リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

巨大地震

2012年09月03日 20時28分19秒 | ローカルネタ
先日南海トラフ地震の被害想定が発表されました。南海トラフ地震は、東南海、南海、東海地震が全部連動して起こる地震ということらしいです。ヤフーニュースによりますと、私の住んでいる三重県の桑名市では、津波による5メートル以上の浸水はないみたいですが、これってどの辺まで水がくるのでしょうかねぇ?ウチは伊勢湾台風のときは床下浸水をしましたので、多分津波に襲われるってことでしょうか。

でも歴史的には桑名旧市街が津波で浸水したという記録はないみたいで、実は津波による浸水は心配しなくてもいいのかも知れません。

最近「日本人はどんな大地震を経験してきたのか」(寒川旭著、平凡社新書)を読みましたが気になる部分がありました。それは、745年と1586年に起こった大地震のことです。この2つの地震は、養老・桑名・四日市断層帯と阿寺断層帯、庄川断層帯が連動して起こった巨大地震で、1586年のものは天正地震と呼ばれています。なんでもこのとき「琵琶湖南西岸の坂本城(現・大津市)にいた羽柴秀吉が、地震に肝をつぶして、大阪城に逃げ帰った」そうです。

桑名市にとってはこの養老・桑名・四日市断層帯等が動いた地震の方がよっぽど怖い感じがします。なんせこの断層はウチから4km位西にいったところを走っていますから。800年くらいの間隔みたいなので、次は2300年代ということでまだ大丈夫かな?でもわかりません。

記録がないのでよくわかりませんが、断層のすぐそばの桑名市汰上(ゆりあげ)というところは、地元の人によると、(地震で)ゆれて上がった土地ということらしいです。これってもしかすると、1586年の天正地震のときのことでしょうか。

市内の結構奥に入ったところに船着神社があったりするのも海岸線(川岸?)が後退したということでしょう。

近鉄益生駅から421号線沿いに東にいきますと、三ツ矢橋、浅川通り、矢田積(やだがわら)、相川町という地名があることからこのあたりに川が流れていたということがうかがわれます。この川は多分員弁川(桑名のひとは町屋川といいます)なんでしょうけど、員弁川は地図で見ますと明正中学校付近で90度右折しています。桑名旧市街を流れていた(だから「町屋」)川がなんかの理由で90度曲がってしまった!?

それとも誰かが河川改修した結果そうなった?本多忠勝の慶長の町割り以前に河川改修ってあったのでしょうか。それとも天正地震で地面が盛り繰り上がったため、町屋川の流れが変わってしまった?桑名市(だけじゃないけど)にそんな大地震が起こる可能性があるというのなら南海トラフ大地震よりよっぽどこっちの方が怖いじゃないですか。

勝手な推測が進んでしまいますが、このあたりのホントのところはどんなもんなんでしょう?