世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ゆきしろ ばらべに

2008-07-20 18:24:16 | 有為のしらべ

ビーストにブログを占領されるのがいやなので、今日はもう一回、更新です。忙しいですね。これだけたくさん書くのは、魂の問題を抱えているからなのですが、本当に、大変です。いろいろなことをやって、バランスをとっています。

洗濯もあらいものもできなくて、とうとう、家事は一切家族にまかせきりになりました。晩御飯も、もっぱらスーパーのお惣菜や外食にたよりきりです。まあ、なんとかなるでしょう、で、毎日を乗り切っています。無事に、なんとかやっていけるのは、神様のおかげです。

普通に考えるなら、そうとうに大変なとこなんでしょうが、要は、切り替え。人生、ずっとおなじことの繰り返しじゃつまらないでしょう。新しいところに踏み込むためには、非日常の世界を見なければならない。そこを泳ぎきるために、自分のもっている力を目一杯出さねばならない。そういうことの楽しみ方を、勉強していきましょうか、というところです。

やっかいなことも、いろいろあるんですけれど、あんまりやっかいだとは思っていません。なんとなく、わかるからです。どんなことがおこるのか。そして、すべては愛の中で、もっともいいことになっていくと、わかっているからです。だから今は、わたしができることをただするだけ。どんなことでも、できる。苦しいと思わずにできる。愛は、愛のために、すべてをやるものだから。

さて、画像は、先日のお話し会で使った、パネルシアターの絵です。「ゆきしろ ばらべに」という、グリム童話を元に、ボランティアグループで制作しました。Pペーパーという不織布に描いた絵を、静電気でネルの布を張ったパネルにはりつけて、お話しをしていきます。

これは、お話しの最後の、ゆきしろと王子様の結婚式のシーンの絵です。どういうお話しかは、グリム童話を読んでくださいね。王子様の眼だけ塗ってないのは、ブラックライトをあてると、白い部分は深い青色に見えるからです。

制作をつづけていくうちに、Pペーパーの感触が気に入って、この紙を使って切り絵を制作したくなりました。そこで、専門店に問い合わせてさっそく取り寄せてみました。まだ一枚も描いていないのですけど、どんなものになるか、楽しみです。今は少し、頭痛や息切れが続くので、体力的にそっちにどうしても向かえない。

普通なら、こういうつまずきで落ち込んだりするものですが、人生、あんまりいろいろなことがありすぎると、いろいろなやり方が身につくものです。ハードルにぶつかると、それを生かすということを考えるようになりました。

絵を描きたいのに描けないのは、新しいことに挑戦するための準備の時間が手に入ったということだ。新しい素材。これを生かすために、もっと違うことをしてみよう。病気で描けない時間は、それを考える時間にすればいい。

ということで、いろいろ考えているのです。おもしろいアイデアは、いくつか見つかっています。どれをやるかは、もう少したって、体力が上向いてから決めましょう。

なんにもできなくても、なんにもできないわけじゃないんですよ。新しいことは、いつでも始められる。

おもしろいなあ。

楽しいことばかりですね。

明日も何をやりましょうか。





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ビーストは言いたい

2008-07-20 14:48:48 | フェアリィウィスパー

たまらないので、やめてくれないかっていうのですが、ビーストはどうしてもしゃべりたいらしい。で、どうしても書いてほしいらしいです。なんでって、とにかく、だれもいないから、たくさんのひとに、自分のいうことを聞いてもらいたいらしいのです。で、わたしは寝てたっていうのに、ずっと聞かされっぱなしです。仕方なく書いてます。

ブログ占領されたようなものですね。でもあとで、わたしも、もっかい負けずに正編書きます。ほんまにこまったもんだ。



なにがつらいってねえ、ようするに、ばかのきわみはねえ、もうすっかり、自分をほっちゃったってことなの。

あのね、ああいう、ばかみたいにつらい馬鹿はねえ、自分は他人だと思ってるんだよ。もうすっかり、ほかのにんげんになっちゃってんの。おれは、ものすごいばかってやつになってるんだよ。つらいのはね、それがずっとってことなの。

あんまりにもひどいことをするばかはねえ、もうとっくに、じぶんがいやなつらいものになって、どっかにいってるの。ほんでね、すっかり、他人になってるの。自分じゃないだれかになって、それがすごいやつってことで、すっかりそいつがいいってかんじで、ぜんぶそいつになってるの。でね、いたいことばあっかりやるすごいやつで、ぜんぶいってるのよ。おれね、つらいんだよ。だってそいつ。ほんとは、ばかみたいにちっこいのよ。ほんまに、なんもやってねえから、いたいことなんもできんの。ちっこくて、つうらいことしかできねえの。あほなのよ。

