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森村誠一作『悪魔の飽食』第731部隊とは?

2011年09月05日 | Weblog
 この作品は前作の松本清張作『小説帝銀事件』つながりで、満州第731部隊(石井部隊)に興味を抱き、この部隊の詳細を述べたとされる森村誠一作『悪魔の飽食』を読むことにした。読了した後に、関連した資料に接してみて、この書が問題の書であることを知る。それに就いては後に述べる。まずこの書について紹介するのが筋であろう。

 石井部隊成立期の日本を取り巻く国際的環境
満州第731部隊が1933年(昭和8年)中国東北部(旧満州)に創設された当時、アジアにおける国際的環境とはいかなるものだったであろうか?
鎖国による遅れを取り戻し、欧米列強と並び立つ大国を作り上げようとする明治政府の打ち出した国家意思は富国強兵であった。
 日清・日露・第一次世界大戦といずれも勝利した日本の、その国際的地位は、欧米列強に肩を並べるまでになっていた。当時の政府はそれには飽き足らず野心を募らせ欧米列強の帝国主義的侵略に便乗した形で中国におけるその版図を広げていった。日露戦争に勝利し中国東北部におけるロシアの勢力を駆逐した日本政府は1932年(昭和7年)この地に日本の傀儡国家「満州国」を成立させた。初代皇帝には清朝最後の皇帝・愛(あい)新覚(しんかく)羅(ら)溥儀(ふぎ)が就任した。
 この国には多くの日本人が移住した。地主に虐げられていた貧農、食い詰め浪人、より一層の富を求めた財閥、それらの人々には夢があった。この地で精出せば、何とか食っていける。彼らはそう信じて、こぞって、この地に移住した。しかし、彼らと現地人との間に軋轢が生じた。土地を追われた現地人の多くは都会に出て職を求めた。しかし、職にありつけず大部分は浮浪者となって公園などにたむろした。またその一部は対日抵抗組織を作り。彼らはテロ攻撃で抵抗した。多くの軍人、民間人、鉄道施設などが被害を受ける。関東軍はその対応に苦慮する。多くの現地人(満人=中国人)は逮捕される。
この地に1933年関東軍防疫給水本部(満州第731部隊)が、創設された。初代部隊長石井四郎軍医中将の名を取って石井部隊とも呼ばれている。逮捕された現地人、ソ連、中国、朝鮮などのスパイ、戦争捕虜などが、生体実験の材料として、この部隊に送り込まれた。これがマルタである。
 では、第731部隊の真の目的とは何であったろうか?名前は防疫給水本部であり、この地における汚れた水資源の防疫であり、それによって得られた真水の給水であった。さらに、厳寒の地での凍傷の予防と治療、風土病(伝染病)の感染からの予防と治療、これによって兵士、住民を守ることを目的としていた。そのための研究はもちろん行われており一定の効果を挙げていた。これは対満=対日テロ行為を試みる住民の感情を慰留するためには必須の条件であった。力だけでは敵地の真ん中に造られた傀儡国家を守ることは出来ない。
 しかし、その裏には真の目的が隠されていた。日露戦争以来、日本陸軍にとって打倒ソ連(旧ロシア)は伝統的使命であった。「北の守り」の関東軍が、ソ連を仮想敵国として、全ての作戦計画を立てたのは当然のことであった。関東軍は、近じかソ連との間で戦端が開かれることを予測していた。そのために勝つには何が必要か?そこで考え出されたのが「細菌戦争」(細菌戦争はジュネーブ協定で禁止されている)であった。細菌戦のためには細菌研究がおこなわれねばならない。第731部隊はそのために作られ、対ソ連の防波堤になるはずであった。
 満州第731部隊という名の秘匿名を持つ、この部隊は、広大な研究施設の中で「マルタ」という実験材料を使って、何を行なっていたのか?これが、これから紹介する森村誠一作「悪魔の報酬」である。

