。この両者の葛藤によって聖書は成り立つ。
オベデヤ書の特徴
1.旧約聖書中最も短い書である
2.作者:オベデヤ(主のしもべという意味)
3.成立時期:バビロン捕囚期以後
4.内容:オバデヤの見た幻。エルサレム陥落時にエルサレムで語られたエドム滅亡の託宣を集めたもの。最後にエルサレムの復活が語られる。
5.内容構成:エドム滅亡の預言、主の日の到来(エドムに対する裁きとイスラエルの回復)。
反ユダヤ主義のルーツ
オベデヤ書を述べる前に、先に述べたように旧約聖書を貫く2つの系統を見ておきたいと思う。ここで押さえておきたいことはエドム人はヤコブの兄エサウの子孫である(創世記36:1,8~9)という事である。創世記を貫く2つの系統とは兄と弟の系統である。兄とはカイン、イシュマエル、エサウであり肉を象徴する。弟とはアベル、イサク、ヤコブの系統であり霊(心)を象徴する。彼らは兄弟でありながら対立した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/bf/8bd7fc17718edb4ec9ca78e90846de9e.jpg)
1、カイン;カインとアベルはアダムとエバノ息子である。主への捧げものを巡って二人は競い、カインは破れ、アベルを殺す(創世記4:1~8)。カインは農耕文化の代表者であり、地の産物は呪われる。この結果、カインは主に見放されみずからの手で地を耕し、町を立て、文化を創造するものとなる。そしてアベルの子孫と対立する。
2、イシュマエル:イシュマエルは、アブラハムの女奴隷ハガルの間に生まれ、正妻サラの間に生まれたイサクと対立した。使徒パウロはガラテヤ書の中で「かつて肉によって生まれたもの(イシュマエル)が、御霊によって生まれたもの(イサク)を迫害するように、今もそのようです(ガラテヤ4:29)」という。イシュマエルは今日のパレスチナ(アラブ諸国)のルーツであり、イシュマエルとイサクは同じ父から生まれながら根深い敵対関係にあった。
3、エサウ:エサウとヤコブは父イサクから生まれた双子の兄弟である。エサウが先に、ヤコブは、後に生まれた。ヤコブは父イサクをだまし、エサウの長子権を奪う。エサウは怒りヤコブを殺そうとする。ヤコブは逃走する。しかし、後に和解している。この(エサウ)系統は天にある霊的な事項を軽蔑し、将来与えられる約束よりも、現在手に入る地上的なものを重んじる性質を持っている。このエサウの子孫がエドム人となり、ヤコブに対する凶悪な存在となったのである。
以上のように「オバデヤ書」において数ある諸国の中から特にエドムが選ばれたのは単なる偶然では無く、そこには、これしかないという必然性があった。
オバデヤ書の荒筋
主は使者を諸国に送り「立ち上がり、エドムに立ち向かい戦おう」と、エドムに対して戦いを宣告する。エドムとはエサウも子孫の総称であると同時に、主に敵対する勢力、あるいは歴史における反ユダヤ主義を象徴している。主は選びの民イスラエルを攻撃するものを許すことが出来ない。主はエドムに報復する。イスラエルを攻撃する者は主を攻撃するものだからである。オベデヤ書は、エドムの滅びの預言から始まり、イスラエルの復活の預言で終わる。
その内容
1.滅びの訪れ(1~4節)
2,滅びの現実(5~10節)
3.滅びの原因(11~14節)
4.主の日(さばき)の到来
5.主の日(救い)の到来
1、滅びの訪れ:エドムに対する「さばき」が預言され、主に対する高慢がその原因とされる。(主はエドムをあなたと呼ぶ)
2、滅びの現実:盗人だって自分の必要以外は盗まないのに、収穫時、貧しき人に落ち穂は残されるのに、それなのにあなた(エドム)には何一つ残されない。全て刈り取られる。蓄えてあったすべての宝物は奪われ、同胞にも雇われ人にも裏切られる。それに対処できる知者はいない。結局、エドムの全てのものは虐殺によって絶やされる。それは「あなたの兄弟ヤコブへの暴虐のために主の裁きが下ったのである(10節)」
3、滅びの原因:主に対する高慢は、その一つであるが、エルサレムがバビロンによって破壊された日、主はエドムに対して「~するな」「~してはならない」と訴えたにも拘らず「ただ傍観し、それを喜び、大口をたたき、財宝を略奪し、捕囚から逃れたユダヤ人を捕え、バビロンに引き渡した(11~15節参照)」だけでなくバビロンによる虐殺や破壊にも手を貨した。それが主の怒りを買った。