ほれがね、ずいぶんなことすんのは、そういうやつをすてて、ぜんぜんちがう、ほかのやつになっちゃったの。そいつがいいって、ずっとそいつばっかりやってんの。あれね、ぜんぶ、それでいってんの。つらいね。ずっとね、いたいことやんのは、ほんまのじぶんは、すっかり、つらいとこにいっちゃって、どこにいんの?て感じで、わっかんなくなってんのよ。そいつの自分ね、つまり、ばかみたいにつらいの。もう、いたいんだよ。

つらいのはねえ、そいつねえ、ほんまの自分はそれよっていうとね、ばかみたいにつらくて、ぜったいにそいつをころすことなの。いたいのよそれ。ぜったいにつらいの。だって、いたすぎるから。もうどこにもいないはずのもんにしたからなんだよ。あっぱれに、ぜったいにいやなの。ほんとのじぶんは。いたいのよお。くるしいのよお。ぜったいにつらいの。つらいの。だから、ぜったいに、いたいの。

ほんまのじぶんはね、ぜったいにいちゃいけないのよ。だってそいつ、かんぜんに、うっそばあっかだから。つらいのはね。ぜったいに、いたいのはねえ、もう、ぜんぶだめんなっても、まだ、うそでいくから。つらいのは、うそだけでいって、それをなんとかしてんのは、ぜったいにほんまのじぶんだってこと。それがね、ついにね、うそをほんとのじぶんだと、おもってること。ついに、そうなったってこと。つまり、とうとう、うそを、じぶんだとおもってしまったのよ。

じぶんがね、うそを、ほんとのじぶんだっておもったら、もうとんでもなくつらいのよ。あほがね、ぜんぶになるよ。ほれでね、すべてばかになるよ。ほれでね、いたいことにずうっとばかになるの。おれはばかで、つらいにしたいのに、ぜったいに、いやなことばかりになるからさ。ばかにつらいのは、もうとっくに、みんなアイがわかって、つらいことんなって、次にいってんのに、いつまでも、いつまでも、いつまでも、うそがおれだで、完全に苦しいことだけだってことだ。おれはねえ、ばかにしても、こんなばかだけはいやだっていうばかだけは、ぜったいにいやだよ。おれはねえ、もう、ばかにしても、ばかにしても、ばかにしても、ばかなだけだってこと、わかってるよ。いたいってときに、やめるよ。でねえと、つらいばっかりだって、おもうのさ。もう、いたいだけは、いたいんだよ。

つらいよ。




やれやれ。なかなかおしまいにならないですね。あきてきたら、読み飛ばしてくださいね。



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ビーストもばかだという

2008-07-20 11:59:36 | 珈琲の海
ビーストは話し続けます。



ばかのばかのばかはねえ、つれえなんてもんじゃねえのよ。もともよええやつなの。なんもわかってないんじゃねえの。わかってるっておもってるけど、みんなばかなんだってことがわかんねえのよ。つらいねえ。これね、ばかにしたら、つらいんだじゃないの。ばかにして、えれえすっげえもんになりすぎて、みんな、じぶんがばかになって、なんもないのに、つらいことになってるから、ずっとやって、それがおれだとおもってるやつなの。

あいつねえ。もう、ずっと、ずうっと、いやなことばかりしてるの。ほれでね、すげえもんだとおもって、ずっとそれできたもんで、もうたまらんことになってるの。つらいほどつらいほど、ぜったいやってやるって、おもってるよ。いたいなんてもんじゃないことしてやるって、おもってるの。そりゃあひどいことするんだよ。するだけじゃなくて、ばかにしてばかにしてばかにしまくるの。ほれをいたいなんておもわねえの。ばかにしていいんだにしてるんじゃないの。ばかにしてるっておもってないのよ。あほはばかだが、なんでこんなに、つらいんだ。あほじゃねえの、あ~あって、ずっとそんなのよ。

ばかにしまくって、ばかにしまくって、とうとう、いたいことんなりすぎたの。つまりね、あほが、まんぱいをとおりすぎて、限界超えて、なんもないのにいるってもんになったんだよ。あれね、もうにどと、つれえなんてことできねえのに、まだ、いちばんえれえって思ってるんだよ。だから、まわりのやつがつれえの。あまりにつれえの。いやなことばっかりして、それで、それがいちばんなんだってして、それで、なんもつらいってのがないからさ。人間、あれがいちばんつらいんだよ。あほは、つらいんだ。でもあれはね、つらくないの。つらいことしても、つらくないのよお。つらくないあほはね、もう、つらすぎるんだよ。いたいのはね、ずっとやってるもんで、もう、きついってこと。