 石井部隊の成立
 1933年にハルピンに細菌戦秘密研究所(関東防疫給水本部)が置かれる。軍隊の性格を秘匿するため加茂部隊と呼ばれた。この部隊が大規模な秘密部隊に変容するのは1938年であった。浜江省平房(ビンファン)に関東軍の特別軍事施設が設定される。約6キロ四方の広大な軍事施設(飛行場、約3000人が起居する宿舎群、発電所、鉄道引き込み線、教育施設、常時80人~100人を収容可能な監獄、大小多数の研究室、教練用馬場、大講堂、運動場と神社まで)の建設が一年余りの期間をかけて行われた。この地に1939年加茂部隊が移駐する。
 1941年8月に加茂部隊は「満州第731部隊」と名を改める。
 この軍事施設でどんな研究がおこなわれていたかは極秘中の極秘であり、軍の厚いベールの中に閉じ込められていた。上空は無断で飛行することは禁止されており、友軍機といえども無断で飛行した場合、撃墜する権限が与えられていた。迎撃用の戦闘機も存在していたという。
この秘密基地の一端が明るみに出たのは1949年12月にソ連に拉致された731部隊の元幹部に対するハバロフスク極東軍事裁判によってであった。それによると731部隊には2600余人の研究者がおり、それらの大部分は、日本内地の大学医学部や、医科大学、民間の研究所から派遣された研究者、学者であり、その身分は軍属、技師であった。
 部隊には20余りの作業班があり、組織全体は次のようなものであったと森村誠一は述べている。
部隊長  石井四郎中将(1936年~42年、45年3月~終戦まで。
42年3月~45年2月の間は北野政治少将。
総務部  部長 中留中佐(途中で太田大佐と交代)
第一部  細菌研究  部長 菊池少将
第二部  実践研究  部長 大田澄大佐(兼務)
第三部  濾水機製造  部長 江口中佐
第四部  細菌製造  部長川島清少将
隊員教育  部長  園田大佐(途中で西俊英中佐と交代)
資材部  実験用資材  部長 大谷少将
診療部  附属病院 部長  永山大佐
「この他、第731部隊はソ満国境沿いに四つの支部と一つの実験場をもっていた。ハイラル、林口(りんこう)、孫呉(そんご)、牡丹江(ぼたんこう)各支部と安達(あんだー)実験飛行場である」。
「また大連には安藤技師(将官)の率いる満鉄衛生研究所があり、関東軍の直属で第七三一部隊との密接な連携のもとにワクチン製造・実験を行っていた。第七三一部隊の、実質的な支部といってもよい」。
「戦後になって第731部隊の通称を“石井部隊”というようになったのは、この大規模な施設と組織の基本が、部隊長の石井中将の構想によるところからである」。
 組織図によれば細菌研究という言葉が多く出てくるが、この細菌研究に生体実験として使用されたのが通称マルタである。凍傷研究も同時に行われており、ここでもマルタが使用された。
それではマルタとは何か
 マルタ ( 丸太)とは
 マルタとは関東軍の司令官によって生体実験の材料として第731部隊に送られた人たちを指す秘匿名である。
  その分類
1. 特別移送扱い:関東軍憲兵隊、同特務機関、およびその下部にあったハルピン保護院によってとらえられたロシア人、中国人、モンゴル人、朝鮮人等の捕虜のことである。関東軍憲兵と特務機関は、中国各地で潜入してきたソ連赤軍情報将校、戦闘中に捕虜となった中国赤軍(八路軍)幹部および兵士、日本帝国主義の侵略に反対し抗日運動に参加した中国人ジャーナリスト、学者、労働者、学生、そして彼らの家族(それゆえ赤ン坊まで含まれていた)等多数の人々を逮捕した。彼らをマルタと呼び特別移送扱いとして各地から第731部隊の特別監獄に送り込んだ。特別移送扱いとは、彼らを呼ぶ秘匿名である。この中には満州国政府に反抗する中国人官吏も含まれていた。彼らは何等の裁判も受けることなく実験材料のマルタ(丸太)とされ虐殺された。
2. 浮浪者:日本人開拓者の入植により土地を収奪され、仕方なしに都会に出た農民、職がなく浮浪者となる。彼らは公園などにたむろし、浮浪しているところを逮捕される。
3. 一般の犯罪者:死刑の宣告を受けたもの
これらの中には女性マルタもいた。反日容疑で捕まったロシア人女性、中国人女子学生などで、主に性病の実験材料になり、人為的に感染させられ、その治療、回復のための実験材料となった。
 マルタとなった瞬間に彼らは固有名詞を失い、番号で呼ばれるようになった。第731部隊での秘匿名「マルタ」が「丸太」になったのは、ハバロフスク裁判以降である。翻訳者は「マルタ」を「丸太」と訳したのである。抽象名詞「マルタ」は、普通名詞「丸太」となり、材木同様、切ったり、削ったり、運んだり、焼却したりできる材料となり、人格を完全に失ったのである。その数は3000名を超えたと言われている。
 関東軍は第731部隊の秘めた特殊任務を重視し、その研究、実験を容易ならしめるために、あらゆる便宜を図ったという。その便宜の一つが「マルタ」の供給であった。第731部隊の駐留していた当時の満州、特にハルピンには、国共合作後の国民党軍、や共産八路軍やソ連のスパイなどがうようよしており、反満かく乱工作の拠点でもあった。鉄道路線の破壊、放火、発電所の爆発、要人の暗殺、などのテロ行為で、当時の満州国は大きな物的、人的被害を被っていた。ソ連、中国にとっては英雄であっても、日本人にとっては大犯罪者である。関東軍はこれらのスパイを摘発して、731部隊に送り込んだ。彼らはマルタとして処刑されたのである。生体実験は処刑の一つの形態であった。

