今日、犬の散歩をしていたら、友達のくすのきが、とうとう伐られてしまっているのを、見た。きれいだった緑の樹冠がなくなって、丸坊主になっていた。
ひとつ、発見したこと。人は、悲しいことに出会うと、何かが固まって、感情が動かなくなってしまうことがあるのだと、言うこと。
ずっと、あそこにいてくれて、一緒に生きてくれるのだと、思いこんでいたものだから。あの木が、なくなってしまうことなんて、ほんとは思ってはいなかったものだから。
初めて、あの光景をみたとき、なぜだかわたしは平静で、まるで他人事のように、ああ、いってしまうのか。いいよ、いってしまっても。ありがとう、と、落ち着き払って、あの木にあいさつしたのだ。とくに悲しみを感じることなんて、なかった。だけれど。
犬の散歩を終えて、カメラを持って外に出て、花の写真など撮っていたら、しんみりと、静かに悲しみがあふれ出てきて、それが石のように胸をふさいでしまった。頭から冷たく、何かがかぶってきて、わたしは人形みたいに動けなくなって、涙が出てきた。
蝶々が二匹、まるでわたしをなぐさめるように、頭の上を通っていった。露草が、日に透けて、静かに笑ってくれた。竹やぶの笹が、風に踊って、何かをわたしに語ってくれた。
仕方のないことなんだよねえ。わかってる。木は、人間を恨むことなんてしないよ。愛しているから。わかっているから。
でも、木が一本、いなくなっただけで、この世界から、愛が一つ、消えたのだ。それはとても微妙で、繊細で、ひなたに浮かんで見える、ホコリ一つの重さもないような、変化だけれど。
一番つらかったとき、一番助けてくれた、美しい木だった。愛してる。本当に愛してる。
ありがとうと、いうことばも、陳腐になるほど、苦しくて、言える言葉がない。
どうすればいい。どういえばいい。
ありがとう。