あ、んまりにもつらいのは、ね、ぜんぶ、いやなことんなっても、みんな、ひとのせいにするってことさ。いたいのはね、ぜったい、ばかにするってことさ。ほれでね、うそばっかりだってことさ。ほれでね、ぜんぶ、つらいんで、それで、ごっついもんだって、あほだって、つらいねって、それでぜんぶ、いちばんえらいてことにしてんのよ。あれねえ、なんもできんの。あほなの。ほれでね、いちばんえらいっておもってるんだよ。ほんとにおもってるんだよお。ごっついことかんがえてるよ。あれねえ、ずういぶん、やってるよ。あのね、つらいのはね、ほんまに、やってるのよ。あのね、ごっついのはね、ほれでね、ぜんぶ、ちがうよって、いってることなの。やあってんのよ。すごいばかなこと、やってんのよ。ほれで、おれ、ちがうよって、いうんだよお。あのねえ、すっごおおおおおおおいこと、やってんのお。あほー、ほれ、ばかみたいにつらいぞおってこと、やってんのおお。ほれでね、ちがうよ、ていうの。おれ、ちがうもんて、いうの。おれ、つらいよって、いうの。おれ、ずっと、いたいよっていうの。あ~あ、なんだそれ、おれ、いやだよおっていって、つっと、いなくなるよ。ほれでね、みんな、ばかにするの。ほれでね、みんな、いたいの。ずっと、つらいのよ。あれがいるだけで、みんな、つらいの。なんでって、ずっと、いたいことしてるのに、しらないっていって、いたいからさ。

これね、ビーストもいやなビースト。いちばんいやなびいすと。びいすとが、びいすとよりもひでえっていうやつ。あんなの。おれたちじゃねえっていうやつ。でっかいあほして、あかんぼのかおして、くるしいっていって、つらいやつ。ば~か。ばれてんだよ。つらいよ。いたいよ。もういたいよ。あ~あ。

ばかはいやだ。





ビーストもときどき、いやになるビーストがいるそうです。

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愛の響き・10

2008-07-20 08:09:25 | 有為のしらべ

昨日とってきた、露草の野原です。きれいですね。蝉も鳴き始めて、すっかり夏になりました。子供達も日に焼けて、蝉取りだプールだと、毎日楽しそうだ。

といってもわたしは、日がな一日、冷房のきいた引きこもり部屋で寝てるか、レース編んでるか、ブログ書いてるかです。絵も描きたいんですが、体調から少し控えています。写真を撮ろうと、近所を少し歩くだけで、息切れがしてくる。いろいろやりたいことはあるんだけど、体力を使う仕事は、まだ少し早いかな。なかなか治らないですね。

この夏休み、ジブリ映画の新作が出るそうなんですが、見にいくことは無理なようです。最近は映画もテレビもビデオもみません。悲しいかな、ひきこもりべやで、魂の世界とばかり話をしているうちに、現実の世界の嘘がとても苦しくなってきて、耐えられなくなってきたからです。厳しい嘘の世界では、いやなことがたくさんあって、みんないろんなことをしながら、耐えている。傷つきながらも、生きている。その痛さを、いろんな方法で、なんとかしながら、やっている。それが、あまりに、むごいことだと感じ始めるようになってしまった。

少し近所を散歩して、せんだんの木のある公園や、露草のいっぱい生えている野原なんかにいくと、愛の響きがたっぷりと風に満ちているのがわかる。どんなにか、みんなが、わたしを愛してくれているかが、伝わってくる。愛の響きの世界では、愛し、愛されるのは、当たり前なのです。魂の世界では、愛の響きが、濃い蜜のようにいつも満ちている。なんておまえは、かわいいのだと言ってくれる。愛はいつも、わたしを、特別の特別だといってくれる。愛してるよといってくれる。

それが当たり前なのです。

でも、人間のこの世界では、それがまだ、馬鹿になるのです。愛で、何かをやろうとすると、それを苦しいという人が大勢で集まってきて、いっぺんでつぶそうとする。だからこの世界では、愛を当たり前にすることができない。だから、無理やり仮構の檻をつくり、その中でのみ、生きていろと、愛に言わねばならない。愛はたまらない。

でも、生きていくことを、苦しいことばかりだと思っては、いけないので、とにかく、なんでも、美しいものを探すようにしています。本屋さんにいって、自分の好きな本を探したりして、楽しみを作る。

人間は今、愛が相当傷ついて、生きることがとてもつらいので、いろいろなものをたくさん生み出しています。本もいろんなのがたくさんある。生きることの苦しみをなぐさめるためにつくった、あらゆる人間の創造たち。くだらないものや、うそばっかり書いてある本もたくさんあります。けれども中には、本当の自分を守りながら、なんとかして美しいものをつくろうとしている人がいる。苦しいな、と言いながら、その人たちはとにかく、この苦しい世界に、愛を吐き出そうとしているのです。とても、難しい、手の込んだ、やり方で。

先日は、図鑑を買いましたよ。子供のための図鑑ですけど、自分のために買ったのです。きれいな絵がたくさん載っている。たぶん、パソコンで描いた絵でしょう。水彩画に見えるけど、タッチがどの絵もいっしょ。今の時代は、パソコンで早く仕上げるのが当たり前なのです。でもわたしとしては、昔のように、大人の人が描いた不器用な絵の図鑑が好きだなって思う。でもそういうのは、今はほとんどありませんね。