  その目的
 マルタを使い、生体実験まで行ったその目的とは一体、何だったのだろうか?その目的は細菌戦争にあった。当時の日本にとっての仮想敵国はソ連であった。近々にソ連との間で戦端が開かれるのは予想されていたのである。その戦いのための兵器が細菌兵器であった。
その戦略として次の3つが考えられていた。
 1、謀略
敵地深く侵入した決死隊が、河川やダム、貯水池などに細菌を投げ込み、これを汚染する。更に即効性、遅効性の毒物、化学薬品を利用し作られた特殊兵器を利用し、敵要人の暗殺を図る。
 2、砲弾
砲弾の中に細菌で汚染された小動物(ノミなど)、物、食べ物などを詰めて敵地内で爆発させる。
 3、細菌爆弾の飛行機による爆撃

 このように細菌戦争のための細菌の研究がその実際の目的であり、ペスト菌、コレラ菌、炭痕菌、マラリアなどのあらゆる病原菌の感染実験が、マルタを使って行われたのである。更に高い毒性を持つ細菌を作りだし細菌兵器としての質の向上も試みられていた。マルタは貴重な実験材料であった。
 戦後間もなくして帝銀事件が起こる。森村誠一は平沢貞通を犯人とみる見方に対しては「私はその任ではない」としながらも、731部隊が、殺人用の青酸化合物とその解毒剤開発に務めていたと指摘し、暗に平沢貞通の無罪を主張している。

  細菌戦研究以外の研究
 もちろん、731部隊の主要な任務は、細菌戦争に備えての細菌の研究であったが、その他にもいくつかの研究課題があった。それについて述べよう。
1. 中国東北部という厳寒の地満州では多くの住民(現地人、日本からの移住民)、兵士が凍傷に苦しめられていた。凍傷研究班は、凍傷治療の有効性を研究し、住民を凍傷から身を守る方法、およびその治療法を研究した。
2. ノミのウイルス(ペスト菌)、リケッチア、などの細菌が中国東北部の風土病(流行性出血熱など)に及ぼす影響を研究し、その治療法を開発し住民への伝播を予防し、治療方法も研究した。
3. 血清研究班は、伝染病への対処療法や、ワクチンの研究、開発を行った。
 これらの研究に「マルタ」が使われた。
4, 防疫給水:731部隊の正式名称は、「関東軍防疫給水部本部」であり、関東軍管轄区域内の防疫、給水業務を行うことを目的に設置された。それは本来の目的を隠すための名称ではあったが、実際に防疫給水が行われたことは事実である。旧満州の水に関する衛生状態は極めて悪く不純物(藻類、微生物、細菌)が含まれており、さらに中国独特の黄砂によって汚染された水は、そのままでは飲用に耐えなかった。そこで石井部隊の防疫活動研究班は「石井式濾水機(水のろ過機)」を開発し、真水を作りだし、兵士、住民に給水し、実際の運用の面で成果を上げている。しかし、この記述は「悪魔の飽食」の中にはない。
 更に病理研究班は、生体解剖、死体解剖などで得られた資料によって組織標本などを作製した。その標本は731部隊の展示室に陳列されていたという。断ち割られた頭がい骨、凍傷によってただれた腕、ホルマリン漬けにされた内蔵、等々展示室は、危機迫るものがあったという。

