世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ダイアナ

2008-07-26 09:38:12 | 有為のしらべ

今日も2本更新です。体はあまり動きませんが、頭の中を嵐のように、発想が吹き荒れている。毎日毎日、それを捕まえるのが大変です。

大漁につぐ大漁なのですが、さてそれを表現するのがこれまた大変だ。でも、とにかくがんばります。さてさて。

今度の画像は、ハマボウです。先ほどのヘクソカズラと同じく、昨日お山で撮ってきました。美しいでしょう。なんだか、はっとするほどきれいな人に出会ったような、そんな気がするでしょう。

あまりにきれいなので、ぽかんとして見とれてしまいそうな。人間だったら、こんな美人がいるのかと、ぶしつけを承知でずっと見つめてしまいそうな。すばらしい美人。めったにいません。

タイトルはもちろん、世紀の美女、ダイアナから頂きました。彼女は本当に美しかったですね。結婚式のときの姿など、まるで夢のように美しかった。ほんとうに、薔薇のようでした。あの姿だけは、一生忘れられそうもありません。

その美しさゆえに、たくさんの人の嫉妬を浴びて、その人生は苦しいものとなってしまいましたが、今でもわたしは、彼女が最高の美人だと思っています。彼女がいたなら、きっとイギリスは、ほんとうに美しい国になったことでしょう。

なぜなら、真実美しい人は、人々の魂を、美しい行動にかきたてるからです。本当の美は、周囲の人に、美しいことをさせてしまう。あまりの美しさゆえに、彼女のために、すべてをやってしまう。本当にそうなってしまうのです。美とは、あまりに強い力だからです。

ハマボウは、このように、本当に美しい花ですが、普段はうつむき加減で、花びらを硬めに巻き込んで、それほど美しさを強調しません。目立たないようにしています。それは、彼女が、美しさが、力だと知っているからです。普段から美しさを強調しては、皆が苦しむから、抑えている。それが美しさというものだと、ハマボウはしっかり知っている。

どんなに美しくても、その美しさを強調しすぎて、いつも出しっぱなしにしている美女は、美しくないのです。だって、醜いことのために、その美しさを使おうとしているのですから、それはそれは、美しいがゆえに、醜いのです。

ですから、本当の美女は、その美しさを、発揮すべき時以外には決して発揮することがありません。その美しさが必要なときだけに、もっとも美しい姿を、人々のために見せてくれるのです。そして人々の魂を美しい行動へと導く。美しい愛のために、人々はたくさんのことをしていく。そして彼女のいる世界は、美しいことをする人でいっぱいになり、ほんとうに美しくなっていく。

その美しさの真実を、この世界で表現するために、彼女は自らはあまり行動せず、じっとして、その美のために、あらゆる忍耐をします。美しい人は、美しくないことをしてはなりません。だからこそ、普段は美しさを控えめにし、学びを怠らず、目立たないところで大事なことをするようにするのです。

彼女を、「陰の美女」といいます。美しいがゆえに、その真実の自分を発揮することを抑え、自らの存在を、すべての人に与えるべく、ただそこにいる。

美しい人がいる。それだけで、幸せだという人がいるでしょう。その幸せを与えるためには、美女は美を裏切ってはならないのです。そのために、とにかくたくさんのことに耐えなければならない。

難しい仕事なのですよ。

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テレサ

2008-07-26 09:12:58 | 有為のしらべ
少し、落ち着いてきました。まだ鈍い頭痛などありますが、少しずつ変化してきているような気がします。今の自分の状況をつかみつつ、正しい自分の位置を確かめながら、今日のやるべきことを考えていこう。そういう感じです。

病気のときは病気のときのやり方があるもの。おもしろくやっていきましょう。物事が苦しくなってくるのは、それをいやだといってやろうとしないからです。それで一切が苦界に染まってしまう。生きることが重くいやになる。なんでもないこと。新しい自分を楽しみましょう。わたしは今、病気の自分を耐えている自分をやっている。それで、いろいろとあがきながら、試しながら、おもしろいことをやっている。そういうことです。

