世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

アイオワ族の酋長ホワイト・クラウド

2016-06-20 04:16:55 | 霧の風景


ジョージ・キャトリン、19世紀アメリカ、写実主義。

アメリカ先住民に対する白人の罪は、いつまでも黙止していてよいものではない。現実問題、アメリカの白人たちにその罪の反動が返ってきているからだ。それがどういうことかはまだ教えられないが、ひとつだけヒントを与えよう。最近のアメリカの白人の姿が、妙にアメリカ先住民に似てきているということだ。法則の復讐には、おそろしいものがあるのだ。そろそろ自分たちのやってきたことを、アメリカは振り返る必要がある。法則が起こす現象をつぶさに見つめていくことだ。






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マグダラのマリア

2016-06-19 04:16:21 | 霧の風景


ピエロ・ディ・コジモ、15世紀イタリア、盛期ルネサンス。

マグダラのマリアはイエスの存命時において、ただ一人のイエスの理解者であった。だが女性であったため、何をすることもできなかった。男たちがイエスをなぶり殺しにしていくのを、彼女は黙って見ていることしかできなかった。女性に力があれば、男が、女性の心を少しでも認めていれば、イエスは助かったかもしれない。男の乱行を停止することができる女性の機能というものが、まったく力を発揮することができなかったということが、人類をある種の破滅に導いたというのが、イエスの殺害の一つの真相なのである。






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緑の服を着た婦人の肖像

2016-06-18 04:13:16 | 霧の風景


アーニョロ・ブロンツィーノ、16世紀イタリア、マニエリスム。

これは盗んできた美が崩れてきたという絵である。モデルは40代以降の女性であろう。美しかった若いころの美が失われてきているが、これは老いてそれが衰えてきたのではない。歪んできたのだよ。偽物の人間は老いてくると、盗んできた美が腐ってくるのだ。美しい衣装でごまかしてはいるが、目が弱いのは、本霊がそろそろ自分の人生から降りようとしているからだ。美しくなくなることによって、人に馬鹿にされることが怖いのだ。偽物の美女がいずれどういうことになるかということを、予感させる絵である。






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プロメテウス

2016-06-17 04:35:25 | 霧の風景


ジャン・デルヴィル、20世紀ベルギー、象徴主義。

神話では、プロメテウスはゼウスの意向に逆らって人間に火を与えた。それで人間は明るく暖かな暮らしを得、調理したものを食べることができるようになったが、それを使って兵器を作り、醜い戦争をするようにもなった。
原発というものは、男の罪なのである。女の心を引き留めるために、そこまでやったというものなのだ。それは滅亡という名の火を、籠の中に飼っているというものなのである。決してやってはならないことだったのだ。それを人類は、永遠に払っていかねばならない。それから逃げることはできない。地球創造活動を永遠に美しく続けていくために、人間は原発を永遠に管理していかねばならない。ゼウスに逆らった罰として、岩山に鎖でつながれ、毎日のように禿鷹に肝臓をつつかれるプロメテウスのように、永劫の時を、男は苦しまねばならない。女もそれを黙って見ていることはできない。男の持ってきたもので、良い暮らしを得ることができたからだ。
イエスに対する罪はいつか払いきることができるが、原発の罪は終わることがない。プロメテウスは、人間存在の、永遠の罪の象徴なのである。






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未来

2016-06-16 04:12:01 | 霧の風景


ガブリエレ・ミュンター、20世紀ドイツ、表現主義、女流。

ストックホルムの街が見える窓を背景に、女性がこちらを見ている。寂しげで遠いまなざしだ。その視線の先には、たぶん愛する男がいるのだろう。ガブリエレ・ミュンターは一時期、ワシリー・カンディンスキーの恋人であったらしい。彼らは人生の一時期を共に生き、互いに助け合い、影響し合った。その恋にどういう終末があったにしろ、愛していたのだという真実は変わらない。この女性のまなざしには、たとえ今は悲しく別れても、いつかあなたともう一度出会いたいという、女性の切ない心が隠れている。いつかあなたと、もう一度出会いたい。その心に、男はもう真剣に応えねばならない。






