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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

サンドロ・ボッティチェリ

2015-06-10 05:01:10 | 天使の小窓

別館の掲示板で語ったように、サンドロ・ボッティチェリとレオナルド・ダ・ヴィンチは、魂を共有している。この天使は、いわばレオナルドの分身である。

ひとりで二人分の人生をやるとき、結局はどちらかを選んで他方は他の者に任せて捨てるほかないが、天使の霊がサンドロではなくレオナルドを選んだのは、サンドロが勉強をせずに、絵ばかり描いていたからだ。他人には彼が馬鹿に見えた。美しい絵を描くが、全然わかっていない馬鹿だと、周囲に思われていたのだ。

もちろんこれには意味がある。要するに、人間に嫉妬されないように、天使の優れた部分をできるだけ外に出さないようにして、馬鹿に見えるようにしていたのだ。サンドロはそういうことで、なんとかしようとしていたのだが、どうしても、人間は彼をただの絵描きとしか思わず、本気では相手にしなかった。これでは使命を果たすことができないと判断した天使は、レオナルド一本で生きることに決めたのだ。

天使の魂が去って行った後のサンドロの人生が、どういうことになったかは、皆知っている通りだ。天使としてのボッティチェリは、ザクロの聖母を描いた後あたりで、事実上死んだことになる。その後のボッティチェリは全く別人だと言ってよい。

だがサンドロが何もできなかったわけではない。以前サビクがアンデルセンの童話に、かのじょに関する予言が含まれているというようなことを言っていたが、サンドロの絵にもそういうことがあった。かのじょはサンドロの美しい絵の中に、自分の身に起こる現象が描かれているのを見たのだ。君たちは見てもわからないが、かのじょはそれに気づいて以来、サンドロの絵が教えることを参考にしつつ、生きていった。それで、かなりの難を乗り越えることができたのだよ。

天使と言うのは、こういうことをよく経験する。まるでお互いの愛が溶けあって来るかのように、過去の天使の仕事が、未来の天使を助けることがあるのだ。

サンドロ・ボッティチェリはかのじょのために、すばらしいことをしてくれたのだ。

ところで、前にも言ったように、普通ボッティチェリの自画像と思われている、「東方三博士の礼拝」に描かれている男は、ボッティチェリではない。本当の彼はこのフィリピーノ・リッピが描いた絵のように、かなり美しい青年だった。

こちらの絵と比べてみたまえ。目の光がなんとなく似ていると感じないかね。






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泣いてもいい所で

2015-06-09 06:21:54 | ちこりの花束

 だれにも、人生で一度は、辛く苦しい時があります。壁にぶつかって、傷ついて、寂しい時、人は時々、自分の人生のマイナス分を取り戻そうと焦って、がむしゃらに行動を起こしたり、無理に情熱的に振る舞ったりします。心の中は、孤独に冷えているのに、満たされているふりを続けたり、します。
 皆さんの作品をワープロに打ちこんでいると、皆さんの心の風景が、見えてくるときがあります。自分の心を鎮めて、相手の心の前に謙虚な気持ちになって、読んでいくと、言葉は、わたしに正直に心の内を打ち明けてくれます。そうやっていると、時々、たまらなく愛しくなる時が、あるのです。
 苦しんで、あがいて、なんとか這い上がろうとしている。でも出口が見つからなくて、ただ焦っている。…私にも、そういう時期がありました。苦しかった。どうしようもなく寂しかった。でも、生きるしか、なかった。
 トンネルを抜けるためには、ときに、遠回りと思えるような道を取る方が良い場合があるのです。最短距離だけを行こうとする心に捕らわれてしまうと、却って迷ってしまいます。焦ってはだめです。つらいけれど、悲しいけれど、目の前の、徒労とも思えるような仕事を、繰り返すしかない時期があるのです。
 秋は、自分の心を見つめ直す時間を、与えてくれます。生きることに疲れて、自分が見えなくなった時には、静かに夜空でも見上げましょう。だれにも聞いてもらえない思いは、月や星にささやきましょう。例えば、真夜中の、たったひとりのベランダで。泣いてしまっても、誰もとがめないような、所で。
 今日よりもすてきな未来が、きっと来ると、信じて。


(1996年11月ちこり8号、編集後記)





