世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

冬のバラ

2015-06-20 05:24:23 | ちこりの花束

お日さま
わたしは 冬のバラです
何を好んで 冬に咲くのか
自分にも よくわかりません
でも ようやく今
咲くことができました

花びらの いちばん外側が
黒ずんで 縮れているのは
何度も 雨に当たったからです
冬の雨はまるで氷の針のようで
とても冷たく 痛く
やわらかな花びらが傷ついてしまうのは
仕方のないことでした

本当は
少しでいいから
だれか傘をさしてくれないかしら
冷たい風からわたしを守る
かこいをたててくれないかしら

思ったことはありました
いいえ 何度もありました
だって
冬の冷たい雨や風は
とてもつらかったのです
苦しかったのです

お日さまの光がひとすじ さしこんで
時をつげる 風の小さなささやきが
聞こえた朝
わたしは 咲きました
外側は傷んでしまったけれど
ほら 中はまだきれいです
雨にも風にも がまんして
ずっと守ってきたのです
だってお日さまに
少しでもきれいなわたしを
見てほしかったから

お日さま
わたしは
あわいぴんくの
小さなバラです



(2000年3月ちこり18号、詩)




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少女

2015-06-19 05:59:24 | 画集・ウェヌスたちよ
少女

制作年不明。
岩波新書の裏表紙に描いた落書き。




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眼差し

2015-06-18 04:28:28 | ちこりの花束

 この原稿を書いているのは、7月の中旬なので、まだギリギリ間に合うかもしれないのですが、ここで一旦、皆さんにお詫びをしておきます。発行が遅れて、ほんとにごめんなさい。
 この編集作業と並行してやっていることをあげてみますと、PTA会長の仕事、花詩集の原稿作成、新聞用のイラスト制作、本業のハウスクリーニングの仕事、家事育児、犬猫金魚亀庭木の世話、ブログの更新。何だか呆然と毎日が過ぎていきますが、おかげさまで何とか、やれています。この34号の出来も、正直不満足な所が多いのですが、とにかく今は、状況を前に進めねばなるまい!で、日々、無理やり前に進んでるって感じです。
 今私は、自分という木のあちこちから、いろんな花が咲いて出ている時期なのかもしれません。暗い試練のトンネルの時期に、盲めっぽうであちこちにまいていた種が、一斉に芽吹きだしてきて、世話におおわらわという感じもします。
 詩を書いて、絵を描いて、夫と一緒に仕事をして、子供たちに囲まれて…。そして何より、今、自分自身を、愛することができて。長い長い間、見失っていたものが何だったのか、ようやくわかって、生きている間に、自分が自分としてなすべきことが、何なのかが、わかってきた…。
 孔子は、五十にして天命を知ると言いましたが、私は四十三歳でそれがわかりました。
 言葉は、魔法です。使い方によれば、ものに命を与えることもできるんです。お庭の花だって、「きれいねえ」と心からいえば、命が匂い立ってくるように一層きれいになってくる。言葉によって、その花の命の美しさが、もっとかきたてられてくるんです。人だって同じです。あなたはすばらしい。すごいことができるんだね。心から、その人の美しさに感動して、言葉にすれば、その人の魂に反応して、その美しさが目の前に、もっと鮮やかに現れてくる。
 性善説だとか性悪説だとかとは別の次元の、本源の所に、その美しい光はあります。それは善悪を超えた、一切の生存を喜ぶ愛の眼差し。生きることの喜びの噴き出す泉。その眼差しと、人々の心との再会を導く、それが、言葉の魔法使いを目指す、これからの私がやるべき仕事なのです。
 詩と、絵と、本と…。アイテムはそれだけなんですけどね。



(2005年7月ちこり34号、編集後記)