 森村誠一は第2章「残酷オンパレード―――死夢の標本(マルタ)」の中で「マルタ」を使った生体実験の数々を紹介する。
1、細菌の感染実験と生体解剖
 ペスト菌、コレラ菌、炭痕菌、マラリアなどあらゆる病原菌の感染実験がマルタを利用して行われた。人為的に病原菌をマルタに感染させ、細菌の感染過程、結果、の観察が行われ、更にワクチンを使用してその効果も観察された。この結果動物実験では得られない効果がもたらされたのである。更に細菌に感染させられ、死の直前までいったマルタの生体解剖も行われたという。細菌が生きた臓器にどのような影響を与えるか調べるために、である。
 更に生体への感染実験は、それを繰り返すことによって丈夫なマルタには抗体ができる。そのマルタへの感染実験を繰り返すことによって、細菌の側にも強い毒性を持った細菌が出現する。いたちごっこである。これはマルタが死ぬまで続けられる。かくして強い毒性を持った細菌が作り出され強力な細菌兵器が出現する。
2、凍傷実験
 極東の地、中国東北部=満州においては凍傷にかかる住民が多く、その治療法の開発は、テロに悩む関東軍にとっては、満人(中国人)との融和を図るためにも必要なことであった。それゆえに731部隊の本当の目的は隠されており、極秘中の極秘であった。その中で何が行われているかは日本人にすら秘密であった。表面の目的はあくまでも防疫給水であった。
731はマルタを人為的に凍傷にかからせ、「治療法」を研究した。この実験によって手足を失ったマルタは毒ガスの実験などによって再利用された。その悲惨、かつ、残虐な生体実験の模様を森村誠一は克明に描いているが、あまりに残虐で、書くに忍びない。知りたい人は本文を直接に読んでほしい。
3、毒ガス実験
 密閉された、ガラス張りの実験室に「マルタ」を入れ毒ガスを流し込み、毒ガスで苦しみ、死んでいくマルタの姿を映画や絵画に記録した。
4、野外実験
 ハルピンから130キロ離れた安達(アンダー)には、野外実験城があった。ここではマルタを柱に縛り付け、飛行機から細菌爆弾を投下し、効果をみるなど、細菌兵器の開発のための実験が行われた。
5、ネズミとのみの飼育
 ペスト菌に感染したのみは強力な兵器であった。ペスト菌を注射したネズミにのみをたからせ、人工的にペストのみを大量に作りだし細菌兵器を作りだした。
これらの目的で作られた細菌の管理は厳重を極めた。隊員の隊内感染を防止するために、である。施設内の衛生管理は厳しく、当時では珍しい施設には水洗便所が完備しており、実験室への入室は完全消毒の上行われ、その実験室は無菌室であった。それでも隊内感染は防止できず何人もの隊員が感染して死亡したと言われている。

