リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

教養

2011年05月23日 15時13分45秒 | 日々のこと
NHKスペシャルで太地の鯨漁のことをやっていました。反捕鯨団体が押し寄せて、漁民と対立している問題です。事の判断はとりあえず置くとして、見ていて思ったのは、反捕鯨団体のひとたちの下品さです。ことば使いも失礼な言い方が多かったし、漁師さんを挑発して怒ったところをビデオで撮ろうと待ちかまえていたり、10万円をヒラヒラさせながらこれで鯨を放してやれと言ったり、盗撮したり・・・いったいどういう人たちなんでしょうねぇ。たとえ正しいことをしているとしてもこれでは話になりません。

人の家にあがりこんできて、お前の生活習慣はこう直すべきだ!、といって居座られるのと同じようなものですからね。ってちょっと違うか。(笑)

ま、それにしても異なった価値観とか文化に対する許容度が低いです。アメリカやオーストラリアの全ての人たちが反捕鯨団体の人たちと同じ考えも持っているとは思えませんが、ザ・コーヴという映画がアメリカのアカデミー賞を取ったわけですから、ああいう考え方に対する一定の支持はあるのでしょう。また彼らの考え方の根底にはまだ差別意識みたいなのもあるのかもしれません。

これは一種の文化的な侵略かも。その結果漁師さんたちの生きていく権利とか尊厳が損なわれているわけですが、それに対して彼らだけで彼らだけで挑まなくてはいけないというのは酷なことです。

若桑みどりさんの大著「クアトロ・ラガッツィ」によりますと、その昔、イエズス会の宣教師たちが日本に布教活動に来たときに、布教の方法を他のアジアの国の人たちに対する方法とは異なるやりかたにしたそうです。それは、日本の民は充分に高い文化・理解度を持っていたためで、自分たちの国の人たちに対して行うのと同じような方法で(つまり強制的に盲信させるような方法ではない)行ったそうです。宣教師たちは、自分たちとは全く異なる文化を理解、尊重できるだけの教養があったわけです。

布教活動と反捕鯨活動はもちろん内容的に異なりますが、反捕鯨活動家たちにはたして昔のイエズス会の宣教師たちのような教養はあるのでしょうか?