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巧詐は拙誠に如かず

2015-06-17 04:21:07 | ちこりの花束

 中国の古典、「韓非子」のことばから。これは要するに、表面をとりつくろってその場だけ巧くやるよりも、拙くても心のこもったやり方で、長い時間をかけてやった方が、結果的には良い、という意味の言葉です。
 ある時期、自分の人の良さに我ながら嫌気がさして、何でもっと巧く世渡りできないのかと、どよんと落ち込んだ気分が続いていたとき、この言葉に出会って、胸の中がすっと晴れるような気がしました。
 お人よしイコール美徳じゃないけど、よくよく自分と向き合えば、そうすることしかできない自分ていうか、そうすることが自分としては一番ここちよい状態なんだということを最優先して行動したら、どうしてもバカなお人よしになってしまう自分が、御本尊のように胸をそらして鎮座しているのを見つけて、もうこういう自分でいいやと、開き直っている今日この頃です。
 無理して他の自分になる必要なんてないんだ。もうこれで行こう。そう思ったら、胸が晴れ晴れとして、生きるのがすごく楽しくなり、自分が好きになりました。
 自分が好きになると、時々夫に「ほんまにお前はアカンの」なんて言われても、どこ吹く風。それが私よ、悪い?って軽く受け流すことができるようになりました。自分に自信がなかった時は、ちょっとした一言にも、ずどんと落ち込んでいたものでしたけどね。



(2005年7月ちこり34号、言霊ノート)


    


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イチゴ

2015-06-16 04:17:08 | 月夜の考古学・本館

イチゴ Fragaria grandlflora

 時々、日常に見られる何の変哲もないもの、ありふれたものを見て、まるで生まれて初めて、今見たかのような新鮮な衝撃を受ける、そんなことを経験したことがありませんか。
 先日、スーパーの野菜売り場で、パック詰めのイチゴの山を見たとき、私はそれを感じました。宝石のように澄んだ赤いイチゴの山。毎日見ているはずなのに。まるでそこに、目に見えない高貴な魂が、うずくまっているような。空を飛んでいた澄んだ風の鳥が、ひといきそこにおりてきて、休んでいるような。
 しばし打たれて、息を飲んでしまいました。見えない誰かがそこにいて、この私の心を飛び越えて、直接魂と会話していました。
 その存在そのものが、見知らぬ言語の歌のように起き出して、私の存在そのものに、迫ってきたかのようだったのです。今まで当たり前のようにしてそこにあったもの。それがなんのために、なぜそこにあるのか、だれがそこにおいたのか、だれがそれを作ったのか。あらゆる意味が音楽のように紡ぎだされて、そこに新たな命を作ったかのようでした。
 日ごろ、私達が何げなくみていいるものの中にも、その光はあるのでした。私達が勝手に世界に塗った薄っぺらな色を拭うと、それそのものの、本当の意味の光が見えてくる。真実を見ようとするまっすぐな瞳があれば、それを見抜くことができる。私達が、実はどんなに豊かな世界に生きているか。どんなにたくさんのものが、与えられているか、愛が、どんなに忍耐強く、私達の胸の下で、息づいているか。
 一粒の赤いイチゴを見るとき、知らず知らずのうちに希望がわいてくる。そんな気がするときがあります。なぜそうなのかはわからない。けれども。
 生きてゆく中で、時に傷ついて、切ない孤独の痛みを一時でも癒そうとするとき、イチゴの助けを借りようとする人は、そう少なくないでしょう。イチゴがいなければ、耐えられない痛みがある。生きていくひとびとの、その胸の中には。
 それを知っていた誰かが、私達が生きることを、少しでも助けるために、一粒のイチゴを、この世に作ったのだとしたら。


(2005年7月花詩集26号)