 ソ連を仮想敵国として想定し、そのための戦争に細菌兵器を考えていた関東軍ではあったが、ソ連との戦端が開かれる前に、日本は敗戦を迎える。ソ連との間での細菌戦は行われることはなかった。ソ連進駐を前にして石井中将以下の幹部は施設を破壊し日本に脱出した。その後、彼らはGHQ(米軍)に捕えられ、その保護下に置かれた。撤退に際して現地に留め置かれた幹部川島軍医少将および、その他の幹部はソ連に拉致され、ハバロフスク極東軍事裁判にかけられる。ソ連はハバロフスク裁判の結果から、731部隊の幹部たちを戦争犯罪者として告発することを、GHQ側に要求した。しかしGHQ側はこれを拒否する。何千人という生きた人間を実験材料として使用し、虐殺した彼らが裁判にもかけられずに、免罪になったのは何故であろうか?GHQ側は同部隊の資料を独占確保したいが為に、「手元のデータは--------現時点では石井もしくはその協力者の戦犯容疑を立証する根拠としては充分とは認め難い」と、日本軍細菌戦部隊の告発を止めたのである。
 第二次世界大戦では合衆国も、ソ連も連合国の一員として戦争に参加はしたが、もともとは水と油、その対立は予測されていた。戦後数年して冷戦時代に入る。米軍部と国務省に限定配布された覚書には、「日本軍細菌部隊の技術情報はソ連にはほとんど流れておらず、戦犯裁判を行えば、このノウ・ハウがソ連側に対しても明らかにされてしまう、米国の防衛と安全保障上、公判は避けるべきである。石井グループは米国に全面協力して大分の報告書を準備中であり細菌実験にかけられた人間と動物のスライド八千枚の提供に同意した。それは戦犯告発によるメリットをはるかにしのぐ、国家安全にとって極めて重要なものである」。その結果「日本軍の細菌戦情報の重要性により、米国政府は日本軍細菌戦グループのいかなる隊員も戦犯で告発しないことにする」決定をした。とされている。森村誠一はこのように石井部隊とGHQの間に政治的取引があったと告発する。

 ここで冒頭に述べた、この書は問題の書であるということについて述べてみたいと思う。
 作者森村誠一はこの書「悪魔の飽食」を実録の書と称しているが、実録の書としてはあまりにも物的証拠に欠いている。
 すなわち・森村誠一の証言によると
1.731部隊の所属した建物等はソ連軍の進駐を前に全てが破壊されている。実際には多くの施設が残されている。
2.生体実験のために収容されていた、実験材料としての「マルタ」は全て、虐殺されている。それゆえマルタとしての証言はない。
3.秘密保持、証拠隠滅のため、研究資材、標本、薬品、研究実績を示す記録類はすべて本国へ撤退する際に処分されている(本国に送られた分を除く)。
 このように森村誠一自身が認めるように731部隊の生体実験に関する全ての物的証拠は消滅しているのである。それ故、森村誠一氏はハバロフスク極東軍事裁判の公判記録、第731部隊の元隊員の証言に頼る以外になかった。彼は旧隊員を求めて全国行脚をしたという。当然のことながらその証言の裏付けは取れていない。それ故に信頼性の問題がある。まさに状況証拠の積み重ねであり、実録というにはあまりに貧しい。
 更にこの作品の信頼性を損なうものに、掲載写真の誤用問題(意図的という者もいる。読者からの指摘がなければそのまま通用していたであろう)がある。全く別の写真をあたかも第731部隊で行われた手術の写真として掲載したのである。作者自身これを認め、光文社から発刊された前著作はすべて回収され、絶版になっている。
 この作品は改定版であり、角川文庫から再販されたものである。

  関東軍防疫給水部本部・満州第731部隊要図に関して
 関東軍防疫給水部本部・満州第731部隊要図というのが、この作品の巻頭織り込みとして掲載されているが、秘密部隊と言われその上空は友軍機といえども飛行を禁止されていた地域の要図なるものはどのようにして手に入れたのであろうか?森村誠一は、次のように言う。この要図は「筆者が『赤旗』日曜版連載小説「死の器」執筆中に接触した数名の元隊員たちによって作成され、保管され続けてきた関東軍防疫給水部本部の施設全容と部隊配置を示すものである」、更に「この“要図”は、戦前戦後を通じて、ここに初めて公開されるものである」と(p.18~19)。更に別の個所には「だが一方では元隊員らによってひそかに保管されていた「極秘要図」があった。要図はあくまで要図であり全図ではない。しかしこれはその後、私の調査によってほぼ正確のものと判明した」という。
 一方では元隊員たちによって作成され、保管されていた、といい、他方では。ひそかに保管されていたと言い、隊員たちによって作成されたとは言っていない。また私の調査と言っているがどのような調査だったのかは一言も言っていない。森村誠一の言によれば施設はすべて破壊されているからである。調査のしようがないのである。筆者はそれを明らかにする義務がある。これは「満州第731部隊要図」の原図を見せてほしいという読者からの要望に応えたものであるが、森村誠一氏は「原図はそのまま発表できない。製作者の筆跡や作図作業の後が歴然としているからである」と述べている。なぜ戦後何年もたち何を言っても許される時代に秘密にする必要があるのだろうか?
 第731部隊は秘密基地であり、隊員すら自由に移動できず、衛兵が監視している中でどのようにして地図を作ったのか?地図など作っていたら、スパイとして、あるいは外にうようよしているスパイとの内通者として処罰されるであろう。そんな危険を冒す理由は隊員にはない。記憶を頼りに作ったにしては、ここに掲載されている、その要図はあまりにも緻密であり整然としている。整然としているが故にその信頼性は低い。もちろん要図、全図は存在していたであろう。しかし、それは731部隊の幹部数人が閲覧を許されていたものであり、あくまでも極秘資料である。それも一枚だけであり、極秘の保管庫の中に入れてあったであろう。いかなる隊員もそこに近づくことは出来ない筈である。そんな要図がスパイの手によって敵の手に渡ったら格好の攻撃目標にされてしまう。その存在は今もって、確認されていない。おそらく撤退に際して焼却処分されたのであろう。だから森村誠一の作った、この要図が世界初公開なのである。
 しかしその信頼性は低い。何度も言うが森村誠一の言葉には物的証拠になる裏付けがないのである。