4、主の日は近づいた(エドムへのさばき):「あなたがしたようにあなたにもされる(15節)」」あなたへの報いは必ず訪れ、あなたは別ものに変えられる。
5、主の日は近づいた。(イスラエルの回復):エサウの家はヤコブとヨセフの家がはなった火と炎に焼きつくされ生き残る者はいなくなる。イスラエルの民は領土を回復・拡大し王権は主のものとなる。
他の預言書の中にもエドムに対する厳しい態度を見ることが出来る。
1.詩篇137篇7節:「主よエルサレムの日に『破壊せよ、破壊せよ、その基までも』と言ったエドムの子らを思い出して下さい。バビロンの娘よ、荒れ果てた者よ。お前の私たちの仕打ちを、お前に仕返しする人は、なんと幸いなことよ。おまえの子供達をとらえ、岩に打ちつけるひとは、なんと幸いなことよ」
2.イザヤ書34章5~7節:「天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ、これがエドムに下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。小羊や山羊の血と雄羊に腎臓の脂肪で肥えている。主がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大虐殺されるからだ」。
3イザヤ書34章9節:「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる」。
4.エレミヤ書49章7~23節:内容的には、ほぼオバデヤ書の審判預言と同じであり、長文なので引用を省略する。ただオバデヤ書に見られるイスラエルに対する救いの預言は無い。
5.エゼキエル書25章12~14節:「神である主はこう仰せられる、エドムはユダの家に復讐を企て、罪を犯し続け、復讐をした。それで神である主はこう仰せられる。わたしはエドムに手を伸ばし、そこから人も獣も断ち滅ぼし、そこを廃墟にする。テマンからデダンに至るまで人々は剣で倒される。わたしはわたしの民イスラエルの手によってエドムに復讐する。わたしの怒りと憤りのままに彼らがエドムに事を行うとき、エドムは、わたしが復讐するということを知る」。――神である主の御告――。
6.アモス書1章11~12節:「主はこう仰せられる。エドムの犯した3つのそむきの罪、4つのそむきの罪のため、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けて、いつまでも激しい怒りを保っていたからだ。わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼きつくす」。
7.民数記20章14~21節:モーセが出エジプトを果たし、カナンの地に向かう途中、モーセの率いるイスラエルの民がエドムの地を目前にし、この地の通過の許可をエドムに求めたがエドムはこれを拒否している。モーセはエドムの地から方向を変えて去った。これは、エドムに対する審判預言とは言えないが、その前提になっているとは言えるであろう。
言 葉
エドム:エサウの子孫の住む地。反ユダヤのルルーツ
あなた:エドム人を指す。これに類する言葉エドム、エサウを合わせると34回出てくる。この事からオバデヤ書はエドムに対する審判預言であることが判る。
心の高慢(3節):エドムの地の殆どは高地にあり、自然の要害であった。それ故、エドム人はその立地条件を誇り、「誰が私を地に引きずり下ろせようか」と神を忘れた。これに対して主は「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き下ろす」と怒り、「私はあなたの国々の中の小さいものひどくさげすまれた者とする」。とエドムを罰する。
逃れたもの(残されたもの):主の裁きを免れたもの、主に対し、義なるもの
主の日:終わりのときにおける主の審判のとき
=
はじめに
旧約聖書には2つの系統が存在する。それは主の計画を遂行する系統と、これを妨げようとする反ユダヤ=反キリストの系統である。オバデヤ書でエドムが選ばれたのは反ユダヤのルーツと見做されたからである。この反ユダヤの系統を遡ると、創世記の中にその起源を見ることが出来る。それは、カイン、イシュマエル、エサウ(=エドム)の系統である。これは正統に対する異端である。この両者の葛藤によって聖書は成り立つ。