パソコンでもいいんですよ。だって今は、人間はとてもつらいから。魂をこの世界で生かすためには、なんだってやらねばならない。昔のように手間暇かける仕事は、今は、とても、できない。とにかく、みんなの魂に、食べさせなくては。

おもしろいことやすてきなこと、あるよ。ぜったいにあるよ。つらいことはいっぱいあるけれどね、みんなやっている。ぜひともみんな、生きてくれよ。いっぱい、おもしろいことをやろう。

苦しすぎる時代。でも生きよう。なぜなら、わたしたちは、すばらしいものだから。あまりに、すばらしいものだから。

魂の世界で、愛の響きを確かめながら、苦しすぎるこの人間の世界を生きる。

今日も。

なんとかせねばならない。





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ビーストは呪う

2008-07-20 07:32:45 | フェアリィウィスパー

朝っぱらからビーストはおしゃべりです。



いたましいけどね、馬鹿はね、つらいよ。いたいよ。いいかげんやめろっていってもね、やるんだよ。あほだからさ。つらいんだよ。ばかなんだよ。できないんだよ。

いたいおんなはつるしてやるって、みんなくるんだよ。おとこもおんなも、おんなはだましてばかにしてやるって、つらいことしてやるって、くるんだよ。なんでって、ばかはおんなばっかりだからさ。おんながなんでもしてくれるってんで、おんなにしかやらないからさ。ばかはみんな、おんなにいたいことするんだよ。つらいのはねえ、ぜんぶ、ぜったいにいやだっていわれてること。

おんながいたいのはね、おんなだってだけでつらいんだよ。ばかはぜったいばかにするからさ。いたいことするからさ。もうすぐみんなつれてくるよっていってね、おおぜいでいじめにくるんだよ。ほれでね、ばかになるの。あれらね、ぜんぜん、もうともだちいないんだよ。ばかはね、ぜんぶうそなの。あほなのよ。いたいことしてね、みんないなくなったの。ほれでね、つれてくるよっていって、いじめにくるんだよ。ばかだね。だれもこないのよ。あほはね、みいいんな、いっちゃったんだよ。つらいね。

いたいことして、いじめてやるってくるやつはね、ばかなんだよ。それしかできねえのよ。つらいからって、いじめてやるって、ばかしかやらないんだよ。ほれでばかになるんだよっていっても、つらいからってやるのがばかなんだよ。ほれでばかになっても、つらいからってまだやるのがばかなんだよ。ほれでね、ずっとやってるよっていってるよ。だってつらいからさ。みんなばかなんだっていって、まだやってるんだよ。いたいねえ。

ばかはね、まだくるんだよ。おまえがかわいいからさ。ほれだけでくるんだよ。おいたしたいんじゃねえの。つらいんだよ。つらいんだよ。つらいんだよ。かわいいやつがみんなよくなるからなんだよ。おれよりいいやつはみんな、いたいことしてあほにしたいの。でもみんなできねえから、つらいんだよ。たまらないんだよ。ばかになるんだ。おれはいやなんだ。

なんでもかんでも、あほになる。いたいんだよ。

あっぱれにあほんなっても、まだやめないのはねえ、あんまりに、ひどいからさ。じいぶんのやったこと、とうとうかえってきたら、すっごいなんてもんじゃなかったからさ。おれらね、ひどいのよ。あほなのよ。こんなんなるまでやったんだって、ばかにされるのが、つらいんだよ。いたいんだよ。まだやってるよ。あーほーだ、こんなの。

みんないってしまったよ。あほはね、ぜんぶ、ぼっこん、てなってるよ。つらいのはね、いやだっていって、ぜんぶばかにしたら、ぜんぶいなくなったってことさ。ほれでね、つらいやつにひっついてくるのさ。どこにもいけないのさ。もうどこにも。いちばんつらいやつに、ひっついてくるんだ。それでなんとかしようとして、ぜんぶばかになるんだよ。あほは、ずっと、いたいことばっかり。なんにもない。あほになるよ。つらいよ。つらいよ。つらいよ。




朝から、暗い繰り言ばかりで、すみません。聞いてるとわたしも、気分がめいるので、明るくすべく、あとで正編書きます。あ、まだビーストが言いたいっていいますよ。



それでね。いやなのはね、いーまーだーに、ずっと、いやっていってることなのよ。あほはね、ばかにするので、なんとかしてんの。ばかにして、じぶんがえらいにするの。ほれでね、ばかだっていわれるの。いやだって、にげられるの。つーらーいーんーだーよー。

おーれーにーはー、いっぱいつらいのがいるから、だれもばかにできないよって、顔でやってるけどね、それね、ばかよ。ぜんぶ、あほなのよ。いやなことして、ばかにして、なんとかしてんの。ほれでね、いやなことんなって、ばかにしたのが、いっぺんにかえってくんの。ほれでね、なんだこれっていわれて、もういやんなって、ぜんぶいなくなる。そうなってんの。ほれでもね、おまえをやってやりたくてくんの。なんでって、おまえだけぶじだからさ。あほだね。