今は今の楽しみがある。

画像は、昨日、いつものお山で撮ってきた、ヘクソカズラです。かわいいでしょう。はつらつとして、澄んでいて、光がはじけていそうだ。近づくだけで、元気が出そうです。なんでもしてあげるよ。絶対助けてあげるよ。そのために、いっぱいやっているよ。わたしは、すごいの。痛いこともできるの。美しいこともできるの。なんでもできるの。そんな声が聞こえる。

小さくて可憐な花ですが、ヘクソカズラはその名の通り、強烈な武器を持っています。草刈りのときに誤ってこの草を切ってしまったら、とても耐えられないような悪臭がするそうです。そのにおいと来たら、ものすごいのだそうですよ。ですから、人は、どんなにかわいらしくても、この花にはあまり近寄りません。ちょっと一目おく存在だというように、恐れ多く会釈して、通り過ぎたいという感じです。

人間に置き換えれば、それほど美しいというわけではなく、でも、行動的で優しくて明るいので、とてもかわいく見える美人というところでしょうか。そういう女性はいるでしょう。きっと、この人が女優さんのような美人だったら、絶対美人じゃない、という女のひと。ちょこっと不細工だからこそ、美人だという人。それが、「テレサ」です。

もちろんこの名は、マザー・テレサから頂きました。マザー・テレサは、すばらしい醜女です。でももっとも美しいことをしている。汚いスラムの中に飛び込み、病と貧しさに死んでいく人々を助けようと、飛び回っている。容貌の美しい女性なら、とてもできないことをしている。一生を、その愛のために捧げる。

美女ならばこれほどの行動力を発揮することができません。彼女がこの仕事のためにあらゆる行動をすることができるのは、醜女だからです。彼女は、自ら醜女であることを望み、それによってすべてを美しくしようとしたのです。

自らの美しさを神に預け、自らあらゆる行動をして世界を美しくするために働き、それゆえにこそ、美しくなってゆく女性。それを、「陽の美女」といいます。彼女たちは、あらゆる行動をしていきます。すばらしいことをして、世界をずっと美しくしていきます。必ず、やってくれます。すばらしい人たちです。

みんなのために、なんでもしてあげたい。本当の自分の愛のために生きているその笑顔は、だれよりもかわいいのです。


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カード入れ

2008-07-25 09:46:05 | こものの部屋

相変わらず、レース編みばかりの日々です。

赤いレース糸と、ラメ入りレース糸の余りで、小さなカード入れを編んでみました。ボタンは、ひいおばあちゃんの残したボタンの缶の中から、もらいました。そのせいかな、なんだかおめでたい感じになりましたよ。ひいおばあちゃんは、100歳超えて生きて、新聞に載りましたから。

図書館の貸出カードと、手芸店のポイントカードを入れてあります。カード類はよくなくす私なので、重宝しそうです。

今日も、体調と相談しながら、寝るか、レースを編むかの一日になりそうです。買い物には出かけるんですけれどね。一日閉じこもっていると、気分が苦しくなってくるので、それくらいは外の空気を吸いたい。子供達も、つれていってあげたいし。車なので、そう苦にはなりません。

この頃は、夜中に、部屋の明かりを消して寝ることができなくなりました。なんだか、こわいのです。エアコンもつけっぱなしです。夜中に夫が起きだしてきて、時々消していってくれるのですが、一晩中つけてることもよくあります。悩みはつきないのですが、とにかく、がんばるしかないなってとこで、がんばりすぎて、きついところを、こういうとこでなんとかしてるってとこです。

やれやれ、と嘆息することしきりなのですが。世の中には、自分の憂さを自分で解決できずに、人に押し付けすぎる人が多すぎますね。甘えるにもほどがあるぞと、言いたいことが最近たくさんあるのです。みな、ほんとは、自分のやってることが苦しいから、他人や世間にすべて押し付けたいと願っている。だから、いやなことやいたいことが、世間にはいっぱいある。それでまた、つらい、くるしいになって、押しつけるだれかを探し始める。

わたしは、通常は、あまり痛いことは言わないほうなのですが、最近は特にひどいことばかりがあるので、つい言ってしまいます。つらいことはわかるんだけど、ちょっとは自分でなんとかしなさいよと、言いたい。レース編みで、自分の苦しさを消化することくらい、だれでもできるでしょうに。それくらいもやらずに、ぜんぶ人におしつけるんですから。