  第100部隊
 この書において森村誠一は第100部隊という第731部隊と同じ性格の部隊が存在し、家畜と、植物を対象とする細菌戦部隊があった、という。第731部隊と同様、ソ満国境付近で、実際に細菌を使った実験を行っていたと森村誠一自身述べており、実際に役畜皆殺し作戦が行われ、原因不明の大量の羊の連続死があったとされている。しかし、中国、ソ連側の裏付けは取れていない。元隊員の証言のみで、物的証拠にかけている。そして第100部隊には「多数の獣医、研究者が軍属として配置されマルタを相手に家畜の伝染病や毒物の研究を行っていた」と言う。家畜と植物を研究するのになぜ人間マルタが必要なのであろうか?動植物がいればよいはずである。馬、牛・ヒツジなどを飼育する牧場もあったという。
 「日ソ開戦になれば、国境を越えて進軍してきたソ連軍は必ず北興安省の家畜を全部ソ連領内に戦利品として移送するであろう。その時、鼻疸病菌を注射した羊、馬、牛を放棄して撤退すれば一週間か二週間後には家畜のたまり場で伝染病が爆発的に流行するであろう--------」この重要な言葉が誰の言葉かは作者は一言も述べていない。関東軍の幹部の言葉なら当然そう書いてしかるべきであろう。実際に日本軍が撤退に際してこの事実があったという事実はないし、家畜の伝染病も起こってもいない。事実があれば当然ソ連側の証言があってしかるべきである。戦争は片方だけが行うものではない。相手が必ず存在するのである。一方だけの証言では片手おちである。第三者が納得できる客観的な物証に基づく事実が欲しい。

  最後に
 ここまでで森村誠一の「悪魔の飽食」の紹介を終わりにする。もちろん、本文はこれで終わっているわけではない。第8章「飽食の日々」、第9章「日本陸軍の私生児――第一期少年隊員の苦闘」、第10章「仮面の“軍神”」、第11章「第731崩壊す――1945年8月9日」、第12章「軍神は蘇らせ(よみがえらせ)てはならない」、終章「第731の意味するもの」と続くが、この作品の趣旨を読み取るためには、全てを紹介することはあるまい。この書は戦争に対する告発の書であり、普通の人間が戦争という異常事態に遭遇した時、人間でなくなる様子が描かれている。それは石井部隊だけでなく、アウシュビッツにおけるユダヤ人の虐殺の歴史をみれば明らかであろう。人間の心の奥底に秘める悪魔性、それは法律や道徳という人為的な規制によって、かろうじて抑えつけられてはいるが。その規制が外れたとき、一気に爆発する。科学や理性では解き明かせない領域がここにある。人が絶対善(神)と絶対悪(悪魔)の中間に存在し、その間を右往左往している限り、時と所により、どちらにもなり得るのである。そして悪魔に対抗できるのは神のみである。

    森村誠一作「悪魔の飽食」(新版)
        「日本細菌戦部隊の恐怖の実像」 角川文庫 角川書店発行








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