オベデヤ書の特徴
1.旧約聖書中最も短い書である
2.作者:オベデヤ(主のしもべという意味)
3.成立時期:バビロン捕囚期以後
4.内容:オバデヤの見た幻。エルサレム陥落時にエルサレムで語られたエドム滅亡の託宣を集めたもの。最後にエルサレムの復活が語られる。
5.内容構成:エドム滅亡の預言、主の日の到来(エドムに対する裁きとイスラエルの回復)。
反ユダヤ主義のルーツ
オベデヤ書を述べる前に、先に述べたように旧約聖書を貫く2つの系統を見ておきたいと思う。ここで押さえておきたいことはエドム人はヤコブの兄エサウの子孫である(創世記36:1,8~9)という事である。創世記を貫く2つの系統とは兄と弟の系統である。兄とはカイン、イシュマエル、エサウであり肉を象徴する。弟とはアベル、イサク、ヤコブの系統であり霊(心)を象徴する。彼らは兄弟でありながら対立した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/bf/8bd7fc17718edb4ec9ca78e90846de9e.jpg)
1、カイン;カインとアベルはアダムとエバノ息子である。主への捧げものを巡って二人は競い、カインは破れ、アベルを殺す(創世記4:1~8)。カインは農耕文化の代表者であり、地の産物は呪われる。この結果、カインは主に見放されみずからの手で地を耕し、町を立て、文化を創造するものとなる。そしてアベルの子孫と対立する。
2、イシュマエル:イシュマエルは、アブラハムの女奴隷ハガルの間に生まれ、正妻サラの間に生まれたイサクと対立した。使徒パウロはガラテヤ書の中で「かつて肉によって生まれたもの(イシュマエル)が、御霊によって生まれたもの(イサク)を迫害するように、今もそのようです(ガラテヤ4:29)」という。イシュマエルは今日のパレスチナ(アラブ諸国)のルーツであり、イシュマエルとイサクは同じ父から生まれながら根深い敵対関係にあった。
3、エサウ:エサウとヤコブは父イサクから生まれた双子の兄弟である。エサウが先に、ヤコブは、後に生まれた。ヤコブは父イサクをだまし、エサウの長子権を奪う。エサウは怒りヤコブを殺そうとする。ヤコブは逃走する。しかし、後に和解している。この(エサウ)系統は天にある霊的な事項を軽蔑し、将来与えられる約束よりも、現在手に入る地上的なものを重んじる性質を持っている。このエサウの子孫がエドム人となり、ヤコブに対する凶悪な存在となったのである。
以上のように「オバデヤ書」において数ある諸国の中から特にエドムが選ばれたのは単なる偶然では無く、そこには、これしかないという必然性があった。
オバデヤ書の荒筋
主は使者を諸国に送り「立ち上がり、エドムに立ち向かい戦おう」と、エドムに対して戦いを宣告する。エドムとはエサウも子孫の総称であると同時に、主に敵対する勢力、あるいは歴史における反ユダヤ主義を象徴している。主は選びの民イスラエルを攻撃するものを許すことが出来ない。主はエドムに報復する。イスラエルを攻撃する者は主を攻撃するものだからである。オベデヤ書は、エドムの滅びの預言から始まり、イスラエルの復活の預言で終わる。
その内容
1.滅びの訪れ(1~4節)
2,滅びの現実(5~10節)
3.滅びの原因(11~14節)
4.主の日(さばき)の到来
5.主の日(救い)の到来
1、滅びの訪れ:エドムに対する「さばき」が預言され、主に対する高慢がその原因とされる。(主はエドムをあなたと呼ぶ)
2、滅びの現実:盗人だって自分の必要以外は盗まないのに、収穫時、貧しき人に落ち穂は残されるのに、それなのにあなた(エドム)には何一つ残されない。全て刈り取られる。蓄えてあったすべての宝物は奪われ、同胞にも雇われ人にも裏切られる。それに対処できる知者はいない。結局、エドムの全てのものは虐殺によって絶やされる。それは「あなたの兄弟ヤコブへの暴虐のために主の裁きが下ったのである(10節)」