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角笛を持つアデラド・リー

2015-06-15 05:51:32 | デッサン・下描き
2007年、切り絵の下絵。

完成作品はこちら








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種まく人

2015-06-14 05:16:06 | 月夜の考古学・本館

水色の空を
羊羹のように切り分ける
黒い電線の下で
わたしは黄色い旗を持って立っている

古い町の古い小学校へゆく
子供たち
交差点をちらほらと横切る

おはよう おはよう
気をつけて いってらっしゃい

若葉色の ちいさなあまがえるのように
かわいらしい君たち
わたしは君たちをみると
花束のように ぎゅっと
抱きしめたくなる程なのだが

君たちときたら もう
胸の中の重い虚ろに
じりじりあぶられているような
不安な瞳で
足早に行き過ぎるのだから
何も聞こえなかったふりさえして

おはよう おはよう
気をつけて いってらっしゃい

わたしの言葉が
君たちの虚ろに届くのは
きっとずっと先
本当の自分を生きたいと願い始めた君の
瞳の奥が開いて
大空の光が君の魂に届いた時
その時
きっと君の中で
芽生えるものがあるように
わたしは繰り返し
種をまき続ける

おはよう おはよう
気をつけて いってらっしゃい



(2002年頃、種野思束詩集「種まく人」より)




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ジェラシー

2015-06-13 05:09:57 | ちこりの花束

 人間は嫉妬する生き物。という前提でものを考えた方がいい。テロや戦争の根底にあるものも嫉妬。豊かで華やかな先進諸国に対する嫉妬、異文化に対する嫉妬…。嫉妬は強烈な自尊心の裏側にある。そして他者に対する恐怖感と手をつないでいる。それは人間の生命の根底に頑固に張り付いている宿命みたいなもの。だから嫉妬は悪い、というより、それをどう悪い方へ作用させないかの対策が必要ではないか。
 ユーモアや愛、文学やアート、そして人々の幸せを祈る宗教などが、そこにはたせる重要な役割があると思う。要するに、人間と人間社会に関する正しい教養が、嫉妬の良い御者になり得るものだと思う。だから人は学ばなければならない。怠惰にふけっていると、嫉妬に飲み込まれて自分を見失う。その災禍たるや、皆さんもご存じのとおりです。




(2003年11月ちこり29号、ミニエッセイ)





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ほおづえ

2015-06-12 06:01:37 | ちこりの花束
ちこり17号表紙、切り絵。
1999年11月。

以前別館で発表したことがあるが、落書きされていたので、きれいなものを新たに発表しなおす。
タイトルはわたしがつける。








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ママどうして人は戦争をするの?

2015-06-11 06:22:49 | ちこりの花束

君は
ケーキの大きいほうを争って
おにいちゃんと
とっくみあいをしたことがないかい
また
ママが弟ばかりかわいがるからと
くまちゃんのボタンの目を
ひきちぎったことはないかい

それから
君の好きな娘が
君とは違う少年を好きになったからと
道端のカタバミの花を
ふみつぶしたことはないかい?
町のいじめっこに
大切なおもちゃをとられたからと
塀にとまったちいさなハナムグリを
たたきつぶしたことはないかい?

実はね
戦争というのは
つまるところ そういうことなのだ
小さなころ 胸に宿した小さな憎悪の種が
せいじだとか りけんだとか
みんぞくかんじょうだとかの
大量のガスをかぶって
いっせいに燃え出すのだ
ママどうして弟ばかりかわいがるの?
とつぶやきながら
将校はミサイルのスイッチを押す
ぼくのだいじなおもちゃかえしてよ
とかみしめながら
テロリストは爆弾を抱いてカフェに飛び込む

それもこれも ひとの胸にすみついた
ちいさなハナムグリの幽霊のせいなのだ

その憎しみの炎を
どうやって消したらいいのだろう
やわらかな愛のつばさで
風を送って
すべての憎しみと悲しみをなだめるには
どれだけの涙と
祈りが必要なのだろう

道は長いかもしれない
ひとはだれも
まちがわないではいられない生き物だから
でも心配しないで
できることはある
今も そして明日にも
わたしたちにできることはあるんだよ


(2001年11月ちこり23号、詩)



   

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