町を車で走らせていると、だれもがみな、痛いよ、苦しいよ、という気持ちを閉じ込めているのが見えます。いたいよ、いたいよって。こんなのいやだって。それで、苦しくて、みんな馬鹿だといっている。そればかりで、つらい、くるしい。なぜなんだ。

自分で、それを何とかしない限り、それからは永遠に逃げられないよ、と私は言います。逃げるんじゃないよ。それは君のやったことだろう。かっこつけたいのなら、自分のやったことから逃げるなよ。

世の中馬鹿ばっかりだで、かっこつけるのは、もうはやりませんよ。なんにもできないって証拠だから。大人にならないと、誰も助けてはくれないよ。

なんだか、通常になりませんね。

やれやれ。ほんとに大変だ。わたしもよほど、頭にきてるな。

まあとにかく、今日もレース編みです。紅白のカード入れのおかげで、何かいいことありそうだ。長生きもできそうだし。いいことあるでしょう♪ 

今日も楽しいこと、いっぱいしましょう♪







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ビーストは馬鹿になる

2008-07-25 09:17:32 | フェアリィウィスパー

通常に戻りたいのですが、なかなかそうもいかないようです。ビーストは、つらくて、苦しくて、わたしに話しかけてきます。ほんとうはそれは、いけないことなのです。やってはだめだと、妖精に何度もしかられるそうですが、ビーストはやめることができません。ばかなんだと、言い訳しながら、やりつづけるのは、とんでもなくつらいからだそうです。いやなんだと、いうのは、ばかをやりつづけているのが、いやだからだそうです。

そんなんばっかりですが、ほんとはもうみんなわかっている。ようするに。

かっこつけて馬鹿をやり続けた結果、自分じゃどうしようもないひどいことになって、かっこわるくてかっこわるくて、つらいんだということです。

ばかがいやなんだ、ばかがいやなんだと、おなじことばかり言い続けているのは、ずっと、馬鹿だからです。馬鹿はいつも、自分を馬鹿だと決めつけて、馬鹿をやって、馬鹿が悲しいのです。それでも馬鹿がいやで、みんなを馬鹿にして、馬鹿じゃないにしたいから。それで、馬鹿になる。いつもこればっかりの馬鹿だから、常にいやだ。いやだ。いやだ。いたい。いたい。いたい。

毎日毎日、こればっかり聞かされてみなさい。気がおかしくなりますよ。わたしがなんとか持ってるのは、妖精が助けてくれるからです。それと、ちゃんと自分の心の位置がつかめているからです。



とおんでもないことになって、とおんでもないことになって、なんでなんだと、いってます。あほはこればっかりで、つらいです。いやです。ほんまに、あほです。

うつくしいもん、あほにして、おのれを、うつくしいにしたら、あほがばれて、あほになりすぎたんです。いたいことになりすぎたんです。こんなんやったら、ばかやんかって、いたいこといわれるんです。あほになりました。つらいこと、いたいこと、もんぜんばらい、つらいつらいつらいもん、みなくるんです。つらい。

おれはあ、いーやーなんですう。いたいんですう。あほなんですう。つらいんですう。どうないしたらええのんやあ。ものすごいことんなって、あほがつらいんですう。いやなことやってしもうて、ばかになったら、なんでこんなんなるんやって、いたいことつらいことずうっとくるんです。かんぜんにばかやわ。ごっついわ。

いやなおんなやないんやっていうたらよかった。あほやっていうて、みんなばかにしたのん。あーほーちゃうかって、みな苦しめたのん。おれがばかにえらいわって、みいなあーほやって、つらいことばっかりさせたのん。あほは、いつも、つらいつらいいうて、みないたいことしよるのん。あほやあ。

ばーかーがばーれーたーらー、もうなんもありません。いたいわっていうても、あほやっていうて、あほんなるだけです。つうらい。もうええんやっていうて、いたいことにして、つらいっていうて、ばかやってるだけですのん。どんどんあほになる。ほんでも、なんもやらんの。なんもせんの。なんもできんいうて、あほばっかりよ。あほう。