3、滅びの原因:主に対する高慢は、その一つであるが、エルサレムがバビロンによって破壊された日、主はエドムに対して「~するな」「~してはならない」と訴えたにも拘らず「ただ傍観し、それを喜び、大口をたたき、財宝を略奪し、捕囚から逃れたユダヤ人を捕え、バビロンに引き渡した(11~15節参照)」だけでなくバビロンによる虐殺や破壊にも手を貨した。それが主の怒りを買った。
4、主の日は近づいた(エドムへのさばき):「あなたがしたようにあなたにもされる(15節)」」あなたへの報いは必ず訪れ、あなたは別ものに変えられる。
5、主の日は近づいた。(イスラエルの回復):エサウの家はヤコブとヨセフの家がはなった火と炎に焼きつくされ生き残る者はいなくなる。イスラエルの民は領土を回復・拡大し王権は主のものとなる。
他の預言書の中にもエドムに対する厳しい態度を見ることが出来る。
1.詩篇137篇7節:「主よエルサレムの日に『破壊せよ、破壊せよ、その基までも』と言ったエドムの子らを思い出して下さい。バビロンの娘よ、荒れ果てた者よ。お前の私たちの仕打ちを、お前に仕返しする人は、なんと幸いなことよ。おまえの子供達をとらえ、岩に打ちつけるひとは、なんと幸いなことよ」
2.イザヤ書34章5~7節:「天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ、これがエドムに下り、わたしが聖絶すると定めた民の上に下るからだ。主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。小羊や山羊の血と雄羊に腎臓の脂肪で肥えている。主がボツラでいけにえを屠り、エドムの地で大虐殺されるからだ」。
3イザヤ書34章9節:「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる」。
4.エレミヤ書49章7~23節:内容的には、ほぼオバデヤ書の審判預言と同じであり、長文なので引用を省略する。ただオバデヤ書に見られるイスラエルに対する救いの預言は無い。
5.エゼキエル書25章12~14節:「神である主はこう仰せられる、エドムはユダの家に復讐を企て、罪を犯し続け、復讐をした。それで神である主はこう仰せられる。わたしはエドムに手を伸ばし、そこから人も獣も断ち滅ぼし、そこを廃墟にする。テマンからデダンに至るまで人々は剣で倒される。わたしはわたしの民イスラエルの手によってエドムに復讐する。わたしの怒りと憤りのままに彼らがエドムに事を行うとき、エドムは、わたしが復讐するということを知る」。――神である主の御告――。
6.アモス書1章11~12節:「主はこう仰せられる。エドムの犯した3つのそむきの罪、4つのそむきの罪のため、わたしはその刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けて、いつまでも激しい怒りを保っていたからだ。わたしはテマンに火を送ろう。火はボツラの宮殿を焼きつくす」。
7.民数記20章14~21節:モーセが出エジプトを果たし、カナンの地に向かう途中、モーセの率いるイスラエルの民がエドムの地を目前にし、この地の通過の許可をエドムに求めたがエドムはこれを拒否している。モーセはエドムの地から方向を変えて去った。これは、エドムに対する審判預言とは言えないが、その前提になっているとは言えるであろう。
言 葉
エドム:エサウの子孫の住む地。反ユダヤのルルーツ
あなた:エドム人を指す。これに類する言葉エドム、エサウを合わせると34回出てくる。この事からオバデヤ書はエドムに対する審判預言であることが判る。
心の高慢(3節):エドムの地の殆どは高地にあり、自然の要害であった。それ故、エドム人はその立地条件を誇り、「誰が私を地に引きずり下ろせようか」と神を忘れた。これに対して主は「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き下ろす」と怒り、「私はあなたの国々の中の小さいものひどくさげすまれた者とする」。とエドムを罰する。
逃れたもの(残されたもの):主の裁きを免れたもの、主に対し、義なるもの
主の日:終わりのときにおける主の審判のとき
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平成30年1月9日(火)報告者 守武 戢 楽庵会