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人間

2016-06-15 04:15:29 | 霧の風景


ジョージ・スタッブス、18世紀イギリス、ロマン主義。

スタッブスは馬や犬などの動物を描くのに優れた画家である。それが人間を描くとこういうことになる。絵画的に理想化していない形は、かなりモデルに忠実に描いたものであろう。弱い目つき、バランスのとれていない体型に、人間の心の危うさを感じる。人間はまだ小さいのだ。知恵はあるが知性はそう高くない。無知ゆえの恐怖が皮膚をピリピリと覆い、それが時にむごい衝動を生む。あらゆる暴虐を働いて、世界を席巻してきたものの正体は、こういうものなのである。人間とは一体何なのかということを、深く考えさせるものである。






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降誕

2016-06-14 16:30:27 | 霧の風景


アルブレヒト・アルトドルファー、16世紀ドイツ、北方ルネサンス。

自己存在は永遠に活動するものであるからこそ、いつでもやり直せるチャンスはある。新しい子供はいつでも生まれてくるのだ。それは王侯貴族の立派な家に生まれてくるのではない。さびれた田舎の小さな一軒家に生まれてくるのだ。小さいが真面目に働く父親と、平凡だがそれなりの愛をくれる母親の元に生まれてくる。その子供がどのような宿命を背負っていようと、それから逃げることをしない限り、それは神の子である。






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L.H.O.O.Q.

2016-06-13 04:16:11 | 霧の風景


マルセル・デュシャン、20世紀アメリカ、ダダ。

これはどう考えても厚顔無恥な盗作である。いや倒錯と言ってよいだろう。不思議な題名には、「この女性は発情している」という意味が秘されているらしい。激しい虚無の嵐の中をさまよい、魂を疲弊させている人間を最終的に動かすものは、ゆがんだ性欲だ。セックスがしたい。そのためだけに動く。だがだれも相手にしてくれない。そういう馬鹿に近寄ってくる女は一人しかいない。母親だよ。あれも女なのだ。だがそれをすれば、人間はもう終わりなのだ。自分を愛し生み育ててくれた母親を犯すことは、自分の存在意義そのものを犯すことだ。決してやってはならないことをやって、野獣の境地に落ちようとするのが、人間の終末なのだ。モナリザを侮辱すれば、芸術が終わりなのと同じように。
デュシャンはこの作品を残したことを、永遠に恥じることになるだろう。






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ラヴェンダーの霧:ナンバー1

2016-06-12 04:24:06 | 霧の風景


ジャクソン・ポロック、20世紀アメリカ、抽象表現主義。

これはもう何もない。魂は自己存在の芸術性をまるごと否定し、雑音と喪失感の支配する虚無の荒野を見つめ続けている。アクション・ペインティングと言い、カンヴァスに絵具を滴らせるだけで描いたこの作品は、人間の創造性を極力除外して表現すればどういう世界が見えるかということを教えている。数字をつけたタイトルも非常に苦しい。人間はこのような、絶望の支配する虚無の世界が映る、霧の風景を見続けているのである。






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ルース・ダポント夫人の肖像

2016-06-11 04:24:05 | 霧の風景


サルヴァドール・ダリ、20世紀スペイン、シュルレアリスム。

これは恐ろしい女性像である。髪を流行の形に整え、センスのいい上等な服をまとった女性の中には、誰もいない。誰もいないのに、形だけはある。ダリは悪魔に魂を売った画家だ。彼は芸術家としてのステータスを得る代わりに、馬鹿の望む通りの絵を描いたのである。美しい見栄えのみを描いて、中身は描かなかった。中身を描けば嘘がばれるからだ。その背景には草木も水もない、荒涼という言葉さえ寒い世界が広がり、女性の姿はそれに幽霊のように溶けている。人類の馬鹿が求め続けてきた世界は、こういうものかという絵である。






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