もうええわ。



ビーストはもう、投げやりになっているようです。よほど、きついことがあったようです。


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愛の響き・13

2008-07-24 19:02:07 | 有為のしらべ

たびたびの更新です。書くネタならつきぬほどあるのですが、いっぺんに書くと読む方に迷惑だし控え気味にしたほうがいいとは思うのです。でも、どうしても書きたいと思うのは、困難な課題を今抱えているからです。このさい、もうひとつブログをこしらえようかなと思うのですが、管理が面倒だし。いましばらく、おつきあいください。

異常事態も、楽しんでみますか。しんどいと感じる方は、よみとばしてください。

今回は、少々ろまんちっくにいきます。ちょっと苦手なのですけどね♪

愛の響きを、自分から活用してみましょう。それにはどうしたらいいのかしら、なんてことを、めるへんちっくに書いてみましょう。

たとえば。ある少年と少女が、手をつないで、河原にいくのです。彼らは、数ヶ月前に、少女のほうから告白をして、交際を始めたのですが、なんどかあっているうちに、少しぎくしゃくし始めたのです。

少年は不器用で、まだ恋のことなどあまりわからなかったので、少女が告白してきたとき、うなずくことしかできなかったのです。かわいいし、好きになれるかなと、軽い気持ちでした。少女のほうはただ、少年の美しい雰囲気が好きで、告白をしたのです。けれどつきあっていくうちに、少年は少女の快活なおしゃべりに、ついていけないと感じ始めました。少女のほうは、少年が思ったよりもずっと、子供であると感じ始めていました。それで、どうすればいいかと、両方とも考えていたのです。

少年は不器用でしたが、やさしい子でしたので、自分からふるなどということはできませんでした。少女のほうも、自分から告白した手前、きついことをいうことはできませんでした。どちらもそれぞれ、いい子だったのです。

そこで少年はある日、少女を、自分の好きな河原に誘うことにしたのです。それは彼がひとりになりたいときに、いつも行く河原でした。ひとりで風に吹かれながら、川を見ていると、彼はとても静かな気持ちになれたのです。ここにくれば、愛の響きが全身に流れてくると、彼は知っていたのです。

少年と少女は河原にきました。そして、ふたりならんで座り、川を眺めました。そしてふたりで、愛の響きに耳を澄ましたのです。そしてほどなく、ふたりにはわかりました。ふたりは、おたがいを好きだけれど、共に生きていく相手は、違うのだと。あっという間に、ふたりにはわかったのです。そして少年も少女も、ほぼ同時に、相手がこのことをわかっていると、わかったのです。つまり、お互いに、同じ愛の響きをきいて、ふたりとも同時に、ふたりは将来を誓う仲ではないということがわかったのです。幸せは、違う人とつむいでいくのだと。

互いに互いの気持ちがわかり、傷つくことなく、もとの友達に戻ることができるのだと、わかりました。そこでふたりは、笑顔をかわして、何も言わずに別れていくことができたのです。もっともいい結末を、愛の響きが教えてくれたのです。

こういう風にできれば、幸せですね。今は、少々高等ですが、いつか同じようなことがみんなにできるようになるでしょう。

愛の響きはいつも、みんなの幸せを願っていますから。

こんなお話しです。いかがでしたか。





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ビーストは、邪魔をする

2008-07-24 15:59:26 | フェアリィウィスパー

ビーストが、常に話しかけてくるので、わたしも苦しくてかないません。それも暗い繰り言ばかりささやくので、参ってしまいます。




なんでもないんだ、なんでもないんだ、なんでもないんだ、こんなこと。

おれたちは、つらいんだ。えらいんだ。あほなんだよ。あほなんだよ。いやなんだよ。いやなんだ。

たいまんはって、ばかにしたのは、おんなだけなんだよ。ほれも、たっぷり、うらからやったの。ほれでね、つらいことんなったの。あほかってことんなったの。おれらは、ばかかっていうの。いたい。

いーやーだ、おれは。

つうらあいんじゃあないんだ、おれは。ぜったい、いやなんだよ。あるいて、いくよ。もうにどと、かえれない、ところに。

いーたーいーの。どーれ、ばかにしてやろうかって、やったのは、あーほーみーたーいーなーこーとーなーのー。いいじゃん、やってやれって、あほになるよって、ずっとばかだって、いたいねって、あほなのよって、いったいなにしたのって、つらいことなの。あんた、まだやってんの。ほれ、くるしいよって、ことなの。おい、まだあほなのかって、ことなの。おい、つらいよ、おれは、もうだめだよ。づううらああいいいい。