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ユニコーンとうさぎ天使

2015-06-08 07:09:32 | ちこりの花束

1996年11月ちこり8号表紙イラスト





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真実

2015-06-07 06:36:38 | ちこりの花束


 真実っていうのは、お母さんのお乳の味に似ているような気がします。
 大人になって忘れていても、その香りに、なぜか漠としたなつかしさを感じてしまう。
 哲学だとか科学だとかの、色んな理屈を組み立てて、真実がどんなものなのかを、人々は何とかつかもうとするのだけど、結局のところそれは、魂の奥の奥の、深い記憶の中に、横たわっているものなのではないかって気がするんです。
 それに触れただけで、全ての雑事が溶解して、裸の自分が現れてしまう。なつかしさといとおしさがこみあげてくる。
 理屈を超えたところの、いえ、その理屈そのものを組み立てる土台の中に、大きな真実の姿が隠れている。
 それは積み木を積むための、子供部屋のようなもの。
 鬼ごっこのルールを話し合う、遊び場のようなもの。
 誰かと一緒に夕焼けを見る時に座る、芝生のようなもの。
 遊ぶだけ遊んだら、もう帰ってきなさいと、呼び戻してくれるなつかしい声。
 ほんとうのことは、いつでも帰ってきていいんだよと微笑む、誰かの愛の中から、常に泡のように聞こえてくる、なつかしい歌なんだ。
 ちょっと、詩的ですが。



(2005年3月ちこり33号、ミニエッセイ)





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オオハラシヒコの神

2015-06-06 06:42:04 | 画集・ウェヌスたちよ

2002年頃、切り絵。

「小さな小さな神さま」挿絵用として制作したが、ボツになったもの。




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ダイアナ

2015-06-05 06:18:56 | ちこりの花束
ダイアナ
制作年不明。
同人誌付録および読者プレゼント用に製作した絵葉書。




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出会い

2015-06-04 06:01:25 | ちこりの花束

 木々や草の緑に囲まれた小道で、三男と遊んでいたある日の事です。遊びに夢中でなかなか帰ろうとしない三男の気をひこうと、1匹のテントウムシを捕まえました。
「ほーらごらん。てっぺんまで登ったら、飛ぶよー」
 テントウムシは、私の手のひらを登り、人差し指の先までいくと、外側の硬い翅を開きました。しかし飛ぶことはできず、真っ逆さまに地面に落ちてしまったのです。なぜなら、飛ぶための内側の翅が、2枚ともねじれていたからです。
(あ、この子、飛べないんだ。悪いことしちゃった)
 私は草むらに戻してやろうと落ちたテントウムシに手を差し延べました。しかしテントウムシは私の手にのらず、自分の足で道を横切り、すばらしい速さで道端の木に登っていったのです。
 少々進歩の遅い次男に、毎日勉強を教えても、いっこうにはかどらず、焦っていた日々に起きた、小さな出会いでした。子供の成長する力を信じなさい。そうテントウムシに教えられた気がしました。



(2000年7月ちこり19号、ミニエッセイ)




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冬のおじいさま

2015-06-03 06:15:53 | ちこりの花束

ぼうや 大人になるとね
目には見えない
不思議なツノが生えてくるのさ

北極の 空の辺りには
星の光を組んで作られた
ちいさなあばらやがあって
水晶の風のようなおひげの
美しい冬のおじいさまが住んでいらっしゃる
おじいさまは
毎年冬のきわみの日が近くなると
歌うブナの樹のような声で
おっしゃるのだ

わが子や つまや こいびとや
ちちははや そのほかの
たいせつな人の
ひとりでもいるものは
聞くとよい
そのひとたちに 心よりの
贈り物をするように

まるで 発芽の種のように
やわらかな そのツノは
耳に聞こえぬその声を
感じるためのアンテナなのさ
だから 人々は
その日が近くなると そわそわしながら
赤や緑や金のリボンで飾りつけた
ちいさな贈り物を用意する

ほら ふとんの中にいると
じぶんの熱で ほかほかと温かい
それと同じように
たいせつな人のことを思うと
自分の愛で 心が 温かいんだ
おじいさまは みなの心を温めたいのだ
冬のおじいさま だからこそ

ぼうや
子供にしかわからないことがあるように
大人にならないと
わからないこともあるんだよ


(2002年11月ちこり26号、詩)





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三禁題

2015-06-02 05:59:31 | アートの小箱
ティントレット、「アダムの誘惑、またはアダムとイヴ」


ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル、「パンドラ」


ジョット・ディ・ボンドーネ、「キリストの逮捕、あるいはユダのキス」


以上の三つのテーマは、全くの虚偽なので、もう二度と描いてはならない。
過去に描いた絵は、芸術作品として価値あるものもできるだけ封じてしまいなさい。
とんでもない馬鹿な作品はもちろん処分すること。

絵画というのは人間の心に大きく作用する。
こういう絵を見て、男は女は馬鹿なのだと思い込むのである。

ユダの場合は、とにかく冤罪を晴らしてやりなさい。イエスを裏切ったのは、彼ではない。
他の弟子すべてなのだ。




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サーカスキャット

2015-06-01 06:34:08 | 瑠璃の小部屋

2012年頃
ヤフーブログに発表していたもの




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