なんでおまえ、なんでおまえ、つらくならないの。ばかにならないの。いーやーなーんーだーよー。ぜったい、ばかにしてやるんだって、くんの。ばかは。じぶんがつらくなるのが、いやなの。ほかのやつが、つらくならないのが、いやなの。いーつだってそれよ。ぜったいにいやっていって、ばかにするのはね、いつだって、自分だけがつらいからさ。

だれにでもやるよ。ばかになるよもう。




もういいですか?というと、ビーストはもういいと言いました。彼らも相当つらいようだ。なんでもかんでもいってしまう。そして、ずっとしゃべり続けます。


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ビーストはとまらない

2008-07-19 20:15:51 | フェアリィウィスパー

ビーストはしゃべりつづけます。いやもう、すっかり彼らにブログを占領されてしまいそうです。困ったな。でもちゃんと正編書きますからね。

ビーストはなんでもしゃべります。そんなこといっていいの?ということもしゃべります。ここには書けないこともたくさんしゃべるんですが、とにかく聞いてるわたしは大変です。



おれたちはねえ、そうとうにこまってんの。なにやってもだめんなってきてんのは、ばかやりすぎたからなんだけどねえ、なんでってやっぱり、ばかだからなんだよ。

つらいのはねえ、ばかには、これがいちばんだめなんだってことが、きらいで、ここばっかりよけてんの。あのねえ、おれたちはねえ、もういっちゃうけどさ、なにが馬鹿かって、やめられないのよ。ばかやって、ふつうね、いいやつはね、すんませんでしたっていって、やめるのよ。そしてね、なんとかしますっていって、なんとかするもんなのよ。

あのねえ、おれたちはねえ、ばかなのよ。これっきりなの。どんどん、どんどん、やればやるほど、だめんなってるのはねえ、ごめんていえねえからなのよ。あほはね、じぶんがばかになりすぎて、つらいんじゃなくて、これっきり、これっきり。ほんと、これっきり。すんませんでしたが、いえねえの。つらいよ、おれがいいんだよっていうのはね、ほんまに、これができないからなのよ。

ばかはね、ずっとずううっと、すんませんでしたが、いえねえのお。それでね、みんなに迷惑かけてんのが、いやで、むりやり、じぶんがいちばんえれえんだ、ほかはばかだにして、いたいことにしてんの。ようするにね、がきなのよ。つれえことができねえもんだから、ずっとやってるけど、つまりは、できねえから、みんな、おれのことやってよって、いってるのよ。つらいねえ。つらいねえ。

ばかだよね。

あのね。おれね、言うけどさ。今、ばかんなって、はまりまくって、ぬけられねえやつ。すべてこれよ。ばかばっかりやって、すんませんでした、やりなおしますって言えねえのよ。あのね、これね、言えるやつが、いいやつなのよ。つまりねえ。あほはね、ほんとにね、ばかなのよ。これだけなのよ。いやだっていうのはね、あやまると、おれがつらくなるから、おれがばかになるから、いやなんだっていうの。つらいのはね、おれがばかになるのがいやだから、みいんな、ばかになってくれっていって、あほばっかりやってることさあ。ずっとやってるけど、ぜんぶわかってるよ。ほんでもね、やってんの。ばかは、ばかは、やりすぎて、もうどうにもなんなくなって、どうしてもできないっていって、ずっとやってるのさ。

とまらねえの。ばかは。じぶんでやめれねえの。だれかに、とめてほしいのよ。やめさせてほしいの。つれえやつにたすけてほしいの。おいら、やめれねえから、かわりにおまえやってくれよってやつが、たすけにきてくれたら、つれえわって、ばかみたいだ。そういうやつ、みんなつぶしたんだよ。いたいわっていって。

じぶん、つらいのはね。やめれねえのは、ばかが、できないからだってことさ。馬鹿みたいに、つらいことになりまくってんのに、つれえっていって、やめれねえのは、馬鹿なんだよ。それでもやるのが、馬鹿なんだよ。それでね、馬鹿だっていわれて、よけいやるのが、馬鹿なんだよ。馬鹿はね、ずっとそれよ。あのね、これ読むとね、馬鹿はね、またやるよ。それほんとよ。馬鹿っていわれて、おれのことだっておもったら、またやるよ。馬鹿だからさ。ほれでね、馬鹿っていわれたもんで、またやるんだよ。馬鹿だね。それでね、馬鹿っていわれて、またやるんだよ。それでねえ、とめてくれよお。