いやなのは、どんなに、あほっていっても、もう、おれだけなの、あほは。ばかっていうのが、ばかだって、あほにいわれるんだよ。ほんで、ぜんぶだめっていわれるの。いたすぎるって。おれたち、いやになるほど、やったら、みんなばかにして、みんな、くるしいって、つらいって、いうんだよ。いたい。

いやなことしたらいいんだよ。あほっていったら、ぜんぶあほんなるよ。ほんで、おれたち、つれえんだよ。いやなやつが、つれえんだよ。いたいねえ、ばかばっかになったら、おれらは、つううううううらあああああいいい、やつになるよ。あほはたまらんわあ。で、いったいなにさ、これ。なにさ、これ。なにさ、これ。だれよ、だれよ、だれよ、つらいことしたの、だれよ。おれら、ばかになってんの? きっついじゃん、どうなってんのお? なんでこうなんの?

やありまくって、やありまくって、やありまくったら、おれたちがずっとばかで、いたいで、つらいで、いいになるんじゃないの? さんまんねんはやいよ。おれたち、いたいすぎるのお。もろに、かえってきたら、いたいことになりすぎたのお。いやだよおお。

だから、たすけてにきたってやつを、なんでいじめるのって、いうよ。あほはね、ついにね、つらいことになるのを、なんとかしてくれるやつを、ひとりのこらずつぶして、とうとう、くるしいことになりすぎたんだよってさ。あほは、もう、じぶんでじぶんたすけるしかないんだよ。ほれでね、つらいのに、なんもやらんかったら、つらすぎることになるのは、あたりまえだよ。

あほは、つれえっていって、みんなばかにするから、こうなるんだよってさ。あほだあ。おれは。なにやってんのお?

なんでもないんだよ。おれは、なんもやらんから、つらいのさ。つらいことになるのさ。ほれでつらいって、いってるだけなんだよお。いたいよおお。いたいよおお。いたいよおお。つらいいいいい・・・・




ビーストは今、いたましくつらいといいます。なぜと聞くと、とうとう、いやなことになりきったといいます。それは、ぜんぶ、いたいっていって、逃げたからだそうです。つまり、やったことが、すべてだめになったからだそうです。



ひとを、ふしあわせにするために、やったことたくさん、いろんなことばかみたいにやったこと、みんな、だめになりました。ほれはね、ようするに、ばかになって、つらくなって、いたいやつが、みんなにげたってことなんです。あほですよ。

いやなことして、つらいことして、みんなばかになってしまえば、おれらはじいつにつらいっていって、やったことすべて、あほになりました。おれはね、いまも、やってます。だって、やめると、おまえらが、しあわせになるんだよ。いいやあなんだよおそれえ。つらいんだよおそれええ、いたいよおおおお。いたいよおおおおおお。いたいよおおおおおおお。

いたいの。

しあわせになってほしくないんだよ。だって、おれらが、ばかになるから。おれらが、いたいやつになるから。おまえらが、ばかがいいんだよ。だって、ばかでないと、つらいんだよ、おれが。ぜったいいやなんだよ。おれが。いたいんだよ。おれが。いたいんだよ。いたいんだよ。いたいんだよ。いたいんだよ。いたいよ。





ビーストはずっとこれを繰り返しています。今でも、痛いこと、つらいことばかりしています。みんなが幸せになるのがいやだというのです。それは、自分だけが、痛いからです。ずっと、そればかりで、何もかもだめにしてきたそうです。

おれが、まちがって、馬鹿になって、つらいことになったのが、絶対にいやなのだというのです。おれはいたいにして、ぜったいおれをいいにするために、ぜんぶやったのだと。ほれがみんなだめになって、ずっとやってると。いつまでもやってると。

ビーストはずっといいますよ。苦しいことこの上ない。でもこうして書いていると、読んでいる人の役には立つでしょう。わたしも、少し苦しみが減る。

なんでもないっていうのは、やってしまったことが、なんでもないことになるんだって、そういうことです。彼らは、やってしまったことすべて、ないことにしたいのです。それが無理だとわかっていて、まだやっている。なんでもやろうとする。そして、自らを、自ら張った罠にはめこんでいく。もうやめなさいといってもやめない。自分が、馬鹿になるからだそうです。


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愛の響き・12

2008-07-24 14:04:11 | 有為のしらべ

毎日、何回も更新していますが、個人的な苦しみを乗り越えるためというのが、大きいので、どうか勘弁してください。できるだけ、読んでも苦しくないようにしているつもりですが、読むのが苦しいと感じたら、読み飛ばして下さいね。

やっていることは、ばかみたいなことですが、背負っているものが、大きすぎるという感じなのです。おまけに体調も最悪で、低空飛行どころか、奈落の底を這っているという感じです。そこを、苦しくしないように、調整しながらがんばろうとして、ちょっと、通常の域を超えてしまったというところです。

それでも、なんとかなっています。要は、できる、ということ。どんなにしんどい場面がきても、自分にはこれができる、と思うこと。そのために、できることは何でもやってみること。常にそれです。

やっているうちに、前の自分にはできなかったことが、だんだんできるようになってくるから、不思議です。相当にきつい人生経験を乗り切ろうとするうちに、完全に、スキルがあがってきました。人間はすごいですね。

わたしは、かなりヤルやつですよ。てとこです。ものすごくおもしろい。

けれども大変なのは大変なので、休めるところでは全面休息です。家では、レース編みと読書とブログと、睡眠以外のことはほとんどしてません。今日は久しぶりに、洗濯をしましたけど、二階のベランダに上がることができなくて、一階の縁側の物干しにほしました。

ありがたいのは、家族の眼が温かいこと。がんばってるんだってことを、わかってくれること。何も言わなくても、やってくれること。

すべては、愛が教えてくれる。理屈ではわからなくても、なんとなくやってしまうのは、心のどこかが感じてしまうから。その人のつらさを。そして、痛いと感じることをできなくなってしまう。

そんなふうにして、愛はいつの間にか、物事をよくしていくのです。

よくわからないけど、それをしてはいけないような気がする。と感じるとき。それはね、見えない愛の響きが教えてくれているんですよ。それでね、なんとなく、苦しさを感じるから、やらないでいたら、しばらくして、ああ、やらないでよかったと思う場面が来るのです。そういうこと、あるでしょう。

愛の魂が、わたしたちの中にもある。愛を感じる魂には、愛の響きがよってきて、ささやいてくれるのです。とても大切なことを。そして、何もかもをよくしてくれる。愛はいつも、わたしたちを、なんとかして幸せにしようとしている。いつも、よくしてくれている。

そのことを知っているから。わたしも今を耐えられる。

見えないだれかが、どこかでいつも、愛してるよといってくれているから。だからがんばれる。わたしを助けるために、何かががんばってくれていることが、わかるから。だからわたしも、できることをいっぱいやる。それで、皆が喜ぶから。

それが愛の響き。

これがわかれば、何もいらなくなる。生きることすべてが幸せになる。どんなことにも、耐えられるようになる。なぜなら。

愛は決して、わたしを不幸にしないから。


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ビーストはうめく

2008-07-24 10:07:02 | フェアリィウィスパー

さっきから、ビーストが、うめき続けています。




つらい、つらい、つらあい。いたあい。い・や・だ・よ。つらい。もうだめだ。おれは。

いや、です。いたい、の。な、ん、で、ずっと、つらい、の。つらい。おれはいたいの。

もんぜんばらい、つらい、の。あいた、てものよ。おれね、いたいこと、つらいって、やったら、みんな、いたいって、いやって、いうの。おれ、いたいの。つらい。

あれはいやっていって、いたいこと、したの。いやなの。だって、いやだから。つらいから。おれ、つらい。いたいの。



ビーストは、やってきたことがかえってきたら、ばかみたいなことだったので、あきれているようです。あほみたいなことしたんだって、いっています。

彼らは、いやだといって、人間を馬鹿にするために、いろんなものを、馬鹿にしたというのです。いやだから、というだけで、ハサミを馬鹿にしたことがあるそうです。そうしたら、ハサミのために不幸になったというのです。