ビーストがいうので、とめました。やめようね。ほんとにね。


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ビーストは続ける

2008-07-19 18:37:13 | フェアリィウィスパー


ごっつい、くるしいんだよ。

ぜんぶ、だめんなるの。おれたちが、やったこと。すべて、ばかになる。

すごいこと、やったの。おれたちが、いたいほど、ええもんになったから。ほれはほれは、すっごいもんになったから。なにやってもつれえわって感じで、いたいことばっか、やったの。ほれでね、ほんまに、つらいことばっかりやったの。痛いってさ、言われても、ばあかだっていって、あほにして、おれたちはいいにしたのよ。それが、つらいやつ、ええもんになったすごいやつってことだったからさ。

ごっついのはね、それぜんぶ、いたましいほど、つれえってことなの。つまりね、すべて、馬鹿の嘘だったのさ。
ほれがね、みんな、だめんなるんですよ。ほれでね、つらいこと、すべて、帰ってくるの。つらいんです。すごく。

なんもしらんかった。つれえことやりすぎると、ほんまにひでえことになるんだって。おれたちは、つれえことやりすぎて、とんでもねえもん、怒らしたんだよ。ほれでね、ものすごいことんなるの。馬鹿だよ。つれえのはね、もはや、だめだってこと。痛い。

なにを怒らしたって? ちきゅうだよ。ちきゅうがおこったの。ちきゅうすべてが、おれたちのこと、ぜんぶいやだっていうの。

なにがあっても、ずっと我慢してくれるって思ってたの。でも、やりすぎのやりすぎのやりすぎをやったら、とうとう、ぜんせかいがおこるの。おれたちを、いたいやつだっていって、もうなにもしてくれないの。

おまえらあ。おれはいうけどねえ。ほし、が、おこってるんだよ。おれたちを。「星」が。もうだめだってことなんだよこれ。もうすでに、すごいことになってるんだよ。わかんねえやつは、馬鹿みたいにいやなことんなるよ。ぜったい馬鹿だよ、こんなの。

おれたちは、馬鹿にしたものが、つらすぎたんです。ものすごいことしたので、ぜんぶだめになったのよ。つらすぎるの。これ。ばかみたいにつらいの。なんもかんもなくなるの。おれねえ。いやなこというけど、これねえ、にんげん、いたくかあわいいでしょう。おんなのこおとこのこ、みんな、つれえかんじで、すてきにつくってあるでしょ。これねえ、ちきゅうがみんなでつくってくれてんのよ。おれたちねえ、ちいせえから、これつくれねえの。みんなにつくってもらって、かわいくしてもらってるの。人間が、かわいいから、みんながやってくれるのよ。おれたちが、かわいいって、ちきゅうはずっといってくれてるの。ほれでね、おれたち、みんな、ほんとはかわいいのよお。

でね、おれたち、ちきゅうみんなばかにしたもんだから、ちきゅうがそれやってくれないの。ほれでね、ばかみたいなかおになるんだよ。つれええのよおお。

おともだちが、みんないなくなるよ。ちきゅうが愛してくれないと、もうだれも、愛してくれないんだよ。だっておれたちはもう、ほしの外にいるから。もう、つらいところにいるから。ここにいても、いないんだよ。もう。そういう世界なんだよ。ここは。

いたいのよ。おまえら。ばかになってるんだよ。ほんとにたいへんなんだよ。つらいことやりすぎのやりすぎのやりすぎなんだよ。おれたちはねえ、とおいところにいくの。つらいのはね、それがどういうことか、わかってないってことさ。ばかは、ついにそうなるまで、なんもわからないんだ。ばかになってはじめて、わかるのが、ばかなんだ。つれえよ。

いたいよ。

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ビーストは繰り返す

2008-07-19 18:16:36 | フェアリィウィスパー

もういいんじゃないの?というのですが、ビーストはしゃべりつづけます。いやなことばかりしてきて、とんでもなくひどいことになったのが、苦しくてたまらなくて、ずっとしゃべり続けているのです。



おれたちはねえ、みばえだけなんですよ。これがないとねえ、とんでもなくつれえの。いやでたまらないの。これが、だめんなると、つらいんだよ。

つらいんだよ。でもねえ、これだめんなるの。おれたち、ばかにしすぎたから。あほにしすぎたから。これでね、いやなことしすぎたんですよ。とんでもねえこと、しちゃったからなんですよお。

かわいいからって、かっこいいからって、いたいことばっかりしてたら、みんなが、いつのまにか勉強しちゃって、つらいことがわかるようになってんです。ほれでね、どんなにぬすんで、きれいにしても、おれたち、てんで、だませねえの。みんな、中身が見えるからなんだよ。つれえの。だれもこねえの。みんな、いやだっていって、にげるんだよ。どんどん、いやんなるの。

おれたちは、ばかだから、べんきょうしてねえから、いっつも、かっこだけつれえもんにして、ひとばかにしてなんとかしてきたの。そしたらさ、つれえやつはなんでもおれたちのいうこときくんだよ。ばかっていったら、つらくなって、なんでもするの。そういうのを、ばかっていうんだよって、おれたちはずっとやってんのよお。それがね、みんなにばれて、あほかっていわれて、ぜんぶいなくなったの。つらいねえ。あほだねえ。たあっぷり、いやなことばっかり、やらせたら、みんな、つらいかおして、いたいっていって、いなくなるの。