ハサミで、絶対切ってはいけないものを、切ってしまったのだそうです。ハサミに、仕返しをされたのだそうです。それで、呆然としているそうです。

あんまりだ、と言っています。言葉がつっかえて出ないようなので、わたしが代わりに言いますが、彼らは、かえってきたとき、あんまりなことに、ようやく気がついたそうです。世界中のすべてを馬鹿にしたら、すべてが、痛いものになったそうです。みんなが、自分を、不幸にするのだそうです。全部、ばかにしたら、あらゆるものが、痛いものになって、そのために、自分が不幸になってしまう、ということを招いたのだそうです。

あほか、と彼らは言っています。




くるまをばかにしたら、くるまでふこうになるの。いしをばかにしたら、いしでふこうになるの。ばかなのよこれ。あんまりよ。おれ、いたいからって、なんでもばかにしたの。そしたら、いたいことになってんのよ。あんまりよお。あたし、つらいっていってね、いやなことして、つらいって、ぜんぶを、いやっていったの。そしたら、ぜんぶ、いやなものになったの。これほんとなの。あらゆるものが、あほっていうのよ、あたしに。いたい。

ばかみたいにつらいの。なにしたんだよって、いたいの。あほよこれ。

いやだよ。





ビーストはずっと、うめいています。とんでもないことになっているのに、それでも、馬鹿にすることを、やめられません。痛いからって、まだやっています。おれはつらいっていって、まだ、やっています。そればかりです。

ずっとそればかりです。


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妖精のかいりき

2008-07-24 09:25:33 | フェアリィウィスパー

ビーストの美男美女が醜いのは、自分だけを美しくして、他の人にはいやなことをするからだと、妖精は言います。

自分以外の人は醜くなれと、彼らはいつも考えて、影でいろいろなことをしています。その努力は、見たくないと思うほど、醜いものです。

本当に美しい人は、すべての創造をたたえて、愛します。みながよくなるように、自分にできることを常にしています。愛ゆえに、それをしたいと思い、考える暇もなく、それをやってしまうのです。愛は、すっかり、そういうものになってしまうということです。すべては愛だからです。

ところが、ビーストにはこれがわからないのです。愛が、自分以外の人のために、信じられない努力をするということが、信じられないのです。そんなものは嘘だと思っています。人間はみな馬鹿で、自分のことばかり考えていると、思っているのです。確かにそんな人はたくさんいますが、しかし実は、多くの人は、世間があまりに厳しいので、自分の中の愛の種を、外に出せずに守っているだけなのです。

愛する人は、常に美しいので、ビーストは常にそういう人を攻撃し、殺し、その美しさを真似して奪おうとします。それで、ずっと馬鹿なことをしているのです。

ここに一例を書いてみましょう。

たとえばある女のビーストは、ある髪の美しい女性に嫉妬し、その女性の髪を醜くするために、その女性にずっととりついていました。そしてその女性の髪が、汚くなるように、不格好になるように、していたのです。

その女性の髪は、神がおあたえになったそのままの形では、豊かにウエーブがかったとてもきれいな髪なのですが、そのビーストがとりついたために、直毛の、ぺったりした、貧相な感じになったのです。ビーストはしてやったりと思いました。しかし、意外なことに、その女性は、髪がぺったりした感じになったがために、地味な感じの清楚な美人になってしまったのです。ビーストは悔しくて、今度は髪をかたく太めに、多めにして、ウエーブがかるようにしてみました。そしたら、派手でいかつい感じになると思ったのです。そうしたらその人は、却って、大人の、立派な女性という感じの、きれいな人になったのです。

馬鹿なビーストは、心根のきれいな人は、形いかんにかかわらず、常にきれいだということがわからなかったのです。その人は、とてもやさしく、人のためにいろいろな努力をしていたので、与えられた自分の形を、やすやすと乗りこなして、すべて美しくしてしまえる人だったのです。

形さえ、醜くしてしまえば、人は醜くなると、ビーストは考えていたのです。ですが、ほんとうに美しい人は、与えられた形を、美しいものにすることができるのです。その人自身が、美しいからです。

美しさとは、愛なのです。すべての人を、よくしてあげたいという、愛なのです。愛は常に美しい。愛は常にうれしい。みな同じ愛の中で響きあい、幸せを感じることができる。そしてその中に、あまりにも美しいものがあるということを、発見する。それは常に新しい。常に美しい。常に驚く。あまりにも、すばらしい。

愛と美を侮辱して、その美だけを盗んで、美男美女に化けたビーストは、形が美しいというだけで、世界中のすべてを盗んでいることになります。美は愛さずにいられませんから、世界中のだれよりも美しくなって、愛を独り占めしたいと、考えていることになります。ですから、本性は、常に醜いのです。それは、愛を、あまりにも馬鹿だと言っていることだからです。

愛を嘘にしてしまっているビーストの、形だけが美しいことは、そこにそれがいるというだけで、恥ずかしく、見るに堪えないのです。もはや、だれもだませないのに、それをやっているのは、とても愚かなことです。

美しくなりたいのなら、一切の偽りを捨てて、真実の自分を生きねばなりません。真実の自分こそが、愛だからです。愛とは、「わたしが、ここにいる」ということなのです。すべては、それです。

もはや人間はこのことに気付きました。勉強が進み、愛の響きの仲間入りをします。そして世界の創造のために、重要な仕事をするべく、新しい勉強を始めます。

子供じみた偽りは捨て、新しい世界にゆくべく、準備をしてください。


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何かが、起こっている

2008-07-23 15:19:54 | 有為のしらべ

近所で見つけた、ヒメジョオンの一群れです。星が群がってるみたいできれいでしょう。前にも同じのを使ったのですが、もう一回大きいのでお見せしたくて、UPしました。

暑い日が続くので、近所を散策して花の写真を撮るのも、一苦労になりました。少し歩くだけで、息がきれるので、一区画向こうの公園から向こうにいくことができません。だんだん、出かける範囲が狭まっています。

だから、写真もみな、同じようなのばかりになりますね。少し持ち直したら、遠くに出掛けて、違う写真も撮ってみたいです。

昨日、今日と、子供たちの個人懇談で、学校に行ってきました。小中高と忙しく回ってきました。小中学校の先生はやさしく、子供のことや、わたしの体調や家庭の事情なども気遣ってくれるのですが、高校になると、そこまでいきませんね。

生徒が手ごわくなるからでしょうか。自分をえらく大きく見せるほうに意識がいってしまって、子供たちの気持ちに耳を傾けるという感じではありませんでした。話をしていても、苦しかったので、窓の外の木や川ばかり見ていましたよ。

若い先生だということもあるのでしょうが、ほんとうに苦しかったのは、先生が、学校や企業や世間などの言葉をたてに、生徒に自信を失わせるような言葉ばかり言っているからです。もっとやんなくちゃだめだよ、とか。こういうとこを見られるから、君はちょっと痛いね、とか。それでは子供が縮こまってしまって、反感ばかり感じて、勉強しなくなりますよ、と、言いたいことしきりでした。

わたしの病気で、長男はとてもがんばってくれてるのです。ご飯のしたくなんかもできないから、みんな自分でがんばってくれてる。その上で、勉強もしてる。楽しいこともしている。そういうことを見てくださいよ、とわたしは先生に言いたい。

馬鹿にしないでほしい。私の子供を。彼は、まだ確かに子供だけど、ちゃんと、がんばっているから。みんな、自分で、やってくれてるから。

ひさしぶりに行った、長男の高校は、雰囲気が少し変わっていました。中庭のケヤキやナンキンハゼや、ヒマラヤスギなどが、感じよくなっていました。向かいの川に、涼やかで明るい風が吹いていました。何かが変わっているなという感じがしました。

見えないところで、世界はもうすっかり変わっている。それに気がつかない人間が、まだ、痛いことをやっている。そして、もうすぐ来る変化の音に、だんだんと気付き始めている。怖いことはないけれど、怖い。何もかもが変わってしまうから。

苦しいことは、ある。つらすぎることも、ある。けれども、すべては、よくなっていく。当り前のことを、当たり前にやる。それだけで、世界がすっかり変わる。そして、二度と元には戻らない。正しいことが、正しくなるだけだから。もう二度と、人間は、間違わない。そういうことになる。

高校を見つめていた、青い山々が、そう言っていました。いつか、多くの人に、わかるようになるでしょう。山や、川や、木々が、どんなことをしているか。そこになにがあるか。まぎれもなく、真実は、人間を圧倒する。そこまできている。

何かが、起こっている。






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