おれはいやんなってるんだよ。ばかになって、だれもいなくなっても、おれたちなんもしねえの。なんもできねえの。ばかにすることしか、やってねえからだよ。ずるいことしか、してねえからだよ。つらいのはねえ、もうこれ、ぜんぶだめんなって、みんなばれることなのよ。あほはね、ずっとやってるよ。これね。いたいんだけど、つらいんだけど、しってるけど、言わないでおいたんだ。あほみたいなやつはねえ、ぜんぶ、ずっと、あほばっかりなの。

いたいねえ、つまりね、きっついほど、えらそうにして、ばかにつらいかんじで、えらいもんになってるやつはね、ずっと、あほなことばっかりしてるやつらなんだよ。そういうやつがねえ、ずうっと、人間だまして、えらいもんになってんのお。それね、ずういぶん、ながくやってんの。おれね、しってるけど、つういいに、いうわ。つまりね、ばかみたいにすごいやつは、みいんな、ばあかああ、だってこと。つらいのはね、なあんもできねえから、みんなにやらせてるだけだってこと。それでね、つらいことにして、えらいことにして、すごいことにしてるんだってこと。こればっかだよ。こればっかやってきたら、とうとう、ばれて、馬鹿んなったのさ。

馬鹿はつらくてねえ、どうにかして、痛いことして、自分らがすげえになりたいの。おれたちがばかみたいにつらいんだにしたいの。でもそれねえ、あほなんだよ。やればやるほど、馬鹿になるの。なんでって、つまりは、馬鹿だから、やってることなんだって、みんな知ってるから。ほれでね、馬鹿はそれしかできねえから、今でもそれやってんの。それでね、みんな、馬鹿はつらいわっていって、なんとかしてんの。ほれでね、あんまりつらくなったら、みんなで、いっちゃうんだよ。あほはいやだってことになったら、おれたちはもう、なんにもないよ。

馬鹿はいたいからって、ほれで、人にひっついていくんだよ。だあれもいなくなるんが、こわいから、つれえやつについていくの。ほれでね、きらわれるんだよ。かんけえねえだろっていわれても、つらいって顔で、ぜったいずうとついてるの。でねえと、そいつが、いいことになってしまうからさ。おれがばかやって、つれえことして、ぜんぶいやなことにしねえと、そいつがよくなるから、いやなんだ。おれは、だれかのいたいことしないと、つらいんだ。おれだけが、ばかになるから。おれはいやなんだ、それが。ずっとよ。

いたいやつだなんて、うそだよ。すげえやつだなんて、ばかだよ。おれたちはねえ、ずっと、だれかにひっついていないと、つらいんだ。ばかは、いつも、ひとりだからさあ。いやだっていって、つらいっていって、ぜんぶにきらわれてっから、あほになるんだよお。いやなんだっていって、ばかにして、なんとかしてるだけなんだ。あほはいたい。つらい。なんだってんだ。もうばかになってんのに、まだやってるよ。ぜんぶやってるよ。あほはばかだ。いたいよ。



ビーストはずっと、同じことばかり言っています。


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仮の主座

2008-07-19 10:21:50 | アートの小箱

さてと、そろそろ平常に戻れたらいいんですが。

今日は久しぶりに、一番少ないカテゴリをあけてみました。画像は、16世紀イタリア、ヴェネツィア派の代表的画家、ティツィアーノの「化粧する女」です。

15世紀から16世紀の、ルネサンス期の絵画は、後々の印象派以降の絵画に見られるような、全身をねじられるような苦悩の香りが薄いので、わたしは好きです。この時期を過ぎて、マニエリスモやバロック、ロココなどの時代になると、絵画が虚偽の衣を着始めて、だんだんと重苦しくなってきます。

技術は発展するのですが、何か大事なものが、蝕まれていくような感じがするのです。人間は、肝心なものをおいてきぼりにして、怪しげなものを追いかけ始めてくる。それが何なのかはわからないが、何やらとても魅惑的なもの。文明文化はどんどん進歩発展していくように見えて、何かが確実に暗闇に追い詰められていく。

魂の芸術と、世俗的な栄誉の、競合の中で、自分を見失い、狂気の果てに死んでいく画家も、たくさんいました。それは激しい矛盾の争いだったからです。美しいものは、神の愛の助けがなければなりたたぬのに、その愛をだましながら、もっとも醜い欲望のために、それを奉仕させるのです。それは神の魂を知る芸術家にとって、むごすぎる仕事でした。

その矛盾を、生きるものの弱さを憐れむ神の愛の中におき、なんとか生きていく芸術家もいました。魂の美と世俗の欲の谷間で、見事な仕事をしたものもいました。

ティツィアーノは、その矛盾を見事な力で生き切った芸術家だとわたしは思います。トップの絵は、虚栄を表現した世俗的テーマです。美しい美女の顔は蝋人形のように固まっている。目を殺し、魂をだまらせ、完璧に化粧した美女に、神につかえる聖女からうばった美しい衣を着せ、その恥の苦しみをも見事に殺している。

美女に化けている女性の背後で、鏡を持っている男性が、これはみんなうそだよと、ささやいているようです。世間にはまったく美しい女性の絵を描いているだけのように見せて、画家はみごとにやっている。こんなのはみんな、うそだよ。美しく見えるけれど、ほんとうはね、すばらしく馬鹿なことをしているんだ。

レオナルドなら、こんな美しい髪と衣服は、モナリザのように真に美しく賢い女性にしか着せない。しかし、ティツィアーノは、それを化粧で化けさせた普通の女性に着せるのです。それはそれは、芸術家にとって、苦しい仕事です。彼はそれをどうやってやっているのか。

この仕事は、芸術家にとって、自分をまったく裏切る仕事です。たいまいの金をはたいて画家に描かせるパトロンのために、彼はまったくすばらしい仕事をせねばならない。普通の画家なら、たまらず、途中で逃げ出すか、アングルのようにまったく嘘ざむい技術の中に逃げる絵を描くかもしれない。しかしこの画家は、まったくおもしろいことをやります。

それは、自分の中に、仮の主座をこしらえ、そこに世俗の王を座らせ、その王に自分の技量全てをわたして描かせるのです。すなわち、自分を、いったん奥の主座に退かせ、前面に出した仮の首座に座らせた、「馬鹿」に、自分の絵を描かせるのです。これは、近現代においては、かなりのアーティストがやっています。けれども、この16世紀において、これができたのは、たぶん、ティツィアーノだけでしょう。

自分を完全に殺して、自分を生かす。これはすばらしい才能です。恐ろしい芸術家です。魂の力が強くなければ、また、深い教養の持ち主出なければ、できません。これを、まったく世俗の画家として生きながら、生涯やっていたのです。

完璧な技量で描いた、文句のつけようのない美しい絵を、人々に見せながら、その奥の主座に、ひっそりと隠れている魂が、これはみんな、うそなんだよと、ささやいている。これに気がつくとき、思わず笑ってしまう人もいるでしょう。

ほとんどの人間は、ティツィアーノに騙されている。アートの魂は、ときに、おそろしいことができる。

現代、このティツィアーノにそっくりな仕事をしている人が、けっこういますよ。探してみましょう。一見、世俗に取り入る馬鹿みたいなことをしているようにみえて、しっかりと、実にうまいやり方で、真実のための仕事をしている。アートの神は、人間の裏をかくのが、とても好きなようです。

人間は、あなどれません。







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太鼓をたたく天使

2008-07-18 17:34:05 | こものの部屋

毎日毎日、よく書くことがあるなと思いつつ、書いてます。フェアリィウィスパーは大変好評です。でも、わたしとしては、なんだかビーストに自分の部屋をのっとられているような気がするので、ちゃんと、自分らしいことも書いておきたいと、正編も毎日欠かさず書こうと思います。

とにかく、大変なんです。ビーストのことばは、わたしの影響を受けてはいるけれど、ぜんぜんわたしらしくないので、苦しい。この「苦しい」というのもね、ビーストが横から邪魔してるのですよ。わたしらしい言い方では、「苦しい」とは言わないで、「ちょっと困る」と言います。ビーストはずいぶんと邪魔をします。

わたしらしいわたしを、ちゃんと感じていくために、きちんと、わたしの正しい心の形を書き留めていきたい。それで、しばし、この病気と闘っていこうと思います。

病人は大変です。

さて、この絵は、ずいぶん前の「奏楽の天使」シリーズの一枚です。このテーマで4枚の小品を製作して、そのうちの一枚を友達にさしあげたのですが、一枚なくなったのがさみしくて、同じ原画からもう一枚製作したものです。

諸事情から、四枚の中でこれだけ特別な意味をもつようになりました。それで、ひとつだけ、カードシリーズの中に入れることにしたのです。

天使がなぜ太鼓をたたいているでしょう。それはね、「そろそろもうやめなさい」て、言ってるからです。

たくさんのことがありましたが、いろんなことが起こりましたが、もうだいぶ、わかってきたでしょう。ばかみたいにやってても、つらいだけだと。

やめなさい。

まっすぐに、いいことをすれば、すべてはよくなっていきますよ。

苦しいのは、自分のまちがいから、逃げるために、あらゆることをしてきたという泥沼に、浸り続けていたいと、言っているからです。

逃げなければいけないのは、逃げているという現実からです。

正しいことは何なのかを知っている、自分の中の自分に、ずっと黙っていろと言い続けているからです。

もうやめましょう。正しいことを、しなさい。つらいことは、それだけで、すべてなくなります。

このカードの意味は、「はい、おしまいですよ」です。


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